青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

潮の香、海苔の香、矢部川へ。

2024年10月06日 09時00分00秒 | 西日本鉄道

(船のイメージ・・・?@西鉄中島駅)

柳川の街から普通電車で10分、柳川市の南の端にある西鉄中島駅にやって来ました。駅の大牟田側で矢部川を渡るため、堤防の高さに合わせた高架駅になっています。駅は船を模したのか丸窓がつけられており、この窓の部分が駅員さんの詰所になっていたようですが、既に現在は無人駅になっております。建物で言えばホーム部分は3階にあたりますが、駅にはエスカレーターもエレベーターもありませんで、バリアフリー的には難がある構造になっています。大善寺以南の西鉄電車の駅は普通列車が30分に1本の閑散としたダイヤですが、西鉄中島の駅は700人/日程度の利用がありますから、周辺の普通列車しか止まらない駅に比べれば多い方ですかね。

矢部川を渡って行く6000形の大牟田行き特急。西鉄中島駅は、西鉄電車の名撮影地である矢部川の鉄橋の最寄り駅。矢部川は、福岡県南部を流れる全長60kmの一級河川で、大分県との境にある三国山に源を発し、「八女茶」で有名な八女市を流れてから新幹線の筑後船小屋駅付近で流路を南に変え、筑後平野の南端を走りながら有明海に注いでいる。福岡県は玄界灘(日本海)、周防灘(瀬戸内海)、有明海(東シナ海)と性格の異なる三方の海に面している珍しい県であり、玄界灘には紫川と遠賀川、周防灘には山国川、そして有明海には筑後川と矢部川が注ぎ込んでいるのだが、川の流域それぞれに経済圏や文化が濃厚に異なっていて、旅をしてみると「同じ県」というくくりには多彩過ぎて無理があるように思う。「福岡・北九州・筑後・筑豊」という四分割法で理解をすべきだよね。都市で言えば「福岡・北九州・久留米(大牟田)・飯塚」という四分割になりましょうか。

甘木線からやって来た、6050の大牟田行きワンマン。西鉄電車の矢部川の鉄橋は、独特の穴の開いた単線型橋脚にプレートガーターの橋台が乗ったシンプルなもの。あまり知らない路線で撮影地を探すとき、それなりに大きい川の鉄橋ってのはまず間違いない鉄板撮影地なんじゃないかと思うのですが、それに倣って西鉄で一番大きな鉄橋である筑後川橋梁(宮の陣~櫛原間)の作例を探したんですよ。んで、探したんですけど、さっぱり作例が出て来ないんですよね。それもそのはず、西鉄電車の筑後川橋梁はサイドに鋼製のガードが付いた足元のすっぽり隠れるスルーガーター橋。これじゃあ誰も撮る人いないよなあ・・・となったのでありました。昭和56年以前の旧筑後川橋梁はワーレントラス+プレートガーターの撮りやすい鉄橋だったみたいですけどね。割と西鉄、橋梁で足元が隠れるスルーガーターを採用しているところが多く、橋梁=撮影地とはなりにくいのは覚えて損のないポイントかも。

西鉄中島駅へ滑り込む6050形の甘木行き。この辺りは有明海の河口から5km程度離れた位置になるのだけど、川岸に積みあがったシルトのような泥はまさに有明海のそれで、夏の日に当てられた泥からは強烈な潮の香りが立ち上ってくる。泥の上には無数の穴が開いていて、そしてそれを巣穴としたカニが這い回っており、有明海の自然豊かな干潟の延長線上のような生態系を示している。矢部川橋梁の周りは、中島の街に住む漁師さんたちの船着き場になっているようで、川の両岸に舫われた漁船の姿がまた風情があっていいものだ。中島の漁師さんは何を獲って来るのだろう・・・と思って調べてみると、魚を相手にする漁ではなく、有明海の干潟でおこなうノリの養殖が生業の中心の様子。福岡県の筑後地域の漁獲データを見ると魚貝の類はいくばくもなく、漁獲高の90%が有明海の養殖ノリとなっていて、なるほど、言われてみれば魚を獲る網や漁具の類を乗せた船がほとんどいないのが分かる。中島の駅の裏も、漁協のノリの倉庫になってましたしね。

石川啄木ではないが、足元のカニと戯れながらやって来る電車を待つ。この区間は、普通・特急が毎時上下でそれぞれ2本ずつ、1時間で8本の列車が行き交うパターンダイヤで、そこそこ飽きずに撮影が楽しめる。ノリ養殖用の小型舟が揺れる船着場に腰を下ろして眺める6000形の大牟田行き特急。張り出し屋根もサイドビューなら気にならず。戸袋窓がない4ドアというのも、この時代の電車としたら新鮮です。中島の漁港はここから2kmほど下流の位置にありますが、川に沿って船溜まりはこの西鉄電車の橋あたりまでずっと続いていて、非常に横に長い。この地域は、有明海に流れ込む川の内陸部に漁港を作っているのが地理的な特徴と言えるのですが、干潟が続く有明海には港を作りづらかったり(極端な泥地では船を通すための浚渫が大変でしょう)、干拓によって海岸線がどんどん沖へ伸びたせいで、元からあった漁港集落が内陸側に残されたのかもしれないし、色々と理由はありそうです。

空にはかなとこ雲、夕陽を浴びて矢部川を行く「水都号」。川べりにずっと立って西日を受けているのも厳しいので、矢部川の左岸側の集落に降りてみる。矢部川橋梁の大牟田側は、こちらも堤防へ駆け上がるための高架線になっていて、その下にはいかにも有明の漁村という感じの古い日本家屋と板塀が続いています。この西鉄電車の高架線、単線のコンクリートモルタルの雰囲気が何となく弘南鉄道の石川高架橋とか尾上高架橋を思い出してしまった。夕暮れが近付いて、路地でサッカーをしていた子供たちが家に帰って行く。汗を拭きながら、大きなクスノキの下に佇むお稲荷さんの小さな舞台に腰掛けて休んでいると、高架線の上をアイスグリーンの電車が通り過ぎて行きました。


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