青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

ジャンジャンと 鐘が鳴るなり 永平寺。

2024年03月28日 17時00分00秒 | えちぜん鉄道

(かつての乗り継ぎ駅のいま@永平寺口駅)

前回えちぜん鉄道を訪問した際には訪れなかった場所をゆるりと回って行くことにして、でもどこで何を見る?とか特に決めていなかったのでなんとなく永平寺口駅で下車してみる。九頭竜川が大野盆地から勝山市を流れて福井平野に出る寸前、扇のかなめのような場所にある永平寺口の駅。地鉄で言うと愛本みたいな位置にある(分かりにくい)。今でこそ、勝山に向かう勝山永平寺線の中間駅でありますが、かつてはここから永平寺へ向かう永平寺線が分岐しておりました。その時は、駅名も「東古市(ひがしふるいち)」でしたよね。永平寺線が永平寺まで走っていた頃、確か中学生くらいの頃だったと思うのだが、何故か家族で真冬の高山と永平寺と東尋坊を見るツアー?みたいなのに行った記憶がありまして、その時の観光バスの車窓に映ったのが雪に埋もれた永平寺線のか細いレールと寂れたホームだったのをうっすらと覚えているんだよな・・・

永平寺口駅の構内踏切から。黄色いロータリー除雪車が置かれているカーブの向こうに続いていたのが、かつての永平寺へ向かう線路。永平寺口駅のホームから奥に見える高架橋は、中部横断自動車道の一部である永平寺大野道路。北陸自動車道の福井北ICから越前大野市を通り、九頭竜湖から油阪峠を抜けて美濃白鳥に至る高規格道路で、最終的には安房峠道路を経由して松本までの160kmについてバイパスや従来道の線形改良を実施。国道158号と国道416号の都市間連絡機能をほぼ代替します。このえち鉄の勝山本線と越美北線という福井の鉄道2路線をますますの窮地に追い込むものであることは、残念ながら確かなようです。「道路にばかり予算がついて、鉄道には予算が回らない」というのは、もう日本の構造的な宿痾みたいなものですけど、国の予算を引っ張って地元の建設屋さんに落とすという「利益誘導」を図るためには、「道路をつくる」ことが一番手っ取り早く、道路族とか建設族みたいな地方議員が半世紀以上一生懸命働いた結果ということも出来る。地方鉄道みたいな民業に一生懸命に利益誘導してもたかが知れているということも言えるし、戦後の鉄道事業者の「政治」に対するロビー活動が弱かったということも言える。戦前はあったんですよ。政治による鉄道の誘致合戦とかもね。

永平寺口の駅に隣接して建つ京都電燈古市変電所跡。えち鉄の前身である「京福電気鉄道」が京都と福井にそれぞれ鉄道会社を持っていたのは、越前電気鉄道として創業した当時のオーナー企業であったのが京都電燈だったことによるもので、京都電燈が京都で現在の叡山電鉄と京福嵐山本線、福井で開業したのが越前電気鉄道ということになります。戦時中に京都電燈が国策によって関西電力・北陸電力・日本発送電に事業譲渡し消滅する際、京都電燈の鉄道部門が「京福電気鉄道」として分離独立。同じ福井県内で傍系であった三国芦原電鉄や、永平寺の檀家さんたちの出資で成立した永平寺鉄道(金津・現:芦原温泉駅~東古市~永平寺間)を吸収して規模を広げて行きます。残念ながら金津~丸岡~東古市間は合理化のために早々に廃止(1969年)されているのだけど、当時の京福ってのは大野市までの越前本線、三国港までの三国芦原線、金津~永平寺までの永平寺線ほか支線を含めて100km近くの営業距離を有していたんですよね・・・その昔はそれだけ地域における鉄道のニーズが高かったことの証跡でしょうか。

東古市~永平寺間の永平寺線が廃止されるまで使われていた1番ホームには、旧駅舎が「地域交流館」として残されていました。車寄せの洋風な感じと白い板張りの建物、優雅な半円の飾り窓や細かな装飾に趣があります。「男はつらいよ」のロケ地看板は、吉永小百合をマドンナに迎えた「男はつらいよ・柴又慕情(第9作)」で、寅さんが旅先で意気投合したマドンナ歌子と別れるシーンに東古市の駅が登場したことによるらしい。ちなみにこの「柴又慕情編」は、冒頭に尾小屋鉄道(金平駅)の実写映像が使われているのは有名な話で、夢枕から覚めた寅さんが昭和中期のありのままの軽便ナローの世界から旅を始めるという鉄道マニア的に物凄い「沁みる」シーンが収録されていることもポイントが高い。バケットカーに牛乳缶を積むシーンなんかは、それこそノス鉄系モデラーの皆さんにはたまらんのではないかと。

構内踏切から、今は平日の1往復の区間列車の折り返しにしか使用されない永平寺口の1番ホームを見やる。福井名物の踏切に関する警告看板も愛らしい。「警報音がジャンジャン鳴ったら渡らないでください」という注意看板。踏切の警報音ってジャンジャン鳴るものなのか・・・?という疑問はさておき、「福井といえばコレだよな」感のある謎アイテム。福鉄とかえち鉄に見られるこの「ジャンジャン」というオノマトペの語源に関しては定かではないが、昔は踏切の警報音ってのは打鐘(ゴング)式のものが多かったから、「鐘を打つ音=ジャン」という競輪用語から来てるんじゃないかと思っておるのだよね。福井には競輪場ありますし、福井競輪の無料バスって京福バスがやっているしねえ。非番の日に競輪場に行ってた現業の連中が、踏切のゴング音を競輪の打鐘の俗称である「ジャン」と絡めて表現したのが起源なのでは?と。誰か正解求む。

ちなみにこの看板、キーホルダーにもなっているそうなのだが、見つけられんかったでなあ。

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越前福井の夜明け前。

2024年03月24日 10時00分00秒 | えちぜん鉄道

(福井の美味いもの晩餐@福井駅前・福福茶屋)

福井の夕食は、福井駅前にある「ハピリン」という名前の商業ビルの中にある「福福茶屋」で。この日は平日で、平日では通常の福鉄の一日フリー乗車券は使えないのだ。そのため、平日でも利用可能な「福福茶屋食事券付1日フリー乗車券(1,840円)」を購入していたのであった。ただまあ、フリーきっぷで1,480円の「福井名物定食」がいただけるし、夜7時以降の入店だとグラスビールが1杯サービスになるし、実質はフリー乗車券の部分がおまけになっているような(?)なかなかご機嫌なチケットである。撮り鉄、こういうイベント的なキップがないとひたすらコンビニメシで電車撮り続けてしまうからちょうどいいのよ。大好きな越前おろしそば、ミニ海鮮丼、昼に続いてのソースカツ丼のミニ丼三つに小鉢三種。のんびり食事しながら、せっかくなのでビールをお代わりもう一杯。優雅な時間である。結局何だかんだと福井駅前を出たのが22時前。ほろ酔い加減の田原町行きに乗り、足羽川沿いにあるビジネス旅館へ帰るのでありました。

翌日朝。一晩お世話になったビジネス旅館を辞し、福井の街を歩く。足羽川を渡り、フェニックス通りを田原町方面へ。どこかで朝食でも食べられそうな店はないかなと思い辺りを見回したが、県庁所在地とはいえビジネス街のフェニックス通りに、こんな時間にコンビニ以外のめぼしい店は開いていなかった。フェニックス通りのランドマークである福井地方裁判所の前をFUKURAM Linerが通り過ぎて行く。福大前西福井行き。田原町から一駅だけえちぜん鉄道の三国芦原線へ入る運用です。今日も雨こそ降らねどどんよりとした北陸の曇り空。風が冷たく寒いのだが、雪のかけらもない福井市内、本当の北陸の冬の寒さとは程遠いのだろう。

テクテクと宿から歩いて20分、わざわざ田原町の駅まで歩いてきた。福大前西福井で折り返してきたFUKURAM Linerとえち鉄の三国港行電車。窓口で今日はえちぜん鉄道+福井鉄道の共通一日フリーきっぷ(1,400円)を購入。今日はえちぜん鉄道を中心に乗ろうと思うので、別に福鉄分はいらなかったのだが、共通で買ってもえち鉄オンリーで買っても400円しか変わらんのでな。ささやかな売り上げ貢献である。前回訪れた時は、まだ福井鉄道が三国芦原線へ乗り入れるための工事中で、福鉄のホームは屋根のない仮設ホーム、駅舎も昔ながらのトタン板で囲われた古い駅舎だったのを思い出しながら三国芦原線の福井行きに。福井市街の北部を大回りする三国芦原線、あの時は「まつもと町屋」なんて駅はなかった。高架になって大きく変わった福井口の姿に唖然としながら福井駅へ。北陸新幹線の開業で富山も変わったけど、福井の方が変わったよね。鉄道事情。

JR福井駅、新幹線口の姿。2月の終わり、開業半月前くらいの光景。もう開業して一週間経ったから、この風景もだいぶ変わったものになっているのでしょう。開業後の写真はいくらでも撮れるけど、開業直前の光景というのはあまり記録されないと思うので。だだっ広いスペースが無機質に転がっているこの感じ、引っ越し前の部屋へ内見に来たような静かな期待感・・・みたいなものが感じられるでしょうか。駅の改札口回りだけじゃなくて、高架下の商業スペースも突貫で物産品の販売エリアだとか、カフェだとかのお店の内装工事をやっていた。駅前広場も大規模な植栽の工事が入っていたが、こうやって地元企業に公共工事が落ちて行くのはいいことだ。

JR福井駅3階テラスから眺める、えちぜん鉄道福井駅。このデザイン、あえてディスプレイのようにテラスへ向けて開口部を設け、中を見せることで興味を惹起するような・・・そういう意図があるのだとしたら、なかなか攻めてるなあと思う。ちなみに、この開口部分はホームから先の引き上げ線になっていて、朝ラッシュ時点で運用が終わり、福井口に帰って行く編成や、日中に解放された増結用の単車が置かれたりとそういった用途に使われているようだ。ただ、えちぜん鉄道の前身である京福電気鉄道が、ブレーキが壊れた旧型車両が暴走して正面衝突事故を起こし、それが京福廃線からのえち鉄転換の原因になったことを思えば、冒進事故からの車両落下みたいな可能性を恐れぬデザインは「ご安全に」という思いもある。安全面を考えたら、絶対この開口部は設けない方がよくて、分厚いコンクリートの壁にでもしておけばいいのであって。

一通り福井駅の新幹線口を眺め、改めてえちぜん鉄道のホームへ。勝山行きの単行が発車待ち。勝山行きも三国港行きも日中は1時間に2本、勝山行きは単車と2連が1本おきに、三国港行きは基本2連の運行。勝山方面の方が需要が少ないということなのかな。単車になっちゃうと立ち客が出て混んでるなあという便もあったりするのよね。ホームではえちぜん鉄道のシンボルともいえるアテンダントさんがお出迎え。ルッキズムみたいな物言いには最近批判も多い世の中ですけど、この日私が乗った電車のアテンダントさんは、ちょっとかわいかったことを申し添えておきたい。

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夏の終わり 夏の越前・私鉄旅千秋楽

2014年09月27日 04時29分15秒 | えちぜん鉄道

(「轟」と書いて「どめき」@轟駅)

えちぜん鉄道では屈指の難読駅名「轟」の駅。昔っから結構インパクトのある駅名だな…と思っていたのですが、車窓から見ただけで訪問は叶わず。予想以上にサイクリングで時間を使ってしまったのと体力の消耗が著しく「まあたぶん田舎の何の変哲もない駅なんだろうけど」と目の前を流れて行く轟の駅を眺めるのみでありました(笑)。

  

さて、そんなこんなで勝山駅から一気に勝山本線を折り返し、三国芦原線との分岐駅である福井口駅に到着しました。えちぜん鉄道の運転上の中核をなす駅で、駅の規模は3面5線と大きなもの。駅の北側で双方の路線が分岐するのですが、三国芦原線の上り線と勝山本線の下り線がガッツリ平面交差になっているのが特徴。お互いの路線の接続は良く、勝山方面から三国方面への接続はだいたいどの電車も5分程度で行われているようですねえ。もうちょっとこの駅も細かく見て行きたかったんだけど、すぐに三国港行きが来てしまった(涙)。三国港行きは7000型の2連。

  

三国港行きは福井口を出ると左側にえち鉄の車庫を見ながら大きく左カーブして北陸本線を乗り越し、西別院・田原町・福大前西福井と進むと今度は大きく右カーブ。えちぜん鉄道へ転換した際に作られた日華化学前・八ツ島から新田塚を過ぎて九頭竜川を渡ると風景は一気に田園風景に変わる。三国までの間に大きな街らしいものはなく、北陸本線から外れた旧春江町・旧丸岡町の西側の集落を拾いながらと言う感じかな。西春江は何気に福井空港の最寄り駅なんだが、桜の古木がどっかり座ったホームにはそんな雰囲気は微塵もありません(笑)。ちなみに旧春江町はモーニング娘元リーダー高橋愛の出身地だったりする。そして、そんな事はまーったく関係なく2両編成の電車は青々とした稲穂に長い影を映しながら福井平野を北へ北へ走って行くのであります。

 

番田駅を出ると遠くに街が見え始めて、大きく左にカーブを取るとあわら湯のまち駅。車窓からはいかにも北陸の温泉地らしい大きな旅館が目立つ。京福時代は芦原湯町と表記していましたが、えち鉄への転換時に名前を開いております。こっから昔は国鉄の金津駅(現在の芦原温泉駅)まで国鉄三国線が走っておりましたが、現在はJRバスへ転換されてますね。昭和初期に国鉄三国線が開通した当時はこっから先はしばらく国鉄と並行して走り、三国駅付近で線路は分かれ国鉄が三国港まで、京福(当時のえち鉄)は東尋坊の方にもうちょっと続いていたんよね。ほんでもって時は戦局に至り、鉄材拠出のために「不要不急路線」としてお国は国鉄と京福の三国から先の末端部分を廃止してしまう訳なんですが、京福は重複していた芦原湯町から三国港までを国鉄の路線を使って電化し、それからは京福が三国港までの路線を営業するようになったと言うちょっと複雑な歴史があります。

  

温泉街のあわら湯のまちからは田園を見ながら水居を過ぎると、何となく車窓に低い屋根が多くなって来ていかにも港町だなあと言うような雰囲気になりつつ三国神社、三国を過ぎて終点三国港駅に到着。福井口から約45分、何にも途中下車出来なかったのは残念ではありましたが…三国港の駅は九頭竜川の河口部分に寄り添うようにあり、ホームから道路を挟んでその雄大な光景が見えます。ホームにて折り返し準備中のMC7000型、どの車両に乗っても思うのだがえち鉄の車両っていつもピカピカで、そこは特筆されていいポイントだと思います。そーいうのって結局ホスピタリティの精神につながると思うから。

  

三国港駅前の風景。漁船が引き上げられた護岸にサワサワと波が寄せる。ちょっとホームから離れた位置まで伸びていたレールにぽつんとあった車止めが終着駅のセンチメンタルっぽさを引き立てているようです。三国の港は北前船が寄港する伝統ある港のひとつで、日本海の海運交易の中核を担っていた港ですから、繁栄していた頃はもうちょっと港のほうまで線路が伸びていてそれこそ鮮魚や港に集まる物資が運ばれていったのでしょうなあ。

 

と言う事でともあれこれにて福井県内の私鉄は完乗!三国港駅から徒歩2~3分のところにある「三国温泉ゆあぽーと」にて汗でも流して行く事にする。海辺の温泉らしいしょっぱいお湯に浸かり、浴室のデッキから見る日本海に傾きかけた太陽。やっぱ日本海と言えば夕日だよねえ。隣の三国海水浴場はサンセットビーチとしても有名な場所で、毎年開かれる三国港の花火大会は北陸有数の大イベントだそうな。この花火大会の日はえち鉄のカッパギドル箱Dayらしく、車庫からありったけの車両を出して増発した上にこの日だけは土日だろうと何だろうとフリーきっぷが使えないと言うしっかりした経営を行っております(笑)。

  

湯上りの体を海風で醒まし、折り返しの福井行きに乗り込む。車内は海水浴場帰りの客で盛況、車内の喧騒を横目に外を見やると、下兵庫駅付近で福井平野の向こうに太陽が消えて行きました。えち鉄ではどこにも途中下車しなかったよなあ…と思って時刻表を調べると、あと一本落としても最終の東京行き新幹線には間に合うので中角駅で下車してみる。九頭竜川の鉄橋のたもとにある無人駅でホームは片面一本、堤防につながる高さの駅までは長い階段を上がらなければならないのが特に年配者にはとりわけ使いづらそうだが、ロケーション的には今は廃止されてしまった名鉄の東笠松駅を思い出します。


夕日の中を走る一枚を…と期待していたのですが、残念ながらとうに太陽は沈み、入道雲だけを夕日が照らす中を三国港行きの単行がやって来ました。夏の終わりと言う雰囲気で締めのワンカット、長きに亘ってお送りしてきた福井編もこれにて千秋楽。200型を追い掛け回した福井鉄道、駆け足で巡ったえちぜん鉄道、掘り下げて行けばもっともっと季節ごとの魅力があるのだろうと思われます。やっぱり北陸らしく雪に埋もれた冬とかにまた来てみたいね。今回の経験を生かしたカットも狙えるだろうし…

米原で最終の東京行き新幹線に接続するしらさぎ16号にて帰路に。このくらいのボリュームの遠征は、やっぱ年イチでもいいからやって行きたいもの。流れていく闇の中の北陸路を見ながら、早くも次はどこに行こうかと言う事でアタマがいっぱい(笑)。考えれば10代から20代の前半に全国の公営競技場を回りまくっていたのだが、今ではもうなくなってしまったものがかなりある訳で、そう思うとこの人口減と過疎の時代、地方鉄道もある意味一期一会な部分があると思っています。乗れる時に乗っておく事も大事だし、おこがましいけど乗る事で何かの魅力が伝わるのならそれも良い事だと勝手に思っている。だからまた出かけてみようと思います。次は子供も連れて行ってみようかなあ?サンライズを使って琴電とか一畑電車とかいいんでねーの?あ、その前に北陸鉄道か。

乗るたびの 一期一会を噛みしめて 列車は走る 越前の旅。
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癒しのひと時 夏の越前・私鉄旅その10

2014年09月22日 22時39分05秒 | えちぜん鉄道

(格子窓の向こう@勝山駅)

勝山駅の待合室から。この「格子窓越しの○○」って構図は何となしに自分の好みであったりする。構図の中にさらに小世界が見えて来るという感じがいいのか、はたまたのぞき見的なチラリズムがいいのか。いずれにしろ、勝山の駅舎は改築されているとはいえこのような古き良き造作を多くの場所で残しております。んで、新しくてエアコンも効いているんだから悪かろうはずはありませんw


さて、小舟渡駅前の小舟渡橋でチャリを折り返し、キコキコとまた撮り歩きながら勝山方面に戻ります。行きと似たような場所で構えるのも能がないんだけど、まずは発坂~保田間の田園地帯で秋めいた空を見上げて広角でパチリ。2連の福井行MC7000型が伸びやかなストレートから緩やかなアウトカーブを走っていきます。


発坂駅を出るMC6110。鄙びた木造駅舎が立っていたのだが、無粋ななにわナンバーが止まっていたのでむりやり花絡めで。えち鉄の車両は元々の京福が主に阪神電鉄の中古を使っていたせいもあって、特にこの6000番台の車両は何となくカオのデザインが阪神電車入ってる気がするんだが、この車両は元々愛知県の愛知環状鉄道で使われていた車両なんだそうで。でも、テールランプのデザインとか、阪神電車でしょこれ。


草刈場踏切付近の森を行くMC6112。愛環は1500Vの路線でしたので、600Vのえち鉄入りするために降圧の改良工事を行ったそうな。えち鉄の車両はおおざっぱに言って6000型が単行グループ、7000型が2連グループで、乗客の流動に合わせて運用が行われているようです。今日の午前中は結構乗っていたけど、永平寺口から勝山までは単行で十分間に合う流動なのかな。えち鉄に沿って中部縦貫自動車道が整備中であり、これが開通すると結構えち鉄には影響が大きそうな気がする。


勝山駅までチャリンコで戻り、すぐの福井行きを一本見送って駅併設の「えち鉄カフェ」で一休み。勝山駅の改築に伴って開店した、えちぜん鉄道直営のシャレオツなカフェーです。アイスコーヒーを水出しの立派なサイホンで淹れてくれる本格派。よく出来たアイスコーヒーにクリームを浮かべて飲む至福の時間は癒しのひと時。炎天下の中を3時間近くサイクリングした体に沁み渡ります。


次の福井行が出るまでの30分を落ち着いた雰囲気の店で過ごす。ここコーヒーも美味いんで、えち鉄に乗りに行った際には是非もんで訪れて欲しい店であります。ただ文庫本だけ持って一時間くらいまったりしてから福井に帰るだけでも、いい感じの休日の過ごし方が出来そうだよね。

次回へ続く。
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晩夏を漕ぐ 夏の越前・私鉄旅その9

2014年09月20日 00時55分12秒 | えちぜん鉄道

(終着駅の一つ前@比島駅)

勝山駅でレンタサイクルを借りたアタクシ。勝山駅の裏手からえち鉄に沿って一本の小道が続いておりましたので、とりあえず線路に沿ってチンタラと里山風景の中をサイクリング。事前の天気予報では曇り時々雨くらいの話だったのだが、打って変って好天に恵まれたなあ。おかげで暑い暑い!普段は何の運動もしていない身にはたかだか10分ほどのサイクリングでもすでに汗だく。辿り着いたのは勝山駅から一つ手前の比島駅。

 

比島駅は、まるで併用軌道のような集落の小道に沿って佇む静かな駅。森の向こうから緩くカーブして続いているレールと、夏の日差しに揺れる集落の木立に包まれた小駅は極めていい雰囲気で、映画のワンシーンに出て来てもおかしくないようなロケーションがあります。例えばこの駅で女学生が一人立って電車を待っているだけで、なんか凄く物語性が出るような…そんな気がする駅です。そして、私がひそかに提唱する「ローカル私鉄の終点の一つ前の駅はいい駅」の法則をしっかり守ってくれているねw


夏色の比島の集落を出る6112編成。って編成って言っても単行なんですけどね。稲穂の色もほのかに色づき、暑いながらもアキアカネが稲田を渡る風景に季節の移ろいを感じます。バックの農家は比島駅前にある立派な農家なんですけど、北陸の農家は立派なおうちが多いですね。

 

比島駅から続く道はやがて森の中に吸い込まれ、いよいよ線路と同化するレベルに細くなって行きます。行き止まりなのかな…?と思ったのだが、やがて細道は線路をまたいで反対側に出ます。そして、こんな細道にも立派な遮断機付きの踏切がありまして、一時停止の白線なんぞも引かれている。このレベルの道の踏切なら第四種で済ませるもんだが…木立の中で一時の涼を求めて休んでいると、律儀に警報機が鳴り福井行きの電車が通過して行った。ちなみにこの踏切の名前は「草刈場踏切」と言うらしい。昼間はいいけど夜はちと怖いw


森を抜けてえち鉄の電車がやって来る。こんな人跡稀な踏切でカメラを構えていると運転士の方もさぞかしビックリされるのではなかろうか。2連のMC7000型7010編成、タネ車は先日までJR東海の飯田線で走っていた119系だそうなのだが、えち鉄入りに際して前面の改造を施されており昔日の面影はありません。ってか制御方式も抵抗制御からVVVFに換装しているのでバリバリの新車みたいなもんだよね。前照灯も輝度が高い。


発坂~保田間。蔵のある風景を行く。こんなのどかな風景ではありますが、前述のように2回目の列車の正面衝突事故が起こったのがこの区間でもあります。手前の発坂駅で交換待ちをしなきゃいけなかった運転士の信号見落としによる冒進が事故の原因だったそうですが。


小舟渡~越前竹原間。道はえち鉄に沿って続いております。サイクリングしながら電車の時間が近づいたらアングルを決める体で撮り続けて行ったら勝山駅から4つ目の小舟渡(こぶなと)駅まで来た。この辺りがえち鉄が一番九頭竜川に近づく区間でもありますが、引きが取れずなかなか絡めて撮るのは難しい…


「おとり鮎」の幟を立てた古い木造の川べりの商店と絡めて。またえち鉄の日中の電車って単行多いからそこらへんも難しさに拍車を掛けているような気がするなあ(笑)。構図の中での車両の置き場所がちょっと慣れない感じ。この辺りの九頭竜川は下流に発電所の堰があるせいか、やや流れは穏やかなように思えますね。


小舟渡駅前の九頭竜川に架かる小舟渡橋。上記の2枚のカットはここから。旧道の橋らしい武骨なトラスがいい感じです。勝山をチャリンコで出てから約2時間、そろそろ腹も減ってきたし引き返すとするか。

次回へ続く。
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