青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

さらば、雲上の古強者

2020年10月31日 17時00分00秒 | 秩父鉄道

(お初にお目に掛った頃@武川駅)

現在も私鉄の貨物輸送の雄として活躍を続ける秩父鉄道の電気機関車たち。その中でも最古参のデキ108ですが、この度引退することとなったそうで、秩父鉄道の公式HPから発表がありました。元々は岩手県は八幡平の麓、松尾鉱業鉄道という鉄道会社で活躍していた機関車。独特の形状のヒサシを前面窓に付け、軸梁のどっしりとした台車を履いた古風なスタイルで人気を集めていたカマです。私なんかは一年に1~2回程度撮りに行く程度のライトな秩鉄ファンですが、それでも行くたびにこのカマが動いていれば、撮りモノの中心としてカメラを向けていたものです。写真はデキ108にお初にお目に掛った頃。今は灰色の窓枠ゴムが黒かった。

かつては雲上の楽園と言われた鉱山都市を形成し、八幡平南麓に広がる鉱床から採掘された硫黄で隆盛を極めた松尾鉱山。同鉄道の廃線後、秩父鉄道に移籍して来たのがデキ107・108の2機。輸送するものは硫黄から石灰石・セメントに変わったものの、長きに亘って地域の産業を支え続けて来ました。僚機のデキ107は2年前に引退し、最後の松尾組として輝きを放ち続けたデキ108も今年で御年69歳。卒寿を前にしての引退となります。

いつぞやのカットか、武川で憩う松尾兄弟。松尾鉱山の閉山は、硫黄の生産が石油から生成される安価な脱硫硫黄に取って代わられた事が原因でした。エネルギー政策の転換により、昭和40年代にあっという間に閉山に追い込まれたため、このカマが松尾鉱業で過ごした時間は僅か20年弱。既に秩父で過ごした時間の方がよっぽど長くなってしまったのでありますが・・・この兄弟の特徴であった独特の庇は、EF15やEF16のつらら切りを想起させるような、いかにも雪国からやって来たカマらしい装備でもありました。そしてそれは、自分の出自を忘れんがための彼らのアイデンティティのようにも思えます。

武州の西日に照らされて、桜沢の駅で発車を待つ古豪。歴戦の長い道程を歩み続けた面構えには、神々しささえ感じます。ちなみに、現在の秩父鉄道の機関車の標準色となっているこのブルーと白いラインは、松尾時代の彼らが身に纏っていたデザインを取り入れたもの。秩鉄入線の際、当時使われていた茶色の塗装に一旦は塗り替えられたそうなのですが、松尾時代のカラーリングが秩父鉄道の本社のお偉いさんの目に留まったのか、秩父のカマの標準色が逆に松尾カラーになってしまったのだとか。そんな逸話を聞くにつけ、秩父鉄道に大きな影響を与えた機関車だった事は間違いありません。

鉱石を牽いて晩秋の波久礼ストレートを行く。今後のデキ108は、11月3日に三峰口にて開催されるイベントで展示され、それ以降は通常の貨物運用に就くことなく12月に引退を迎えるという事のようです。昨今は「引退」と言ってしまうと、有象無象の撮り鉄で沿線は大騒ぎになってしまうので、通常運用を外すのはトラブル回避のためには仕方ないのでしょうね。先日熊谷貨物ターミナルで行われたイベントでの松尾装飾や、三ケ尻線最終甲種での東武リバティ牽引なども含めて、今思えば人知れず花道は敷かれていたのでしょう。そう思えば、愛ある秩父鉄道の対応でした。最後の雄姿を見に行けるかどうか分からないけど、長らくの活躍にお疲れさまでした、と言うほかはありません。

雲上の鉱山都市の生き証人がまた一人、表舞台を去ります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする