熱帯ゆるゆる日記

マレーシアでの期間限定生活日記。
2008年駐在開始、そして2011年 本帰国しました。

軍事施設に拉致されかかった の 巻

2011年05月04日 21時26分25秒 | おでかけ・クアラルンプール
私は ひそかに マレーシア人の女性・Putih(仮名)さんを師として おけいこに励んでいます。




ひそかに



ひそかに
ひ そ か に









とある春の日  Putihさんの提案により  Putihさんの先生であるSopan(仮名)さんのもとに いっしょに学びに
行こうということになりました。




私としては どっちでもいいのですが 師の師 であれば 私の知らない世界を垣間見るチャンスかもしれない

と向学心に燃えたわけでも ありませんが 誘われたので 行くことにしました。




来るものは拒まず  が 私のもっとうです。



ちなみに Putihさん  つまり Putih先生は 若かりしころ 妖艶だったとの噂です。
いまは とてもおおらかでやさしいお母さん  という感じです。










Putih先生の話では 車で10分くらいのところにある「大学構内」で
Sopanさんと 大学の生徒さんと 会って 交流しましょうということでした。



それなら 時間的に無理もなし、マレーシアの学生さんと交流できる めったにない経験ができそうです。
さて 待ち合わせの場所へ。




約束の10時に私が到着するとすでに ワゴン車が 来ていて
「おおおお 時間通りだ。 優秀だ」
と 幸先の良いスタート。  

 しぜんに笑みがもれます。
時間通りに 車が来ているなんて なんて ラッキーでしょう。





しかし   しかし  マレーシア



とうのPutih先生が 来ません。



ドライバーのマレーシア人は 怒りもせず 「困ったね」と笑っています。
もう 慣れましたが やはり うんざり日本人。




わずか30分の遅刻で Putih先生到着。
車で10分 という 大学に向けて 出発~~~~~~ 時すでに10時30分。




GO  GO!!!!    。。。。Go ・・・・・・



車で10分????




なんだか どんどん郊外に   車 びゅんびゅん 走る





すでに30分経過・・・・・・  ひた走る車



ふと ある施設に入っていき


なんか ゲートに 銃をもった人がいる どうみても学校ではないところに
到着・・・・・
「あの銃 本物よね?」



実は 道に迷っているらしい・・・・と判明
ゲートで みな相談しはじめる・・・・・不安・・・・・・・・11時


ここは どこ?





みとこともない マレーシアの風景






ぜったい 外国人がいないだろうと断言できる街並。
つまり なんというか マレーシアなんです。


英語表記ゼロ



「このまま 私たち 拉致されるんじゃない?」





そして 出発から1時間後 どこからともなく   大学から迎えの車が来て
その謎の大学に 到着しました。
どこかと聞かないでください。11時30分。



 


なぜ 謎かというと  マレー語表記の大学名で わからないのです 。
ただ universiti と書いてあるので 間違いなく大学です。

 

 






しかし 学生など ひとりも見えません。
人のいない大学って 不気味です。

広大な敷地は 日本の大学とは別のもの。
広大過ぎて 校舎も 小さく見えます。
校内にランドアバウトがあり村があります。
この広い校内を どうやって移動しろというのでしょう。





たしかに 大学とマレー語で表示がありますが




軍の装甲車がある




軍人が 並んで歩いてる   手の振り幅まで 統一だ      男前だ   かっこいい




もしかして ここは 軍?????


「先生 ここは 軍ですか?」

「そう 軍の大学。 だから 部外者は すぐに入れない」





軍の大学???????



私は いつから 軍に関する勉強をしていたのだろう。
気がつかないうちに なにかに はめられているのか?











大学のなかの 未使用のような教室に連れていかれ・・・・(未使用=埃)



いかにも威厳に満ちたSopan大先生に御面会。
友好的かつなごやかにごあいさつ。
どこからともなく 人が来て 我々の様子を写真に ばしゃばしゃ撮っているのでした。








交流  という話でしたが なにしろ 軍の大学で ・・・



相手の学生は 試験中とかで 不在で 我々だけでの勉強となり


なんのために来たのか さっぱり わからないのでした。


しかも なぜか 相手の学生さんたちは 忙しく
6月まで 会うことは できないそうです。





Sopan先生に会うために 来たようです。
今さら 気がつく。   だって そんな なんの説明もなかった 








Sopan先生は いかにもマレーシアの威厳のあるおじさま

「きみたち 上手じゃないね」

ありがとう はっきりした感想。







そのあとの御指導は なぜか すべて マレーシア語で話すので なにがなにやら????


「Putih先生 Sopan先生は なんと言ってるのですか?」

「いいの あんたたちが わらないように マレー語なんだから」

ひ~~~~~~~~




わからない指導のまま あっというまに12時。





これで 帰ることができるのか  と歩き始めると
またもや なんの予告もなく べつの建物へ案内され









こちらの建物は さっきの教室とは打って変わって 豪華絢爛 きらびやかなビル。

「だれに 会うの? なに ここ」
「まあ まあ こちらへ」


なんでも 言わない主義なのか?驚かせて 喜んでいる風でもない。





最後に 校長と「教会の顔」という偉い人に挨拶に来たのです  結果として。




軍服に勲章が じゃらじゃらついたCEOと「教会の顔」というおばあさんに 挨拶しました。


それが なんなのか 
いったい どこに連れて行かれたのか
何の意味があるのか
わからないまま  どっと 疲れて   しかし    日本マレーシア友好のため 笑顔であいさつ。




いったい なんだったのか・・・・・
英語直訳で 「教会の顔」  それは 誰?
すごく 偉い人なんだというのは そのオーラで ビシビシ 伝わりました。
なんとなく 日本人が勉強にきました  よ    というごあいさつを たまたま 時間があったので 
やったのでしょうね 13時。




珍しい経験ができて 私は 幸せです             たぶん  いや   ぜったい。




写真を撮ってきたのですが 軍の写真をUPしていのか????
逮捕されないか????  


その後 軍にマークされて 国外追放されないかしら?









なんど聞いても どこで なんの大学か 明確な答えはもらえないまま 帰路につき
分けのわからない道を通り 帰って来たのでした。
 

このまま 拉致されて 売り飛ばされるのかと  冒険旅行でした。
ありがとう マレーシア


この広大な大学を見て マレーシアの豊かさを 身をもって 感じました。
日本では みられない ゆとりの空間です。
マレーシアに生まれ  マレー人として 生きたなら このおおらかな 包容力で
マレーシアという国家が 包んでくれるのでしょう
なんと心地よい空気でしょうか。
私は 日本人なので 拉致疑惑のなかの移動劇でしたが
もし マレーシア人であったなら
一点の曇りもなく  大いなる国家のふところに抱かれていたことでしょう。
国が 自分を守ってくれているという安心感は 幸せだろうと思うのです。
日本は 大きな地震があり 津波はきて そして 原発の問題があります。
日本に   信頼できる政府   守ってくれる国家 が あることを祈ります。



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ガメラン練習で軍事大学に行くの巻

2011年05月04日 20時06分29秒 | おでかけ・クアラルンプール
今日 ガメランの練習日でした。


ガメランというのは インドネシア・マレーシアの民族音楽です。



なにをかくそう
私は ガメラン 日本人チーム さくらガールズのメンバーです。



6月にマレーシアの観光名所・セントラル マーケットの
舞台で マレーシア人に交じって さくらガールズも演奏することに
なりました。


セントラル マーケットは 観光の中心ですので
多くのかたが イベントに来ます。


そこで 実力希有なさくらガールズは
大学のグループと合同練習をして 腕を磨くことになりました。

その昔は 妖艶だっだと自分で言うガメラン先生のご指示です。





タマン ブダヤ  いつも練習する 国立芸術センターに10時集合。
そこから 送迎バスで およそ10分で行ける大学に行く予定でした



10時に私が到着するとすでに ミニバスが 来ていて
「おおおお 時間通りだ。 優秀だ」
と 幸先の良いスタート。




しかし   しかし  マレーシア



とうの先生が 来ません。



マレーシア人は 怒りもせず 「困ったね」と笑っています。
もう 慣れましたが やはり うんざり日本人。



わずか30分の遅刻で 先生到着。
車で10分 という 大学に向けて 出発~~~~~~








車で10ふん????




なんだか どんどん郊外に





すでに30分経過・・・・・・




なんか ゲートに 銃をもった人がいる どうみても学校ではないところに
到着・・・・・
「あの銃 本物よね?」


実は 道に迷っているらしい・・・・と判明


ここは どこ?





みとこともない マレーシアの風景






ぜったい 外国人がいないだろうと断言できる街並。
つまり なんというか マレーシアなんです。


英語表記ゼロ



「このまま 私たち 拉致されるんじゃない?」





そして 出発から1時間後 大学から迎えの車が来て
その謎の大学に 到着しました


なぜ 謎かというと  マレー語表記の大学名で わからないのです


しかし 学生など ひとりも見えません。
広大な敷地は 日本の大学とは別のもの。
広大過ぎて 校舎も 小さく見えます。


たしかに 大学とマレー語で描いてありますが




戦車がある




軍人が 並んで歩いてる



もしかして ここは 軍?????


「先生 ここは 軍ですか?」

「そう 軍事大学。 だから 部外者は すぐに入れない」





軍事大学で ガメラン???????



大学のなかの 汚い倉庫のような教室に連れていかれ・・・・







合同練習  という話でしたが なにしろ 軍の大学で ・・・



相手は 試験中とかで 不在で 我々だけでの練習となり


なんのために来たのか さっぱり わからないのでした。


しかも なぜか 相手の学生さんたちは 忙しく
6月まで 合同練習は できないそうで 
つまり 公演まぎわに 一度 合同練習するだけだそうです。


学生といっても 我々よりも ずっと 上手らしく(当たり前かしら)
我々の間に入って 適当な楽器をやってくれるそうです。
赤子のてをひねるようなものらしい。




ここに ヘルマン先生という 先生の先生がいて
どうも そのために 来たようです。

ヘルマン先生は いかにもマレーシアの偉そうなおじさん

「きみたち 上手じゃないね」

ありがとう はっきりした感想。


おまけに マレーシア語で話すので なにがなにやら????


「先生 ヘルマン先生は なんと言ってるのですか?」

「いいの あんたたちが わらないように マレー語なんだから」

ひ~~~~~~~~




わからない指導のまま あっというまに12時。





良かったのは 楽器の状態が 教室よりも 良くて 音がきれいだったことです。
それと 軍の施設に入れたことが 珍しい・・・・


最後に 校長と「教会の顔」という偉い人に挨拶に行きました。




さっきの教室とは うってかわって 豪華できらびやかな部屋に行き



軍服に勲章が じゃらじゃらついたCEOと「教会の顔」というおばあさんに 挨拶しました。


それが なんなのか 
いったい どこに連れて行かれたのか
何の意味があるのか
わからないまま みんな どっと 疲れて 絵顔であいさつ。




いったい なんだったのか・・・・・




珍しい経験ができて 私は 幸せです たぶん




写真を撮ってきたのですが 軍の写真をUPしていのか????
逮捕されないか????  

このまま 拉致されて 売り飛ばされるのかと みな 冒険旅行でした。



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