塩哲の色即是空

私の日常の活動状況を飾り気なく、素のままで表現する。

Weekendの麺処巡り 燦々斗のつけ麺

2007-09-02 14:23:45 | 拉麺
 伊藤を後に、東十条まで歩いた。目指すは、「燦々斗」。
20分ほどで到着。こちらのお店、何度か足を運ぶものの臨時休業で
未食の店だった。開店したばかりで、前客3名、私の後に2名
入店があった。
 メニューは拉麺かつけ麺、それにトッピング数種類のみ。
つけ麺をデフォ300gで注文。ご主人は、千葉県の「らーめん
寺子屋」第7期目の出身。厨房での作業を眺めていると、
ドッシリとした雰囲気で落ち着き、寡黙である。まるで武士を
想像してしまう。スタッフの奥さんとは、アイコンタクトで黙々と
作業が続く。
 カウンターに座った後ろを振り向くと、木枠のガラス戸の向こうに
懐かしい製麺機が鎮座している。
 この雰囲気からして、大いに期待出来る一品が登場することだろう。
 さて、つけ麺登場。まず麺は、饂飩のような極太だ。タマゴが
多く使われているようで、風味もあり弾力抜群。
 そして、つけ汁、器の底にとても濃いい出汁があり、最初に
かき混ぜておいたほうがいい。私には少し濃いめなので、
出来ることならスープ割りをして薄めたいところ。
 ところが、最後にスープ割りをしてもらったところ、
このスープ、薄まるどころか、濃さが増したようである。
 しかし、なかなか、旨い一杯だった。

燦々斗
北区中十条3-16-15 中十条ハイツ103
11:30~14:00、18:00~21:00
水曜のみ夜営業、火曜定休日

Weekendの麺処巡り 伊藤で煮干しを堪能

2007-09-02 14:20:29 | 拉麺
 本日は、大阪世界陸上の女子マラソンが朝の7時からスタートした
ので、ついついゴールする9時間半までTVを観戦した。
ケニアのキャサリン・ヌデレバは強い。土佐礼子もなんとか3位に入り
北京五輪の日本代表切符を手にしたようだ。
 さて、麺処巡り、マラソンの余韻を残しながら、向かった先は王子。
そう、駅から距離のある「中華そば 伊藤」だ。久しぶりで煮干しの濃い
麺を食べたくなった。最寄り駅は東京メトロ・南北線の王子神谷駅、
ここから歩いて8分ほど。
 以前は2人がけの椅子が店頭に用意されていたが、現在はない。
待っている間、煮干しの良いアロマが鼻孔をくすぐる。
開店までに並びは、私を入れて3名。地元の80歳は超えている
お婆さんが私の後に並ぶ、どうもこちらの常連さんのようで、
注文はメニューにない“ラーメンおくれ”だった。
 私は、肉そば麺大盛り800円を注文。以前はなかったメニューに、
しる多め100円が加わっていた。待つことしばし、麺が出てくる
頃には、店内は満席となった。
 細めのストレート麺は自家製。九十九里産の煮干しの風味が
器から、店全体を覆い包むようである。このスープ、煮干しだけでは
なかった。昆布も旨味が強烈にアピールする。この昆布、食べ終わって
店を出ると、昆布の風味が口の中で、五穀豊穣尾を祝う舞でも踊って
いるようで、今にもピィヒャラとお囃子が聞こえてきそうだった。
 少し残った麺とチャーシューにカウンターの一味唐辛子を
振りかけ、変化を味わった。うまい煮干し&昆布だった。
 店内に遅い夏休みの案内があった。9月3日から7日まで
お休みである。

中華そば 伊藤
北区豊島4-5-3 03-3913-2477
11:00~14:30、18:00~0:00
土・日・祝 11:00~20:00
不定休

墓を巡る 司馬江漢

2007-09-02 06:30:29 | 墓を巡る
 江戸後期の洋風画家であり蘭学者の司馬江漢(1747~1818)の
墓が、巣鴨の慈眼寺にあった。
 四谷に生まれた江漢は、本名を安藤吉次郎といい、後に姓を司馬、
名を峻と改め、字が君嶽、号を江漢とつけている。はじめは狩野派で
学び、鈴木春信に師事している。
 江漢の絵は、一立斉広重にも影響を与えている。広重の出世作
「東海道五十三次」は、その下絵に江漢の「東海道五十三次画帖」が
あったと言われている。
 元の墓は、本所猿江町にあった慈眼寺に祀られていたところ、
寺の移転により現在の所に改葬されている。
(豊島区巣鴨5丁目37番地辺り)

広重「江戸百」今昔 京橋竹がし

2007-09-02 06:15:15 | 江戸百・今昔
 一立斉広重の「名所江戸百景」の全作品の中で1景挙げろと、
言われたら、58景「大はしあたけの夕立」か、1景「日本橋雪晴」の
2点が口につくだろう。「大はし・・・」に決まるかな。
 今回取り上げる安政4年(1857)12月の改印がある76景
「京橋竹がし」は、浮世絵研究家の中で評判が高く、名作であると
強く推される方もいる。それは、橋脚とバックに並ぶ竹のラインで
あるという。
 日本橋を中央通り・東海道方面にスタートし、京橋川が横切り、
最初に架かる橋が京橋だった。橋の高欄の柱には金属の擬宝珠が
被さっている。これは、江戸城内の各御門に架かる橋以外では、
日本橋と京橋のみ許されたものだったそうだ。
 竹がしとは、竹河岸のことで、この橋から下流の北側に
竹問屋が軒を並べていてた。
 その木造の京橋は、明治5年の大火で焼け落ち、3年後の
明治8年に石造りの橋が再建された。そして、1959年に京橋川が
埋め立てられ、京橋も撤去されている。
(中央区京橋3丁目1番地辺り)