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青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

富山の沃野、雪に眠る。

2025年03月18日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(束の間の青空@釜ヶ淵~沢中山間)

大雪の黒部平野から大きく場面転換して、常願寺川が作り出す富山平野へ。この日の午後は立山線を狙いに行きました。お馴染みの鋳物師沢の陸橋。このポイント、陸橋の下にクルマを置けるスペースがあるのだが、そこには農家さんの農機具が置かれていた。冬の間、陸橋の下は農機具を雪から守るための車庫代わりになっているらしい。駐車スペースまで入る細道が除雪されてなかったらどうしようかなと思ったのだが、何とか道は通じていて一安心。もう何度となく立った陸橋のお立ち台は、遠く富山湾を見晴るかす眺望が売り。春の田植えと早苗の頃、夏の青々とした田園風景、初秋の黄金の稔りと季節ごとの顔がありますけども、この時期は一面の雪野原で、またひときわ美しいですねえ・・・。この雪が表土を守り、土壌を潤し、低温下で雑菌を消毒して清浄化し、秋の豊かな実りに繋がって行く訳だ。雪の中の二条のレール、遠くから微かに踏切の音。赤い矢が一矢、山へ向かって上って行きました。

そうそう、最近のコメの高騰ね。近所のスーパーでの売価が5kgで税込み4,000円を超えていて、巷では投機的な動きの中でブローカーが買い占めているのだとか、外国人が儲かるからと農家から直接コメを買い付けているのだとか、本当なのかどうなのか真偽不明の流言飛語が飛び交っております。そういった話も全くの嘘ではないんでしょうが、そもそもが昨年来コメが足りていなかったのではないか・・・?というのが通説になりつつあります。去年の秋の「新米が出てくれば価格は徐々に安定する」という農水大臣の談話も今となっては虚しく、今回の令和の米騒動、何のことはない「政策の失敗とそもそもの需要の見誤り」ということなんでしょうね。それもこれも半世紀に近づこうかという期間続けられた政府の減反政策は、作らなくても儲かるといういびつな状況を生み出し、補助金漬けで自立するチカラのなくなってしまったコメ農家と、就労世代がどんどん高齢化し、新規参入の起こらない構造を生み出してしまいました。コメ農家の衰退ってのが、結局現代日本の抱える「地方の衰退と過疎化」の元凶のひとつ。今になって「食糧安全保障!」とか言い始めた経済右派の方々には、ぜひともここに強力なテコ入れと人員の投入を図っていただきたいものである。

そう言えば、大正時代に米騒動が起こったのはこの富山県の魚津の街でしたね。魚津に行くと、「米騒動発祥の地」なんて看板が掲げられているらしいのだが、そんなもんの発祥の地はなくてもいいんであって(笑)。政府もコメ高騰対策に対して遅きに失した感のある備蓄米の放出などを始めましたが、あんまり国民を飢えさせるとそれこそ農林水産省の打ちこわしが起こっちゃうかもしれませんよ。

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「雪に強い」が強みのはずで。

2025年03月16日 09時00分00秒 | 富山地方鉄道

(新幹線の隣りの駅@舌山駅)

新黒部の駅からおよそ東に400m、舌山の駅。どこか北海道を思わせる風貌の、アイスグリーンに塗られた古風な駅舎。舌山駅には、駅の隣りに農協と農業倉庫があって、その倉庫への荷捌きや荷下ろしのために大きな広場があるんですが、その広場もすっかりが雪に埋もれている。かつては黒部平野で収穫されたコメや農産物をここに集めて、貨車で運び出していたのでしょう。地鉄の貨物取り扱いが終了したのは1983年(昭和56年)のこと。国鉄によるヤード系集結輸送の廃止とほぼ同時だったんですね。この翌年に、国鉄は1両1両の貨車を方々から操車場に集めて貨物列車に仕立てるようなまだるっこしい貨物輸送の方式を全廃し、現在のコンテナ方式による拠点間一括輸送に舵を切りました。日本の鉄道貨物輸送にとって「1983~84年の国鉄のヤード型輸送廃止」って結構重要な転換点で、これをきっかけにして貨物輸送を止めた私鉄もすごく多かった。別府鉄道なんか、営業自体を止めてしまいましたからね。

閑話休題。舌山の駅は、新黒部駅から400mしか離れておりませんので、乗客の流動面での役割はほぼ新黒部の駅に譲った形になりました。ただ、新黒部の駅は1面1線の停留場の形になっているので、列車交換の設備と富山・宇奈月双方向への折り返しの出発信号機を持つ舌山の駅は運転上の機能としては重要。以前は夕方の舌山行きなんてのもありましたね。実質新黒部行の電車だったわけですが、新黒部では電車を逆方向に出発させることが出来ませんからね。

道路事情がおぼつかない昭和30~40年代くらいまで、大雪の日に頼りになるのは、クルマよりも断然鉄道だったんですよね。それゆえ雪の多い北陸地方には国鉄線から枝葉のように分かれて、国鉄の通らない街へ村へ、養分を隅々に行き渡らせるように無数の中小私鉄が伸びていました。福井鉄道の南越線や鯖浦線、北陸鉄道の能美線や小松線、片山津線や粟津線に山中・山代線。そして石動からの加越能鉄道庄川線とか・・・みんななくなっちゃいましたけどね。長いこと雪に閉ざされる冬の暮らしを何とかしようと、日本海側の都市は克雪対策にはどこも相当な予算を使ってきた歴史がありますし、幹線道路や高速道路の除雪体制も日進月歩の勢いで改善されて行きましたし、むしろ最近は「大雪が降る」っていわれると鉄道会社の方がさっさと白旗を上げる傾向にあります。勿論、昔に比べると「気象災害時に取りうるリスク」に対する考え方が変わったという社会全体のフェーズの変化もあると思うのですが、なんというか、「別に無理して動かさなくてもいいでしょ(客も少ないし人もいないしおカネもかかるし)」みたいな、或る意味諦観というか、宜しくない意味での開き直りみたいなのってありませんか・・・?

乗客の流動は新黒部に・・・と言いながら、列車を待っていたら、宇奈月温泉行きからしっかりと利用者が降りてきた。
この程度の雪は珍しくもないと思うのだけど、視界も効かない大雪ですから、運転するよりしてもらった方が楽なことは間違いないようです。

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吹雪の中で捕まえて。

2025年03月14日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(雪の雷鳥、羽搏く@浦山~栃屋間)

鉛の空はその色を増し、海の方からは大きな雷鳴が鳴り響く黒部平野。大粒の雪の礫が容赦なく体に叩き付けて、雪濡れしないようにカメラを守るのが精いっぱい。1月の津軽は雪はあったけど結構暖かかったことを思うと、津軽の仇を黒部で討たれているような思い。正直、この視界でもあるし、接近音は雪に吸われてしまうし、ということで安全のため踏切の近くに陣取った。線路際に除雪で出来た雪山に雪踏みをして足場を付けて、何とか撮影を試みようとカメラを構える。通過時刻を過ぎてもやって来ぬ列車、コートの中に隠したカメラは割と外気との気温差でレンズが曇ってしまうことが多いので、暴風雪の中でもしっかりとレンズを拭いて待ち構える。雪にAFが引っ張られるのが嫌なので、ここは丁寧に置きピンをしてAFを切った。手持ちなんですけどね。

仕込みは入念、踏切の鐘が鳴る。
雷鳴轟く爆雪突いて、雷鳥カラーがファインダーの中へ。
吹雪に踊る雷鳥を、我捕獲ニ成功セリ。

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雪国暮らしも楽じゃなし。

2025年03月12日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(白き大地に降り立てば@下立駅)

この日は、寒気の入り込みによって大雪の予報が出ていた北陸地方。朝方はさほどでもなかった雪は、時間が経つごとにかなり激しさを増して降り続き、辺りを白く染めて行きます。あまり撮影したことのなかった下立の駅。山裾に片面一本のホームが設置された小駅ですが、駅から徒歩圏内に道の駅があったり(道の駅宇奈月)、かつては中学校があったりと、宇奈月町の主要施設の最寄り駅でもありました。まあ、それにしても雪が激しい。容赦なく降る雪をすっぽりとコートのフードをかぶってやり過ごしながら待つこと暫し、やって来た電車は元東急の17480。東横線の急行として渋谷と桜木町の間を闊歩している時に、こんな第二の人生があることを、果たして想像していたのだろうか。

「寒い。渋谷に帰りたい。」
雪国暮らしも楽じゃなし。口をへの字に曲げながら、都会の電車がそう言ったような気がした。

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黒部谷、一駅ごとの雪深き。

2025年03月10日 17時00分00秒 | 富山地方鉄道

(雪深き黒部谷に佇む@内山駅)

遥か北アルプスの山々から流れた土砂によって堆積し形成された黒部平野。そんな沃野を走って来た地鉄本線は、愛本から黒部谷に続く隘路を登って行きます。内山地域は、宇奈月に続く道の途中にある小さな集落で、地鉄の駅は県道を降りて消雪パイプの取り付けられた道を行った集落の一番奥にある。駅前広場とは言えない程度の小さな車寄せから十数段の階段を上がれば、少し大きめの待合室を持つトタンの駅舎が。平成初期は一日500人程度の利用があった駅ですが、現在は150人程度。黒部鉄道が通じて宇奈月に集落が形成されるまでは、この内山の集落が黒部谷の最後の集落であったそうで。現在は黒部市の一部分に取り込まれてはいますが、ここはかつての宇奈月町内山。黒部川沿いの街は、現在小学校があるのが浦山で、中学校が荻生にある。以前は愛本に小学校、下立に中学校があったのだが、少子化によって統合されていて、そのために地鉄を使った通学需要が少なからずある。駅のトタンに掲げられた標語は、そんな子供達へのメッセージなのだろう。

土曜日の朝は、通学の子供たちの姿もなく静かなものだ。浦山、下立、愛本、内山と、一駅ごとに雪深くなっていく黒部谷。されど、暮らす人の足を守る地鉄の電車。広い待合室の窓の桟に引っ掛けられた傘の並び。ところどころ破れて使えないものもあったが、これも大事な地域の共有財産である。降り出した雪はいつの間にか激しさを増し、そんな中を傘を差した二人の妙齢の女性がやってきた。街へ出るのかなあ、と思ったのだが、意外や意外、山行きの電車に乗るらしい。折しも三連休の週末、お客様を迎える準備に向かう宇奈月温泉の宿の従業員さんだったりするのだろうか。

やって来た山行きの電車は京阪特急色の10030。西武からNRAが3連でやってきて以降、すっかり中間車にダブルデッカーを挟まなくなって久しい。華やかな観光列車の役割は後任に譲り渡して、今は静かに地域輸送に徹している。そもそも観光需要が戻り切っていない中で、特急の本数も縮減されたまま。車両の繰り回しにそう余裕のある訳ではない地鉄のこと、こういった形が現状のベターな選択なんでしょうが、折角京阪から持ってきたダブルデッカー車両の処遇は気になるところ。

降りしきる雪はなお激しく、山に向かう電車を包む。
雪に消えた列車のタイフォンが遠く山にこだまして、内山の駅に静寂が戻りました。

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