tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

奈良の「和歌山ラーメン」

2006年01月08日 | 日々是雑感
※「きぶんや」はリニューアルし「麺舎いっとう」として営業中!

昨日に引き続き、今日も近所のラーメン店に出かけた。わが家に最も近いお店が、「紀州和歌山ラーメン きぶんや」(奈良市富雄元町)だ。
※参考ホームページhttp://ramen.yahoo.co.jp/shop/detail/shop_144.html

「和歌山ラーメン」と銘打ったラーメン店は、奈良県内では他に見たことがない。せいぜい大手チェーンか、全国16種類のラーメンが食べられる西ノ京の「永田屋」でメニューに出ている程度だ。

かつての和歌山ラーメンブームは、あるテレビ番組で「井出商店」(JR和歌山駅前)が「日本一うまいラーメン店」とされたことに始まる。
「1999年3月に和歌山県が『井出商店』に感謝状を出したことからもそのブームの大きさがうかがえる」(大崎裕史著『無敵のラーメン論』講談社現代新書)。

和歌山ラーメンは豚骨醤油スープが特徴で、澄んだ「車庫前系」と濁った「井出系」の2系統がある。きぶんやは井出系で、豚骨と鶏ガラを10時間以上煮込む。和歌山ラーメンの名を高らしめた東京の「まっち棒」、神戸の「あじゅち屋」(発音はあじゅちゃ)の姉妹店でもある。

650円の中華麺・熟成(こってり)を食べたが、ほのかな甘みのあるスープと柔らかいチャーシュー、煮卵がよくマッチしている。ご当地・和歌山ではサイドメニューに鯖寿司やゆで卵があるが、ここにはない。その代わり(?)ビビンバや鰻丼があった。

醤油味に始まったラーメンスープの流行は、札幌の味噌味、九州の豚骨白湯を経て和歌山の豚骨醤油へと移った。今はヘルシー志向のあっさり塩味にも人気が出て、いろんな味が楽しめるようになった。

評論家の宮崎哲弥は、旨いラーメンを食べるため、その店の近くにわざわざ引っ越したそうだが、たまたま「きぶんや」の近くに住む私は、とてもラッキーなことである。
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ラーメンと戦後社会

2006年01月07日 | 日々是雑感
1月7日は七草の節句。新年の無病息災を祈って、春の七草の入ったお粥を食べる日だ。わが家も朝は、七草粥をいただいた。

「奈良の茶粥」は当地の名物でもあるのだが、お粥ではすぐにお腹が空く。で、お昼にはラーメンを食べることにした。

ラーメンは私の大好物である。1杯の丼で一汁三菜、つまり主食(麺)、汁物(スープ)、おかず3品(チャーシュー、メンマ、ナルト)がとれるというスグレものだ。

仏文学者で評論家の多田道太郎氏は、ラーメンは「戦後この大衆消費者会といわれる中で代表的な食品」であるという。江戸時代(文化文政期)の屋台そば、戦前のカレーライスに続いて出てきた戦後の国民食、というわけだ。そして日本人は「老若男女、ほぼだれもがこれなら食べる」、外国へ行っても食べる、パリにもニューヨークにもハワイにもラーメン屋がある…。

これは「ラーメンと戦後日本社会」(東海林さだお編『ラーメン大好き!!』新潮文庫所収)というエッセイに出てくる話だ。なおこの文庫本は、玉村豊男、荻昌弘など26人のラーメン愛好家による「ラーメン探求の書」で、私の愛読書である。

さてお昼、舞い散る粉雪をものともせず飛び込んだラーメン店は「幸楽苑 奈良大宮店」(奈良市大宮町4丁目)だった。390円(税込み409円)の「中華そば」が売り物だが、今日はそれが「期間限定 醤油ラーメン」として、税込み298円!だった(=写真のラーメン)。

メニューの表紙にある、創業(昭和29年)当時の写真に添えられたコピーが泣かせる。
「そっと丼を持つと、かじかんだ手が暖かくなる。箸を割るのももどかしく、ふーふーいいながら麺をすする。あーーーー旨い。(中略)親父も妹も、みんな無口。昭和二十九年、あの頃の中華そばは、ご馳走だった」

日清のチキンラーメンが誕生したのは昭和33年。戦後日本は、ラーメンとともに歩んできた。
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ラ・テラス

2006年01月06日 | 日々是雑感
今夜(1/6)は職場の新年会。幹事の粋な計らいで、フレンチのフルコースとなった。お店は、奈良公園・若草山麓(奈良市春日野町 ヒルトップテラス奈良内)に昨年3月にオープンしたばかりの「ラ・テラス」。

店の周囲は、まるで森だ。敷地内の池には、鹿が飲み水を求めて訪れる。大きな窓越しに、春の桜・秋の紅葉が楽しめる。店内では、ソメイヨシノの大木が床から天井を突き抜けていた。

ここの秋吉博国シェフは、リッツ・カールトン大阪のメインダイニングで6年間、部門シェフを務めたそうだ。フランス・コートダジュールの2つ星レストランでも修業経験がある。その経歴どおり、リゾート感覚あふれる料理は、味はもちろん、見た目も楽しい。バターやクリームを抑えてあるので、皮下脂肪の心配な私にも安心だ。

メインの和牛料理を平らげ、満腹になって天井を見上げると、白熱灯のシャンデリアがともっていた。フランス語の「シャンデリア」の原義は「ろうそく立て」だそうだが、ろうそくのともしびを思わせる暖かい灯が、賑やかな宴を静かに照らしていた。

※ヒルトップテラス奈良のホームページhttp://www.hilltopterrace.co.jp/
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初えびす

2006年01月05日 | 奈良にこだわる
今日(1/5)は、奈良市の旧市街地・南市(みなみいち)町にある「南市恵比寿神社」の初えびすだった。南市は名前のとおり古くに市が立っていたところで、猿沢池の南・奈良町の北側にある。
※参考:奈良市のホームページhttp://www.city.nara.nara.jp/gyouji/saijiki/01.htm

たいてい、えびす様(えべっさん)といえば1月9日~11日だ。ミス福娘で知られる大阪・今宮戎神社でも、えべっさんの総本社・西宮神社(兵庫県西宮市)でも、10日(十日戎)をはさんだ3日間に祭礼が営まれるが、南市では昔から4日(宵宮えびす)と5日だ。

午後7時にお参りすると夕闇の中、提灯の光が鮮やかだった。この日だけで、約1万人が参拝したという。

えびす様は左脇に鯛、右手に釣り竿を持った漁業の守り神。そこから市場(海産物)の守り神になり、商売繁盛の神様として信仰されるようになったようだ。

このブログにも書いたが、日本もようやく景気回復が実感できるようになった。今年こそは福笹の大判・小判が動くような、活気のある年になりますように。
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Bon Voyage!

2006年01月03日 | 日々是雑感
駅前に出かけたら、東京三菱銀行の看板が「三菱東京UFJ銀行」に変わっていた。店名は「学園前北口支店」。この店の北側(筋向かい)には旧UFJの店舗があって、こちらは「近鉄学園前支店」。頭がこんがらがってしまいそうだが、いずれ再編成されるのだろう。

学園大和町の奈良銀行も、りそな銀行に変わっていた。京都銀行は近くJR奈良駅前に出てくるから、地元の雄・南都銀行の迎撃とあいまって、奈良は新たな金融激戦期に入ったことになる。

4月からは流通業者への「銀行代理店業務」解禁に伴い、銀行の休業日や営業時間も弾力化されるそうだから、利用者にとっての選択肢は飛躍的に高まるだろう。

銀行といえば昨日、このブログで金利上昇のことに触れたが、今朝の新聞に、セブン&アイ・ホールディングス会長(兼イトーヨーカドー会長)の鈴木敏文氏が「内需を盛り上げるために、金利を正常な状態に戻してほしい。金利上昇は預金者の心を豊かにします」と書いていた(1/3付 日経新聞)。

同紙でちょっとショックだったのは、英国エコノミスト誌編集長のビル・エモット氏(『日はまた沈む』の著者)の発言だ。21世紀の日本は「フランスのようなイメージだろうか。もはや世界経済をけん引することはない。ただし経済的、政治的な大国として存在感は堅持し、必要なときにはもの申す発言力は確保していく」と述べていた。

うーん、まぁそれも良いのかも知れないが。もともと資源小国で人口は減少に転じたことだし。その分、テクノロジーや文化・芸術面で抜きん出るという選択肢もアリだろう。そんなわが祖国には、Bon Voyage(ボン ヴォワイヤージュ 良い旅を)!と片言のフランス語で声をかけてあげたい気分だ。

そういえば、志賀直哉はかつて「日本はいっそのこと国語をフランス語にすればいい」と爆弾発言したことがあった。それだけはご免こうむりたいのだが。
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