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大野寺の身代わり半焼地蔵菩薩/毎日新聞「やまと百寺参り」第46回

2020年03月23日 | やまと百寺参り(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまと百寺参り」を連載している(3/12は休載)。本年(2020年)3月19日付で掲載されたのは「身代わり地蔵おわす寺/大野寺(宇陀市)」、執筆されたのは、奈良市にお住まいの大久保衞(まもる)さん。

大野寺は「おおのでら」とも「おおのじ」とも読む。背中に火傷の跡があるというこの寺のお地蔵さんについては、同会副理事長の雑賀耕三郎さんが、ご自身のブログで「室生の大野寺 とくに半焼地蔵菩薩」として詳しく紹介されている。抜粋すると、

近鉄室生口大野のすぐ下で、地名から大野寺と呼ばれるようになったとのことである。宇陀川を隔てた対岸の国の史跡、弥勒磨崖仏は興福寺の僧、雅縁の発願により彫られ、後鳥羽上皇臨席で開眼供養(1209年)が営まれた。宋の石工(伊行末と推定される)が彫ったものである。高さは11.5mである。

「木造地蔵菩薩」のことである。「鎌倉初期、二尺六寸、旧国宝、国の重要文化財。昔、永正年間(1504年~)に豪族の侍女が火焙りの刑に処せられる時、身代わりに立たれ、半身焼けられたので、見代わり地蔵菩薩と申します」(大野寺しおりから)。こんなお姿である。背中にはやけどのあとがある(岡田ご住職談)とのことであるが。





ところでこの身代わりになったお地蔵さんはもともとは大野、緑川の地にあった。半身焼けられたあとに大野寺に移されたという。この地蔵の伝説から、この地を現在は「大字緑川字半焼」というのである。そのお地蔵さんのいわれを大切にして子安地蔵を祀り、地蔵盆を盛大に祝っている。


もともとお地蔵さんがあった場所が「半焼」で、そこには今も別のお地蔵さん(子安地蔵)を祀っているとは驚いた。では大久保さんの記事全文を紹介する。

宇陀川をはさんだ対岸の岩壁に刻まれた弥勒磨崖(まがい)仏(国史跡)、通称「大野寺石仏」はつとに有名ですが、当寺は今一つ、人々のあつい信仰を集める「身代わり焼け地蔵」で知られます。

永正年間(16世紀初頭)に当地の郷士、杉山平左衛門の家が火災で全焼した際、奉公していた下女おなみに放火の疑いがかけられます。身に覚えがないおなみは、火あぶりの刑にも関わらず一心に祈り続けます。すると半身の焼けた地蔵が光と共に立ち現われ、おなみは傍らの石の上で助かったといいます。

無実の娘を救った地蔵こそ、本堂に安置されている木造地蔵菩薩(ぼさつ)立像(重文)とされ、快慶の流れをくむ慶派仏師の作と伝わります。

役行者が開き、後に空海が室生寺を創始した際、西の大門として御堂を建てたという古い歴史をもつ当寺の境内は、春に樹齢三百年ほどのしだれ桜が2本咲き誇ります。小糸しだれ桜と呼ばれる珍しい種類で花は白色。樹齢100年ほどの紅しだれ桜も10本あり、咲きそろうと一帯はあでやかな雰囲気で満たされます。(奈良まほろばソムリエの会会員 大久保衞)

(宗 派)真言宗室生寺派
(住 所)宇陀市室生大野1680
(電 話)0745-92-2220
(交 通)近鉄室生口大野駅から徒歩約5分
(拝 観)9時~17時(冬期は16時) 300円
(駐車場)有(無料)





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