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青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

いとうらさびしへつり

2017年12月12日 18時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(今日も元気だご飯が美味い@湯野上温泉某民宿)

湯野上温泉の朝。旅先の朝は、どうしてこうもメシが進むのだろうか。普段会社に行ってる時なんか置いてあるパンかじったりコーヒー飲んだりするくらいで、まともにメシなんか食ってないもんなあ。塩サバとか目玉焼きとかのありふれたおかずだけど、新米の会津コシヒカリとキノコたっぷりの味噌汁がめっぽう美味い。今日もしっかりメシを食って、元気に乗り鉄に勤しむ一日になりそうです。

  

湯野上温泉は、阿賀川(大川)沿いの渓谷に開かれた温泉郷ですがその歴史は古く、奈良時代から阿賀川の河原に湧き出る湯が使われていたそうです。駅から歩いて15分程度の場所にある温泉街は歓楽要素のない田舎のひなびた温泉場、という感じですが、渓谷に面した場所には新しめの立派なホテルもあったりします。以前は阿賀川の河原に無料の露天風呂があって「湯野上温泉露天風呂」の名前で親しまれていたのですが、訪問客のマナーが悪くて閉鎖されちゃったんだそうな。今は河原にその残骸が残るのみ。


宿の裏手にある阿賀川の渓谷にかかる吊り橋の上から温泉街と会津鉄道の線路を望みます。さすがに会津の朝は寒く、吊り橋の踏み板と欄干が白く凍っている。朝一番の下り列車は鬼怒川温泉行きAIZUマウントエクスプレス2号、まだ日の差し込まない暗い湯野上の温泉街を行く。始発列車が7時半とはずいぶんと遅い始発列車だが、会津田島方面への通学需要とかないのかしら。

  

ちょっと早めに宿を出て、ご主人にクルマで駅まで送っていただく。クルマの温度計は氷点下3度を示しており、結構冷え込んだようだ。朝の湯野上温泉駅では、茅葺きの駅舎内で囲炉裏に火が入っていたんですが、火を焚いても寒い。駅舎の中でお土産物なんかを眺めながら列車を待っていると、底冷えする朝の待合室に飛び込んで来たおばちゃんが旅行姿の我々を見付けて「この時期の寒いのはやぁ~ねぇ~!雪でも降ってくれたほうがよっぽどマシだわ!」と話しかけて来た。そんなもんなのかね。


茅葺き屋根にも霜が降りた南会津の白い朝。湯野上温泉を8時半に出るAIZUマウントエクスプレス4号で本日のスタート。昨日鬼怒川温泉から中三依まで乗った編成かな。会津若松を8時前に出て、東武日光に11時ちょうどに着くダイヤ。「快速」と銘打たれていても通過するのは会津田島~会津高原尾瀬口間の各駅と男鹿高原のみなので、あまり速達性はありません。 

  

さて、東武日光行きの快速に乗ってどこまで行くのか…と思わせておいて次の駅であっさり降りてしまうテスト。暖房の効いた車内から再びしばれる寒さのアウトドアに逆戻りだ。子供がブーブー言っている。下車したのは湯野上温泉のお隣・塔のへつり駅。阿賀川が刻む渓谷の奇勝と言う事で、名前だけは知ってたんだけど行った事はなかったのでね。まあご存知かとは思いますがアタクシ割と地形マニアっぽいトコロがあるのでこの手の観光地には目がないのだ。


そもそも「塔のへつり」とは何ぞやと言う事なんですけど、なんか語感だけで言えば椎名へきるの親戚みたいな感じも致しますが漢字で書けば「塔」の「岪(へつり・山かんむりにドル)」。この「へつり」とは、「断崖・がけ」を意味する会津方言なのだとか。ちなみに自分は子供の頃「塔のへ」「つり」だと思ってました。なんか釣り場とか吊り橋のイメージがあったもんで(笑)。「塔のへつり」のアクセントは「正司敏江」と同じと思っていただけると分かりやすいかと(笑)。


紅葉の時期にはかなりの観光客が訪れる名所との事で、駐車場と観光客目当ての土産物屋が立ち並ぶ様はいかにも日本的なザ・観光地といった趣き。駅から歩いて5分くらいだったけど、果たしてハイシーズンでも鉄道に乗って来る人がどれだけいるのだろうか。まあそれにしても紅葉の時期もとっくに終わって山は冬枯れだし、雪景色でもないし、朝早いし、寒いし、だーれもいないよ(笑)。まあ観光客でゴミゴミしているよりはよっぽどいいけどね。
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湯船で汽笛を聞きながら

2017年12月11日 18時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(湯野上、宵闇@湯野上温泉駅)

会津田島からディーゼルカーに揺られる事30分。今回の旅の目的地である湯野上温泉駅に到着した頃には、もう日もとっぷりと暮れてしまいました。湯野上温泉駅は、南会津の観光地として有名な大内宿の最寄り駅で、駅は全国でも珍しい茅葺き屋根の駅舎になっています。駅前に出るとさすがに日の落ちた会津は寒い…子供が吐く息が白くてSLみたいだと無邪気にはしゃいでいる。今日はここ、湯野上温泉の民宿に泊まる事になっています。


乗ってきた列車は、湯野上温泉で下り列車と交換待ちのために10分少々停車。後ろの土手に植えられているのは桜の木で、春には茅葺き屋根の駅舎と駅を囲むように桜が咲き、なかなかフォトジェニックな撮影スポットなんだそうだ。車内に会津田島から一緒だった会津っぽの爺さん二人組がいる。話を聞いていると、今日はこの先の芦ノ牧温泉で同窓会らしい。田島から芦ノ牧なんて普段だったらクルマなんだろうけど、飲んだら乗れないものね。


民宿に到着した旨の電話をして、駅まで車で迎えに来てもらう事に。湯野上温泉の中心街は駅から少し離れていて、歩いて15分程度の場所にあるんだけど、もう日も暮れて寒いのでね。子供に暗い道歩かしたくないし。と言う事で子供と駅の隣に併設された足湯で待つ事にします。この足湯、足湯にしてはエラい立派な作りで、小っちゃい子供だったらそのまま湯船にしてもいいくらいの大きさがあります。

 

今宵のお宿は、会津訛りの中国から来た元気なお母さんが切り盛りする湯野上温泉の民宿。夕飯に会津名物の馬刺しキター。おろしニンニクとゴマ油の合わせ技は至高。なんか煮魚とか餃子とか海老の炒め物とかすごく家庭的な雰囲気のおかずも次々と出て来るのも民宿っぽいね。子供には変に凝られた食事とか冷たくなったお子さまランチとか、大して食べるものもなく終わってしまいがちな旅館の夕食よりは全然こっちの方がいいよ。普通に美味しいおかずを受け止める白米がまた美味い。会津のコシヒカリの新米らしいけど、家で食ってるコメも新米だと思うんだがまるで別物だ。子供も「ご飯がおいしい」と炊飯器にお代わりを取りに行くほど。


小ぢんまりとした民宿なので、お風呂は内風呂だけで露天風呂などはありませんが、蛇口をひねれば純然たる湯野上温泉のお湯を使い放題。線路に近いので、湯船の窓を開けておくと時折思い出したように会津鉄道のDCが宿の裏を通過して行く音が聞こえます。子供と二人で浸かる湯野上の湯に今日の長旅の疲れを洗い流して、明日に備えてゆっくりと休むことに致しましょう。
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野岩国境を往く

2017年12月10日 10時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(銘鈑は黙して語る@中三依温泉駅)

駅の築堤の下にあったボックスカルバート。「1971-8」のプレートがついていますので、これはこの構造物が1971年(昭和46年)の8月に設置された証なのですが、野岩鉄道自体は1986年(昭和61年)の開業ですからだいぶ開きがありますよね。現在の野岩鉄道は、当初の計画では「国鉄野岩線」として会津線の会津滝ノ原(現在の会津高原尾瀬口)~新藤原間に昭和41年から鉄建公団によって建設を進められた路線でした。鉄建公団とは、赤字で首が回らなくなった国鉄の代わりに鉄道の新線建設を担った特殊法人ですが、その中には現在の石勝線や智頭急行など地方の基幹路線として重要な役割を担う路線を建設した一方、「こんなところに必要ねーんじゃねーの?」的なド田舎に「地方社会のインフラ整備」という錦の御旗を立てて、PC高架橋と長大トンネルで高規格なローカル線の建設を押し進めました。

  

鉄建公団の建設した路線はその収益で債務を償還するスキームになっていましたが、「こんなところに(略)」作られた路線から収益が上がる訳もありませんで、さらに国鉄関連の債務を膨らました結果、とうとう昭和55年の国鉄再建法施行により新線の建設は凍結されてしまいます。野岩線計画もこの法律に巻き込まれ、作りかけの状態で約3年の間工事が中断。その後の建設と運営を福島県・栃木県を中心に設立された野岩鉄道が引き受ける事でようやっと開業にこぎつける事が出来た訳ですが、乗り込んだ会津田島行きの車窓から見る風景は人間より圧倒的にサルやシカのほうが多そうな帝釈山脈の深い山の中。こりゃ収益を考えたら建設は出来ないなあと思わざるを得ません(笑)。線路の規格はホントいいんですけどね。

  

野岩鉄道栃木県内最後の駅、男鹿(おじか)高原駅。野岩国境に横たわる山王峠のどん詰まり。関東最強の秘境駅との呼び声も高く、駅の周囲には一軒の人家もないそうです。公式HPにすら「駅付近には、広場(緊急用ヘリポート)以外特に何もありません。」と断言されているのが笑えます。それでも浅草からの直通列車が現在も停車していますから、「浅草から一本で行ける秘境(駅)」としてマニアに静かな人気があります。こんな人跡未踏の峠道に開業したからには、駅の開業に何らかの意図があったはずなのですが、現状は野岩鉄道の変電所と駅の北側にある山王トンネル(3,441m)の保守作業用の基地としての意味合いが大半のようです。


中三依温泉から乗車した我々親子の他は、会津田島行の6050系2連に乗客は僅か1人のみ。12月の閑散期とは言え観光需要もそれほどまでにないのかなあ、と言った雰囲気ですが、列車はそんなことお構いなしに高規格の線路を突っ走り、下野と岩代の国を隔てる県境の山王トンネルを抜けて福島県へ入ります。福島県に入って最初の駅である会津高原尾瀬口が野岩鉄道の終点で、ここから先は会津鉄道になりますが、列車は会津鉄道に乗り入れて会津田島まで行きます。会津田島までは電化されていますから、実質東武と野岩鉄道の管轄のようなものでしょう。

  

会津高原尾瀬口からは線路の規格は大幅に下がり、いかにもローカル線っぽい短尺レールの継ぎ目を激しく叩くジョイント音を聞きながら会津田島へ。南会津町の中心地である会津田島は阿賀川の上流部に開けた小盆地で、文字通り南会津郡の物資の集散地として古くから栄えて来ました。ここで会津鉄道のDCにお乗り換えになりますが、乗り換え時間が30分くらいあるので駅前のコンビニで色々と補給。駅はなかなか立派で、物産館や観光案内所を兼ねています。


16時半過ぎの会津田島発の改札を済ませ、構内踏切から見る初冬の南会津の山々。頂上は若干の雪化粧。白河や須賀川の中通り地方と会津地方を隔てる山々に夕日が当たりとてもきれいだ。今日泊まる宿におおまかな到着時刻を告げ、1両のディーゼルカーに乗り込みます。横浜から乗った電車は東海道の15両でしたから、今日一日でどんどこ減車されて最後は15分の1になったねえ。福島に入ったとたんに目立つ会津っぽの爺様たちの会津弁賑やかに、会津田島を出発するのでありました。
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ふらり立ち寄り中三依

2017年12月09日 13時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(再び降りたのは我々だけ@中三依温泉駅)

湯西川温泉駅をスルーして先に進みます…とは言ったものの、こっから先に進んでも会津田島までは町らしい町もなく大した観光地がある訳でもないので、湯西川温泉駅の次の中三依温泉駅で下車。朝早くから家を出て来て活動しているもんだから腹が減ったよね。以前この辺りをドライブしていた時に、何軒か食堂みたいなのがあったのと温泉センターがあったんじゃなかったっけ?といううろ覚えの途中下車です。

  

AIZUマウントエクスプレス3号を見送ると、山に囲まれた中三依の郷に静寂が訪れます。とにかく線路の前も後ろも横も山、山、山。少し高い位置を走る野岩鉄道の駅のホームからは、鬼怒川の上流である男鹿(おじか)川に沿って続く会津西街道と、その道に沿って細長く伸びる集落の姿を見る事が出来ます。子供がホームに立って「なーんにもないじゃんこの駅!」なんて悪態を付いていますが、この何もなさが旅気分を引き立てるスパイスである事はもっとオトナにならないと分かんないだろうね。

 

中三依温泉駅前。当然のごとく無人駅。の割には駅前はちょっとロータリーっぽくなっていて整備されている。電車を使うにしても駅まではクルマで送迎する感じなんでしょうねえ。駅の待合室に掲示してあったこの駅の標高は648.8m。起点の新藤原が標高425.3mですからかなり登って来た感じですか。青く澄み切った空は高く、山を降りて来る初冬の風が冷たい。

 

駅前の会津西街道に出てみる。会津と江戸の間を結ぶ会津西街道は会津藩の参勤交代に使われ整備された由緒のある道で、ここ中三依も西街道の宿の一つでした。何となく街道筋の雰囲気と言うか息遣いが宿場町っぽいよね。たまーにクルマが通る他は物音のない静まり返った集落、駅前に出ていた看板を頼りに街道を歩くと、ほどなく現れたいかにも田舎の食堂と言う感じのお店の暖簾をくぐります。どうやら記憶は正しかったみたい。


子供には普通のラーメン、オトーサンはなんかお店の名物っぽい雰囲気のある辛子味噌ラーメンを注文。読んで字のごとくピリ辛の味噌ラーメンを想像していたのだが、出て来たのは溶きタマゴでトロミがついた塩味スープのラーメン。その上にフキと山椒の香りの効いた青唐辛子味噌のようなものが乗っていて、これがめっぽう辛い。想像とは違いましたが、手打ちのモチモチ麺と外の寒さを吹き飛ばす辛くてアツアツなトロミスープがよろしいですな。

  

会津田島での乗り継ぎから逆算すると、ゆっくり食事をしてもまだ1時間以上時間が余っているので、15時半の電車の時間までは駅の近くにあった中三依温泉男鹿の湯で時間を潰すことにします。昔は中三依温泉センターって名前だった記憶があるのだが、リニューアルがされたのかきれいな施設になっていますね。ともあれ子供とのんびり温泉に入り、休憩室でゴロリと横になって子供とうたた寝したり温泉のオーナーらしきご夫婦の子供とじゃれあったり。コテージがあって宿泊も出来るらしい。温泉は透明できれいな硫酸塩系のスベスベしたお湯でした。


温泉入ったりゴロ寝したりしていたらすっかり冬の山里に日は傾き、早くも山の端に太陽が掛かり始めました。AMEの6号が山裾の翳ったレールを中三依温泉駅に滑り込んで行きます。隣の湯西川温泉駅が地下の棒線ホームで交換が出来ないので、ここで交換するダイヤも結構組まれているようです。駅前なのに、道に「クマに注意!」という看板が出ているのもここらへんの山深さを表わしていますが、「クマが出るから早く行こうよぅ」と子供がガチでビビり始めた(笑)。

湯上りの体に冷たい風がピリリと刺す中三依。何にもないですけど、静かで落ち着ける山里です。
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おらほ自慢の観光列車

2017年12月08日 23時06分32秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(スタンプラリー・ファイナル@鬼怒川温泉駅)

大桑でのSL撮影の次は、10月から始めた「私鉄10社スタンプラリー」の最終ポイントである鬼怒川温泉駅へ。駅構内にスタンプ台を見つけた我々、とうとうここまで来たかという若干の感慨はあるね(笑)。10社で2駅のスタンプポイント、最後の20駅目で押すスタンプ。せっかくなので子供に私の分も押してもらったのですが、スタンプラリーの期間も終盤のためかスタンプ台のインクがカスカスで上手く押せなかった…ここまでカネかけておいて、最後の最後で画竜点睛を欠くというしょっぱい終わり方になってしまいましたw

 

SL大樹の運行に合わせて、下今市駅同様転車台が設置され駅舎も大規模にリニューアルされた鬼怒川温泉駅。なんとなくこの手のリニューアルって、どこのデザイナーがやっても木をふんだんに使った内装に暖簾とロゴマークの和風仕上げで、これにアルファベットとおもちゃの飾り棚が加わったらほとんどミトーカデザインじゃねえか的な既視感があったりなかったり(笑)。

 

鬼怒川温泉駅には明日も来る予定なので、とりあえずスタンプを押したら先を急ぐことにします。お次の列車は快速会津マウントエクスプレス3号会津若松行き。会津若松~東武日光というゴールデンルートを繋ぐ、会津鉄道自慢の快速列車。以前は名鉄の特急北アルプスで使われていたキハ8500系を使用しておりましたが、カミンズ社製の高速エンジンを搭載した名鉄の特急車両は丙線規格の会津鉄道では過剰スペックだったようで、譲渡後僅か8年で廃車となってしまいましたね。


現在AIZUマウントエクスプレスに使われている車両は、会津鉄道のAT-700型気動車。最近の三セク向け気動車のスタンダードである新潟トランシス製造の「NDC」ですから、天竜浜名湖とかいすみ辺りでさんざん見慣れた顔。さっき鬼怒川温泉に到着したスペーシアからの乗り換え客が乗車します。大きく「30」のヘッドマークを付けたAME3号、1987年に国鉄会津線から第三セクターに転換した会津鉄道は今年でめでたく開業30周年なのだとか。

  

見た目は没個性ながら、「AIZU」の名を背負って走る観光列車だけあって内装のしつらえはなかなかハイスペック。出入口とはガラスのパーテーションで仕切られた座席は、ゆったりめのフルリクライニングシート。車内販売の会津のオネーサン(みのもんた基準)から冷やの地酒を買い求める老夫婦、グラスのおちょこで美味しそうに飲み始めた。思わずこちらもオネーサンを呼び止めそうになってしまうけども、子供がいるのでとりあえずはホットコーヒーで我慢(笑)。

 

鬼怒川の渓谷沿いに大きなホテルが立ち並ぶ鬼怒川温泉。団体客や企業の慰安旅行が減少して元々斜陽化していたところに東日本大震災が追い打ちをかけ、何年かは相当に客入りが悪くなったそうだ。一部の有名旅館は安泰なのだろうけど、大部分の大型ホテルは外資に買収されたり、インバウンド受け入れに躍起になったり、廉価路線に活路を見出したりと生き残りに必死でしょうね。川沿いに立つあさやホテルの大迫力。どこかの国の航空母艦のようでもありますが、その先にはかつては栄華を誇ったであろう大型ホテルが無残にも廃墟化した姿も見えたりして、昭和の大温泉地の悲喜こもごもであります。

  

鬼怒川公園を出ると鬼怒川の谷もいよいよ狭まり、切り立った山裾の下を車輪を軋ませながら制限25のカーブを回って行くと東武電車最北端の駅・新藤原。ここから野岩鉄道会津鬼怒川線に入り、一気に線形が高規格なものに変わって会津西街道沿いの深山幽谷を高架とトンネルで突き抜けて行きます。轟々とトンネルを抜けて龍王峡、トンネルを抜けては川治温泉、温泉街を高架橋で見下ろして川治湯元、そして線内最長の葛老山トンネル(4,250m)の出口付近にある地下駅・湯西川温泉に到着すると、約半数くらいの客が降りて行きます。平家落人の隠れ里として有名な湯西川温泉はここからバスで30分程度。


本当は湯西川温泉駅で降りる予定だったんですよね。駅に併設して温泉&道の駅もあるみたいだし、五十里湖でも見ながら温泉&食事でも…と思っていたんですが、出発する何日か前のニュースで現在の五十里湖は何十年ぶりかの大改修でダムの水を抜いてしまっている事を知りましてねえ。ご飯食べてから野岩線の一番の撮影ポイントである五十里湖を跨ぐ鉄橋のアングルでも行ってみようかと思ってたんですが、水のない湖を見ても面白くもなんともないだろうってんで先に行く事にしました。

湯西川温泉を出ると渡る五十里湖の橋、ニュースで流れてた通り全く水がない。
テレ東の「池の水全部抜く」じゃないけど、最近そう言うの流行ってるんですか?(笑)。
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