tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

遷都1300年祭の民間イベント

2008年11月11日 | 平城遷都1300年祭
11/6(木)、平城遷都1300年記念事業協会は「平城遷都1300年祭“県民活動支援事業”採択事業」を発表した。協会は1300年祭にちなんだ民間イベントなどを補助・後援するとして広くプランを募集していたが、その審査が終わり、対象となる事業を発表したのだ。今回は第1弾として、平城宮跡の外で行うイベントが対象である。
http://www.1300.jp/news/2008/11/post-15.html

11/7付奈良新聞によると《平城遷都1300年祭を盛り上げる県民活動を支援しようと、1300年記念事業協会は、本年度初めて「県民活動支援事業」を創設。同協会は6日、元興寺禅室の屋根裏部屋の初公開など24事業について、資金助成と後援事業の対象として認定したことを明らかにした。後援事業のみは18事業。同協会県内・広域事業部の中山悟事業部長は「民間が活発に動かないと1300年祭の成功にはつながりにくい。第2弾も公募するので多くの参加を期待したい」と話している》。

応募のあった42事業のうち、24事業については「補助」(総経費の半分以下かつ50万円以内の補助)と「後援」、残り18事業については補助金なしで協会は「後援」しますよ、ということだ。

《同協会は1300年祭を盛り上げるため、県民が企画・実施する事業を助成金や広報などで支援する県民活動支援事業を発足。同事業にあたる県内事業を今年8月から9月にかけて公募し、公開プレゼンテーション、審査会などを経て、採択事業24事業が決まるに至った》(同)。

10/19(日)に奈良公園内の県新公会堂で実施されたプレゼンテーション(午後1時~6時)は一般公開されていたので、誰でも見ることができた。当日のプレゼンの様子を、(補助の決まった団体について)ピックアップして発表順に紹介することにしたい。

プレゼンのトップバッターは「日本宇宙少年団(YAC)大和まほろば分団」だった。《子どもたちに古代天文図や古代の宇宙観と現代の宇宙を読み解き「過去から現代そして未来」への繋がりを実感させ、また科学する心を伝える講演会、体験教室、パネル展の実施》という事業だ。いかにも少年たちが好みそうなコスチュームであった。


左端は協会職員のT氏(司会)。とても熱い心の持ち主である

次の写真は「アート・プロムナード実行委員会」で《現代美術家30人のグループ展、森本泰昌+オノデラユキの展覧会やトークショーの開催》をするという。現代アートというのは、どうもよく分からないが、審査員はよく分かっているのか、好意的な声が出ていた。



次の若者たちは「映画制作団体チーズfilm」で、《ならまちを舞台とした映画「夕暮れ(仮称)」を制作し、東京・大阪・奈良で無料上映会を開催する。その際、オリジナルに作成した「1300年祭PRフィルム」を流し、多くの若者にPRを行う》のだそうだ。何でも、今夏に公開した「花の袋」(舞台は奈良)という長編映画の出来が良かったそうで、この団体も好意的な評価だった。



写真のお坊さんは、天理市・長岳寺のご住職の北川慈照氏。北川氏が実行副委員長を務める「山辺夢おこしネットワーク」という団体が《長岳寺千燈会の開催及び「極楽地獄絵」の開帳及びミュージカルの上演》をされるという。こんな名刹が、率先して村おこしに協力するとは、素晴らしい。



休憩時間に表に出ると、ウォーキングのグループが記念撮影していた。このような良いお天気の日は、外で歩く方がよほど気分が良さそうだ。しかし、プレゼンは延々と午後6時まで続く。





この女性たちは「ラ・クロシュ」というグループで《なら燈花会の開催時期に合わせてシルクロードをイメージさせるオカリナのコンサートを開催。全国から参加者を募集し、観客と奏者が一体化できるコンサートを目指す》という。演奏はあまり上手とは言えなかったが、土笛なら県内でも制作しているところがある。県産オカリナを使って、宇陀の「かぎろひの丘」あたりでコンサートをすれば、いかにも奈良らしいイベントになりそうな期待が持てる。



次は「奈良千年音楽市実行委員会」。《燈花会に合わせて、ストリートライブを市内10カ所で開催し、そこから優秀なバンドを選抜し、なら100年会館でコンサートを実施。全国に向けて、音楽を通して奈良をアピール》するそうだ。この団体は実績もあるので、面白い展開が期待できそうだ。審査員からは「近鉄が乗り入れる神戸のバンドと組めばどうか」とのアドバイスも出ていた。



次はおなじみ「高取土佐街なみ天の川計画実行委員会」の野村幸治氏。《街に花を咲かせ、また「町家の雛めぐり」「土佐町並み風鈴めぐり」など、四季折々のイベントを開催。住民こぞって来場者にもてなしを行い、街並みの景観保全や高齢者の生きがい作り、ひとづくりにも結びつける》というプランだ。野村さんはトシをとらないのだろうか。いつも元気でメリハリのある発表なので、つい引き込まれてしまう。



次は冒頭に写真を掲げた「今井町町並み保存会」。旧知のW氏が、今井宗久の衣装で登場したが、とてもよく似合う。あとで聞くと、堺で開かれたイベントからの帰りだったそうだ。《例年5月に行っている「茶行列」に加え、今井宗久を主人公に描いた「覇商の門」の作者、火坂雅志氏講演会を開催し、奈良ゆかりの茶人を招き顕彰会を行う》という。「立派すぎて近づきにくい」といわれる今井町は、茶がゆを提供するイベントを行うなど、最近はもてなし上手になってきた。

写真の最後は、「奈良県果樹研究会」。《1300年祭シンボルイベント(吉野)のイベント会場と最寄り駅前をブドウやブルーベリー、柿などの鉢植えで飾り、イベントに訪れた人をもてなすと同時に観光果樹園の情報も提供》するそうだ。審査委員長の村田武一郎氏からは、「その柿の鉢を買いたい」という声もあった(実は渋柿で、試作品のため売れないとのこと)。



写真には撮らなかったが「(財)元興寺文化財研究所」の《元興寺禅室の屋根裏探検》とか、「西大寺地区自治連合協議会」の《「せんとくん」を先頭に踊ろうじゃないか》というアイデアも、とても面白い。


せんとくん着ぐるみ発表会(8/19)

産経新聞(11/7付)は、《同事業協会は「いずれもユニークな事業ばかり。平城遷都1300年祭の盛り上がりにつながるのでは」と期待している》というコメントを紹介していたが、全くその通りだ。この0.1カラットのダイヤモンドが24個、いや42個集まれば、奈良県を照らす4.2カラットの光を放つ大粒のダイヤモンドになるのだ。


平城(なら)遷都祭2008(5/3)

これまで「せんとくん騒動」や、南都経済センターの「1300年祭の認知度は低い」というアンケート結果などを報じてきた新聞も、打って変わって好意的な論調になっている。

1300年祭は、(県や奈良市が主体の)協会だけの事業ではなく、われわれ県民の事業なのだ。今回の民間事業の発表は、それを改めて教えてくれた。奈良市も同様の支援事業を企画しているし、協会の第2弾募集(宮跡内のイベント)は来春を予定しているそうだが、ぜひ今回を上回る面白いアイデアを応募していただきたいものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

社会実験「奈良公園ぐるっと電気バス」

2008年11月09日 | 奈良にこだわる
11/8(土)・9(日)の両日、午前9時から午後5時まで「奈良公園交通社会実験」が行われている。この実験では、奈良公園内の通行規制、周遊バス・シャトルバスの運行、歩道拡幅が3点セットになっている。とりわけ話題になりそうなのが、奈良公園周辺を回る電気バスだ。
http://www.kkr.mlit.go.jp/nara/yamatokita/pdf/center/4/sanko.pdf

「県政公開ニュース」(9/25)によると《奈良県では、観光客の方々に快適に奈良公園を訪れてもらうため、公園内での観光客の安全性、回遊性を高める施策の導入を検討しています。(中略) そのため、交通規制を実施し、それに伴い発生が予測される交通渋滞に対して、対策の有効性の検証も行います》。

社会実験の内容は《①仮歩道の設置 県庁東交差点~大仏前交差点間の北側車道1車線を仮歩道とし、歩行の円滑性、安全性を確保します。②周遊バスの運行 県庁~東大寺~若草山麓~春日大社を結ぶバスを走行させ、観光客の周遊性を高めます。ガスやCO2を排出しない電気バスも2台走行します(19便)》。

《③パークアンドライド駐車場からのシャトルバスの運行 交通渋滞対策として、奈良市役所、国道24号高架下のパークアンドライド駐車場から県庁、ならまちを結ぶ無料シャトルバスを運行します。周遊バスへの乗り換えもできます。(奈良市) ④交通規制 上記に伴い、県庁東交差点~高畑町交差点間で反時計回りの一方通行規制を実施します。県庁東交差点から奈良公園向きは車両の進入ができません》。
http://www.pref.nara.jp/koho/hodo/h20/html/130900-080922184252_M13929.html

1300年祭を控えた渋滞対策として、また電気バスは環境に配慮した取り組みとして、意義のある実験だ。早速、体験してみることにした。

私の場合、自宅(奈良市西郊)から車で奈良市役所に向かい、そこに駐車(無料)。市役所前から「なら・まちなかバス」(奈良交通の小型バス・無料)に乗りJR奈良駅・ならまち・大乗院庭園を経て、奈良県庁へ。県庁前広場で「奈良公園ぐるっとバス」(電気バス・無料)に乗り換え、浮見堂~新公会堂~若草山麓~春日大社本殿~国立博物館を通り、県庁に戻るというルートになる。おカネは全くかからない。


きれいに色づいたナンキンハゼ(11/8撮影。以下同じ)

朝から出ようとしたが、昨日(11/8)はあいにくの雨だった。お昼前には上がったが、この時間帯は市役所に向かう道が混む。少し時間をズラして午後3時に自宅を出た。市役所の駐車場に着いたのは3時40分。ここで45分発の「まちなかバス」に乗り込んだ。乗客は私を含めて4人(うち1人はこの実験のスタッフ)だった。


私が乗ってきた「なら・まちなかバス」(県庁前)

午後4時10分、県庁前に到着。まもなく「ぐるっとバス」が出発するという絶好のタイミングだった。この「ぐるっとバス」は5台あり、2台だけが電気バス(北陸電力および早稲田大学が所有)だそうで、私は運良く写真の北陸電力の電気バスに乗車できた(4時16分に発車)。






こちらは早稲田大学の電気バス

車内には、電力の使用状況などを表示する液晶パネルがついている。私は会社のプリウスに乗ったことがあるが、よく似た感じだ。プリウスも発進時は電力でスーッと(ニュートラルで坂を降りる感じで)走り出すが、このバスも同じで、とても静かだ。車内では、北陸電力の方の説明があった。日本に電気バスはまだ5台しかなく、そのうち2台が今回の実験で奈良に来ているのだという。このバスの電源は、20cm四方ほどの薄いリチウムイオン電池で、これを1680枚も使っているそうだ。





バスは浮見堂を経て、大仏前交差点を東に入る。朝からの雨に洗われてみずみずしい紅葉・黄葉に、車内で歓声が上がる。







若草山麓(4時30分)から春日大社(35分)を回り、県庁が近づいてきたが、バスで一周するだけで終わっては味気ないので、国立博物館前で下ろしてもらった(4時40分)。正倉院展には、相変わらず長蛇の列ができていた。午後5時に点灯される「なら燈花会(とうかえ)in正倉院展2008秋」に備えて、ろうそくを浮かべるカップが並んでいる(11/7は雨で中止になった)。この夜は、二胡(にこ)の演奏も行われたそうだ。



「まちなかバス」の窓から見えた荒池(奈良ホテルの北東)の風景がきれいだったので、天理街道(奈良天理線)の瑜伽(ゆうが)橋のところまで歩いた。そこで撮ったのが冒頭と下の3枚の写真だ。日が暮れそうだったが、ギリギリ間にあってラッキーだった。





このあと、県庁前に午後5時過ぎに戻り、5時4分発(出発が遅れて14分発)の最終の「まちなかバス」で市役所に戻った(35分に到着)。

バス停には、県庁や奈良市役所の職員がたくさんいて、アンケートにも答えたが、最後にこの実験全体を通じた感想を書いておきたい。

1.この実験は、とても意欲的な試みである。
・現行のパーク&バスライドは(車を閉め出さないから)中途半端で、利用価値がない。結局、バスが渋滞に巻き込まれてしまうのだ。県庁周辺の民間駐車場経営者に、そこまで気を使う必要があるのだろうか。
・公園内をめぐる電気バスは排気ガスを出さないから、鹿にも歩行者にもやさしい。
・あいにくの雨で、せっかく設けた歩行空間(大仏前~県庁東)や無料レンタサイクル(市役所など)に、あまり利用者がなかったのは、お気の毒であった。
・この実験は、あまり広く知られていなかった。もっとPRが必要だった。



2.今回は試行(実験)だから仕方ないが、スタッフ(県・市の職員)に情報が十分共有されていなかったのが残念だった。
・市役所や高架下の駐車場は、当初午後6時まで開いていると聞かされていたが、現地に到着すると「市役所の駐車場は5時に閉まるから、今(3時40分)から行くのはムリです」と言われた。「じゃ、5時に戻りますから」と適当なことを言って車を置いたが、やはり駐車場は6時まで開いていた。
・市役所のバス乗り場では、6時までに戻れるよう(まちなかバスに乗り遅れた場合の)路線バスの無料券まで用意されていた。わずか20mしか離れていない駐車場係とバス停係の間ですら、こんなに連絡が悪かったということになる。
・そもそも実験の時間帯が、役所の窓口のような「午前9時から午後5時まで」という設定にムリがある。観光客に対しては「午前10時から午後6時まで」(夏場は7時~8時まで)くらいの配慮が必要だろう。通行規制の範囲も、あれでは狭すぎる。
・国道24号高架下駐車場の入口がわかりにくい。私は探したが見つけられずに通り過ぎてしまい、市役所まで行くハメになった。サイン類が不足していたのだろう。

ともあれこの試みは、本格的に定着すれば、渋滞が常態化している土日の近鉄奈良~奈良公園周辺の渋滞緩和に、大いに威力を発揮することだろう。奈良県は環境保全活動で他府県に遅れをとっているが、電気バスの導入は、これを一挙に解決し「環境にやさしい奈良」を全国にアピールする良い機会になるだろう。

この実験の成果をもとに、こんどは実用化に向けて、大いに頑張っていただきたいものだ。
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(株)イムラの「吉野杉の家」

2008年11月07日 | 林業・割り箸
まずは、これらの写真をご覧いただきたい。何か、お感じになるものはないだろうか。













11/5、生駒市緑ヶ丘のモデルハウスを見学させていただいた。株式会社イムラ(奈良県橿原市木原町)の「吉野杉の家」である。同社のコンセプトをリクナビ2010から拾ってみる。
http://rikunabi2010.yahoo.co.jp/bin/KDBG00100.cgi?KOKYAKU_ID=0412400002&MAGIC=

《天然の吉野杉、吉野檜。その中でも樹齢百年以上の木材を使った健康住宅を提供しています。半世紀以上にわたる材木商としてのノウハウが私たちの強み。日本でいち早く林業家たちと手を組み、独自の産地直送体制を構築。一般市場に比べ、リーズナブルな価格で天然吉野杉の家をお客様に提供しています》。同社は、これら素晴らしい吉野杉を、以前当ブログでも紹介した川上さぷり(川上産吉野材販売促進協同組合)から仕入れているという。
※川上さぷりのホームページ
http://www.yoshinosugi.net/
※奈良の木材・木製品(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/b92de7065844f848b842a8607e229fa6

《[企業理念]吉野の山を守りながら、心にも体にもやさしい家をつくること 当社は1926年に材木商として創業し、半世紀以上にわたって「吉野杉や吉野檜の流通に携わってきました。木材の流通段階から関わり樹齢百年以上の吉野杉、吉野檜の入手ルートを持つ住宅会社はほとんどないといっていいでしょう。独自の産地直送体制によって、一般市場よりもリーズナブルな価格で吉野天然杉の家をお客様に提供。他の建材についても化学物質が入ったものを極力使わない、環境と健康にやさしい住まいという姿勢を貫いています。そんなイムラの誇りは、ただ単に「家を売る」のではなく、「私たちを育ててくれた吉野の山を守りたい」という思いがあること》。

《デザインとライフスタイルの両方を取り込んだ新ブランド「美休・VIKYU」を提案しています。「VIKYU」は、自宅に居ながらにしてリゾート感覚にさせてくれる空間。吉野杉の素材感がストレスから開放してくれます》。

写真から、杉の香りが立ちのぼってこないだろうか。ほとんですべての木が吉野杉で、例えば床材(幅は6寸=18cm)は、百年生のものだという。これが時間が経つにつれ、落ちついた飴色に変化する。床材だけでなく、構造材も建具も、ほとんどすぺてが吉野杉だ。

ご覧いただいた家は、吉野杉をふんだんに使いながら、お洒落な洋風に仕上げてあるが、もっと従来型の和風で、構造のよく分かる建築途中の家があるとのことで、こちらもご案内いただいた。竜田川沿いのお家である。






これは間伐材の心持ち(しんもち=木の芯の部分で丈夫)。垂木(たるき=屋根を斜めに支える構造材)になる


よくご覧いただきたい。接合部分に大工さんの技が光る




ご案内いただいた井村社長(中央)、営業担当の八釣(やつり)さん(右)、監督の渡邊さん

構造材から、このように惜しげもなく吉野杉が使われているのだ。「国産材の家は高い」という先入観があったが、これら2軒の値段を聞いて驚いた。通常のハウスメーカーのものと何ら変わりがない。

家を建てよう(買おう)という人は、大きなモデルルームに行き、営業マンの説明を聞いて「この家ください」とばかりに選んでしまうのが大半だろう。そこにあるのは、輸入材や、輸入材を使った集成材で建てられた家ばかりだ。逆に、家とはそういうものだと思い込んでいる。

この日に拝見した吉野杉をふんだんに使った2軒の家は、香りも肌触りも素晴らしい。シックハウスになど、なりようもない。森の中のログハウスにいるような気分、とでもいえば良いのだろうか。「この家の中なら、さぞリラックスできるだろうな」ということが感じ取れるのだ。

日本で育った私たちには、日本で育った木の家がしっくりくるのだ。とりわけ関西でお家を建てようとお考えの方は、ぜひこれら「吉野杉の家」を選択肢に加えていただきたいと思う。

ご案内いただきました社長さん、八釣さん、渡邊さん、有難うございました。

※株式会社イムラのホームページ
http://www.imura-k.com/
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奥明日香 さらら

2008年11月05日 | グルメガイド
郷土料理の店「奥明日香 さらら」をご存知だろうか。「旬どき・うまいもの自慢会 奈良」(10/12)で隣り合わせた明日香村在住のN浦さんご夫妻に、「明日香村で、美味しい店はありませんか」とお聞きしたとき、教えていただいたのがこのお店だった。
※旬どき・うまいもの自慢会 奈良~08年秋の集い~(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/80646e7e1a8207dc6501724aeabf73f4

村おこしの一環として、奥明日香の女性グループが地元の食材を使った料理を提供しているという。場所は、明日香村稲渕の奥にある「関西大学飛鳥文化研究所」のまだ奥(吉野寄り)の、栢森(かやのもり)というところだ。道が細いという印象があったが「普通車でも、全然大丈夫」ということだったので、訪ねてみた。



稲渕の棚田を経て関大の飛鳥文化研究所を過ぎると、ごく短い区間だけ道路が細くなっている。よく見ると神社(飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社)があった。そのせいで、ここだけ拡幅できなかったのだ。

「さらら」の前には小さな駐車場があるとのことだったが、進入路の道幅が狭かったので、途中で車を停め、村の旧道を少し歩いた。傍らを飛鳥川の清流が流れている。



坂道が二股に分かれるところがあり、足元を見ると、こんなところに花がある。



下に回ると、ご覧のような野仏だった。よほど古い仏さまだろう、お顔がすっかり摩滅している。それでも村人が花を手向けているというのは、すごい。「さらら」は、もう目と鼻の先だ。




「さらら」の入口


蟷螂(カマキリ)が 暖簾(ノレン)の上から いらっしゃい!

一見、普通の民家だ。ノレンがないと、入るのをためらうところだった。カマキリだけでなく「さらら」代表の坂本博子さんと、食事に来られていた旧知の県職員・Tさんにも出迎えていただいた。Tさんは、吉野から飛鳥を歩くウォーキングを企画されていて、「さらら」を途中の休憩地と想定されているようだ。

「さらら」のHPに、詳しい説明が載っている。《明日香村の奥座敷のような位置に奥明日香三大字(明日香村稲渕(いなぶち)・栢森(かやのもり)・入谷(にゅうだに))があります。1300年以上昔、天武天皇の皇后鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ:後の持統天皇)が吉野へ足しげく通われた道沿いでもあります。「さらら」の命名はこの「さらら姫」に由来します》。

《奥明日香の活性化を推進する「神奈備の郷活性化推進委員会」が平成14年に結成され、「特産品研究開発部会」という女性グループの活動がはじまりました。「奥明日香に人を呼ぼう!」と農山村に伝わる素朴な加工品作りや、稲渕にある宇須多伎比売命神社の社務所で年数回のお食事会を企画し、伝統を受け継いだ手料理を「さらら膳」として提供するようになったのです》。なんとこれは、先ほどの道幅が狭くなっていた場所の神社だ。


畳部屋。結構広い

《活動の幅が広がるにつれて、お客さん達とのおしゃべりをゆっくり楽しみながら、田舎の自然や、食の豊かさを発信していくために、借り物ではない自分たちの拠点をもつ夢が生まれました。栢森の古い田舎家を買い取り再利用することにし、みんなの手で改装。平成20年4月、ほっこりとした食事とお茶を楽しめる店「ふるさとの食 奥明日香 さらら」が生まれました》。

《さららの食材の90%は地元でとれた野菜、山菜です。たまに、奥明日香へ懐かしいお袋の味を食べに帰りたくなる。そんなお店を目指しています》。《ゆったりとお過ごしいただくために「さらら膳」は先着順完全予約制です。お席に余裕がある場合に限り当日でも予約は承ります》。


洋間。掃除が行き届き、内装も良い

そのお料理が、冒頭の写真である(「さらら膳」2500円)。料理が来たのですぐ撮ろうとすると、Tさんが「まだ天ぷらが来ますよ」と教えて下さったので、3分間待ってから撮った。

ご覧の通り、薄揚げと大根の煮物、大根餅(すり下ろした大根を片栗粉で固めたもの)、手作りコンニャク、なます、鯖の味噌煮、神奈備(かんなび)豆腐、サツマイモとニンジンの天ぷら、赤米入りのご飯などの素朴な田舎料理である(デザートと、コーヒーまたは紅茶がつく)。割り箸はヒノキの天削(てんそげ)箸だ。素材の味を活かしたあっさりした味付けで、とても美味しい。「飛鳥の食」と聞いて、思いつくのは生姜の佃煮くらいのものだが、よくこんなにたくさんの料理を誂えたものだ。

いただいていると、庭のススキが傾き始めた光を受けて、キラキラと輝いている。網戸では、チョウが日向ぼっこしている。時間が止まったような、何とものどかな光景である。





「さらら」は、(財)南都経済センターの月報(10月号)の「観光まちづくりレポート」でも紹介されている。《女性部員数名が、それぞれ自信のある地元の食材を使った料理を1品ずつ持ち寄った。その中には「自分が知らないような珍しい料理」も多くあり、改良を加えることで商品化できるのではということになり、郷土料理「さらら膳」を作り出した》。
http://www.nantoeri.or.jp/geppou/saisin.html

民家を買い取る資金は、メンバーが自己資金を持ち寄った。《オープンに当たり、行政等の補助金を全く受けなかったことは特筆すべき事であろう。「奥明日香 さらら」ではこれからも家庭の味、地元の味を提供していくとともに、新たに2階部分を村内作家の作品展示スペースにする構想もあり、今後、奥明日香の情報発信基地としての役割も担っている》。

「さらら」は奈良の「観光まちづくり」に貢献する、立派な「0.1カラットのダイヤモンド」だ(村田武一郎・奈良県立大学教授曰く「10カラットのダイヤモンド1個より、0.1カラットのダイヤモンド100個が大切」)。

代表の坂本さんは、HPの中にブログもアップされ、お店の近況や、ここで行われた「スターの恋人」ロケのことなども、さりげなく紹介されている。
http://okuasuka.cocolog-nifty.com/blog/

こんな山村で、都会人を引きつけるお店があるというのには驚くし、これまでのご努力には頭が下がる。雰囲気は良いし、お料理は美味しいので、明日香村周遊の際には少し足を伸ばして、ぜひ立ち寄りいただきたい。なお「さらら膳」は前日までに要予約なので、ご注意を(予約不要の喫茶メニューもある)。
※参考:「さらら」のホームページ
http://okuasukasarara.kir.jp/index.html

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

行ってきました!第60回正倉院展

2008年11月03日 | 奈良にこだわる
「奈良県代官山iスタジオ」のIさんからメールでお知らせいただき、昨日(11/2)、NHK教育テレビの「新日曜美術館」を見た。この日のタイトルは「宝物が勇気と誇りをくれた~第60回正倉院展~」で、ゲストは竹下景子と、奈良国立博物館学芸部長の西山厚氏だった。

番組のHPには《竹下景子さんを正倉院展に招き、本年の見どころを紹介。合わせて、昭和21年に開催され、敗戦で打ちひしがれた日本人に勇気を与えたという第一回正倉院展の知られざるエピソードや、正倉院展が開催されるまでの神経をすり減らす準備の様子など、正倉院宝物の魅力を多角的に伝える》とある。
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2008/1102/index.html

今年、竹下景子は近鉄のキャンペーン広告にも登場していて、すっかり奈良づいている。三択の女王(クイズダービー)で、雪子おばさん(北の国から)だった彼女は団塊世代のアイドルとして、どんどん奈良に観光客(特におカネのある中高年)を引きつけていただきたいものだ。


http://www.kintetsu.co.jp/senden/ad_kintetsu/cmmake/index-nara.html

なお「宝物が勇気と誇りをくれた」とは、こういうことだ。もともと正倉院展は、戦火を逃れるため帝室博物館に避難させていた収蔵品を、終戦により正倉院(東大寺境内)へ戻すにあたり、奈良の観光団体などが拝観を求めたのが始まりである。正倉院宝物は、戦後の厳しい生活にあえぐ国民に、日本の文化的水準の高さを再認識させ、生きる勇気と誇りを与えてくれたのだ。

私も、今年の正倉院展に行ってきた(昼間は混むので夕方に)。やはり、約1500年前にペルシアで作られたというカットグラス「白瑠璃碗(はくるりのわん)」、白の螺鈿(らでん)や赤い琥珀(こはく)で細工された唐の鏡「平螺鈿背八角鏡(へいらでんはいのはっかくきょう)」、綾や錦の布で飾られた貴族用の日傘「方形天蓋(ほうけいてんがい)」あたりが、特に素晴らしい。
http://www.narahaku.go.jp/exhib/2008toku/shosoin/shosoin-1.htm



ピカピカの白瑠璃碗の近くには、傷んでしまった現地の同時代の品(土中から掘り出された)も陳列されていて、いかに正倉院の校倉と木櫃での保存が良かったか、ということが実感でき、感慨深いものがあった。

正倉院展の楽しみは、展示だけでなく、お土産物にもある。館内には正倉院展用に特設されたショップもあれば、もともとのミュージアムショップもある。最近は屋外のテントでも正倉院グッズを販売している。

八角鏡をデザインした「手鏡」1,000円、「ハンカチ」630円、碁盤と碁石をモチーフにしたマープルチョコ「碁石貯古齢糖」300円などが人気を集めていた。私は冒頭写真のクリアファイル(315円)や、紅牙撥鏤尺(こうげばちるのしゃく=染め象牙のものさし)を模した定規などを買い求めた。グッズは写真に撮れたので、以下に貼り付けておく。









こういう正倉院柄のグラスで冷酒などを飲むと、さぞ気持ち良く酔えることだろう。お酒はもちろん、奈良の地酒を選んでいただきたい。





地元商店主などが運営する「校倉な会」からは、「正倉文様」(正倉院柄)のグッズも展示即売されていた。正倉院柄を現代風にアレンジしていて、これも面白いものだ。
※正倉文様(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/592d19cb50ece843c787594613b27434



正倉院宝物は、整理済のものだけで9000点に上るが、このうち公開される宝物の品目は毎年変更され約数十点のみである。だから、代表的な宝物を見るには複数年の見学が必要になる。

学芸員が手作業で点検と陳列を慎重に行うが、それに前後約40日の時間を必要とするので、展示の期間は約2週間と短くなる。


観光ボランティアガイド(「朱雀」のスタッフ。近鉄奈良駅構内で)

昨日(11/2)は天気が良かったので、昼間の奈良市中心部は大渋滞で、車はほとんど動かず、駐車場に停めようとする車が裏通りにまであふれていたという。正倉院展も大行列で、60分待ちだったそうだ。こんな状態で入場しても、展示物は遠くでしか見ることができないし、説明文すら読めないだろう。

正倉院展は、残すところあと8日となった。狙い目は11/7(金)の午後5時30分だ。夕方は人が少ないし、金・土・日・祝は夜7時まで開いている(入場は6時半まで)。閉館の90分前からはチケットが700円になる(300円引き)。ぜひ足をお運びいただき、1500年前のグラスの輝きをご自分の目で確かめていただきたい。
※参考:正倉院展モデルコース
http://www.narakko.com/tokusyuu/shosoin2008/model-course/

iスタジオのIさん、オンエア情報、有難うございました。

※11/13追記 ならまち周辺で「ならまち正倉院」という催しが行われている(11/16まで)。そのうち、魚佐旅館(猿沢池畔)で行われている展示を拝見してきたので、以下に紹介する。
なお詳細は、楽天トラベルの同旅館サイトをご覧いただきたい。
http://web.travel.rakuten.co.jp/portal/my/jyouhou_page.main?f_no=4919&f_teikei=quick&f_flg=CUSTOM&f_custom_code=491971003004139



「お宿博物館」というサブタイトルが良い。



金田専務が書かれた説明書きによると、向かって右はニッカウヰスキーで《当館の先々代の経営者が、戦時中に「旅館で酒を切らせてはいけない。」という精神の基で、当時のヤミ市場で入手したと伝えられて居ります。当時の世相を現す品物で有ります。これは、当時何ケースか手に入れた中の1本で、工事の際、床下から出て参りました。これらは、木箱に封入されていて、この1ケースを開封してみると、此が入っておりました。今もまだ床下には、此の木箱が当時のまま3、4ケースが眠って居ります》。酒を切らさぬよう、ヤミで仕入れて保管していたとは、見上げた「もてなしの心」ではないか。

左は《東和醸造株式会社と云う会社の作ったウヰスキーです。戦前で有ろうと推測されますが、今の杉ヶ町(するがまち)に工場が有った様です。今は巨大マンションに変貌して、当時の面影は全く有りませんが、敷地から推測するに、相当の広さがあります。工場の規模を推測する事が出来ます。ただ品質は褒められた物では有りませんが、当時の奈良で、ウヰスキーを作っていた事は驚きに値するのではないでしょうか》。「奈良産ウイスキー」とは、驚きだ。



《「国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)」に記される「御屏風壹佰疊」のうち「鳥毛篆書屏風六扇」とあるものである》《第1扇が「主無獨治 臣有賛明」(主、独治すること無くんば、臣、賛明する有り=君主が政治を独断しなければ、臣下はそれをたすけあきらかにするであろう)、第2扇が「箴規苟納 咎悔不生」(箴規(しんき)、苟(いや)しくも納めらるれば、咎悔を生まず=戒めを仮にも聞き入れられれば、過ちや悔いを生むことはないであろう)であり、君主に対する訓戒が述べられている。聖武天皇の身近に置かれた屏風としても伝えられています》《当館の物は、こちらを江戸時代に、技術がほぼ確定し、再現する事が可能になったので、盛んに模写された物の一つで有ります》。

この企画が広がれば、正倉院展を見た人は2度楽しめるし、見逃した人は正倉院展さらがらの雰囲気が味わえる。ぜひ、来年も頑張っていただきたいものだ。
コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする