青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

さよなら夏の日。

2024年09月05日 17時00分00秒 | 西日本鉄道

(オキサイドイエローの競演@名島駅)

九州らしいパンチの効いたとんこつラーメンを啜った後は、再び橋を渡って名島の駅から貝塚線へ。名島駅は平日の日中ダイヤでは必ず列車交換をおこなう駅で、貝塚行きが新宮行きの電車を待って発車します。今でこそ博多の小さなローカル電車・・・という雰囲気の貝塚線ですが、1992年(平成4年)には年間1,200万人の輸送実績を挙げたバリバリの福岡都市圏の通勤路線でした。そこから僅か15年で、年間600万人まで輸送人員が落ち込むという極端な減少カーブを描くのですが、1992年のピークの頃は、並行するJRがまだ都市圏の近距離輸送にはあまり熱を上げていなかった時代の話で、鹿児島本線も旅客列車の本数が少なかったんですよねえ。鹿児島本線の近郊輸送の増強とそれに伴う宅地開発は、海沿いではなく鹿児島本線の線路から山側に向かっておこなわれ、それが宮地岳線沿いの旧市街地の陳腐化を招いたというのもあるでしょう。新型車両を導入し本数を増やしたJRは、博多直結で宮地岳線より圧倒的にスピードが速く、宮地岳線が貝塚~津屋崎を40分で走るのに対し、JRの快速は博多~福間が20分ちょい。どうしても大牟田線のお古ばかりが回される後ろ向きな設備投資と、貝塚での乗り換えが必須になる輸送形態と、単線で速度を上げられない宮地岳線の線形では、さすがに天下のJRに対してはが立たなかったというのが実情でしょうか。

名島を出ると、線路はJRの鹿児島本線に沿って高架となり、西鉄千早・香椎宮前・西鉄香椎と福岡市街の高架駅が続きます。西鉄香椎で2回目のすれ違い交換。日中の15分ヘッドでは名島・香椎・和白で交換をおこない、そして終点の西鉄新宮で段落としの運用が行われています。貝塚線で使われている車両は600形で統一されているので、車種による妙味みたいなものはありません。現在でこそライトケースに収まる横並びの丸型ライトが特徴の600形ですが、デビューの頃はオデコの一灯大型ライト。行先表示器は現在の車番が刻印されている「ヘソ」の位置についていて、今でいうところの神鉄の1000系列のような顔をしていたそうです。同じ神戸の川崎車輛の製造で、製造された年次もごくごく近いとなれば、相似のデザインの車両が生まれていてもおかしくはない話ではあります。

西鉄香椎から先、地上に戻って香椎花園前。ここには、博多湾鉄道汽船株式会社が開設した「香椎チューリップ園」を源流とした西鉄直営の遊園地「かしいかえん」がありました。福岡市内唯一の遊園地として長らく市民に親しまれていましたが、レジャーの多様化によるファミリー層の遊園地離れによる入場人員の減少と施設の老朽化にコロナが直撃し、2021年12月いっぱいを持って閉園してしまいました。夏休み、子供たちで賑わったであろう「かしいかえんプール」の跡を横目に走る貝塚線の電車。きっとシーズンは大勢の子供たちの歓声の坩堝になっていたに違いない光景です。そう大きくはないけれど、子供が楽しむには十分なサイズ感のプールだったそうで、骨組みだけになったプールサイドの日よけとひび割れたコンクリート、そして色褪せたプールの残骸が雑草に覆われてまさに在りし日の夏の遺構となっている。かつてはウォータースライダーなんかもあったらしいけど。

電鉄系の遊園地と言えば、古くは京成の谷津遊園から始まって小田急の向ヶ丘遊園、東急の二子玉川園、西武のせいぶゆうえんち、関西だと近鉄のあやめ池遊園とか南海の狭山遊園地などなど大手私鉄の沿線における行楽客誘致の必須アイテムの一つではありましたよね。レジャーの多様化に伴い、どの電鉄系遊園地も経営不振による閉園や不動産開発の対象になっていて、現在元気なのは京阪が運営する「ひらかたパーク」くらいなもんでしょうか。遊園地がなくなっても、駅の名前にその名を残す香椎花園。駅の改札口に飾られた大きなオブジェが、この駅の賑わいの時代を紡ぐメモリアルブーケ。そのデザインの一部がちゃんとチューリップになっている辺りに、歴史のリスペクトを感じたりするのでした。


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