ジッカに帰ってきてはや1週間が経った。
いや~、なんだろう。
どうも、なんだか、、。
頭がぽっかりしている、というか。
しなくてはならないことってのがここではない。
未来の予定?というのか、そんなのが無くただ毎日おいしいものを食べたり、親や兄弟、幼なじみやここらに住む第2の父母たちとしゃべったり、、。
緊張することもなく、なんだか、ぴんと張っていたものがもう姿さえないかのようで。
いつもは大抵自分ひとりで暮らしている大学の生活が頭から完全には抜けず、どこかいつも想っていたものだが、この夏はなぜかあんまり考えないというか、想うこともない。
別にわざと想いたくないから忘れているとかでもなく、ほんと、ぽーんとしているのだ。
それをそんなにも悪い感じに感じていることもない。
一人暮らししていると、当たり前だけど、ほんと自分のことばっかなんだ。
じぶんじぶんじぶんじぶん、、、。
ずっと頭の中じゃ自分のあれこれに頭を悩ませて、勝手にもがいたり、勝手に喜んだりしている。
けど、ジッカにいると、私が自分自分する前に、ハナ(愛犬)が「くわ~」とあくびをする。
はなくろ(愛猫)が「んみゃぁ~」と甘えた声を出してはご飯をねだる。
おばあちゃんが部屋の真ん中でせっせと縫い物に励んでいる。
兄がどたどたと廊下を歩いてくる。
やらやら、とりあえず、自分だけでなにかが始まったり終わったりしないんだ。
ちょっとよくわかりにくい文章だとは思うけど、なんて言ったらいいのだろう。
あー、これが共に暮らす、共に生きるということなんだろうと思うんだ。
一人で暮らしていると、とっても楽なんだけど。
自分のことしか気にしないでいいし、周りが自分がする何かにいちいち口を挟んだり、視線をよこしはしない。
ほんとうに自分の思い通りにやってたらいい。
自分は自分の思い通りにやろうなんて思いもしないまま、やってしまっているからこそ、とっても楽だし、居心地もいい。
だけど、やっぱり、共に生きるってことを求めるのはなんだろう。
私がひとつくしゃみをしたり、せきをしたり、ハナがあくびをしたり、はなくろが甘えた声を出す、そんなささいなちょっとした音にも誰かが応える。
当たり前だけど、一人暮らしの中とは違って、人を意識してのくしゃっみだったり、咳が出てたりする。
周りに気にしてほしいのだろうな。
周りが気になりもしているのだろうし。
なんか、このことが面倒に感じることもしばしばだけど、それに救われている、というか、それに甘えたり求めたりもする。
面倒だけど、あったかいというか、これがほっこりするってことだな、と思う。
だけども、本でも読んで頭くらいは動かさなくちゃいかん、ですかね。
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