闇に響くノクターン

いっしょにノクターンを聴いてみませんか。どこまで続くかわからない暗闇のなかで…。

サントリー・ホールで大家さんとデート

2008-02-23 17:38:15 | 雑記
新しいアルバイトをはじめて二週間、まだなかば研修中の身ではあるが、仕事にも職場環境にもだいぶなれてきた。新しい職場の戦力として役立っているといえないのは残念だが、先輩、同僚がこの調子でいけばすぐに仕事に慣れるから大丈夫と言ってくれるので、なんとかないけるのではないかと楽観している。
PCへの入力業務の際にカナ入力を受け付けないということは最初ちょっとあせったが、入力内容は、フォーマットに従って数字を中心に入力するものであり、文字入力の比重が比較的軽いので、これにもなんとか慣れてきた。
慣れないのは出勤時にまずタイムカードを押すことで、今週だけでも二度も押し忘れてしかられてしまった。でも、このくらいはなんとかなるだろう。

ということで、今週は退社後もさほど大きな疲労感がなく順調に過ごしていたところ、大家さんから、木曜日のN響の定期公演に誘われた。コンサートもだいぶご無沙汰しているので、このお誘いにはありがたく乗らせていただいた。
曲目はオール・モーツァルト・プログラムで、セレナード第10番、歌劇「イドメネオ」のバレエ音楽、交響曲第40番の組み合わせ。会場はサントリー・ホール。きけば、大家さん一家は昔からN響の定期会員とのことで、会場が上野の文化会館の時はお母さんも聴きに行くが、サントリー・ホールだと少し遠いので、いつも、興味ありそうな人に声をかけて代わりに行ってもらっているのだという。これまで私は夕方からアルバイトをしていたので、一度もその声かけの対象とならなかったのだが、アルバイトの時間帯が変わったので、これからは他に希望者がいないときは優先的に誘ってくれるとのこと。ありがたい。ちなみに大家さん一家の指定席はサントリー・ホール一階の9列目で、指揮者、演奏者の動きや表情が文字どおり手に取るように読み取れる。
今回の指揮者は、ベルリン・フィルのソロ・オーボエ奏者をつとめていたハンスイェルク・シェレンベルガーで、セレナードは、自身もオーボエを吹きながら指揮をした。この曲は10人ほどの奏者による小編成の演奏だったが、それを聴くには、ホール9列目という席がまさにぴったりだった。
交響曲の方は、レコードやCDでは良く聴くおなじみの曲なのだが、生のオーケストラで聴くのははじめてで、こちらもとてもおもしろかった。演奏は、全体がやや速めの引き締まったテンポによる現代的なもので、第三楽章のメヌエットでトリオの部分を浮き立たせるところに、シェレンベルガーの独自性を感じた。

終演後は、大家さんと二人、サントリーホールの前にあるオー・バッカナールという軽食バーにしけこんだが、たまたまフランス人とおぼしきギャルソンがオーダーをとりにきたので、大家さんと二人、フランス語でオーダーしたりして、とてもおもしろかった。
オー・バッカナールには、なんだかんだといって結局オーダー・ストップまでいたのだが、中年の男女が親しげに話しをしているのをみて、ギャルソンたちは夫婦か恋人同士とおもっていたのだろう。割り勘で別々に会計するといったら、きょとんとしていた(笑)。

この気分転換が利いたのか、翌日のアルバイトも、けっこう忙しかったにもかかわらずとてもスムーズにこなすことができた。

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2 コメント

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Rendezvous (Bill)
2008-02-26 23:26:59
バッカナールでおしゃべりとはお洒落でいいですね。割り勘てのがこれまたChic!! Rendesvous文化会館は仏蘭西の匂いがしないけど。ま、いいか。
Rendezvousってさ英語でも使うじゃない。で、with
なんかで受けちゃうとさ、なんだか民度の低い言葉に聞こえてしょうがないですね。フランス語ってよくわかんないけど、エッチでいい感じでしょ。アザブジュウバーンみたいな感じ。数の数え方が複雑な言葉を話せる人ってステキ。

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不便さの美学 (闇太郎)
2008-03-01 00:32:01
数の数え方が比較的合理的なイギリスだって、ちょっと前までは1ポンドが20シリングで、1シリングが12ペンス(1ポンド=240ペンス)だから、お金の数え方がオカマチックで、とても美しかったとおもうんですね。それがいつのまにか、1ポンドが100ペンスになって、全然美しくなくなってしまいましたね(笑)。
昔、銀座松屋の標語に「便利はうれしい、不便は楽しい」というのがあったようにおもいますが、不便の楽しさ、不便の美学が忘れられていくのは、なにかとてもさびしいです。
言葉の問題に限って言っても、たとえばフランス語という言葉には、英語に比べるとわけのわからない規則がたくさんあって、初心者にはものすごくとっつきづらいんだけど、いったんそのなかに入っていくと、とっつきづらいからとても楽しいんですね。
そのなかでも、形容詞が修飾する名刺の性・数によって変化するといった規則は、一見とてもわずらわしい感じがするんですが、フランス語やイタリア語になれてしまうと、形容詞の変化がない言葉って、あまりにもつるんとしてて、なにかものすごく不安になってくるんです。
同性愛もそうだけど、機能だけでは説明できないものは、なにかそれなりの不要の要、不要の美というのがあるんじゅないでしょうか。それをあまりにも機能だけでみていくのは、ちょっと寂しい感じがしてしまいます
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