竹内栖鳳『絵になる最初』

(部分)
この絵は京都にあるので、これまで数えきれないぐらい観てきた。そのたびに、変わった絵だなと思う。
モデルは、脱ぐことをためらっている若い女である。帯はすでに解かれ、腕はむき出しになっているが、着物をはらりと落として裸体を晒すというときになって、心に迷いが生じたのだろうか。手で顔を覆い隠しているそのポーズからして、恥じらうというよりも拒んでいる感じがする。
われわれは普段、何の疑問ももたずに裸体画を鑑賞しているが、実際にその絵が描かれた現場では画家とモデルの間にさまざまな葛藤があるのだろう。考えてみれば恋愛関係でもない男の前で女が裸になるのだから、それも当然かもしれない。ピカソやディエゴ・リベラのように、モデルをことごとく愛人にしてしまうような画家は別だけれど。
***
このとき栖鳳は東本願寺山門のための天井画を依頼されていて、裸の天女を描くために当時人気のあったモデルを東京から呼び寄せた。しかしそのモデルは体をこわし、ついには死んでしまう。後任として文枝という女性を迎えたが、彼女はヌードモデルの経験がなかった。『絵になる最初』は、脱ぐか脱がないかの瀬戸際で進退極まった文枝の姿である。
結局彼女は、この後どうしたのだろう。心を決めて、裸になったのだろうか? それとも・・・。
描かれるはずだった天女の絵は、ついに未完に終わってしまった。東本願寺には、ちがう絵柄の天井画が奉納されている。文枝が脱ぐことを拒んだせいかどうか、それは知らない。
***
竹内栖鳳は、雄渾な獅子の絵を描くかと思うと、神経質な筆致の水墨画があったり、とにかくさまざまな筆法を自在にあやつる。数多くの日本画家が彼の門下から巣立っていて、京都画壇の総元締めのような存在である。
そんな偉大な画家をもってしても、ひとりの若い女を裸にすることができなかったというのだろうか。そのかわり、栖鳳は“脱ぐのを拒むモデル”という前代未聞の美人画を描いた。転んでもただでは起きぬ、とはこのことだ。発表された絵は大変な評判を呼び、描かれたのと同じ柄の着物がよく売れたのだそうである。
可憐な女性像の裏側に、画家のしたたかさが透けて見える。

(全体図、京都市美術館蔵)
五十点美術館 No.2を読む

(部分)
この絵は京都にあるので、これまで数えきれないぐらい観てきた。そのたびに、変わった絵だなと思う。
モデルは、脱ぐことをためらっている若い女である。帯はすでに解かれ、腕はむき出しになっているが、着物をはらりと落として裸体を晒すというときになって、心に迷いが生じたのだろうか。手で顔を覆い隠しているそのポーズからして、恥じらうというよりも拒んでいる感じがする。
われわれは普段、何の疑問ももたずに裸体画を鑑賞しているが、実際にその絵が描かれた現場では画家とモデルの間にさまざまな葛藤があるのだろう。考えてみれば恋愛関係でもない男の前で女が裸になるのだから、それも当然かもしれない。ピカソやディエゴ・リベラのように、モデルをことごとく愛人にしてしまうような画家は別だけれど。
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このとき栖鳳は東本願寺山門のための天井画を依頼されていて、裸の天女を描くために当時人気のあったモデルを東京から呼び寄せた。しかしそのモデルは体をこわし、ついには死んでしまう。後任として文枝という女性を迎えたが、彼女はヌードモデルの経験がなかった。『絵になる最初』は、脱ぐか脱がないかの瀬戸際で進退極まった文枝の姿である。
結局彼女は、この後どうしたのだろう。心を決めて、裸になったのだろうか? それとも・・・。
描かれるはずだった天女の絵は、ついに未完に終わってしまった。東本願寺には、ちがう絵柄の天井画が奉納されている。文枝が脱ぐことを拒んだせいかどうか、それは知らない。
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竹内栖鳳は、雄渾な獅子の絵を描くかと思うと、神経質な筆致の水墨画があったり、とにかくさまざまな筆法を自在にあやつる。数多くの日本画家が彼の門下から巣立っていて、京都画壇の総元締めのような存在である。
そんな偉大な画家をもってしても、ひとりの若い女を裸にすることができなかったというのだろうか。そのかわり、栖鳳は“脱ぐのを拒むモデル”という前代未聞の美人画を描いた。転んでもただでは起きぬ、とはこのことだ。発表された絵は大変な評判を呼び、描かれたのと同じ柄の着物がよく売れたのだそうである。
可憐な女性像の裏側に、画家のしたたかさが透けて見える。

(全体図、京都市美術館蔵)
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