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青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

照らし出せ 闇の向こうの そのレール。

2022年01月24日 17時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(雪の夜@会津荒海駅)

雪の夜、交換駅にやって来た6050系野岩車。撮影したのは会津荒海。朝も立ち寄った場所なのでとてもヒネリがないのですが、残念ながら夜の会津鉄道、駅間でどうにかなるほど明るい場所などありません(笑)。最近の一眼は高感度に強いですから、明るい単焦点でも付けてめちゃくちゃ感度上げれば写るかもしれませんが・・・そういう「機材の力の暴力」で撮れるほどのモノは持ち合わせておりません。オーソドックスに雪レフを使った駅撮り。ホームに腰の高さまで積もった雪が、構内の水銀灯に照らされて眩しい。

もうこの時間になると車内に人の姿は少なく、僅かな乗客が、暖色の温かいモケットに包まれたボックスシートで手持無沙汰そうに交換列車を待っています。ほどなく構内踏切のブザーが鳴って、下今市行きの電車が入線して来ました。少し立っているだけで、足元から冷気這い上がってくるような雪の夜。淡々と南会津の小さな停車場で行われる交換シーン。カウントダウンを感じさせない力強い光跡が、交換駅のレールを照らします。

現在の野岩線内の6050系列は2連が4運用で回転していますが、夜7時台の田島行きは終点の会津田島でそのまま滞泊し、明日の9時台の区間快速に。そして下今市行きは、折り返して鬼怒川温泉に向かい、そこで滞泊となります。お互い、今日の仕業はもう少し。エールの交換を終えて、それぞれの目的地へ向かう僚友。運転士が6050の箱型の前照灯をハイビームに切り替えると、雪の中に続く二条の進路が現れました。

日光会津の険を担って30有余年。道を照らせ、暗闇の中の、その先へ。

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冬会津 遠き日 晴れ着 成人式。

2022年01月22日 12時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(雪の街を見下ろして@鶴ヶ城天守閣)

あっという間にコロナ変異株は日本中を席巻しておりますし、先週はトンガ噴火による全国的な津波災禍、そして今朝は日向灘を震源とするマグニチュード6を超える強い地震と、2022年が始まってからまだ20日しか経っていないのに今年も日本は年明けからハードモードであります。感染もこうも急拡大してしまうと、さすがに今回は「そう重症化しないよ!」と言われても、またなかなか外出のしにくい時期になって参りました。子供はワクチン打ってませんし、職場でも部署によってはちらほら感染者が出始めているような状況ですから、こないだの三連休に会津まで行って来られたのがまあ良かったかな、という感じですね。そろそろ手元に1月末の支払関係、年末年始の出費、ちょこちょことしたお出掛けのカード代金やらなんやらの精算が回って来て少し予算オーバーもしているので、このオミクロン期を良き財布の骨休めだと思う事にする。写真は鶴ヶ城の天守閣から、雪の会津若松の街を見下ろした一枚。深々と雪の降る冬の会津、街の雑踏も、クルマの音も、雪に包まれて聞こえて来ない。物音のない静寂に。

雪の天守閣。成人の日を控えた週末という事もあって、城の回りには晴れ着を着て成人式の前撮りに励む会津の若い女性が非常に多かった。会津若松の市民にとって、鶴ヶ城というのが特別なものであることが良く分かる。成人式など自分にとってはとうに昔の事で、もう忘却の彼方のこと。今年の新成人が平成13年~14年世代と言われるとつい最近じゃない、という感じもする。今年の新成人は全国で120万人だとか。自分らの世代だと200万人くらいいたような覚えがあるのだけど、この事実が人口減少社会の日本って事なのかもしれない。

会津若松では息子と一緒に鶴ヶ城の他、県立博物館や白虎隊の墓を詣でたり。家族へのお土産には定番の「赤べこ」と「ままどおる」。福島の菓子と言えば、柏屋の薄皮饅頭かままどおるって相場が決まってるところあるよな。本当であれば東山温泉にでも宿を取って一泊して行きたいところですが、こんな状況下ではなかなか外泊という訳にも行かず・・・田島の街で温泉と食事。子供はロースカツのソースカツ丼に夢中。宿泊しない分、メシにはカネをかけた遠征であった。夕方の会津田島発の下今市行きはリバイバルカラー。普段はリバイバル2編成で4連を組んでいる事の多いコンビがこの日はバラ運用。夕暮れの田島の街を、野岩国境に向けて発進して行きました。

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西街道 郷土の味に 温まり。

2022年01月19日 17時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(郷土の味に舌鼓@会津ラーメン)

寒い中で撮影をした後は、温かいものが食べたくなるもの。会津地方は、喜多方ラーメンを始めとしてラーメン屋が非常に多い。そんな会津の、国道121号沿いのとあるラーメン屋さん。会津地方は、朝にラーメンを食う「朝ラー」なんて言う習慣もあると聞いたのだが、この店も朝9時からやっているのは嬉しい。真夜中から動いていて、息子も自分も結構腹が減っていた。昼メシには少し早いかな?という時間に暖簾をくぐると、意外や意外のほぼ満席。地元のそれなりの有名店らしい。会津らしい醤油ラーメンの上にはチャーシューがどっさり。別にチャーシューメン頼んでないのにこの肉盛りの良さ。まあ自分なんかはラーメンは麺とスープが美味しければ・・・というタイプなんだけど、息子は大喜びでした。

ここは別にラーメンブログではありませんが、久し振りの本場の会津ラーメン。すっきりした醤油スープと、モチモチ、ピロピロした自家製の手打ち麺。ああ、この味この味という感じ。意外なほど太い麵が吉田うどんのようで面白かったのだけど、最初に訪問する一食目なら普通の麺の方が良かったか。東北方面のラーメンは、佐野・白河・会津・喜多方と、基本的にはオーソドックスな澄んだ醤油スープにモッチリ系の手打ち麺という組み合わせが多いと思うのですけど、やれ豚骨だ背脂だとならない分スッキリしていて食べやすくて好きです。小さい頃、千葉の祖父母の家に行くと必ず行くラーメン屋があったのだけど、そこのラーメンが確か白河ラーメンの流れのお店だったんですよね。なので、この南東北系に分布するラーメンの味は美味しさと同時に懐かしさを感じてしまいます。このお店のスープは、少し煮干しで酸味が効いているような感じでした。ごちそうさまでした。

お腹も満たされ、体も温まった中で訪れた芦ノ牧温泉駅。そうそう、4年前にも湯野上温泉に泊まってここまで会津鉄道に乗って来たんだった。あの時はここまで雪はなかったかなあ。会津荒海のおばあちゃんも言ってたけど、やはり今年は雪が多いのかもしれない。まがりなりにも会津若松市と南会津町は、一部地域が国の特別豪雪地帯に含まれる場所でもある。

芦ノ牧温泉駅を出て行く会津鉄道のNDC。阿賀野川の上流部である阿賀川(大川)に沿って、会津滝ノ原(現:会津高原尾瀬口)までを結んでいた元・国鉄会津線。本州では最後まで蒸気機関車(C11)による貨物列車の牽引が行われていた路線でもあります。米沢から喜多方~会津若松を経由して鬼怒川に向かう鉄道の計画(国鉄野岩羽線計画)は古く、明治時代から長年に亘って計画されていたもの。従来の郡山回りとは別に、日光から会津若松への裏街道を鉄道で結ぶルートでした。雪深い山王峠を境に分かれる下野と岩代、そして会津へと繋がる道は、江戸と会津を結ぶもう一つの重要な交易路。そして、新政府軍が幕府と奥州列藩同盟を会津に追い詰めた、戊辰戦争の戦いの道でもあります。

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会津路よ さらばの春へ あと僅か。

2022年01月16日 17時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(会津へ@日光市横川)

今回のドライブ、最終目的地は会津若松の鶴ヶ城。という事で夜中に家を出て来たのだけど、午前2時に叩き起こしてクルマに乗せた息子も、最初のうちははしゃいでいたが次第に眠くなって来たのか、隣で寝息を立て始めた。朝の会津西街道を山王峠へ向かって男鹿川の谷を詰める。鬼怒川から川治の温泉街を抜けるといよいよ道の脇の雪は深く、五十里ダムの堤体に取り付いて登り切ってからは、僅かな集落を除けばほぼ人跡未踏の雪の森林帯を走る。路面は除雪されていてドライなので、走るのにそう苦労することはないのだけど、会津に入ってからは流石に路面にも雪が目立ち始めた。

国道121号に沿って走る野岩鉄道は、会津高原尾瀬口駅から会津鉄道に変わります。すっかり雪景色の南会津、会津高原と会津田島の間にある会津荒海駅にクルマを寄せます。この辺りでちょっくら6050系を撮りたいと思っていたんですよね。寝ていた子供を起こし、防寒具と長靴を履かせてスタンバイ。会津荒海駅は、農産物の直売所が併設された妙にメルヘンチックな建物。各地の第三セクターが国鉄からの転換時にこのような駅舎をやたらと建設したような覚えがあるのだが、ここもその一連の流れのうちなのだろうか。

最近はお名残り撮影の同業者も増えて来た6050系の周辺。会津鉄道線内では中荒井と会津荒海の間にある雪原の真ん中の踏切で撮影するのが流行りみたいですね。但し、子供連れではあまりハードな撮影地に連れて行く訳には行かないので、カメラを構えたのは駅の近くの除雪された踏切。悴む手に息を吹きかけて列車を待っていると、子供連れの親子がこんな場所にいるのが珍しいのか、通りすがりのおばあちゃんから声を掛けられる。除雪用のグレーダーと、雪捨て場へのダンプが行き交う、南会津の冬の朝。

後方から警報音が鳴り、会津荒海の駅に進入して来た305レ。ここで会津田島発の区間快速と交換予定。会津荒海での乗降客はありませんでしたが、お名残り乗車と思しき乗客が一寸ホームに降りて写真を撮っているのが見えた。会津荒海の駅は、会津田島~会津高原尾瀬口間唯一の交換駅。電化区間終点の会津田島駅には電車が入れるホームは1線しかないので、いきおいこの駅で上下の電車が交換するシーンが多くなる。

除雪車両の作業の邪魔にならぬように三脚を出し、カメラのセッティングをして息子にシャッターを任せる。傍らの踏切が鳴って、会津田島発の区間快速・新藤原行きが軽く雪煙を上げながらやって来ました。6050系のうち、野岩鉄道所属になる61103F。寒冷地用の霜取りパンタを上げて走る姿は文句なしにカッコいいですなあ・・・区間快速と言っても、昔の浅草まで行く時代の区間快速(下今市~新栃木間は各駅停車)とは違って、会津線内の会津田島~会津高原尾瀬口間が無停車になるだけ。それでも、長年の東武ユーザーは青幕の「区間快速」の文字を見て、2+2+2の6連で北関東の平野を走り抜けた6050系の姿を既に懐かしく思うのかもしれないですね。

オトナアングルの手持ち広角側は、軒に降り積もる会津の雪を入れて、やや情景っぽくまとめてみました。思えば、野岩線開通後に走り始めた東武鉄道の快速列車(区間快速を含む)は、都心から会津まで優等料金なしでの直通という破格待遇。加えて、2扉のボックスシートの程度のいい車両が、分割併合をしながら東武・野岩・会津の3社に乗り入れていたという、あたかも国鉄全盛時の多層建て急行列車のような稀有な存在でした。1986年、国鉄時代からの悲願を引き継ぐ形で、首都圏から会津の新しい扉を開いた野岩・会津の両三セクですが、沿線の過疎化、そしてコロナ禍による利用者の大幅減により、開業40年を前にして、大きな岐路に立たされているのは間違いないようです。

3月改正の後は、電車での普通列車運行が廃止される会津高原~会津田島間。ここで6050系列が交換する光景も、あと2ヶ月程度という事になります。6050系が走らない分は、会津鉄道がDCで運行して補完するそうですが、そうなると、この区間を走る電車は4往復のリバティだけって事になる。そのために電化設備を維持するというのも、随分オーバースペックな話だ。

-5℃の空気の中、区間快速がバチバチバチ・・・!と激しくアークを引いて滑り込む、会津荒海の朝。
会津路よ さらばの春へ あと僅か。

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全部雪のせいだ。

2022年01月10日 17時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(雪を纏いて聳え立つ@会津・鶴ヶ城)

広島行きはキャンセルしたものの、何ともモヤモヤ感が残ったままの三連休。年末に新調したスタッドレスの試走がしたかったこともあり、連休の中日は0泊2日で会津まで息子とドライブして来ました。安芸の宮島から雪の会津へ。何という変わり身の早さかと自分でも笑ってしまうのだけど、息子が楽しみにしてた広島行きを取り上げられて結構ガッカリしてたんで、何がしかの代案を出したかった、ってのはあったんだよなあ。新幹線ではなくクルマなのでソーシャルディスタンスは確保されるし、基本的にマスクを付けて、黙撮・黙食・黙観・黙浴の黙尽くし。くれぐれも人混みには近付かず、食事も食べたら長居は無用・・・という道中。まあそもそも冬の会津、そこまで人が居なかった。雪降ってたし、寒いですしね。それにしても雪を纏った鶴ヶ城の美しい事。これには連れて行った城好きの息子も納得の立ち姿である。

会津へは、下今市から会津西街道(国道121号線)を延々と北上するルート。都内を抜けるのに外環と首都高を使ったくらいで、往復800kmは基本的にはまったり下道で。鬼怒川を超えた辺りからの雪景色、路面状況は乾雪路から圧雪路まで様々。野岩線や会津鉄道の時間を見ながら、撮れるタイミングではカメラを向けたりとノープランの旅路。あ、そうそう、肝心のスタッドレスですけどね、正直なところ導入したのはヨコハマの特価品だったんで、会津若松の市街地の圧雪路面みたいなシビアコンディションではやはり値段なりの性能で辛かった。日中に表面が溶け出すスケートリンクな路面だから、何履いていても滑るっちゃ滑るのだけど・・・前の車が急にロードサイドのドラックストアに入ろうとブレーキを踏んだのに反応してギュッと踏んだら、ズルズルズルっと行ってしまい肝を冷やす場面もありましたしね・・・。結論から言えば、雪道は車間距離を開ける、フットブレーキよりEB優先、発進は踏み込まずクリープで、という基本原則を再認識した形となりました。スタッドレスは魔法の杖ではないんですよ。当たり前の事ですが。

たった一日で、一冬分の雪を摂取して来たような気分になった雪の会津路。立ち寄った会津鉄道・芦ノ牧温泉駅。降りしきる雪を衝き、南会津の街道筋を結んで走る気動車の姿。色々あったが、やっぱり雪はいいですよね。雪と戯れた後に食べるアツアツの会津ラーメンとソースカツ丼、食後は温泉で親子ともども大満足。全てを雪のせいにして、ガス代+食事代+湯銭にて、広島の仇を会津で討つ形になりました。

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