ことばにならない風の声

今日もどこからか風はやってきてやがてまたどこかへいくだろう。
何に向かっているのか己でさえもわからずに、、。

サイクルについて。

2011-07-01 14:48:23 | 日記




まず、種差別とは、ヒトとそれ以外の動物とで差別することをいう。
二大種差別とは、動物食、動物実験のこと。
そんな話をテーマに授業は始まった。

「いのちの食べ方」という映画がある。
私も耳にはしていたけど、観たことはなかった。
昨日、『現代社会と倫理』という授業で先生がその映画の一部分をかいつまんで30分ほど見せてくれたのだが、、。


正直、とても衝撃的だった。
その映画は、一切の説明が加えられておらず、工場畜産のようすがまるまる全部そのまま映像に映し出されていた。
流れる音は、常に活動している機械音と動物たちの声だけだった。
食用のにわとりが生まれてから、人が食べるときの状態までの過程、
牛の、豚の、解体の過程、人工交配の様子、
この文だけでは伝えきれないなまなましいグロテスクさは異様だ。


んー。
私は、その映像を観てもなお動物を食べることをやめはしない。
けど、その映像を観てから、今日からベジタリアンになる、と言う人も少なくないだろう。


けど、お肉を食べる人も食べない人も人間として、それを観る必要があるんじゃないかと思えた。
別にその映像でなくてもいいのだけれど。
こういうことをしているのだ、ということを知る必要があるんじゃないか、と。

お魚にしろ、鯛がどんな格好をしたお魚かも知らず、鯛の切れ身しか見たことがなくって、その切れ身が鯛だとしか思えないのは、いかんよなぁと。


けど、そしたら、私調理したあとのしか知らないものって、たくさん食べてる。
なんにも知らずにわからずに食べてる。
やっぱしそれって、食べられるものからしたら、「貴様、無礼な!」と言われても仕方ないのじゃないか。
そういう無礼なこと、知らないうちにたくさんしてる。

動物もお魚も何もこっちに言ってこない、言えない。そのことさえもわからずに。



先生が、その映像を見せる前に、「自分を地球人ではなくって、宇宙人と思って見てみてください。」と言った。
そういうふうに見なくても、同じ人間としてそこで働く人々がいやにタンタンと仕事をこなす様をみて、どう言っていいのかわからないけど、
うーん、ほんと、なんだろ、うーむむ。その様はやっぱし、かなりのショックを受けるのだった。


いやー。動物実験にしても、化粧品のためだったり、医薬品のため、いろんな便利なものの開発、研究のために、
様々な生物が過酷な実験を受けている。

特に心理実験などは、その実験内容の結論の無意味さは異常だ。



そんなことを仕事にして生きている人がいて、その人たちの労働のおかげで、いま私はこの世界で生きている。
当たり前なようで、その循環、まわりまわって、めぐりめぐって、というこの目に見えないサイクルは非常におそろしい存在としてある。
自分がどうそのサイクルに加わっているのか、わかりにくいからこそこわいものとしてある。


一本の木を見るにして、全体の森を見るんだ。
全体の森を見るにして、一本の木を見るんだ。