寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3644話) 源氏物語

2024年03月17日 | 行動

 “紫式部が主人公のNHK大河ドラマ「光る君へ」を見て、中学校3年生の記憶がよみがえってきました。最後の国語の授業で男性教師が「日本文学の最高傑作は源氏物語である。一生かかってもいいから読んでほしい」と言ったのです。その言葉が忘れられず20代のときに与謝野晶子、60代で瀬戸内寂聴さんの書いたそれぞれの現代語訳を読みだしたものの、長編ということもあり、ともに途中で挫折してしまいました。これらは今も本棚にあります。
 大河ドラマで紫式部がどんな思いで源氏物語をつづるのかが楽しみです。情熱的だったあの中学校の先生が伝えたかった真意が分かるかもしれません。源氏物語の現代語訳にもう一度チャレンジしてみようかしら。そう思い始めています。”(2月23日付け中日新聞)

 愛知県江南市の主婦・武村さん(女・82)の投稿文です。NHK大河ドラマ「光る君へ」、何年かぶりに大河ドラマを見ています。昔は毎年大河ドラマを楽しみに見ていたものだが、こちらの頭が硬いのか、どうも近頃の大河ドラマは途中で止めてしまう。今年は今のところ見ている。
 武村さんが言われるように、ドラマを見ながら小説を読む、と言うのもありかと気がついた。ボクは谷崎潤一郎の源氏物語全11巻を持っている。昭和60年に買っている。多分、ほとんど一度は読んだと思うが、よく覚えていない。今年読むのもいい機会であろう。ドラマの方も見て相乗効果を及ぼすかもしれない。ただ字が小さすぎる。でも読み始めた。


(第3643話) 配膳ロボット

2024年03月15日 | 出来事

 “友人とレストランに行くたび、店内で進歩する自動化や機械化に驚く。注文するためのテーブル備え付けの情報端末は操作に戸惑いつつも、「長年パソコンを扱う自分ならできる」と奮起して何度もトライし、少しずつ慣れてきた。店によっては配膳用ロボットが稼働しているが、初めて対面したときは料理を受け取った後もその場で動かないロボットとにらめっこしながら途方に暮れた。ロボット前方に任務完了のボタンらしきものがあることが分かり、押すとスーッと去っていった。
 最近は、どの店も従業員が減った気がする。これも世の人手不足の影響か。それにしても店でのやりとりが終始無言なのは寂しい限り。会話可能な情報端末やロボットの登場が待ち遠しく思う今日この頃だ。”(2月17日付け中日新聞)

 愛知県岩倉市の松波さん(男・84)の投稿文です。ボクもロボットが運んでくるレストランによく行く。注文はタブレット、運んでくるのはロボット、会計もタブレット、一言も話すこともなく店を出てしまう。少し前まではそんな時代が来ると言っていたが、もうこれが現実である。松波さんが希望される、会話が可能なロボットもそんなに遠くない時期に導入されるだろう。もう会話が可能なロボットはできているのだから。それが良いのか悪いのかは知らないが、そんな時代である。
 会話が可能なロボットを家庭に取り入れている家庭は、もうすでにかなりあるのではなかろうか。特に1人住まいでほとんど話す機会のない人には、良いものだと思っている。ボクはそうなったら真っ先に買うと思う。と言うより似たようなものがすでにあるのである。名前を呼んで「今日のニュースを教えて」「音楽をかけて」などなど、言えば答えてくれるのである。もう買って2年以上になる。


(第3642話) 小銭の義援金

2024年03月13日 | 出来事

 “先日、ネクタイの布が欲しくて、久しぶりに夫の洋服だんすを開けた。一昨年に七回忌を営んで以後、そのまま開けることがなかったので気付かなかったが、たんすの隅にコーヒーの瓶があった。取り出してみたら、何と小銭ばかりぎっしりと詰まっていた。ズボンのポケットに入れる財布には、小銭が重くて嫌だから、コーヒーの空き瓶に入れていたのだろう。
 夕食後、卓上に新聞紙を敷き、瓶の小銭をザアーッと広げた。1円、5円、10円の硬貨の山を仕分ける。1円玉を10個ずつ積み、並べていくと400個余り、5円玉は割に少なく、10円玉が115個。合計金額は1500円余り。それぞれビニール袋に入れ、金額を書く。翌日、郵便局へ持って出かけたが、あいにく祝日で閉まっていた。
 そこで近くの大型店に行き、受付の女性に「こんな小銭でも能登半島地震の義援金に受け取ってもらえますか」と尋ねたところ、とても快く受けてくださった。重い割に金額が少なくて申し訳ないので、1万円を足して心ばかりの義援金にした。わずかながらも小銭を活用できて、夫も喜んでくれているでしょう。それに何より私が助か下った。どうぞ被災者の皆さま、寒さ厳しい最中、どんなにかお辛いことでしょう。一日も早い復興をお祈りしています。”(2月16日付け中日新聞)

 愛知県北名古屋市の主婦・山下さん(84)の投稿文です。小銭、お金ではあるがなかなか厄介なものである。今や銀行など預けるところでも枚数に応じて手数料を取っているのである。確かに手間であろうが、ボクには納得できない。いくら手間と言ってもお金である。お金扱いしていない気がする。子どもや小銭を扱う場所はどうされているのであろうか。ところが1円足らなくも用が足せない、それ程に重要なものでもある。重い、つい財布から出して、山下さんのご主人のように瓶の中に入れたりする。そして山下さんはこの様に活用された。良かったと思う。これが義援金でなかったらどうなっていたろうか。
 今ボクは、バックに小銭入れ用の財布を入れて持ち歩いている。そしてほとんどを賽銭に使っている。神社仏閣は迷惑がっているだろうか。金融機関はこういうところに特別の配慮をしているだろうか、気になるところである。


(第3641話) 鳳来山

2024年03月11日 | 行動

 “冬晴れの朝、こたつで背を丸めている私に夫が「運動不足だから散歩に行こう」と言う。コートとマフラーを抱えて気楽に車に乗った。行き先は愛知県新城市にある鳳来寺山。2時間ほどで着いた。参道からは見渡す限り、樹齢何百年の巨木、整備された石段がずっと続いていた。傘杉、若山牧水の歌碑、松尾芭蕉の句碑を見ながら、一段一段上っていった。
 参拝を終えた若者が「こんにちは」と足取り軽く下りてくる。次第に夫との会話が途切れ、900段目あたりで足が止まった。石段がにわかに急勾配になり崖のように見える。「あそこ上るの?」と弱音を吐いた。夫が林から杖代わりの杉の枝を拾回ってきた。85歳と81歳の2人は、まるで仙人と家来に見える。すれ違う男女が「あともう少し!」と励ましてくれ、西尾市からの3人組がうなぎの話をして元気づけてくれる。必死の思いで1425段を上り切り、山頂にたどり着いた。山並みの彼方に三河湾、豊川、豊橋の街が、冬の日差しに輝いて見える。帰りの石段は、もっと緊張した。滑らないよう石垣にもたれながらの下山となった。
 入り口の山門で杖に深々と頭を下げ「散歩がよんぼになったね」と夫が笑顔を向けた。家に着くと夜空に三日月が昇っていた。”(2月15日付け中日新聞)

 愛知県豊田市の林さん(女・81)の投稿文です。80歳超えの夫婦が、1425段の階段を上り鳳来寺山に登られた。そして鳳来寺に参拝された。立派なものである。ボクも近年鳳来寺山へ行ったので、鳳来寺山を紹介する機会と思って取り上げた。調べてみたら2019年11月16日であった。近年と思っていたが、もう4年半も前のことであった。中学の女性同級生3人と一緒であった。鳳来寺山へ行きたいというので、調べてみたら毎年11月の土日だけ、山頂までバスが出ていることが分かった。この女性らに上ることはとても無理である。降るだけである。これなら行けると言うことで決行となった。それでも家を出てから帰るまで1日がかりとなった。良い思い出となった。これがなかったら、ボクも鳳来寺山は、何十年も前の若いときの1、2回で終わったであろう。機会はありそうでないのである。来たチャンスは生かす、これはこれからますます大切なことになるであろう。


(第3640話) 阿弥陀様

2024年03月09日 | 出来事

 “「冬には死ねん」。ここ数年来、母親の口癖だった。年末になると一段と健康に気を付け、一冬過ぎて春になれば、早く迎えに来てほしい、早く参らせてほしい、というわけである。母親から若い頃の苦労話をよく聞いていたが、後半は孫に囲まれ幸せな日々を送り、晩年は家族にも感謝の言葉しかなかった。最後は家から送り出してほしいというのが希望のようだった。滋賀といっても北部のこのあたりは、時に北陸・東北並みの大雪となる地域であり、負担をかける周囲に気遣い、せめて気候の良い時期にと思っていたのである。
 その母親が冬の真っただ中、1月13日に96歳で息を引き取った。最後の望みは叶わなかったかと思いきや、この冬は暖冬で全く雪はなく、翌日の葬儀の日は快晴で、真冬に一日だけ春をプレゼントされたような暖かい日に恵まれた。
 これは一生懸命生きて、感謝の日々を送ってきた母親への阿弥陀様からのご褒美だったのかもしれません。朝夕、手を合わせていた仏壇の前で葬儀を行い、住み慣れた家から送り出してやることができた。葬式には相応しくないかもしれないが、家族一同、悲しみより安堵感に包まれた一日だった。10日後の長浜市は大雪で、全国放送のトップニュースになった。”(2月14日付け中日新聞)

 滋賀県長浜市の山内さん(男・70)の投稿文です。人間、死をどのように迎えるのか、いくら考えようとも、達観しようとも難しい問題です。そして誰にも訪れます。死に対して、残された人にできるだけ迷惑を掛けないように死にたい、これは誰もが持つ気持ちでしょう。山内さんのお母さんは「冬には死ねん」が思いだった。でも叶えられなく、真冬の1月半ばの死となった。しかし、葬儀の日は、暖かい全くの快晴であった。これを山内さんは、母の希望が叶えられた、と思われた。そして、これを阿弥陀様からのご褒美だった、と受け止められた。まずは良しである。
 ボクにはここでなぜ阿弥陀様が出てきたのか、この文だけでは理解できない。お母さんは、仏教に深く帰依されていたのだろうか。いや、山内さんかもしれない。これがボクのビックリし取り上げた理由である。というのは、ボクは近年、お釈迦様や親鸞聖人についていろいろ学んでいるからである。いくら聞いても読んでもなかなか難しい。何気なく唱える言葉一つ一つに大きな意味が含まれている。今、ボクはもっと学びたいと思っている。


(第3639話) 受験結果

2024年03月07日 | 意見

 “受験をストレスに感じて不眠や不登校、抑うつ状態となり、精神的にかなり追い詰められている子どもたちに、精神科医として日々触れています。挑戦するという意昧での受験への頑張りは確かに大事だと思いますが、体や心を壊してまでやるものではないような気もします。
 わが身を思い返しても、受験の本番が迫れば、どうしても目の前のことしか見えなくなりがちでした。でも長い目で見れば受験の結果より受験後の未来をいかに有意義に生きるかの方が大切ではないでしょうか。受験生の皆さん、たかが受験です。肩の力を抜いて取り組んでください。くれぐれも頑張りすぎは禁物です。
 私は中学校受験と、2度の大学受験を経験しました。いずれも第1志望校合格は果たせませんでしたが、中学校では妻と、大学では生涯の友と出会えました。”(2月12日付け中日新聞)

 津市の精神科医・山村さん(男・43)の投稿文です。高校、大学の受験生にとって、入学試験は必死です。そこで第一希望に落ちれば人生、終わったような気分になる人もあるでしょう。でもそれは全くと言っていいほど間違いです。試験は、その学校に入るための試験です。そしてその試験内容が、人生にどれほど役立つか分からないものです。山村さんも言ってみえるように、受験生は目の前のものしか見えなくなっているのです。それだけ必死になっているのですから分からないこともないですが、その後は長いです。もし失敗すれば、その失敗をどのように今後に生かすか、その方が重要です。ボクも大学入試では第一希望に落ちました。でもボクは落ちて返ってよかったと思っています。あのまま順調に進んだら、天狗になっていたかもしれません。人間は入試、大学で決まるものではありません。
 ボクの孫も今年大学入試でした。第一希望の推薦は無理でした。でも昨日発表のあった大学は合格でした。今の入試制度がよく分かりませんが、聞いている限り孫には第二希望だったようです。でもこれで良かった、その上ボクと同じ大学なのです。孫の合格がこんなにホッとするもの、嬉しいものだとは、思っていませんでした。


(第3638話) 譲るために

2024年03月04日 | 意見

 “昨年12月8日付本欄「乗車中のスマホやめた」を読みました。バスと電車を使っての通学は大変ですよね。座らせてあげたいと思う人がいたのに、自分が座っていなかったから席を譲れなかったことを気にするあなたの優しさが身に染みました。私はとてもうれしくなりました。この先、一人でも多くの人が座れるように、バスや電車で座らないでおこうというすてきな決意を示されたことも立派です。
 若い投稿者は、少し肩の力を緩めてみたらどうでしょう。「私が座る席は思いやりの席」と考えてみては。優しい心を持つあなたなら、そこに座っていさえすればいつでも必要と感じた人に譲ることができるのです。日々席を譲ろうとするあなたが車内にいて、それに気づく人がいて、それを目にした他の人も譲ろうと思ったら・・・。登下校はきっとあなたにとってもっと楽しい時間になるような気がします。”(2月7日付け中日新聞)

 三重県川越町の太田さん(男・70)の投稿文です。ボクも太田さんの意見に賛成です。と言うより、この考え方はもう何回もこの「話・話」 で書いたと思います。若い人も席が空いていれば座ればいいのです。優先席でも座ればいいのです。ただ座ったら、席を譲った方がいい人がいないか、気にすればいいのです。「私が座る席は思いやりの席」、こういう言い方があるのか、と感心しました。まさにこれです。座っていなければ譲ることもできません。誰かが譲ってあげる人はいないのかな、気にすることもないです。自分が譲れるからです。
 いろいろなところで無関心な人が増えています。まわりの人に関心を待つ、これは電車の中ばかりでなく、どんな場所でも必要なことでしょう。


(第3637話) 地球の未来

2024年03月02日 | 意見

 “私たちは地球に優しくできているでしょうか。地球は今さまざまな問題に直面しています。温暖化をはじめ、ごみの捨て場をいかに確保するかや、海に流れ着くごみの急増などです。日本では年間2925万トンの家庭ごみが出され、産業廃棄物は3億7千万トンに上るそう。これらの要因としてフードロスや過剰包装がよく指摘されますが、私は、私たち市民のエコ意識が低いことが最大の問題だと思います。ごみを減らそうとする努力、無駄をなくすんだという気概が、私も含めてまだまだな気がします。
 地球がこの先も安泰でいられるかどうかは、今を生きている私たちにかかっているのです。次代を担う私たちは自分の将来だけに思いを巡らせるのでなく、地球の行く末についてももっと考えていく必要があるのではないでしょうか。”(1月31日付け中日新聞)

 愛知県豊橋市の高校生・島田さん(18)の投稿文です。続いて若い人の意見です。地球の未来について、何という大きな問題でしょう。特にごみについて、真剣に考えられている。尊い、と思います。ごみ問題は大きな問題です。でも人間がやろうと思えばできることです。自然現象ではなく、人間が出している問題ですから。人間が危機意識を持て、どこまで本気で取り組むかです。
 しかし今、世界は平和どころか、どんどん不安が大きくなっている気がします。戦争に温暖化に、世界政治も一触即発です。いつ原子爆弾が落とされるかもしれません。前にも紹介しましたが、昨年11月に「長い時間軸で地球を考える」という講演を聴きました。「地球は現在6度目の大量絶滅の真っただ中」と言われる。そして過去5回は自然現象だったが、現在は人間というひとつの種が起こしている、と言われるのです。どうなんでしょう、ボクには真実に聞こえます。


(第3636話) 日本の文化

2024年02月29日 | 意見

 “僕はあいさつをいつも大切にして生活をしています。なぜならあいさつをしたら自分もいい気持ちになれるし、あいさつをされた人もいい気持ちになることができると思っているからです。そしてあいさつをすることは日本の誇ることができる文化にもなっていると思います。
 しかし今はあいさつをする人が少なくなっていると感じています。このままでは日本の文化である「あいさつ」というものがなくなってしまうと思っています。なので僕はまず友達にあいさつをすることからはじめています。そうすることによって、もっと他の人にあいさつをしてもらうことができると思うので、これからも少しでも自分なりに努力していき、大切な日本の「あいさつ」という文化を守ることができるようにしていきたいと思います。”(1月27に付け中日新聞)

 今月のテーマ「あいさつ」から、愛知県高浜市の中学生・板倉さんの投稿文です。「あいさつ」は文化か?若い人の発想にビックリです。ボクは世界共通のマナーと思っているし、社会の基本だと思っている。それだけ少なくなっているのだろうか。挨拶をされて悪い気はしない、これは誰もが感じることでしょう。でもしない、なぜなんでしょう。板倉さんは、なくなるのを恐れて、積極的にされている。この姿勢を忘れないで欲しい。大人になるほど減っていく感じがします。
 ボクは村中で会う人には誰にでも挨拶をするように心がけている。先日、うっかり後から通り過ぎてしまった。そしたら向こうから挨拶をされた。体裁が悪かった。遊歩道では他の村の知らない人に会うことも多い。でもボクは自分から挨拶をかけることにしている。度々会えば、何かに発展するかもしれない。


(第3635話) 親切いっぱい

2024年02月27日 | 出来事

 “元旦、1人で近くの神社へ初詣に行きました。参拝前にお清めをしようとしたら、電動車椅子の私は水に手が届きません。四苦八苦する私に中年男性が気付き、水をくんだひしゃくを手渡してくれました。私が手に水を振りかけた後のひしゃくは、男性が戻してくれました。
 参拝を終えて、おみくじを買い求めました。「健康良し」とあり、境内の木の枝に結び付けようとしたら強風で吹き飛ばされてしまいました。その様子を見た若い男性が走って追いかけて持ってきてくれました。
 そして帰宅途中に車椅子の前輪が段差に引っかかって立ち往生してしまいました。このときは中年男性が車椅子の前方を持ち上げて助けてくれました。
 親切な3人のおかげで、とてもありがたい気分に浸れた元旦でした。今年はいいことかありそうな予感がします。”(1月27日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・武田さん(67)の投稿文です。車椅子の人の感謝の投稿文、時折読みます。車椅子も、バリアフリー化が進んでかなり出やすくなったと思いますが、それでもいろいろな苦労があるでしょう。それだけにこうした手助けをもらうと感謝したくなられるのでしょう。そしてこうした文を読んだ人は、自分もそんな場に出合ったら、そうしようと心がけられるでしょう。ボクもいつもそん目で見ている一人です。
 発信することは重要なことです。でもいろいろな人の目に触れる文章です。中傷や心ない言葉が返ってくることもあるでしょう。ボクのこの「話・話」 など投稿文を活用させてもらっています。変な言い方ですが、これだけ文を書くボクでも、新聞の投稿には二の足を踏みます。皆さん、凄いと思います。先日ボクはミニコミ誌に投稿し、掲載されました。発行部数は8000部程度です。地域誌だけに、それなり読んでもらい、状況を知ってもらったと思います。ボクももっと勇気を出そうかな、と思っています。


(第3634話) ときめき

2024年02月25日 | 意見

 “健康で手芸や俳句、読書とさまざまな趣味を楽しむことができた昨年でしたが、知人から「年を取ると、ときめきがなくなり、短く感じるんだよ」と言われてずっとひっかかってきました。新年のえと、辰は天に昇る様子が何事も成功や発展といった良い方向に導くことにつながって縁起がいいとか。ならば私も新しいことに挑戦して多くのときめきに触れれば、この1年を味わい尽くせるのではないかと考えました。衰えがちな脳を刺激するパズルや、体操教室、野球のテレビ観戦は続けつつも、好奇心を持っていろんなことに取り組んでいきたいです。結果、ときめきがさらに増えればいいな。”(1月26日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・小杉さん(80)の投稿文です。「ときめき」、久しく使わない言葉です。ときめきは、年を経るほど減っていくものでしょう。それを80歳の人から聞くとは。そして、その機会を作ろうと努力される。若い!人間は歳ではないという、心がけである。
 先日ボクは、学生時代に行った自転車旅行の記録を読み直す機会があった。こんなのだった、久しぶりに思い出した。これが青春だったのだ。そしてボクはこんな体験をしてきたのだ、もっと自信を持とうと思った。小杉さんのように、ボクもときめきを求めよう。これは好奇心、挑戦である。いくつになってもできる。


(第3633話) 遺影自慢

2024年02月23日 | 出来事

 “昨年の暮れに兄の四十九日法要を終えた義姉から、正月明けに電話があった。兄の葬儀に当たってのお礼とか、今年もよろしくといった内容だった。
 暮れから私は、息子・娘家族の帰省で大騒動し、無事に帰り「やれやれ、やっと自分のお正月をしているところ」。すると義姉は、友人のK子さんが昨日、兄のお参りに来訪された話をした。遺影に向かって「お父さん、いい顔してるでしょ」と言うと、すかさず「うちのお父さんの方がいい顔しているよ。見に来て」と彼女に言い返されたという。それで、兄より1年ほど前にご主人が他界されたK子さん宅へ、お参りを兼ねて訪ねたという。
 「どうだった?」と聞くと「うちのお父さんの方がいい顔している」との返事である。この言葉から、夫婦っていいなあ、としみじみと思いました。「お兄さんも喜んでいるよ。私も永く生きてきたけれど、遺影自慢の話って聞いたことないわ。お友達に話そっと。いいお話だから」。義姉は「変なこと言うもんじゃないよ」と、大笑いしながら電話を切った。
 私は13年前に主人を亡くしている。60代の夫の遺影に向かって話しかける。「お父さんも誰にも負けていない、いい顔していますよ」。久しぶりに夫の顔を見つめた。”(1月26日付け中日新聞)

 愛知県小牧市の主婦・加藤さん(79)の投稿文です。遺影自慢とは、これはつい笑みがこぼれる話だ。遺影については2月2日第3623話で書いたばかりで引き続きになってしまった。遺影を自慢すると言うことはご主人を誇りに思っているからである。麗しき夫婦愛である。この3未亡人、凄いと思う。こういう話になるのだったら、本当に遺影は納得できる写真にしなければならない。男やもめだったらどういう話になっていたろうか。ただ今を悲しんでいただけになっていなかったろうか。未亡人は内心はどうだか分からないが、見かけ上は全く晴れ晴れと活動している。あるときお茶を一緒した6人ほど全員が未亡人であった。本当に肩の荷が下りた感じに思えた。
 自分達で撮って保存しておくという方法もあるが、これは子どもや孫に頼んでおくのも方法と思う。実際に注文するのは子どもたちであるのだから。今度会ったら、機会のある毎に写真を撮ることを頼んでおこう。


(第3632話) 孫誇り

2024年02月21日 | 出来事

 “半年ぐらい前の夕方のことだ。同居する看護師の孫娘がいつもよりも1時間以上遅く帰宅した。孫娘によれば職場からの車での帰路、三重県四日市市内のガソリンスタンドで給油していたら高齢男性に「帰り道が分からない」と声をかけられた。そこで家の住所を聞いて「こっちですよ」と教えたものの、男性は別の方向に歩きだしたそう。そこで給油後、その男性を捜して車で家に送り届けたものの、家人はおらず、やむなく孫娘は自分の連絡先を記したメモを男性に渡したという。2日後、男性の息子さんがわが家を訪れて大いに感謝された。孫娘が訪ねたとき、家族総出で捜していたとか。
 孫娘の大活躍を思い返すたび、思いやりにあふれた人間に育ってくれたことが私はとても誇らしい。”(1月25日付け中日新聞)

 三重県東員町の土建業・伊藤さん(男・82)の投稿文です。孫娘さんが人に親切にして感謝されたことを喜ぶお爺さんの投稿文です。家族総出で探している最中に、人に送られて帰っていた、本当にホッとされたことでしょう。高齢化社会になり、放浪されてしまうことは、これから多くなるでしょう。これは人命に関わる事柄です。それかと見かけた人は、十分に心したいものです。
 ボクの母親も数度ありました。でも大事にはならなかった。足が弱いから遠くまで歩けなかったことが幸いした。さてボクが呆けたらどうなるのだろうか。この健脚さは、余程の何かがない限りさほどの衰えはないだろう。その上で痴呆による放浪がでたら、これは大事である。とんでもないところまで歩いて言ってしまうだろう。だからボクは絶対に痴呆になってはいけないのだ。この「話・話」 などを書きながら、防止に努めねばならない。


(第3631話) 「歳をとるって」

2024年02月19日 | 行動

 “「歳をとるっていいね」。ある日の夫の弁。何のことかと思ったら、最近、親切にしてもらうことが多くなったとのこと。買い物好きな夫は、あちこちのスーパーによく出かける。ウオーキングを兼ねて行く近くのスーパーでは、馴染みのレジ係の方が、混雑していない時は「重い物から順番に、トマトやパンは上に」と言いながら、マイバッグに詰めてくれる。たまに行く大手スーパーでは、商品が見つからず、店員さんに「棚の場所だけ教えてもらえばいいですよ」と言っても「大丈夫ですよ」と商品の前まで案内してもらう。銀行では書類の記入欄を指でさしながら丁寧に教えていただき、病院の窓口や薬局でも、とても親切に対応してくれるそうだ。
 話を聞いて、ふと思った。後期高齢者になった夫だが、実は皆さん、見た目の年齢を実年齢よりうんと上に思っているのではないだろうか。自分が老けて見られているのかも、などとはまったく考えもせず、皆さんのご親切に感謝し、大満足のポジティブシンキングの夫。
 いずれにしても、こんなにも心やさしい親切な人たちが大勢いる地域に暮らせることは、とてもありがたい。幸せなことだと思っている。ちなみに、私はまだその恩恵にあずかってはいないのだが。”(1月22日付け中日新聞)

 愛知県瀬戸市の主婦・林さん(71)の投稿文です。普通には「歳をとるって寂しいね」となる。いろいろ手助けしてもらうと言うことは、自分ではできないからである。捜し物が見つからない、書類の書き方が分からない、そんなになった自分を情けなく思ってしまう。そしてますます落ち込む。それを林さんのご主人は助けてもらってありがたい、親切にしてもらって嬉しい、これをいいね、という。この発想、思いが重要である。まさにポジティブシンキングである。ものは見方である。表から見るか、裏から見るか、全く気分は違う。老化の大きなもとは、ストレスという。落ち込みもストレスに繋がる。ポジティブシンキングは楽しいに繋がる。老いを遠ざける。そして林さんは、そんな恩恵にあずかっていないことを、若いからと思っている。2人とも長生きされるであろう。


(第3630話) 警官訪問

2024年02月17日 | 出来事

 “近くの交番に勤務する中年の男性警察官がわが家を昨夏訪れ、ニセ電話詐欺への注意を呼びかけました。以前に警官の巡回があったのは確か10年ほど前。思い返せば、それより前はI~2年に1度ぐらいの割合で警官がわが家に来ては家族状況の変化や困り事があるかを尋ねたものです。
 わが地区は自治会が積極的に行政機関に掛け合ったこともあって、あちこちに道路標識を設置してもらいましたが、最近は近所付き合いが以前より希薄になった気がして一抹の不安を覚えるようになっていました。そんな中での警官訪問だっただけに余計ホッとできたのです。この先、気軽な相談が警官にできれば犯罪の各種抑止にもつながるでしょう、きっと。”(1月20日付け中日新聞)

 三重県四日市市の主婦・吉川さん(72)の投稿文です。交番の警察官は、ボクにはあまり縁がありません。交番から場所も遠いし、縁になることも起きていない。でも近い人には頼りになる人でしょう。ボクの知人で、交番の隣に住んでいていつも親切にしてもらっている人がいます。そして困ることがあるとすぐに駆けつける。これができる人は恵まれている。吉川さんは、そんな警官の訪問にホッとされた。やはり普通の人と警察官は違うのです。権力があるのですから。
 吉川さんが言われるように、近所付き合いも疎遠になってきた。そんな時代だからより警察官は頼りにされるのだろう。大変な仕事だと思うが、やり甲斐はある。住民に寄り添って欲しいと思うのです。