寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3716話) アロハで明るく

2024年08月24日 | 行動
 “青色のアロハシャツを着ていつもの薬局に行った。中年の男性薬剤師に「奇麗なシャツですね」と言われたのがうれしく、照れ隠しから「派手な服装で年寄りくささをカバーしているんだよ」と返した。
 もとは黒や茶、グレーといった地味な色の服を好んだ私だが、70代を機に少しでも老けて見えない服装を考えるようになった。そこで思い付いたのが、所属していたハワイアンバンドの衣装で袖を通したアロハシャツ。ステージではないため青や赤といった派手な配色に気恥ずかしさを覚えたものの、勇気を出して着ている。自分が少しでも若く映り、周囲にいる人の心を明るくできたらいいな。”(7月27日付中日新聞)


 愛知県岩倉市の松波さん(男・85)の投稿文です。老人は明るい衣服を着なさい、最近よく言われることである。昔は逆であった。歳を取るとだんだん地味な服にしていった。それがふさわしいと思われた。派手な服を着ようものなら年甲斐もなく、と非難を受けた。考えるとおかしなものである。どこにこんな理屈があったのであろうか。地味な服を着れば自然気持ちも地味に、後ろ向きになる。明るい衣服はやはり気持ちを高揚させる。
 ボクには娘がハワイに行った時に買ってきてくれたアロハシャツがある。やはり華やかである。長いことタンスにしまわれていた。それを数年前から着だした。先日、古いシャツを捨て、できるだけ華やかなシャツを買ってきた。今はそれを愛用している。本人はやはり明るい気分になる。周りの人はどうだろうか、負けまいと思ってくれるとありがたい。



(第3715話) リーダーになる 

2024年08月22日 | 意見
 “昨春高校に進学した私は主にボランティア活動をする部活動に入りました。コミュニケーション能力をさらに高め、リ-ダーシップを養うという目標を掲げましたが、有言実行できませんでした。後輩ができる前に一度はやっておこうと思い、ボランティア活動のリーダーをやってみました。そこでいろいろな気付きがありました。
 リーダーは、ボランティアの内容をどうするかはもちろん、集合時間や場所を決め、訪問先との調整も1人でやらなけれぱなりません。それができたら、今度は部員にそれらを周知徹底する必要があります。仕事はとても大変だからこそ、活動を終えたときの達成感、充実感はとても大きかったです。
 高校2年生の私たちは間もなく部活でのリーダーとなります。みんなをまとめつつ、自分も一層輝けたらと思っています。”(7月24日付け中日新聞)


 愛知県半田市の高校生・シーブリッジ笑里さん(女・16)の投稿文です。 リーダーになる、その気概を持っていることがまず素晴らしい。そしてこうして投稿する、これでまた気分が高まる。リーダーはやろうと思ってやれることではない。リーダーは格好がいいだけではない。まずはその素養を備わっていなければならない。行動もついてこなければならない。かけ声だけでは誰もついてきてくれない。素養や行動力は一朝一夕でできるものではない。常日頃から養わねばならない。まずは心がけである。 シーブリッジ笑里さんはそれを心がけようとされている。何となく自然についてくることがあるかもしれないが、心がけをも持てはより早いだろう。
 もう気がつかれているようにリーダーは大変である。責任もある。この大変さに、リーダーを逃げる人もある。でも逃げたら人間としての向上は起こらない。高校生である。人生はまだ長い、始まったばかりである。多いに体験し、学んで欲しいものである。



(第3714話) 分け合う心

2024年08月20日 | 教訓
 “主に戦時中と戦後が舞台のNHK連続テレビ小説「虎に翼」を見るたび、子どものときのことを思い出す。小学生だった1950年代半ば、私と2歳下の弟が学校から帰宅すると台所の戸棚を開けた。たいていふかし芋が一つ置いてあり、にぎり飯のときもあった。これらは農業をしていた今は亡き母が用意してくれたもの。農作業を終えた母が家に戻って、準備した夕食を皆で囲む際、私たちに「食ったか?」と尋ね、仲良く分け合って食べたかを確認するのが常だった。
 時は流れた。やがて、ふかし芋やにぎり飯をあえて二つにしなかったところに母の願いと知恵が込められていることを悟った。生きるか死ぬかの戦争をくぐり抜けた母の「分け合う心を大切にしなさい」というメッセージ。私は隣接市に住む弟とは仲が良く、それを天国の母が見ていてくれたらうれしい。”(7月23日付け中日新聞)


 愛知県豊田市の富田さん(男・77)の投稿文です。2人の子供に一つのふかし芋や握り飯を与える母親。そこには願いが込められていた。豊かになっても2つにはならなかった。兄弟仲良く分け合って食べなさい、というものである。その母の愛も素晴らしいが、その教訓、願いを理解した富田さん兄弟も素晴らしいと思う。十分に食べたい子供の気持ちも分かるが、そこは母の愛である。気持ちを殺して、子供ために良かろうと思うことをする。
 豊かになった。子供の要求を満たしてやろうとするればどれだけでもできる。そして、そうしてやることが子供への愛と思っている親も多かろう。今の子供は耐えることを知らないと、よく聞く。いつまでも今のような豊かな時代が続くわけではなかろう。子供にとって何がいいのか、よく考えねばならない。爺婆も孫に甘いだけではいけない。



(第3713話) 体操で交流

2024年08月18日 | 活動
 “地元の高齢者や子どもら20人以上と毎朝、近所の公園でラジオ体操をしています。ある高齢夫妻が持参したラジカセを使って散歩の合間に体操をしていて、私も含めた他の住民がそれに加わっていき、二十数年続いています。私は少し早めにその場に行き、友人と好きなプロ野球チームの試合や地域の話題を語り合うのが常です。春には公園内の桜の老木2本の前で花を楽しみながら朝食の弁当を広げました。
 東京から愛知県日進市に引っ越して40年。同時期の移住者は多く、皆気兼ねなく過ごせるのがここの良さです。この先も仲間との絆を深めつつ、体操を通じて健康寿命を延ばせたらと考えています。”(7月22日付け中日新聞)


 愛知県春日井市の本田さん(男・87)の投稿文です。毎朝近所の公園で、もう20数年ラジオ体操を続けている。毎朝、子供もいるといわれる。本田さんは87歳である、素晴らしい。時折聞く話ではあるし、ボクも関心があるが、自分のところでそれを想定することは難しい。
 ボクのところでは、朝のNHKラジオ体操に合わせて、今年は夏休みの17日間、寺院主催で行った。老人会が協力している。そうだから実質ボクが中心になっている。もう何十年と続いていることであるが、老人会が協力するようになっては8年目である。毎年参加者が増えていて、今年は平均大人20人、子供40人位であった。昨年から、出席回数に応じて鉛筆を配った。最終日、皆出席の子供さんに階段上に上がってもらった。何と14人いた。ビックリである。皆出席したいという子供さんの声に、家族旅行を延期したという声も聞いた。子供さんを相手にしていると、こちらも楽しくなる。ボクの村ではこんな状況であるが、年中大人を集めて、と言うことを考えると難しい。まずはボクがほとんど出席しなければならない、と言うことを考えるだけでも声が出せない。



(第3712話) 着物孫まで 

2024年08月16日 | 出来事
 “60年大切にしている着物がある。私がその昔勤めた商社では女性社員は新年行事に着物で行くのが恒例だったため、呉服会社で働く三兄に頼んで見繕ってもらった反物を、長兄の妻である義姉に縫ってもらったのがこの着物。地はスカイブルーで、裾にカトレアのようなピンクと白の絵が入ったデザインが気に入った。私は生け花の発表会や友人の結婚式で着たが、この着物は娘や嫁2人もそれぞれ晴れの席で袖を通した。
 兵庫県に住む長男が、高校生の自分の娘にこの着物を着せたいと言いだした。所々汚れていて裏地は色あせていたため、呉服店に持ち込んで相談し、仕立て直してもらうことにした。5月に私の手元に戻った着物は色鮮やかになり、見違えるようだった。孫娘がお盆に帰省した折にでも手渡したら、さて、どんな表情を浮かべることか。”(7月20日付け中日新聞)


 愛知県小牧市の主婦・井上さん(79)の投稿文です。着物は高価なものである、それだけに芸術品と言っていいかもしれない。時にはこの様に何世代も受け継がれていく。まさに日本の文化である。使い捨ての世の中である。それだけにこうした文化をもっと大切にしたい。
 井上さんにはこのように受け継いでいく着物があった。息子さんから娘に着せたいという話しが来た。息子さんもそれだけこの着物に関心があったのだ。無関心ではなかったのだ。嬉しいことである。仕立て直しをして、手元に戻ってきた。お孫さんに渡されたら、この着物はまた生きてくる。またその先に受け継がれていく可能性も生じた。
 わが家はどうなっているか、妻に聞いてみた。娘らは貸衣装で済ませ、今タンスに眠っているという。処分しようかと考えている、と言っている。残念ながらわが家は井上さんのようにはならなかった。



(第3711話) シミ取り

2024年08月13日 | 出来事
 “私が中学2年生だったある日、母と近くの市場に買い物に出かけた。それをクラスメートが見ていたようだ。次の日、同じクラスの女子に「室谷くん、昨日お姉さんと歩いていたでしょ」と言われた。私は絶句した。が、色白で顔にシミ一つない母が若く見えるから、姉弟に見られるのだと自分を納得させた。
 高校2年生の時は、バイト先で大学生だと思われていた。「落ち着いて見えるのかな」と思って、さほど気にしなかった。しかし、である。17年ほど前、母72歳、私50歳の時のこと。入院中の母の見舞いに行ったら「ご主人ですか?」とヘルパーさんに言われた。しかも2回も。これは堪えた。私の顔は、そんなにも老けて見えるのか。
 とどめは55歳の時、当時4歳の孫娘の一言であった。膝の上に乗せていたら、私の顔をじっと見てこう言った。「ねえ、大人になると顔が汚くなるの?」。確かに私の顔はシミが目立つ。「もう何も買ってやらないぞ」と思いつつ、子どもは正直だから仕方がないかと諦めた。私は完全に打ちのめされた。
 先日、長女が小さなペットボトルを買ってきた。「シミ取り」だと言う。しめた、と顔に塗ろうとしたら、妻が「あっ」と声を上げ、制止した。よく見ると「シミ取り洗剤」と書いてあった。やれやれ。”(7月15日付け中日新聞)


 名古屋市の主夫・室谷さん(男・67)の投稿文です。全く愉快な話であるし、後半部は付け足したような面白さである。でも人の本音をついているので取り上げた。実年齢によって、歳より上に見られて嬉しいときもあるし、若く見られて嬉しい時も気もある。人は早く老い、大方は若く見られて嬉しいものであり、逆の場合はショックを受けるのである。母親と兄弟に見られたり、また伴侶と間違われたり、室谷さんは大変だった。お母さんがよほど若く見られたからであろう。母親が若くみられるのも嬉しいことである。でも室谷さんはその弊害を味わったことになる。
 でも室谷さんもこれからである。この母親の子である、若く見られる努力をしなければなるまい。気持ちに張りを持つ、姿勢をキチンとする、若々しい服を着る。実は今、ボクはこれらに気をつけている。立っている姿勢がいいことはよく誉められる。若く見えるのはそのせいかな、と言われることもある。先日、少し派手めなシャツを数枚買ってきた。黒ぽいシャツは捨てた。気持ちの張りは、いろいろ興味を示し挑戦することである。頑張りたい。



(第3710話) 里山整備

2024年08月11日 | 活動
 “地元の工業団地周辺で里山が整備されることになり、4年前、それに関わるボランティア団体が結成されて、私もメンバーとなった。以降、50~80代の仲間20人と月に1度活動している。教師や市議、銀行員などと仲間の経歴は多種多様。話をするだけで視野がぐんと広がった気がする。まずは皆で協力して山の木を切り出して、標高353びメートルの山頂までの登山道をつくった。展望台を建設するための資材運びも手伝った。それから山道沿いにベンチや案内看板を設けた。里山での景観を楽しめるよう、視界を遮らないための伐採を続けている。桜やツツジの植栽もしている。
 私は5月からボランティア団体の副会長。里山整備を通じた地域活性化に貢献すべく頑張る所存だ。”(7月13日付け中日新聞)


 岐阜県土岐市の伊藤さん(男・72)の投稿文です。里山を整備する団体が結成され、それに参加された伊藤さんの投稿である。地域住民がこうした団体を結成することは、本当に素晴らしいことである。誰もが何かで地域に貢献する。この積み重ねが地域の力、魅力になる。これは人のためにもなるが、大きくは自分の為である。豊かな地域で過ごせることは幸せである。
ボクも働いていた頃、県立公園の整備団体に加わったことがある。また環境整備のNPO法人に加入していたこともある。今はそれらは止め、その代わりが老人会や歩く会である。こうしたことに関われて本当によかったと思っている。



(第3709話) ハンセン病

2024年08月08日 | 知識
 “ハンセン病の治療や人権擁護に貢献したあま市出身の医師小笠原登さん(1888~1970年)の足跡をたどるパネルや、患者の支援をしてきた一宮市出身の住職真野正志さん(1939~2004年)が残した絵画などの展示会が、あま市役所で開かれている。12日まで。
 小笠原さんは京都大病院で治療に当たり、ハンセン病が完治する病気などとする論文を発表し、隔離政策にも反対したという。パネルでは、小笠原さんの足跡と現在もある国立の療養所などについて紹介している。
 真野さんは1992年、岡山県の長島愛生園に隔離された体験をした伊奈教勝さんと出会い、95年に伊奈さんが亡くなってから伊奈さんの著書に書かれた言葉を菩薩の絵などに添え て描いた。会場では「私たちは人間を放棄させられ、物として療養所の中に運び込まれた」 「動けば動くのです 動かなければ何も動きません」などの言葉が添えられた絵15枚を展示した。
 絵を貸し出した真野さんの妻孝子さん(81)は「ハンセン病患者だった人も心が温かい同じ人間だということを伝えたかったのでは」と話す。(後略) “(7月9日付け中日新聞)
 
記事からです。小笠原登さんについて、一宮友歩会の例会でその生家であるあま市の円周寺で話しを聞いたことがある。またこのパネルが尾西歴史民俗資料館で展示されたときにもに行った。真野さんは、ボクの地元の人であり、孝子さんは知り合いである。こういう時代のあったことを忘れてはいけない。
 何事もその人にどうしようもないことで差別することはしてはならない。性別、人種、そして病等々。このように間違った施策のこともある。国においてさえである。この話は昔のことである。今やSNS全盛の時代である。片寄った意見、間違った情報、言いたい放題のようである。言われた方はもう回復のしようがないほどである。直接関わりのないことや責任の持てない他人事に意見を言うのはよほど慎重でなければなるまい。



(第3708話) ルール無視

2024年08月06日 | 教訓
 “車を運転して自宅近くの狭い道を走行していた5月下旬の午前中のことです。信号のある父差点に差しかかり、見通しが悪いこともあって速度を落としたら、一方通行を逆走する自転車が交差点内に入ってきました。私は急ブレーキを踏んで何とか接触を回避しましたが、自転車の若い男性は何事もなかったかのように走り去りました。
 20年ほど前のトークショーで元F1レーサーが言っていたことを思い出しました。「時速200キロ以上で走るのは怖くないですか?」という聴衆の質問に、「一般道の方が怖い」と答えていました。交通ルールを守らない運転者は、一般道の方がはるかに多いからだそう。私は改めて安全運転の大切さをかみしめ、交通ルールの順守を誓いました。”(7月8日付け中日新聞)


 岐阜県大垣市の武井さん(男・67)の投稿文です。交通ルールの遵守については、永遠に続く課題でありそうである。気をつけている人は気をつけているし、守らない人は守らない。守らないどころかわざわざ乱暴な運転をしている。スリルを楽しんでいるのであろうか。交通事故は命に関わることだということを忘れているのだろうか。そして勘違いもある。高齢者は特にありそうである。そして車以外に、自転車や歩行者のこともある。いくら気をつけてもつけきらない、こともある。
 実はボクは、先日始めて交通違反で違反切符を切られた。一時停止違反である。一時停止しなかったわけではない、停止線より少し前に出ていたのである。その時は何も言わなかったが、ボクに言わせれば停止線の位置が少しおかしいのである。交通安全は規則を守ることが重要ではなく、、その場の状況判断が重要である。でもまず規則を守ってその上と言われるであろう。ゴールドが消えた、残念である。



(第3707話) 家電の歩み

2024年08月04日 | 知識
 “北名古屋市の昭和日常博物館で、昭和のキッチンを彩った家電製品を集めた企画展が始まった。現代の食卓にも通じる家電の歩みを学べる。9月16日まで。
 会場には1950~80年代ごろの炊飯器や電子レンジ、電熱器などの家電約260点がずらり。各家庭への電気の普及や洋食文化の定着とともに個性豊かな家電が続々と登場。家事労働の時間短縮にも貢献した。
 展示は家電を「煮る」「蒸す」「焼く」「揚げる」といった調理法で分類した。熱かんを作る「酒かん器」や、1台でトーストと目玉焼き、ホットミルクのモーニングセットを作ることができる東芝製の「スナック3」など、ユニークな製品も並ぶ。実際に学芸員が「ゆで卵機」や「自動缶切り機」を使う動画も放映しており、かつてのキッチンを想像して楽しめる。(後略)”(7月6日付け中日新聞)


 記事からです。この博物館には数度行ったことがある。我々世代にとっては全く懐かしいものが揃っている。ボクの家に今もあるものもあるであろう。同世代で行けば話の花が咲く。一宮友歩会では平成19年12月例会で行っている。そして、来年2月例会で行くことを今検討している。平成19年のリメイク版である。昭和時代の変化は凄まじいと思っていたが、いまやもっと凄まじい。1950年代のテレビ、洗濯機、冷蔵庫を三種の神器などと言ったことは全く懐かしい。そんなものが並んでいるのである。そして次から次へと物を変えながら新神器、新新神器と言ってきたが、今は何であろう。人間は素晴らしいというのか、とどまるところを知らない。



(第3706話) トリセツ

2024年08月02日 | 知識
 “動画投稿サイトを介して自動選曲されて配信された曲をイヤホンで聴きながら散歩するのが最近の日課です。5月末、歌手西野カナさんが2015年に発表した「トリセツ」が流れました。トリセツとは取扱説明書のことで、男性にどう接してほしいかを女性が切々と訴える歌詞に共感しました。急に不機嫌になり、放っておくと怒り出すなんてところは自分そっくりだなと思いました。
 帰宅後、この歌のことを夫に話し曲を聴いてもらいました。すると「全く歌詞の通りだね」と夫は笑いました。さて、夫のトリセツなら、どんな言葉が並ぶのでしょう。互いのトリセツを理解し合うことこそ夫婦円満の秘訣です。“(7月4日付け中日新聞)


 名古屋市の主婦・平松さん(72)の投稿文です。まずは「トリセツ」と言う言葉を知ったのは、最近である。そして取り扱い説明書というのは、、電気器具等器具類のことと思っていた。ところが「トリセツ」は何にでも使われているのである。西野カナさんの歌も調べてみた。男性の女性の扱い方の歌であった。2015年と言われるともう10年も前である。ボクもかなり時代に乗り遅れていることを感じざるを得ない。
 男性の女性の扱い方の歌があれば、女性の男性の扱い方の歌があってもいい。ボクにはまだ良い面でも悪い面でも女性を男性と違った扱いになっている気がする。これも時の流れであろうか。前向きな「トリセツ」なら、夫婦円満の秘訣にもなろう。



(第3705話) 布製カバー

2024年07月31日 | 知識
 “自転車に乗るときのヘルメット着用が昨年春から努力義務となりました。私はおしゃれも兼ねてチェック柄の布製カバーをヘルメットにかぶせてきましたが、雨に遭ったり経年劣化もあったりして傷みが目立ってきました。代替を考え始めたとき、愛知県警のホームページにカバーの型紙が掲載されていることを知り、それを基にして隣宅に住み裁縫が得意な次女に製作を頼みました。
 次女は裏返しても利用できるカバーを二つ作ってくれました。一つは表裏がピンクとブルーの夏用、もう一つは冬用でデニム生地の紺と白のリバーシブル。ともにおしゃれで、夏の日よけや、冬の防寒にも役立ちそう。何より次女に守られているようで私は安心して自転車をこぐことができています。”(7月4日付け中日新聞)


 愛知県愛西市のパート・荒川さん(女・60)の投稿文です。自転車のヘルメットが義務化され、している人も次第に増えてきた。ただ女性には見かけや髪が乱れるので抵抗が多かろう。そこは知恵である。この投稿がその一つであろう。ヘルメットにきれいな布をかぶせる。そうすればおしゃれの一つにもなる。おしゃれとなるとまたいろいろ知恵が出てくる。それが女性である。
 ボクはほとんどの人がヘルメットをかぶっていない平成29年からかぶるようにした。その年老人クラブ連合会長になり、自転車で地域を回ることが多くなった。見本を示す意味でもかぶるようにした。それ以来かぶっているが、一向に増えなかった。義務化されて次第に増えていった。車を放棄した高齢者には自転車は貴重な乗り物である。でも危険である。ヘルメットをかぶり、十分に注意して乗りたいものである。



(第3704話) 交換ノート

2024年07月29日 | 行動
 “高校のクラス会が数年ぶりに開かれた4月以降、同級生十数人で無料通信アプリを介しメッセージのやりとりができるグループをつくって近況報告をし合っている。書き込みは孫の成長をはじめ健康、親の介護、趣味やコレクション、読んだ本とさまざま。趣味という短歌や手芸、好きな音楽を上げる仲間もおり、その行間から普段の生活ぶりが伝わってくる。私も最近印象に残った映画や新聞記事を紹介した。それこそ高校生のときに班で回していた交換ノートみたい。
 時折、同級生の意外な一面が見られるのが楽しい。この先もメッセージのやりとりを通じ、仲間との絆をさらに深めていきたい。”(7月2日付け中日新聞)


 岐阜市の主婦・中川さん(65)の投稿文です。同級生十数人で無料通信アプリを始められた。その機能に驚きであろう。新たな世界に舞い込んだ気分であろう。高校生のときに班で交換ノートを回していたと言われる。ボクにはそれも驚きであるが、その体験からすれば無料通信アプリは雲泥の差を感じらるだろう。交換ノートは時間を要するが、アプリは即である。その利便性は言うに言えなかろう。時代の流れである。
 でも一歩振り返れば、これが良いか悪いかは分からない。ボクは無料通信アプリ・LINEを使っているが、その即さが嫌なときがある。ゆっくり考える時間を与えない。ボクはEメールをよく使うが、メールを受け取った後、返信は翌日が多い。その間、考える。また書いて送るまで推敲する。しまった、と思うことや間違いは少ない。賢いのはうまく使い分けることであろう。



(第3703話) 私も冒険

2024年07月27日 | 行動
 “愛知県一宮市の小学校が催す生き方講演会へ特別に参加させてもらいました。講師は同市出身のミュージカル俳優鈴木ほのかさん。迫力ある声量での透き通った歌声がいざ披露されると児童から歓声が上がっていました。ミュージカル観劇をきっかけに今の仕事に就いたそうですが、オーディションになかなか合格できず苦労した時代もあり、演技の勉強を懸命にして夢をかなえたといいます。「諦めずに続けることが大事。やると決めたら冒険してみよう」というエールは大人の私にも響きました。
 私は昨年春、中学校校長を最後に教師を定年退職し、現在は別の世界を知ろうと福祉業界を志す学生が集う専門学校職員になりました。私も「冒険」します。”(7月2日付け中日新聞)
 
 愛知県稲沢市の専門学校職員・川口さん(男・61)の投稿文です。川口さんは、中学校の校長を退職された後に専門学校職員になられた。この転職は川口さんにとって別の世界と言われる。別の世界となれば大きな変化である。当然冒険が必要になる。「やると決めたら冒険してみよう」と言う言葉が励ましになる。一度の人生、どう過ごすかはそれぞれである。同じことを少しでも長く続ける道もあろうし、このように別の世界を知ろうという道もある。どちらが良い悪いではない、その人の考えと境遇であろう。川口さんの健闘を祈りたい。
 ボクは何か今、いろいろなことが開けている気分がある。この歳で何も新しいことをしているわけではないが、今までしてきた体験が次に繋がっている気がする。小さなことでも新しいことは冒険である。その冒険を恐れない気持ちが大切であろう。



(第3702話) キャンプ

2024年07月25日 | 行動
 “長女と三女、私たちの計3家族の9人で5月、滋賀県甲賀市の公園キャンプ場に行きました。発起人は長女の夫で、自分の両親がともに高齢となり、過日旅行に誘ったら断られたそう。そこで、せめて義父母に当たる私と夫にはいい思い出をプレゼントしたいと考えたようでした。
 皆でテントを張って、川で水遊びをしたり園内を散歩したりしました。昼食は長女の夫がバーベキューを用意してくれました。肉や野菜、そばはどれも焼き加減が良くておいしかったです。予定した滞在時間の6時間はあっという間で、2歳から中学生までの孫3人も大喜びでした。「また皆で出かけようね」と約束してキャンプ場を後にしました。”(6月28日付け中日新聞)


 滋賀県甲賀市の主婦・橋本さん(71)の投稿文です。橋本さんはいい思い出を作られた。発案は、長女のご主人であった。ボクはここに気を引かれた。自分の親を誘ったら、高齢を理由に断られた。そこで気がつかれた。親はいつまでも元気ではない。それこそできるときにする。思った日が吉日である。高齢者に明日はない。若いときは自分のことで忙しく、親どころでない。そして余裕ができたときにはもう親は動けない。こんな家族がどんなない多いだろうか。
 ボクは2人の娘があり、2人の娘に親は6人いることになる。1人はもう10数年前に亡くなった。そして2人は今年に入っておかしくなった。そのうちの1人は今大騒ぎである。娘や婿に言っておかねばいけない。親孝行するなら今だぞ、と。と言うことではない。娘たちが気づくかどうかである。