tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

TEN.TEN.CAFE

2007年12月17日 | グルメガイド
十輪院(奈良市十輪院町)は、吉備真備(きびのまきび)の長男が建立した寺とされる。国宝の本堂には、花崗岩の石室である「石仏龕(がん)」が組まれている(奈良検定テキストP62)。

この十輪院には、歌手・故河島英五のお墓があり、墓碑には「心から心へ」という言葉が刻まれている。その縁で、十輪院のある奈良町(ならまち)に、英五さんのご家族や友人がオープンされたTEN.TEN.CAFE(テンテンカフェ)がある。奈良町と言っても、ごく入口のところで、鰻の江戸川の筋向かいだ。
http://www.ten10cafe.com/

写真は限定15食の「テンテンのお昼ごはん」(750円)。この日はチキンのせカレーだった。本格的なカレーで、とても美味しい。「特製オムライス」(700円)も評判のメニューだ。プラス250円でドリンク、プラス450円でドリンクとデザートがつく。

町屋を改造した店内には、英五さんのCDや遺品などが並び、ファンには必見だ。2階にはギャラリーもある。壁に、旧知の法徳寺・倍巖良明和尚の「Cafe de 説法」の案内ポスターが貼ってあって、驚いた。1/19(土)15:00~16:00にこの店で開かれるそうで、参加費はワンドリンクつきで500円だそうだ。

分かりやすい場所にあるので、奈良町散策の起点として、ぜひお訪ねいただきたい。
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長屋王墓

2007年12月16日 | 奈良検定
奈良検定テキスト(『奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック』山と渓谷社刊)に対する不満の声は多いが、その1つが「古墳に偏重している」というものだ。

ご存じ「長屋王の変」(729年)は、高校の日本史教科書にも登場する有名な事件だ。不比等亡き後の藤原氏への対抗勢力となった長屋王(天武天皇の孫)が、「左道(陰陽道の呪術)を使い国家を傾けようと謀っている」との密告により、聖武天皇の命で邸を藤原宇合率いる兵に囲まれ、妻子とともに自殺に追いやられた、という事件である。

長屋王が、光明子(不比等の娘)を皇后とすることに反対したことなどから、藤原氏が嘘の密告をしたとされ、この変の半年後には光明皇后が実現した。皇族以外から皇后が選ばれるという異例の事態が出現したわけで、藤原武智麻呂以下の藤原四子も、ともに昇進して天平初期の政界を主導することとなった。つまり、この変を境に皇族から藤原氏へと権力の主導権が移るという大事件だったのだ。

長屋王の変について、私がここに書くだけでも8行費やしているが、テキストではわずか5行で済まされている。ところが「長屋王墓(ながやおうのはか)」に関する記述は30行、写真(14行分)を入れると3分の2ページも割かれている。歴史あってのお墓だと思うが…。

と、また前置きが長くなってしまったが、その長屋王墓を訪ねてみた。近鉄生駒線・平群(へぐり)駅から北へ300mのところにこの墓がある。「天武天皇皇孫 長屋王御墓」という立派な石碑が建っている。墓の横には「長屋王御陵公園」という小さな公園があって、長屋王の変や周辺の古墳を説明する看板も出ている(ただし『続日本紀』には、生駒山に葬られたと書かれている)。奈良検定のテキストとよく似たアングルで撮ったのが、トップ写真である。

ここから180m隔てた小高い丘の上には、后の吉備内親王(きびないしんのう)の墓がある。
※吉備内親王墓
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/44/b0480c33991d2f80bb956e757a7fe050.jpg

今、この周辺は鉄道や道路が整備され、瀟洒な家が建ち並ぶベッドタウンだが、当時は生駒山麓の寂しい場所だったのだろう。

ここから東に進んだところには、三里(みさと)古墳がある。墳丘は破壊されているが、玄室(遺骸を収める部屋)の奥に石棚がある(外からも見える)。同様の構造は紀ノ川流域に多く、ここの被葬者と紀ノ川流域の豪族・紀氏との関係が指摘されている。
※三里古墳
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/0f/9a4823d6510087ca2b8dfa31173aa982.jpg

と、現地見学を終えて家に帰り、この記事を書こうと奈良検定テキスト(「長屋王墓」P106)を読み直していると、妙な記述に気がついた。《近年の周辺の発掘調査により、現在の長屋王墓と後円部が同心円に重なる位置に前方後円墳が確認された》。その古墳は梨本南2号墳と呼ばれ《築造時期は、出土遺物から6世紀前半》だという。

そして《梨本南2号墳の時期は長屋王の死亡年代と大きく異なっており、「長屋王墓」の円丘と梨本南2号墳の関係もこれまでの調査では明らかとなっていない》。ガーン!。つまり簡単にいえば、トップ写真の墓は6世紀前半の古墳であって、729年に自害した長屋王の墓では「ないだろう」と書いてあるのだ。宮内庁が管理している皇孫の墓だがら、遠慮して遠回しに記述しているのだろう。

やれやれ、それがきちんと書かれていれば、わざわざ平群谷にまで足を運ぶこともなかったのだ。3分の2ページも費やして、「明らかとなっていない」墓を写真付きで紹介するとは、このテキストの編集方針は、いまだに「明らかとなっていない」。
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全国椿サミット

2007年12月15日 | 写真
来年(08年)3/28~30の3日間、奈良市で「全国椿サミット奈良大会」が開催される。ツバキやサザンカにちなむ《自治体の交流やまちおこしとして、毎年会場持ち回りで行われているもので、県内での開催は初めて》だそうだ(12/14付 奈良新聞)。
http://www.nara-np.co.jp/n_all/071214/all071214d.shtml

《「全国椿サミット」は椿サミット協議会(35市町)が行う事業の1つで、奈良市は昨年、加盟した。前回サミット(17回大会)は東京都大島町(伊豆大島)で開かれ、奈良市からは福井重忠副市長らが出席している》(同)
http://homepage2.nifty.com/camellia-jcs/narasamitto.htm

確かに、県や市の花には指定されていないものの、奈良県下や奈良市内にはツバキの名所が多い。奈良検定の必須知識である「大和三名椿(やまとさんめいちん)」として知られる糊こぼし(東大寺開山堂)、五色椿(白毫寺)、散り椿(伝香寺)はすべて奈良市内だ。検定テキストには、護国神社(奈良市山村町)、椿寿庵(大和郡山市池ノ内町)、椿山山の辺(桜井市慈恩寺)などの名前が上がっている。

私のイチ押しは、法華寺(奈良市法華寺町)だ。写真はその東庭園(華楽園)で撮った「紅乙女」である(06年3月)。園内にはたくさんの品種が植えられているので、これからの季節が楽しみだ。
※参考:「法華寺おりおり」(ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/826723093fb145ee587a5c286857faaf

《藤原市長は「椿サミットは金沢、宮崎市など全国のツバキにまつわる市や町が数多く参加し、交流や情報交換が図られる。奈良の素晴らしさを知っていただくことにより、今後の誘客も期待している」などと語った》(同)。サザンカやツバキは、観光オフシーズンに咲くので、ゆっくりのんびり静かな奈良を楽しんでいただくのには絶好だ。新しい観光資源として、奈良のツバキを全国にPRしていただきたい。

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智林堂書店

2007年12月14日 | 奈良にこだわる
写真は、奈良市もちいどのセンター街にある智林堂(ちりんどう)書店さん。私もお店の前はよく通っていて、何度か立ち読みにも訪れていた。

先日、店主代理さん(店主の妹さん)から私のブログにコメントを寄せていただいた。この方は「奈良 智林堂書店」というブログも開設されていて、拝見すると奈良の情報がたくさん掲載されているし、写真もとてもきれいだ。
※ブログ「奈良 智林堂書店」
http://chirindo.exblog.jp/

この日(12/11)は、奈良検定対策本を探そうとお訪ねした。ご覧のとおり、さほど広くない店内に、きちんと整理された古書がずらりと並んでいる。地元・奈良関係の棚も、とても充実している。前から探していた松本清張著『ペルセポリスから飛鳥へ』(日本放送出版協会)が見つかり、井上章一著『法隆寺への精神史』(弘文堂)という興味深い本も入手できた。

「今は奈良の本を探しているのですよ」と言うと、写真のご店主はオリジナルの古書目録第3号「奈良&美術特集」を下さった。ざっと800冊ほどの初版美本がずらりと並んでいる。これからじっくり読ませていただくつもりだ。

近鉄奈良駅から南にかけて、小西通り~もちいどのセンター街~下御門商店街には古書店が数軒あり、ぶらぶらと訪ねるのはとても楽しい(奈良町にも、古書店・酒仙堂さんがある。土日のみ営業)。蔵書の数や書籍・書棚の整理状況では、この智林堂書店さんがズバ抜けている。なお新本だと、豊住書店さん(東向北商店街)に奈良関係の本が充実している。ぜいちど、お訪ねいただきたい。
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見瀬丸山古墳と高層マンション

2007年12月13日 | 奈良にこだわる
今日(12/13)の奈良新聞1面に、《橿原市長「景観への配慮を」 丸山古墳近くのマンション建設 自ら業者と交渉へ》という記事が載っている。

市長が定例市議会での質問に答えたもので、記事には《橿原市が世界遺産登録を目指す丸山古墳(同市見瀬町、五条野町)の近くに計画中の高層マンション建設について、森下豊市長は12日、「景観上、好ましくない」として建設業者に計画変更を求める意向を示した》《「もう一度、計画を検討してもらうように真正面から取り組みたい」とし、自ら業者と交渉する姿勢を示した》とある。

丸山古墳(写真=9/1撮影)は「見瀬丸山古墳」「五条野丸山古墳」とも呼ばれる。写真右手の後円部の一部は「畝傍陵墓参考地」として宮内庁の管轄下にある由緒ある古墳だ。奈良県下最大の古墳(前方後円墳)であり、全国でも6番目。後円部の石室(横穴式石室)は日本最大だ。近鉄岡寺駅前で、飛鳥から藤原宮跡へと連なる古代宮都の一角にある。

ここにパナホームが、10階建てマンション2棟(高さ30.99m・155戸)の建設を計画しているのだ。高さ制限(31m)の範囲内に収まっているので法的には問題がない。しかし、古墳のすぐ近くに高層マンションとは…。

私が訪れた時(9/1)にも、マンション建設反対ののぼりが立っていた。確かに駅前だし、すぐ横には国道169号線(=古代の基幹道路・下つ道)が通る便利な場所だが、ここに高層マンションとは、悪い冗談を聞かされているような気分だ。
※住民グループが立てたのぼり(古墳南側の道路)
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/92/d3ebac523e65d3780f3777a63081a249.jpg

市長は「景観に溶け込んでいれば問題はなく、配慮を求めたい」とコメントしているが、古墳の近くに墓石のような高層マンションが2棟もそそり立つとは、いかにもミスマッチだ。市長とパナホームとの交渉の行方を見守りたい。
コメント (5)
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