てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

動物を彫るということ(1)

2011年05月25日 | 美術随想

〔旧明倫小学校の校舎を再利用した京都芸術センター〕

 久々に、美術随想を書き継ごうという気持ちになってきた。東日本の大震災は、ぼくの精神活動にも大きな影響を与えたのだ。

 ただ、前に書きかけていた記事はもう古くなりすぎて、そのつづきをやろうという気にはならない。まずは、最近観た展覧会のことから筆を起こしてみようと思う。

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 ぼくはもともと作家志望であったから、週刊誌なんかより月刊文芸誌のほうをよく買ったし、今でもときどき買っている。ただ、掲載されている文学作品よりも、表紙を飾っている美術作品のほうから強いインパクトを受けることが少なくなかった。

 20年ほど前、親もとを離れて大阪に越してきたころから「文學界」誌を買いはじめたのだが、そのときの表紙は現代写実絵画を代表する野田弘志が担当していた。当時ぼくは野田の存在を知らず、その作品が絵画か写真かさえ判然としないありさまだったが、やがてすっかり彼の世界にのめりこみ、展覧会を観るためにわざわざ夜行バスに乗って広島まで出かけるほど熱中してしまったものだ。

 その後、静謐なインスタレーションで知られる内藤礼といった、およそ雑誌の表紙とは似つかわしくないアーティストを起用するなどの野心的な試みを経て、最近は三沢厚彦の作品がその表紙を飾っている。これまた、別の意味で文芸誌とはまったく似つかわしくない。何せ、それは動物の彫刻だからだ。木彫に彩色された、ユーモラスでもありちょっと気味悪くもある、クマやネコやサイやキリンたちなのである。

 古い小学校を改装してギャラリーやアトリエを設えた京都芸術センターで、その三沢の展覧会が開かれていた。作品からはあまり想像できないが、彼は京都の出身だという。念願だった故郷での個展の開催と、学び舎の懐かしいおもかげが残る会場にちなんで、この催しは「Meet The Animals ― ホームルーム」と名づけられた。

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参考画像:高村光雲『老猿』(重要文化財、東京国立博物館蔵)

 三沢厚彦は、昨今のアートの世界においては特異な存在である。むしろ、現代美術の範疇に安易に組み入れられることを拒んでさえいるようだ。およそありとあらゆることがやりつくされた感のある現代美術だが、ざっと記憶をたどってみても、この人の仕事は他の誰にも似ていない。

 木で作られた動物の彫刻ということでいえば、高村光雲の『老猿』をはじめとして前例がないわけではなかった。けれども『老猿』のポーズには実はあまり猿らしいところがなく、腰を不自然にひねったままで眼光鋭く上のほうを睨む姿は、明らかに作為的だ。光雲は実際に生きた猿を連れてきて写生をしたそうで、本人が次のように書き残している。

 《モデルはその頃浅草奥山に猿茶屋があって猿を飼っていたので、その猿を借りて来ました。この猿は実におとなしい猿で、能(よ)くいうことを聞いてくれまして、約束通りの参考にはなりました。》(高村光雲『幕末維新懐古談』)

 だが仕上がった作品を観てみると、とても「実におとなしい猿」とは思えない。猿の左前足 ― 別に“左手”と呼んでも差し支えあるまいが ― には鳥の羽根がしっかりと握られており、彼は鷲と格闘したあげく取り逃がした相手を睨み据えているところだという。もちろん彫刻家の眼の前でそのような激戦が演じられたわけではない。次のエピソードを読めば、実際に光雲はどんな猿をモデルにしていたのかがわかる。

 《物置きに縛(つな)いで置いたが、どんなに縄をむずかしく堅くしばって置いても、猿というものは不思議なもので必ずそれを解いて逃げ出しました。一度は一軒置いてお隣りの多宝院の納所(なっしょ)へ這入り坊さんのお夕飯に食べる初茸(はつたけ)の煮たのを摘(つま)んでいるところを捕まえました。一度は天王寺の境内へ逃げ込み、樹から樹を渡って歩いて大騒ぎをしたことがありますが、根がおとなしい猿のことで捕まえました。》(前同)

 このところ、凶暴化した猿が市街地をわがもの顔に荒らし回り、人間どもを相手に大捕物を演じるなどというニュースをよく耳にするが、『老猿』のモデルになった猿も人間の手を煩わせたとはいえ、まだまだ可愛いものだ。しかしその無邪気な、ある意味で人馴れした猿を前にして、あのような迫力にみちた造形を作り上げるには、そこに付与されたストーリーが要るはずである。鷲と闘って云々という話は単なる添えものではなく、作品の成立を左右する重要な鍵を握っていたのだ。

 しかし、三沢厚彦の彫る動物たちには、そんなストーリーは存在しない。彼らはただそこに、ありのままに存在しているだけなのである。

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