塩哲の色即是空

私の日常の活動状況を飾り気なく、素のままで表現する。

広重「江戸百」今昔 両国花火

2007-09-16 03:10:23 | 江戸百・今昔
 安政5年(1858)8月の改印がある「江戸百」98景、
「両国花火」(りょうごくはなび)。
 隅田川での船遊びは、諸国の大名が始めたもので、夏の夜、
涼を求めるためとはいえ、その内容は時代とともにエスカレート
していき、また、それが町人にも浸透していく。屋形船を一日
チャーターするだけでも、最低クラスで5両(30万円ほど)
かかるのである。其角がその思いを句に詠んでいる。
「一両が花火間もなき光かな」
 両国の川開きに花火が上がったのは、享保18年(1733)
5月28日。その前年、日本全国で米の凶作やコレラの流行で
大飢饉が起こり、多くの死者を出した。そのため、八代将軍・
吉宗が慰霊と病退散を祈り、水神祭を行った。
 その祭りに両国橋辺りの船屋や料理屋が、幕府の許しを得て
花火をあげた。これ以降、川開きには花火がつきものとなった。
 当時の花火師は、鍵屋弥兵衛。“かぎやー”のかけ声は、
花火師の屋号だったのである。この後、鍵屋から分家した
玉屋も出てくる。しかし、鍵屋は1843年、花火で大火事を
起こし、江戸追放となってしまった。
 絵は、空に“ポカ物”と呼ばれる花火の大輪が描かれている。
江戸の頃は、現在の花火と違い多色ではない。轟音と共に
打ち上げられる勇壮な光景と、その音と、そしてはかなく
消えていく哀れさを、わび・さびとして感じとったのだろう。
広重のこの絵は、見事、その心情が現れていると思う。
(台東区柳橋1丁目1番地辺り)