青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

波止場にて 宇高連絡 夢偲ぶ

2020年02月22日 12時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(波止場に立てば@高松港桟橋)

旅先の朝はいつでも早い。身支度を整え、朝6時を過ぎたところでホテルを出た二日目の朝。ことでんの沿線に向かう前に、高松港に来てみました。瀬戸内海に浮かぶ直島と豊島行きのフェリーが発着する桟橋。高松と言えば、かつては夜も昼もなくひっきりなしに本四間や瀬戸内の島々へ向けて多数のフェリーが往復していました。その頃の港の賑わいを偲ぶにはふさわしいような、波静かな高松の朝です。

昭和の時代までは、国鉄の宇高連絡船が高松~宇野を1時間、「急行」と言われたホーバークラフトが30分弱で結んでいました。当時は本四間の貨物輸送の大動脈として、乗客だけでなく航走用の貨車がひっきりなしに行き来していたはずの高松桟橋。もう瀬戸大橋が開通して30年も経つことにビックリしてしまう。青函トンネルとか瀬戸大橋とか、列島改造の集大成のような土木建築が次々と竣工したのが昭和の末期でしたよね。

小豆島の土庄(とのしょう)に向かうフェリーが汽笛を鳴らして高松港から出て行きます。曙に染まる瀬戸内の凪の海を蹴ってオリーブの島へ。讃岐高松はうどんの街だけど、島に渡って小豆島はそうめんが有名ですよね。いずれにしろ小麦粉文化の国なのでしょうけど。塩・砂糖・小麦が「讃岐三白」でしたっけ。

明けて行く高松の港。正面に横たわったように見える台地上の山は、源平合戦の舞台で有名な屋島。山なのに島なのか、という疑問は、元々島だったのが江戸時代に埋め立てられて陸地と繋がったからなんだって。アタマがスパッと切り取られているような特徴のある山で、それこそ讃岐富士に代表されるような甘食山タイプとは違った意味で特徴的。隆起した溶岩台地が長年の浸食によって、硬いところの地層だけが残ったためこういう形になったのだそうな。

最盛期には、国鉄の宇高連絡船よりも圧倒的に本数が多かった宇高国道フェリーの乗り場。平成24年に運航休止となった路線です。雨だれに錆び跡残る看板が物悲しい。そもそも、高松の間には、国鉄の宇高航路の他にも宇高国道フェリー、関西急行フェリー、四国急行フェリーの計4路線が就航してしのぎを削って来ました。それだけのドル箱路線であった、という事ですが、昨年の12月に最後まで運行を続けて来た四国急行フェリーが撤退し、伝統の宇高航路は109年の歴史に幕を降ろしました。

今回の旅行は、最終的には岡山から新幹線で帰る予定だったので、タイミングがあれば宇高航路に乗っても良かったんですけどね。間に合いませんでしたね。初日は琴平線を探訪したので、二日目は志度線・長尾線方面に向かうことに致しましょう。

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