青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

母なる大屋根の下で

2020年10月17日 10時00分00秒 | 富山地方鉄道

(神殿造り風@電鉄黒部駅)

車寄せに付けられた高い柱が、あたかも神殿のように見える電鉄黒部の駅。戦後まもなく建てられた駅舎で、今でも黒部の街の中心部に位置しています。明治時代に作られた北陸本線は市街の外れを走っており、現在のあいの風とやま鉄道の黒部駅からは1km程度離れているんですよね。黒部鉄道時代は国鉄の黒部駅へ接続していて、地鉄に統合されて以降も黒部駅へ向かう線路は「黒部支線」と言う形で残ってたんだけど、昭和40年代に廃止されてしまいました。北陸本線がスピードアップする中、富山市街~黒部・宇奈月間の乗客が国鉄へ流れてしまう事を嫌った地鉄側の政策的な廃線だったそうですが、今思えば残ってても良かったのかなと。

今でこそ「電鉄黒部」駅ですが、昭和の末期まではここは「電鉄桜井」駅。黒部市の前身である桜井町の名前を、市制施行されたあともずっと使っていました。昭和の時代の地鉄の写真には、電鉄桜井行きの丸看板を付けた電車が走ってるのが写ってたりしますよね。電鉄黒部は今や地鉄では貴重になってしまった有人駅ですが、20年前くらいまでは黒部・魚津市街にあった東三日市から西魚津まで全部が有人駅だった記録も残っています。

電鉄黒部の駅と言えばこの大屋根。ホームの乗客のためではなく、降雪地帯での夜間における車両留置のためでありましょうが、何となく包み込まれるような安定感があります。駅舎からのホームの番号が2・1・3番線と順に付いていないのがどうにも落ち着かないのですが、右側通行なのが関係しているのでしょうか。ホーム番号が駅舎からの順になっていないのは、寺田の駅の立山線ホームもそうなんですが、あそこも右側通行だったね。ホームの石垣にペンキで番号が大書きされているのも寺田の駅と同じなんだけど、駅舎からの位置に関係なく上りホームが1番線、下りホームが2番線ってルールなのかな。

電鉄黒部の駅前には、やたらとパブやスナックや居酒屋の類があって、今でもそれなりの歓楽街を形成しています。黒部の街は水力発電によって生み出された豊富な電力を背景に形成された工業都市の側面もありますが、かつては地鉄で通勤した多くの工員さんが仕事終わりの憂さをお酒に沈めていたのであろうか。今はスナックの看板やネオンもやや煤けて、その賑わいも昔日の面影・・・といった雰囲気の黒部の街。北陸の工業都市の片隅、大屋根の下で憩う10030形。日向ぼっこの循環バスと合わせて、令和の黒部の街の風景です。

 

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