垂直・水平をとる。
私は 絵の学校を出て それに関係する仕事をしていました。
学生時代 遠近法 垂直水平 学んでいました。
実際に社会出ると 仕事がら 正確な 垂直 水平が求められます。
今は CGがあります。
私が 学生のころ、社会に出た頃は コンピューターグラフィックスは ありませんでした。
私は 幸運にも 手描きの時代から CGの時代まで 働いた 今では 貴重な存在です。
つまり シーラカンスのような存在なのです。
私が 社会にでたころ 先輩に指導されたのは 垂直水平 そして 正確な計測と線でした。
「どのサシ使ったの? 金尺は 狂うわよ」
骨の髄まで 仕込まれたのでした。
当時は 徒弟制度のような世界だったのです。
ちょっとした図を反転させるのも 大変な作業でした。
構想ができて じっさいに起こすまで 熟慮し ていねいに 作業しました。
この前 お友達と絵を描いていて 垂直をみるために 長年(25年)愛用の 方眼三角定規を出しました。
垂直 に慣れた私は 歪みを 瞬時に 観る癖がついています。
目で計る
というのが からだにしみついています。
お友達は 定規のはしっこを 画面の端に 合わせました。
あっ
そうか。
実は 定規の端を画面の端に合わせる ということはしないので 衝撃だったのです。
自分のなかでは しみついたシーラカンスだったので 驚いて 声が出ませんでした。
私は 定規の使い方ひとつまでも シーラカンス・職人芸が 浸みこんでいるのです。
私の定規感覚は きっと 棺桶まで 墓場まで 来世まで 持ち越されることでしょう。
端で計ると 正確に出ないのです。
ぶれるので 定規のきざみは 中のものを使います。
CGが会社にきたとき それは 便利でした。
今まで 手間がかかっていた 単純作業が 一瞬で できてしまいます。
故あって 昔 プログラマーだった私には CGは 大好きな道具でした。
あの修行はなんだったのかと思うほど 作業が ある意味 簡略化されます。
ちょっと シミュレーションするのも 画面上で 簡単です。
見てから 考えることができます。
でも上がってきた線は 誰がやっても同じです。
それまでは 「さすが 先輩の画面は すごい」というような 息遣いが見えたのですが
それは ありませんでした。
そして いざ CGが使えないトラブルがでると 手描きができないようになり それでは 困るので
バックアップ態勢が 厳重になり 「線が・・」という古株シーラカンスは うとまれるようになっていきました。
定規の使い方を
人に言うのは 声が出ませんでした。
デッサン力は CGでは ありません。
結局 からだにある、目 です。
対象物を その目で 見ること そこから 垂直が始まります。
垂直がぶれても 画面が おさまるのは 地平が わかっているからです。
すべてのものは 地球の上にあるからです。
1本の線に 命を吹き込んで 描く 心
これが 私は 絵を描く人の真髄だと思っています。
そのため クロッキーが重要なのです。
紙の周囲 空気のすべてを 筆・ペンの先に あつめて 凝縮した 「気」を こめて
繰り出す 1本の線。
それを ひく 無心の心。
快感です。