闇に響くノクターン

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18世紀人からみたタヒチ人の嘆き

2008-03-08 00:55:47 | テクストの快楽
当ブログの記事「呑珠庵ーーサドとモーツァルトを結ぶもの」(2007年3月1日付)に対するいしやまてらみかさんの投稿を機に、『百科全書』の編集者として知られる18世紀フランスの哲学者ディドロ(1713-84)の著作『ブーガンヴィール旅行記補遺(ブーガンヴィル航海記補遺)』を読みかえしてみた。久しぶりに読んだこの『補遺』が刺激的でとてもおもしろかったので、以下に、その抜き書きを記しておく。なお、この著作が書かれた経緯については、いしやまてらみかさんへの私の返事をご参照いただきたい。また、ブーガンヴィル(ブーガンヴィール、1729-1811)とその旅行記については、ウィキペディアに要領のいい説明があるので、そちらをご参照いただきたい(抜き書きは、佐藤文樹氏の訳<『ディドロ著作集第一巻』法政大学出版局>による)。

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著作は、AとBという二人の男の会話からはじまる。最近ブーガンヴィールの旅行記を読んだところ非常におもしろかったというその会話は、この旅行記にはさらに『補遺』があるという展開になり、二人でいっしょにその『補遺』を読むという設定で、『ブーガンヴィール旅行記補遺』が紹介されていく。なお、ABの二人は、その後もたびたび『補遺』を読むことを中断して、それに対する意見などを交わすという構造になっている。

ではさっそく、作品中で紹介される『補遺』本文をみていくことにしよう。それはタヒチの老人の次のような嘆きではじまる。
「泣くがいい、情けないタヒチ人たちよ!泣くがいい。しかし、泣くのは、野心を隠した心のよこしまなヨーロッパ人の到着のときであるべきで、その出発のときであってはならないのだ。いつかおまえたちにも、ヨーロッパ人というものがもっとよくわかるだろう。いつか、この連中は、ここにいるものの帯につけている木片[船隊付司祭の帯に下げたキリスト十字架像のこと]を手にし、あちらこちらにいるものの脇にぶら下がっている鉄[腰にさげた剣のこと]をもう一方の手に持って、おまえたちを縛り、おまえたちの首をしめ、さもなければ、あの連中の途方もない習慣や悪徳に従わせようと、再びやってくるだろう。いつかおまえたちはこの連中と同じように堕落した、下劣な、さもしいものになって、あの連中に奉仕するようになることだろう。(中略)
 (ブーガンヴィールに向かって)山賊どもの首領よ!すみやかにこの岸から船を遠ざけるがいい。わしらタヒチ人は無垢だ、わしらは幸せだ、そして、おまえにできることといったら、わしらの幸福をそこなうことだけだ。わしらは自然の本能だけに従っている。それなのにおまえは、わしらの魂からその特徴を消し去ろうとした。ここでは、すべての物が万人のものだ。それをおまえは、わしらに、「おまえのもの」とか「おれのもの」とかいう何だか区別のはっきりしないことを教えこんだ。(中略)
 わしらは自由だ、それなのにおまえは、この土のなかに、わしらが将来奴隷となるという証書をこっそりと埋めた。おまえは神でもなければ、悪魔でもない。奴隷をつくろうとするとは、一体おまえは何者なんだ?この連中の言葉のわかるオルーよ!この金属の板に書かれていることを、わしに話してくれたが、それをみんなに伝えてくれ、<この国はわれらのものなり>と書かれていることを。この国がおまえのものだと?それは一体どうしてなのだ?おまえがこの国に足を踏み入れたからだというのか?もしいつの日か、タヒチ人がひとりおまえたちの国の岸に上陸して、おまえの国の石か、木の皮に<この国はタヒチの住民に所属するものなり>と彫ったとすると、おまえはどう思う?それは確かにタヒチ人よりもおまえのほうが強い。だが、それが何だというのだ?」

次にこの老人の言葉のなかに出てくるオルーがヨーロッパ人司祭に向かって言ったキリスト教や結婚制度に対する疑念が記される。
「わたしには、あなたが宗教と呼んでいるものがどんなものかわからない。しかし、わたしは宗教というものを悪く考えないわけにはいかない。それは、至高の主である自然がわれら人間すべてに勧めている罪のない楽しみを味わうことをあなたに禁じているからだ。(中略)
 実際、わたしたち人間のうちにある変化というものを禁止する教説ほどばかげたものはないと思わないか?不変性というわたしたちのなかには存在し得ないものを命じ、雄と雌との自由を、永久に両者に結びつけることによって、侵害する教説ほどばかげたものがあるだろうか?同じ個人にたいして、享楽の中でももっとも気まぐれな享楽を制限する貞節とか、つねに変化している大空の下で、いつ廃虚となってしまうかわからない洞窟の下で、いつかは崩れて粉となってしまう巌のもとで、枯れてひび割れてしまう木の陰で、あるいはたえず揺れ動く石の下で、たがいに交わす肉体をそなえた二つの存在の不変の誓いほど、ばかげたものがあるだろうか?」

また、オルーには近親相姦がなぜ罪とされるかわからず、司祭を問いつめる。
オルー「さあ、返事をしてくれ、「近親相姦」というのは、どういう意味なんだ?」
司祭「だが、「近親相姦」は…。」
オルー「「近親相姦」は?…。あなたの言う例の頭もなければ、手もなければ、道具ももたない偉大な創造者が世界をつくったのは、古いことか?」
司祭「いいや。」
オルー「その創造者は、全人類を同時につくったのか?」
司祭「いや、ちがう。はじめはただひとりの女とひとりの男をつくっただけだ。」
オルー「その二人には子どもがあったのか?」
司祭「もちろんだ。」
オルー「では、その最初の両親が、女の子だけしか持たないで、子どもたちの母がさきに死んだとしよう。あるいは男の子だけしかいないで、妻が夫をなくしたとしよう。」
司祭「困った質問をするね。だがいくら君が言っても無駄だよ。「近親相姦」は憎むべき罪だ。で、ほかのことを話することにしよう。」
オルー「冗談を言ってはいけない。」

最後に、二人の話ははじめの話題に戻って、修道士の禁欲生活が批判の対象となる。
オルー「あなたには、少なくとも自分が男でありながら、どういう理由で自ら進んで自分自身を男でないような羽目におちいらせたのかはわかっているはずだな?」
司祭「それを君に説明するとなると、それは長くなりすぎるし、むずかしすぎる。」
オルー「それで、修道士は、その生殖不能の誓いに忠実に従っているのか?」
司祭「いいや。」
オルー「わたしもそう思っていた。女の修道士もいるのか?」
司祭「いる。」
オルー「従順さは、男の修道士と同じくらいか?」
司祭「男よりももっと制限されている。女の修道士は、苦しみで干からび、悩んで死んでしまう。」
オルー「自然にたいする侮辱は、その復讐を受けるのだ。ああ、醜い国よ!あなたの国で、もしすべてがあなたが話してくれたように処理されているとしたら、あなたがたはわたしたちよりもずっと野蛮だ。」

ここまで『補遺』の原稿を読み終えたABの二人は、その感想を語る。
B「もし君が暴君になりたいと思うのなら、人間を文明に導きたまえ。できるだけ自然に反するモラルで人間を毒したまえ。あらゆる種類の手桎足桎をはめるがいい。人間の自然感情をたくさんの障害物で塞ぐがいい。人間をおびやかすような幻想を懐かせるがいい。心の中の内乱を永遠につづけさせるがいい。そして、自然の人間がいつも世俗的な人間の足下に鎖でつながれるようにしておくことだね。それとも君は、人間が幸福で自由なことを望むかい?それなら人間の問題に干渉してはいけない。思いがけない偶発事から人間を知識と堕落のほうへ追いやることがあるからね。そしてね、あの賢い立法者たちが現在のような君を作りあげ、こねあげたのは、君のためではなく、彼らのためであるとあくまでも信じていたまえ。ぼくのほうは、あらゆる政治制度、市民制度、宗教制度に従うことにする。君はそれらの制度を仔細に点検してみたまえ。そうすると、ぼくはひどいまちがいをしていることになるし、君はそこにひと握りの詐欺師どもが人類に課そうとたくらんだくびきに、何世紀にもわたって人類がつながれてきていることを見ることだろう。秩序立てようとする人物には警戒したまえ。秩序立てるということは、つねに他の人びとの自由を束縛することによって、他の人びとを支配することなのだ。」

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ちなみに、この『補遺』には、「倫理的観念を含まないある種の生理的行為に、倫理的観念を結びつけることの不都合なことについてのAとBとの対話」という副題がつけられている。キリスト教とそれに由来する性道徳、結婚制度に対するディドロの強い批判の一端は、以上の抜書きからもはっきり読み取れるだろう。

また個人的には、この著作の冒頭に記されているAとBの次のような会話も、明確な進化論が成立していない段階で進化論を予感させる疑問や発想がどのようにうまれてきたかを考えさせるという点で、非常に興味深かったことをつけくわえておく(この問題が、キリスト教批判の論拠のひとつとなっていることはいうまでもない)。
A「ブーガンヴィールは、大陸からおそろしく離れた島々に、ある種の動物の棲息していることをどう説明している?誰が、狼や狐や犬や鹿や蛇を、そこへ持っていったのだろう?」
B「彼は説明は何もしていない。事実を述べているだけだ。」
A「では、君は?君はそのことをどう説明する?」
B「ぼくらの地球の原初の歴史を知っているものがいるだろうか?現在孤立している地球上のどれほどの土地が、昔は、大陸と陸続きだったのだろう?何らかの推測の手がかりとなりそうな唯一の現象は、そういう島々を切り離している海の流れの方向だね。」
A「どうしてそうなんだい?」
B「地すべりの一般的法則によってさ。」

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なお、ブーガンブィルの『世界周航記』とディドロの『ブーガンヴィル航海記補遺』は、「世界周航記シリーズ」のなかの一巻として、岩波書店から一冊の本にまとめられて刊行されている↓。
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/X/0088530.html