テスラ伝記に革新をもたらしたマーガレット・チェニーの著書(邦題「テスラ:発明王エジソンを超えた偉才」)は1981年に刊行された。1980年代、アメリカを中心に起こったテスラ再評価(いわゆるテスラ・ルネッサン)の気運はこの著書がきっかけとなった。
若い頃からテスラの研究を志したチェニーは、半生をかけてその生涯を調べ上げ、ようやく上梓したのが本書である。
ハードカバー版の存在は書誌で見て知っていたが、なぜか注文しそこねていた。紀伊國屋書店に出ていたのはそのペーパーバック版だった。
早速入手して読んでみたが、その内容はかなり衝撃的なものだった。特にオニールに対する批判が鮮烈だった。オニールはピューリッツァ賞も授賞した著名なジャーナリストであるが、チェニーによればその著書には大きく3つの欠点があった。
ひとつは著者の年齢や健康の問題から書き急いだため、事実誤認がかなりあること。ふたつめはソースを提示していないこと。三つめは、根拠のないオカルト的なエピソードを散りばめて、無用な評価の混乱を招いたことである。
ジャーナリストらしくあくまでも資料に基づいて謎を追求するチェニーの文章には、オニールにはない説得力があった。とくに感銘を受けたのがテスラの秘密文書の追求だった。
その秘密文書とはテスラの究極兵器(殺人光線、テスラシールド)に関するもので、テスラの生前はホテルの私金庫に秘蔵されており、米ソのスパイがそれを狙って暗躍していた。彼の死後、何者かによって盗みだされ、戦後は旧ソ連にわたってすでに実験が行われている。一方、アメリカの情報機関も入手し、極秘裏に研究を進めている、とされていた。そのような陰謀の核となる文書として、テスラファンやオカルティストの間では有名だったが、その真偽が解明されたことはなかった。
チェニーはこの文書の行方に徹底的に追求し、ついにその所在を突き止めた。詳しくは彼女の著書で確認してもらうとして、このような地道な努力によって伝説の真実解明は大きく前進した。その他、数多くの点で画期的な発見が含まれていた。
これによって私もようやくテスラの生涯の全体像をつかむことができ、多くの疑問点も解決した。しかし、それと同時に、読むほどに新たな疑問も湧いてきた。(この項続く)
若い頃からテスラの研究を志したチェニーは、半生をかけてその生涯を調べ上げ、ようやく上梓したのが本書である。
ハードカバー版の存在は書誌で見て知っていたが、なぜか注文しそこねていた。紀伊國屋書店に出ていたのはそのペーパーバック版だった。
早速入手して読んでみたが、その内容はかなり衝撃的なものだった。特にオニールに対する批判が鮮烈だった。オニールはピューリッツァ賞も授賞した著名なジャーナリストであるが、チェニーによればその著書には大きく3つの欠点があった。
ひとつは著者の年齢や健康の問題から書き急いだため、事実誤認がかなりあること。ふたつめはソースを提示していないこと。三つめは、根拠のないオカルト的なエピソードを散りばめて、無用な評価の混乱を招いたことである。
ジャーナリストらしくあくまでも資料に基づいて謎を追求するチェニーの文章には、オニールにはない説得力があった。とくに感銘を受けたのがテスラの秘密文書の追求だった。
その秘密文書とはテスラの究極兵器(殺人光線、テスラシールド)に関するもので、テスラの生前はホテルの私金庫に秘蔵されており、米ソのスパイがそれを狙って暗躍していた。彼の死後、何者かによって盗みだされ、戦後は旧ソ連にわたってすでに実験が行われている。一方、アメリカの情報機関も入手し、極秘裏に研究を進めている、とされていた。そのような陰謀の核となる文書として、テスラファンやオカルティストの間では有名だったが、その真偽が解明されたことはなかった。
チェニーはこの文書の行方に徹底的に追求し、ついにその所在を突き止めた。詳しくは彼女の著書で確認してもらうとして、このような地道な努力によって伝説の真実解明は大きく前進した。その他、数多くの点で画期的な発見が含まれていた。
これによって私もようやくテスラの生涯の全体像をつかむことができ、多くの疑問点も解決した。しかし、それと同時に、読むほどに新たな疑問も湧いてきた。(この項続く)