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青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

茜空 染まる妙義の 山襞や。 

2021年08月17日 17時00分00秒 | 上信電鉄

(盛夏の夕暮れ@上州福島~上州新屋間)

すこぶる好天に恵まれた西上州の一日も、そろそろ日暮れの時間。沈んで行く太陽と焼けて行く空を、大きな風景の中で切り取りたく場所を探していると、上州福島の先に線路を跨ぎ越す跨線橋があるのが見えました。お誂え向きに、道路の脇には歩道部分もあって安全に撮影が出来そう・・・ということで、三脚を出してここで暫し日暮れまで粘ってみることにしました。蜩のカナカナという声と、虫の集きを聞きながら待っていると、突兀としたトリッキーな稜線を見せる妙義山の向こうに太陽が沈む直前、高崎行きの7000形が通過して行きました。

段々と空の光量が落ちて来て、シャッタースピードが稼げなくなって来た。最近のデジは、高感度撮影も昔に比べればそう画質が下がるという事もなくなっているけれど、露出がないならないなりの撮り方をしてみるのも面白い。折角三脚出してるので、レールを構図の中に放射状に配して露光間ズームなんかやってみたり。ズームリングの回し量と電車の速度をピタッとシンクロさせないといけないところにゲーム性があって面白い。もっときっちり止めたいんだけど。

妙義の山の向こうに太陽が消えて、真っ赤に空が焼けて来た。夕焼け空の茜の色が、青田の水面に映り込んで非常に美しい。朝だけ顔を出していつの間にか高崎に戻って来た700形のジオパーク編成、迫り来る夏の宵闇にヘッドライトを輝かせ、運用が増える夕方から再度出動です。車体の姿より、空の色と大地の色を重視した露出で、優しくシャッターを切りました。

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たまごみず 西上州の 湯に遊び。

2021年08月15日 17時00分00秒 | 上信電鉄

(金鳥のホーロー看板の懐かしき@大島鉱泉)

引き続き先月の上信電鉄訪問記をつらつらと書いておりますが、そう言えば、物議を醸し過ぎた東京オリンピックもあっという間に終わってしまいましたね。そして、オリンピックと並行してコロナの感染爆発が止まりません。変異株とやらの置き替わりで、燎原の火の如くいよいよ世界を飲み込み始めた新型コロナ。日本に目を移せば、コロナの爆発的感染に加え、言われなくても帰省を控えざるを得ない全国的な豪雨・・・猛暑、豪雨、コロナと何もいい事のない2021夏。なので、とても外出してカメラを持つような状況になく。と言うか、先月でも上信電鉄に行っておいて良かった。それすらなかったら、書く事なくて開店休業だったよ(笑)。

閑話休題。猛暑の中で撮ったり乗ったり降りたりを繰り返し、相当汗もかいて体も汚れたアタクシ。替えの服を持って来ていたので、そろそろ一回汗を流してサッパリしたいね・・・ということで、上州富岡に置いておいたクルマを回収。富岡市の郊外、田園風景を辿りながら、大島鉱泉という山の湯を訪ねてみました。鏑川の支流の野上川と言う小さな川のほとり、「金鳥」のホーロー看板が素敵な一軒宿。裏には上信越道が通っているはずなんですが、えらく奥まった閑静な場所にあって、ふらっと通りがかりで立ち寄るという感じではない。あくまで地元の客と、ツウ好みのマニアでもない限り、こんなとこにはなかなか足が向かなそう。

大島鉱泉は、以前は宿泊も受け入れていたようですが、コロナのせいかどうなのか、現在は日帰り客を受け入れるのみの営業体制のようです。鉱泉宿ってのはいきなり行っても「お湯を沸かしてない」とか言われて断られてしまう事も多いので、一応上州富岡の駅を出る前に電話を入れたんだけど「ああ、やってますよ!(夜)7時くらいまで!」という快活な返事。宿でありながら群馬県の銭湯の登録を受けていて、銭湯価格で楽しめるのが良いところ。県の銭湯の中では唯一の天然温泉なんだそうで・・・いかにも昭和的なこの手の観光要素皆無の鉱泉宿って大好物なんですよねえ。雑多な調度品の並ぶ受付周りの雰囲気も好ましく、独りきりの貸切の湯。ひとしきり汗を流して浴槽の淵に座る。鉱泉水をボイラーで沸かす昔ながらの鉱泉宿で、2つあるカランからは沸かした鉱泉水と源泉の投入が可能。源泉は強めのタマゴ臭とほのかに鉄の香りがし、ツルツルと冷たい。上がり湯代わりに硫黄の香る冷えた鉱泉水をかぶるのは、この暑さの中でひとしおの贅沢である。

小一時間西上州の山のいで湯に遊び、大島鉱泉を後に。すっかり太陽は西の妙義荒船に傾いていたものの、昼間の灼熱の名残りを残す熱風が田園地帯を吹き抜けていました。遥かな山並みを望む農村風景は、太古の昔から続く日本の営みのありようだ。そう思えば、ウイルス禍も、気象の歴史にないような豪雨も、奥底のところは「気候変動」と「環境破壊」いうキーワードで繋がっているような気がする。人間が生きるために食糧を増産すれば、耕地の確保のために森林は破壊され、そこで暮らしていた未知のウイルスを持つ生物との接触の機会が高まる。そして食糧増産や森林伐採に伴う気候変動がさらに環境の破壊を進め、永久凍土や極地の氷に封じ込められた太古のウイルスを呼び覚ますのではないか・・・なんて言われてますよね。

ことこの状況に至り、今更二酸化炭素やメタンを少し減らしたくらいでどうにかなるものでもないとは思うのだけど、こんな風景が当たり前に楽しめるような世の中が、永遠のものでなくなる未来は、すぐそこに来ているようです。

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居住まいを 正す背中の 凛と倫。

2021年08月11日 17時00分00秒 | 上信電鉄

(礼を尽くす@上州福島駅)

上信電鉄は、地方私鉄の割にはそこまで無人化が進んでおらず、終日ではないものの駅員が勤務する駅がそれなりに残っています。構内踏切の向こう。駅を出る電車に、丁寧な挨拶をする上州福島駅の女性駅員さん。どれほどの人が見ているか、クーラーの効いた車内から、そもそも乗客の目に映っているか。制服仕事らしい凛とした所作。猛暑の午後を、少しだけ爽やかな風が吹き抜けました。

木造平屋建ての上州福島駅。上州福島は甘楽郡甘楽町の中心駅で、上品な車寄せの形といい、街の玄関口としての風格がそこはかとなく感じられる駅舎。駅の真横にこんにゃくゼリーで有名な「マンナンライフ」の甘楽工場があって、それこそ駅の前から蒟蒻畑という感じでしょうか。こんにゃくゼリーの類、かつては弾力があり過ぎて誤飲による窒息が社会問題化した事がありましたが、罪悪感の少ないヘルシー系の食い物で女性を中心に根強い人気があります。自分も一時期凄く好きで、フリーザーで蒟蒻畑を凍らして食べるの大好きだったなあ。あ、そうそう。何年か前まで上信電鉄のラッピング電車と言えばマンナンライフの印象が強くて、蒟蒻畑とかララクラッシュとかの全面広告で走ってましたよね。上信の沿線では一番の有名企業だと思うんだけど、最近広告は出してないのかな。そーいやマンナンライフ、あんだけやってたTVCMも最近あまり見なくなってしまったような・・・?方針転換?(調べたら、西武新101系がマンナンライフラッピングで1編成あるそうです。失礼しました)

甘楽町には、徳川家康の娘を娶った奥平氏の城下町として栄えた小幡の街並みがありますが、駅からはやや遠く、行くならレンタサイクルかタクシーを使うしかない。時間があったらチャリンコを借りて城下町や沿線をキコキコしてもいいかなって思ったけど、暑過ぎて流石にパス。駅の構内側線に転がっているクハ304とテムを眺めて無為に時間を潰す。クハ304、貴重な自社発注車200形の末裔なのでせめて塗り直すくらいやっとけばいいのに・・・なんてぼんやり眺めてたんだけど、私が訪問したすぐ後に高崎に送られて解体されてしまったらしい。南無。

マンナンライフの甘楽工場をバックに、上州福島駅に滑り込む緑ツートン。これまた女性駅員氏が丁寧なお辞儀で迎えた。今の世の中コスパ優先で商売の仁義も何もなくなり、モンスターカスタマーが増え、いちいち丁寧に客の相手をする方がバカを見る時代である。店も客を選ぶ権利があり、客と従業員は対等だ!という意見が優勢になりつつあって、それはそう・・・と納得はしてしまうのだけど、商売の入口としてまず礼を尽くす事の倫理に、思わず居住まいを正してしまう。そんな上州福島駅の昼下がりなのでありました。

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西上州 白きダイヤと 絹の道。

2021年08月09日 17時00分00秒 | 上信電鉄

(鉄道の栄華を残す施設達@下仁田駅)

白壁にマル通マークが鮮やかな白石工業の日通倉庫。白石工業は、下仁田の山中で石灰石を採掘して関連製品を製造している下仁田の地元企業。「白艶華」というブランドで、純度の高い生石灰を出荷する事でその業界では有名なんだそうで、かつてはこの倉庫にも鉄道貨物用の製品が大量に置かれていたのでしょうね。石灰っていうと、パッと思い付くところではセメントの原料だったり校庭のライン引きくらいのイメージしかないと思うのだけど、強いアルカリ性を持っているので、作物の取れない酸性土壌の改良だったり、多孔質の形状を活かして液体内の不純物の吸着や漂白だったり、はたまた発熱剤や吸湿剤など、意外に生活に身近な場所で色々な用途に使われている重要な鉱物資源です。

下仁田駅の北側にあるバラスト積み場。こちらにも元々は貨物ホームと倉庫があって、平成6年頃まで青倉工業から出荷された石灰が高崎経由で渋川まで運ばれていました。ここから出荷された石灰は、白根火山や草津温泉に起因する吾妻川の強酸性の水質を中和するための製品だったらしい。草津温泉の排水が流れ込む川の水に大量の石灰を混ぜ、ダムに湛水して反応させてから吾妻川に流すことで、水質環境の保全を図っているそうで。吾妻川の中和事業に関しては半永久的なものだろうから、貨物輸送の廃止は輸送形態が鉄道からトラックに切り替えられたって事なんでしょうね。出荷先はどこだったのかな。渋川で化学系の会社と言えば、関東電化工業向けなのかなって感じがするけど。

バラスト積み場の裏の倉庫群。三角屋根の倉庫が、かつての青倉工業の倉庫。今はひっそりと廃屋的な雰囲気になっていて、何に使われているのだろう。やたらと古びた木の棚のようなものが大量に積まれていたのだが、ひょっとして山中の石灰石工場で使われていた白艶華の乾燥棚のようなものなのだろうか。それとも、この地域で石灰石と同様に盛んだった養蚕事業で使われた蚕棚みたいなものなのだろうか。この地域は、当然ながら富岡製糸場のお膝元。近郊の農家では、畑作同様に養蚕が盛んに行われていた事は想像に難くありません。

駅の周辺を散策して、下仁田駅の待合室に戻る。高天井の木造駅舎は、土間が打ちっぱなしのコンクリートになっていて、流石に表にいるよりは涼しい。上信電鉄の駅は、駅員がいる駅に関しては結構頑なに列車別改札を守っていて、折り返しの電車が到着して、全ての客が下車してからでないと乗車客の改札は始まりません。外の気温は、おそらく35℃に近くなっていると思われる油照りの午後。冷えた缶コーラを飲みながら帰りの電車を待つ。

そうだ。「孤独のグルメ」の劇中では、松重豊演じる井之頭五郎は、この待合室のベンチでうたた寝をしてしまい、帰りの電車を三本も乗り過ごしていた。三本目の電車が発車するタイフォンの音で飛び起きた五郎さん、正名僕造扮する駅員に「何で起こしてくれなかったんですかっ!」て詰め寄るんだけど、駅員は「だって、起こしてくれなんて言われなかったし・・・とっても気持ちよさそうに寝てたもんだから」なんてトボけた返事で煙に巻かれていたっけ。まあ、寝過ごしたおかげで、夕飯も下仁田で食べる事になり、コロムビアの豚すき焼きにありつけるのであるが・・・

暑過ぎて五郎さんの様にうたた寝する気にもならず、帰りの列車は14時40分発の40レ。コーラルレッドでやって来た。下仁田に来るときに乗って来た6000形は側線に転線し、明日の朝までお休みモード。真夏の光線にコーラルレッドはギラギラして、西上州の暑さを余計に増幅させるような色使いである。

ホームでの撮影もそこそこに、エアコンの入った車内に逃げ込む。車端部のお一人様スペースに座ったら、ちょうど出入り口のドアから白石工業の日通マークと駅名標が見えた。下仁田の夏の空は青く青く澄み渡り、白い雲がほわりと浮かび、我慢ならんくらいに猛烈に暑い事を除けばまことに麗しい夏の景色だったり。街自体にも風情と雰囲気があって、少し肌寒くなったくらいの時期にまた歩きに来てみたいなあ。今度は名産のコンニャクで、味噌田楽でもつつきながら・・・

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看板に 偽りのなき その美味さ。

2021年08月07日 17時00分00秒 | 上信電鉄

(山の彼方の空遠く@下仁田駅遠景)

昼下がりの下仁田駅の構内を、千平寄りの四種踏切から。妙義荒船の前山に阻まれるような形で、ここ下仁田に終わっている上信電鉄のレール。もとより「上信」という名前を冠し、明治30年に敷設されたこの鉄道は、下仁田から先、内山峠を越えて遠く信州は佐久の街を目指す構想がありました。しかしながら、その高い志は実行に移される事はなく、下仁田から先の工事はほとんど進捗しないまま今に至ります。もとより、標高250mの下仁田から、約15kmで標高1150mの内山峠を越えて信州の扉を開くには、相当な難工事と急勾配のルートになったろうな・・・と。勾配を緩和するために長大なトンネルを掘る事が出来なかった当時としては、計画の時点でなかなか無理があった話なのではないかと思うのです。

信州への夢半ばにした下仁田の駅を出て、街をそぞろ歩いてみる。真夏の日差しに白く煙ったような西上州の街は、入り組んだ小さな路地に、これまた小さな昔ながらの商店が軒を連ねていて、イイ感じにワビサビが効いている。そんなレトロな商店の間に、時折昔ながらの立派な商家が混じっていたりして、何とも日本人的な「ふるさと」の光景が広がっている。

時刻は午後1時半少し前。下仁田の街、昼下がりの路地裏。朝早く出て来て、コンビニのパンを齧っただけの道中。小腹も空いた。目の前の「餃子・タンメン」の看板に誘われて・・・と言うか、下仁田に来たら、この店に来てみたかった。殆どテレビドラマなんぞ見ない自分が、毎シーズン欠かさず見ているTXの「孤独のグルメ」でも登場した「一番」さんへ。隣の「コロムビア」もすき焼きの名店としてドラマに出て来たのだが、また下仁田に行く機会があれば行ってみたいところ。

劇中、松重豊演じる井之頭五郎が座った席で、看板メニューでもあるタンメンとギョーザ。カポカポとお兄さんが中華鍋で野菜を炒め、白湯のスープと煮込み、しっかり茹でたヤワ目の太麺と合わせたたっぷり野菜のタンメン。そして皮から手作り、その場で包み、長年使われているであろう鉄鍋でしっかり焼かれた手作りギョーザ。うん、塩味スープの旨味が野菜に染み込んだタンメンも美味かったけど、特にギョーザが美味かったね。ニンニクの効いた柔らかめの餡にモチっとした口触りの皮。鉄鍋に当たって焼けた部分はカリっと羽根付きで香ばしいし、もう一皿食べたかったわ。さすがに看板メニューなだけあります。看板メニューという言葉は、看板に書いてあるから看板メニューなんだよね。なんて事を今更ながら再認識してしまった。

店を出て、満腹の腹を揺すりながら、夏の下仁田の路地裏をもう少し散策する。しかしなあ、昼にこうしてメシ屋やラーメン屋に入る事が当たり前だった時代が遠くの昔に思えて来るな。最近は、会社行っても撮り鉄行っても、コンビニのパンかおにぎりを車の中で食べてばかり。そんな生活がかれこれ一年半以上続いているような・・・いやね、一人ないしは家族で小ぢんまり静かに食べるなら外食しても良いと思うんよ。でも一人で飲食店に入ると、衝立があっても大声で喋る隣の客だったり、昼からビール飲みながら大きく咳き込んでる爺さんだったり、自分以外の客の行動がいつにも増して気になってしまってね。そうなるとクルマの中のコンビニ飯でも落ち着いて食えるほうがいいやって。そんな悲しい時代になってしまった。

商店の立ち並ぶ表通りから、狭い裏路地に入った場所にある神社。何か壁に張り紙がしてあるな、と思い近付いて読んでみると、ああ、世の中にはこういう篤志家と言われる人たちが本当にいるのだな、と言うようなエピソードのご報告。新型コロナウイルス蔓延で打沈む今日、太陽がうち昇り世を照らすような明るさを感じたという神社の感謝の言葉。下仁田は、なかなか優しい人のいる街である。歳を取ったら、こういう暖かみのある街に住んでみるのも悪くないかも。昼からタンメンとギョーザで、ビールのコップを傾けながら・・・

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