熱帯ゆるゆる日記

マレーシアでの期間限定生活日記。
2008年駐在開始、そして2011年 本帰国しました。

吉野 遠足 ~中の千本 下の千本編~

2011年04月23日 07時28分30秒 | 2011一時帰国

竹林院から 50分ほど歩くと 中の千本。

 

下山とはいえ 山を歩き続けると ひざが げらげら大笑いします。

 

親子3人 げらげら 笑いっぱなし。

笑いすぎて 吉水神社の写真は  ない・・・・・ない・・・・・・・

もとは金峯山寺の格式高い僧坊でしたが、明治の神仏分離によって神社となりました。
源義経が弁慶らと身を隠したこと、後醍醐天皇の行宮であったこと、
豊臣秀吉が花見の本陣とした等の歴史的逸話で知られています。

 

実は 明治の廃仏毀釈のときに 吉野山いったいの仏閣宗教施設は いったん 廃止されています。
その後 復権して 今にいたる吉野山の史跡が 守られています。

それだけ 歴史と信仰が厚かったのです。

吉水神社には 義経の甲冑  後醍醐天皇の玉座 秀吉花見の図 など  見どころ満載です。


少年「義経 小さいな。 この甲冑 ぼくには 入らないよ」

八艘飛びですからね~~~  栄養満点熱帯少年には 着用不可能。







吉水神社から  金峯山寺蔵王堂へ

金峯山寺は吉野山のシンボルであり、修験道の総本山。
蔵王堂は正面5間、側面6間、高さ約34m、檜皮葺き(ひわだぶき)の、
東大寺大仏殿に次ぐ木造大建築。蔵王権現像(重文)3体がまつられ、
本尊は高さ7mにもおよびます。

 

仁王門

本坊

 

 

なんといっても 蔵王堂が 吉野のクライマックスです。

蔵王権現の威風堂々たる霊気に 圧倒されます。

何度来ても  「ずっと ここにいたい」とまで 思うお寺です。

権現様は すばらしい。形容できない。

 

 

春の特別展。

特別展では ポリエステルのトートバッグを 靴袋として くださいました。
金峯山寺の赤いロゴマークがおしゃれで 
「おかあさん かっこいい。 これ 学校の体育館シューズ入れにする!」

 

あああああああ シューズバッグにも飢える 異国育ちの子。  お寺の方々 驚かれ 「そんなに まで」と
靴は 別のビニール袋に入れてくださり トートバッグは 汚れないように 包んでくださった・・・・靴袋にひもじい異国の子

 

 金峯山寺南朝妙法殿

後醍醐天皇 南朝あとです。  この奥に インドからお釈迦様の骨をいただいた仏舎利殿があります。

 

 

蔵王堂の南にあるのですが 案外 こちらには 観光客が来ません
ぜひ どうぞ。   なかなかのたたずまいです。

 

そのよこの 455の階段を下っていくと  

 

さてさて ここから 脳天大神 こと 金峯山寺龍王院

 

 

実に階段455段  KLのバトゥケイブよりも 長い山道。  脳天大神。

 

 

脳天さんは 私の好きなところ。

この下に滝 つまり 修験道で修行僧が打たれる滝があり 山の結界があります。

白い龍の神様。

 

いかがです? ちょっと見ただけでも いいでしょう??

白い蛇にまつわる言い伝えがあります。



竜神さまと聞けば 私には 避けて通れないところです。


金剛蔵王大権現の変化身をご神体としています。


脳天というくらいですから 頭の神様、 少年には 必須でござる。

 

ここは ちょっと 怖いくらいの場所なので 写真は ここまで!  みなさま ご自分の足でおいでくださって 不思議な空間を!

隠れた スピリチュアル スポット です。

ただし ありがたい455段。





歩いて 下山するか ここから ロープウェイに乗るか・・・・迷ったのですが 下の千本の桜が全く 咲いていないので
記念に ロープウェイで 降りることにしました。

時間待ちで いっぷく

 

まだ 雨です   私は 龍神(雨の神)に みまわれたようです。

 

 

吉野駅 到着。  帰路は 奮発して 贅沢に 特急にのりました。

電車が 珍しい異国育ちの少年は 特急電車と何度も 記念撮影。

 

電車の中で 名物 柿の葉寿司を 食べたのでした。

 

 

ちなみに夕飯は 日本にしかない 日本の ラーメンにしました。

 

 

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吉野山 遠足 上の千本編

2011年04月21日 20時24分46秒 | 2011一時帰国

 

日本一の桜の名所として知られる吉野山。

吉野山とは、大峯連山の北の端から、南につづく尾根一帯を指します。

また大峯信仰登山の根拠地でもあり、修験道の霊場とされてきました。


霊場「吉野・大峯」と「熊野三山」を結ぶ修行の道は「大峯奥駈道」と呼ばれ、今日でも修行が行われています。


2004年7月 世界遺産に登録されました








役行者(役小角)を開祖とする修験道の寺

後醍醐天皇 南朝ゆかりの史跡、

源義経ゆかりの地

西行や芭蕉が逍遙した文学の史跡

歴史が 深い山です。

 なにしろ670年 大海人皇子(天武天皇)が吉野に入られ天女をご覧になったとか

壬申の乱は 吉野から 出陣したとか

690年ごろには 役行者があらわれます。

今のサッカー日本代表のマーク やたがらす(足が3本のからす)は この役行者ゆかりです。

 

吉野の桜は すべて 手植えのさくら   あの嵐山天竜寺の桜と同じです。

天竜寺は 後醍醐天皇がこどものころ 学んだ寺です。

 

それいらい 代々の天皇が 吉野に行幸され  足利尊氏もこの桜を見たのでした。

 

義経が静御前と別れたのは 吉野山

 

 

豊臣秀吉が 桜の大花見をしたのも 有名です

 

松尾芭蕉 西行は 吉野で おおくのうたを 詠んでいます。

 

 

 

 

 

吉野山には古来桜が多く、約200種3万本の桜が密集しています。

山桜が、尾根から尾根へ、谷から谷へと山全体を埋め尽くしてゆきます。

桜は下・中・上・奥の4箇所に密集しており、”一目に千本見える豪華さ”という意味で「一目千本」とも言われます。

おのおの下千本(しもせんぼん)、中千本(なかせんぼん)、上千本(かみせんぼん)、奥千本(おくせんぼん)と呼ばれており、
例年4月初旬から末にかけて、下から山上へ順に開花してゆくため、5月ころまで 長く見頃が楽しめます


 

奥の千本から 上の千本まで 歩いて降りてきました。

まず 竹林院。
聖徳太子の創建と伝わる寺院で、格調高い宿坊としても有名。
護摩堂に安置されている聖徳太子坐像は南北朝時代の作です。
庭園の群芳園は千利休が作庭し、細川幽斎が改修したといわれ、 大和三庭園のひとつにもなっています


竹林院に着いた頃が いちばん 雨がはげしい・・・・

 

 

 

 

 

 

次は 桜本坊

4月8日は ちょうど 花まつり。
お釈迦様の誕生日の法要でした。

大海人皇子(のちの天武天皇)が吉野離宮で修養していたとき、冬の日に桜が咲き誇っている夢を見、その後皇位に就けたことからその桜の木の下に寺院を建立、桜本坊となりました。
修験道の道場として多くの修験者を集めており、春のみ宿坊もあります。

 

この日は 山伏の護摩火です。

私はこの 護摩法要が 好きです。
炎で 邪悪なものが 焼かれて 空に舞い消えるような気がするのです。

大海人皇子(のちの天武天皇)が吉野離宮で修養していたとき、冬の日に桜が咲き誇っている夢を見、その後皇位に就けたことからその桜の木の下に寺院を建立、桜本坊となりました。
修験道の道場として多くの修験者を集めており、春のみ宿坊もあります。

 

 

ここで 花まつりといことで 「あまちゃ」をいただきました。
アマ茶ヅル    お砂糖は入っていませんが とても甘いお茶でした。

このあまちゃを お釈迦様のかけてお祈りするのが 花まつりです。

奥の千本 上の千本から 歩いて40分ほどで 中の千本付近に
到着です。


 

大峰山の有名な自然薬 陀羅尼助丸  お薬です。

胃腸薬です。


ここは 吉水神社の近く  「一目千本」が見える場所です

枯れ木色の部分が すべて サクラです

本来 4月8日ごろは咲いているはずですが 今年は 咲いていませんでした。

  咲いていれば このように・・・・・・

東南院

役行者の開基と伝えられる、1300年の歴史を持つ寺院。
本堂・多宝塔・庫裡・客殿からなり、鎌倉期の作と伝えられる大日如来・毘沙門天・不動明王などが祀られています。

 

 

ここで 吉野名物 くずもち で 一休み。

吉野は 葛 が有名ですね

 

 

山伏を見たり アマ茶を飲んだり  日本版 ガネーシャ(桜本坊)では 人形に願を書いて 壺にいれたり
くずもち食べたり

 

遠足は 楽しい   

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一時帰国のたったひとつの遠足~吉野山~

2011年04月20日 20時15分52秒 | 2011一時帰国

百人一首の吉野

朝ぼらけ ありあけの月と 見るまでに 吉野の里に ふれる白雪

み吉野の 山の秋風 さ夜ふけて ふるさと寒く 衣うつなり

 天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ
    (このうたには 吉野という言葉はありませんが、
                 吉野山に天女が下がって舞ったという伝説にちなんで宮中で舞があったときのうた)

 

少年と吉野山を歩きながら  みよしのの~ ありあけのつきと みるまでに ふるさとさむく ふれるしらゆき~~~♪

「ん?? なんか 変・・・」  と 親子三人 はちゃめちゃになりながら 

 

 

 

 

いつも一時帰国では 「日本の体験」を重視して いろいろ でかけるのですが
今回は とにかく その時間もなく 過しました。


なんとか マレーシアにもどる直前 1日雨にもかかわらず もう 時間切れで 親子3人 吉野山にでかけました。
これを「一時帰国 やけくそ遠足」と いいます。


雨のせいで 足元は悪く 景色は煙り  「おかあさん いまいちだよ」といわれつつの遠足でした。
本来なら 下の千本 中の千本は 満開の時期でしたが ほとんど 咲いていません。


「おかあさん 咲いていたら 感動したと思うよ  咲いてたらね」
と少年に にらまれつつ・・・・


私は 独身の頃 「吉野大好き」で 吉野には なんども 泊まり 山を歩き回ったのでした。
とにかく 山岳宗教・密教の好きな私には 吉野山は 修験道・密教のかなめの山。
これが 好きにならずにいられようか。




しかも この日は 山伏の護摩火もあり 密教好きには たまらない吉野でした。









忙しい中での山で、 吉野到着時には もう 歩いて山頂を目指すことは できませんでした。
残念ながら 多くの吉野詣でのなかで 初めての バスでの「奥の院」です。

 

 

邪道とはいえ 吉野山の駅から 大型バス マイクロバス 乗り継いで  山頂近く 奥の院まできました。

雨にかすむ眺望です

写真のなかで 薄いピンクがかった枯れ木いろのところが 本来 桜が咲くところです。

 

これでも 山を登っているので 疲れ果て 肝心の奥の院の写真はなし!!!

これは 奥の院付近の地層。

 

このあたりが 奥の千本




なんと これが 少年たちの興味をひき 地層見学に 長い時間を・・・・・

この地層の岩を 各所から 採取し 割って 中の化石などを 観察するのです。



なんども 吉野にきましたが 地層に目が行くのは 初めてです。
まあ 長年生きていると いろんな ことが あるもので・・・・・

「おかあさん はじめて 地層を よく みたわ」

「え? これが 気にならないなんて おかあさん 変だよ」

そうでしょうか?  この地層に気がつかないのは 変でしょうか・・・・・・がっくり。




     林業の盛んな 吉野 みごとな 杉林    椰子畑と しばし 比較してみる




時間があれば 奥の院から 山を歩き 西行庵まで 行くのですが この日は 雨で 時間もないので
西行庵には 行きませんでした。

行くと また いいのですが・・・・

まとめて西行の春のうた。  

  吉野山 雲を図りに 尋ね入りて 心にかけし 花を見るか
  吉野山 梢の花を 見し日より 心は身にも 添はずなりにき 
  吉野山 ほき路伝ひに 尋ね入りて 花見し春は ひと昔かも 
  吉野山 谷へたなびく 白雲は 峯の桜の 散るにやあるらん 
  吉野山 峯なる花は いづかたの 谷にか湧きて 散り積もるらん
  吉野山 花ふき具して 峯越ゆる 嵐は雲と よそに見ゆらん 
  吉野山 桜にまがふ 白雲の 散りなん後は 晴れずもあらなん
  吉野山 ひとむら見ゆる 白雲は 咲き遅れたる 桜なるべし 
  吉野山 人に心を つけがほに 花より先に かかる白雲  

 

山の上から 下の千本まで 下山ルートを歩くことにしました。

 

 

こちらは 吉野水分神社 

水を司る天之水分(あめのみくまり)大神を主神とし、"みくまりが"御子守"(みこもり)となまって
、俗に子守さんと呼ばれ子宝の神として信仰されています。
社殿は豊富(臣)秀頼が再建したもので、本殿、拝殿、弊殿、楼門、回廊からなる桃山時代の大変美しい建築です

世界遺産です。

残念ながら 修復中。

このあたりは 奥の千本から すでに 上の千本 

     雨のなかの つぼみ

 

 

上千本あたり。  咲いてはいないのですが それでも 少し 咲き始めていました。

花矢倉展望台の近くです。

あの狐忠信で有名な 浄瑠璃・歌舞伎の「義経千本桜」の 義経家臣佐藤忠信の舞台です。
私は この歌舞伎が好きですので 少年たちに この話を語り聞かせましたが
むろん かれらは 興味がないのでした。  ただ 昔から人々が吉野に ただならぬ思いをよせていたことは 伝わった・・と。

   


   

 

雨の吉野山  桜が 雨にけむっています。  それでも 吉野の見事な桜が お届けできたでしょうか。

 

 

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瑠璃色のセンチコガネ

2011年04月19日 13時32分22秒 | 2011一時帰国

 センチコガネ(雪隠黄金)は、コウチュウ目(鞘翅目)・コガネムシ上科・センチコガネ科(Geotrupidae)に分類される甲虫の総称。や腐肉を餌にするいわゆる糞虫の一群で、金属光沢のある鮮やかな体色をしたものが多い。
糞虫として自然界の物質循環に果たす役割は大きい。また金属光沢のある鮮やかな体色から、他の糞虫同様に昆虫採集の対象ともなっている。






一時帰国中  吉野山 山頂 奥の院で みつけた センチコガネ。

 

 

瑠璃色が 輝く宝石のようです。




これは 少年たちの大好きな虫。  しばし センチコガネとの出会いに とどまります。





 

 

我が少年たちは センチコガネを 特別な虫として 大事にします。

この色は 神様のお使いだと思っているのです。




古来 昆虫は 神様からのお告げ と言われます。


糞虫であることも どこか 静謐な僧の思慮深さを想わせます。








青は 瑠璃色

地球の色 海の色 空の色


    

ラピスラズリに                                  ターコイズ               サファイヤ


密林のひまより碧きそらや見し明きこころのトルコ玉かな  (宮沢賢治)



あの宮沢賢治さんも 青い石の継ぎ目から 天空の青を見ています。

 

 

ひかりけだかくかがやきながら
その清麗なサファイア風の惑星を
溶かそうとするあけがたのそら   (宮沢賢治)



サファイヤの青を 惑星へ

 

 

深い鋼青から柔らかな桔梗、それからうるはしい天の瑠璃 (宮沢賢治)


ラピスラズリの青は 天の藍

 

 

 

 

青は 天空からの色。

 

 

 

 

 

 

吉野山頂  まさしく神様の虫






以前の一時帰国で比叡山 横川でも 青いセンチコガネに会いました。

 

 

センチコガネに感謝の山でした

 

 





 

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日本の家の近所の夕暮れ~しわをとるか髪をとるかが問題~

2011年04月17日 19時41分55秒 | 2011一時帰国

西の空に 太陽が

春 まだ 浅く 新芽の息吹くころです

落葉樹の木々には 葉がありません

こんな木々の風情は 四季のある日本ならではです

 

熱帯マレーシアは いつも いつも 緑生い茂っています

ふとした風景にも 日本の懐かしさを感じます

松の木は マレーシアにもありますが 高原や山にしかありません

 

高台の公園からは はるかに 都会のビルが みえます

 

 

公園では 幼稚園くらいのお子さんたちが おかあさんと遊んでいました。

私も ほんの何年か前まで こうして 遊んでいたものです

 

 

 

おかあさんたちが とてもおしゃれなこと

幼稚園前の小さなお子さんも おかあさんとサッカーしていること

この2つが 「時代はめぐる」と感じたことでしょうか

 

 

 

桜も ちらほら

 

 

もう 今頃の日本の桜は 散り始めているでしょうか。

 

 

 

 

 

私の現実は マレーシアでの生活です

マレーシアにもどったら やっぱり 熱いし 忙しいこともあり からだが ついていきません。

 

 

 

 

日本では 髪がさらさらで くせ毛の私も 形が決めやすく 快適でした

マレーシア に戻ったら なぜか ぼーぼーします・・・湿度のせいでしょう。

いくら ブローしても 1時間もすれば ぼーーーーー  です。

 

 

 

日本にいたら いくら 高い美容液をぬっても 目の周りが ピキッパッキ しわがはびこる音がする 音がする

乾燥です。

マレーシアに戻ったら しっとり ねっとり

いくら 笑っても ピキッときません。

肌には 熱帯。

 

 

 

それに 重症花粉症の大少年は マレーシアの空港についたとたん 鼻水が止まりました

 

 

 

ああああ マレーシア   私は いったい どうなるんだろう

 

 

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少年よ、黒門市場を見よ!

2011年04月17日 07時16分01秒 | 2011一時帰国

先日  道頓堀デビューをした少年たちは 実は そのまま道頓堀を歩き抜けて

日本橋一丁目  そして 黒門市場を見物し   難波駅前へと 抜けたのでした。

   千日前

  

 

有名な黒門市場です。

 

 

震災の影響で 自粛ムードがあり 「ふぐ屋さん」は さびしいそうです。

 

私は この日本橋界隈は よく こどものころから 歩いたところです。


長じてからも 地下鉄と私鉄が乗り入れている関係上 ここは 意外と 便利な場所で
よく 来たものです。





祖父や父は 電化製品といえば 日本橋の〇△無線で買うことになっていて
五つだまそろばんで 店の人と 

「大将 かんべんして 」   「いや もうちょっと 勉強しいや」

という会話を聞いたものです。




「ええか。 電化製品は 最新式を買わなあかん。」
祖父語録。


祖父語録には いろいろ ためになることが多いです。
「ええか。薬は 〇△で買わなあかん」
今でも このお店は 激安です。





小少年は ここで 「ふぐ」「てっちり」「てっさ」を 食べたかったのですが
さすがに高価だし お父さんがいるときに 食べることにし

 

毛蟹を買って帰ることにしました。


黒門市場の魚に まるで 水族館に来たかのような はしゃぎよう・・・・

 

 

 

これは 難波高島屋。


少年たちは あのシンガポールの高島屋の本拠地であると聞き また 大興奮。


マレーシアという日本から遠い遠隔地で育ったがために・・・・高島屋で 感激する子になりました。

 

お好み焼きを食べて 帰りました。


「このお好み焼き 今まで食べたお好みやきの中で いちばん おいしい」
と またもや 大興奮。




ほんまに どこの子や・・・・・・


「マレーシアから 一時帰国しているので お好み焼きが 珍しいんです~」
と言いましたら お店の皆さん

「ああ あっちは 豚があかんしね~」

まあ ご理解のある!!!!!

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息子よ!これが 道頓堀や!

2011年04月15日 17時22分19秒 | 2011一時帰国

私は 浪速っ子。  我が息子たちも 大阪生まれ。
しかし  我が子は 道頓堀に行ったことがない のです。



今回 心斎橋・御堂筋の某所に用事があったので ついでに 浪速っ子として
道頓堀を見せておこうということに なりました。



初めての道頓堀に 我が息子たち 大感動でした。
周囲のお店のみなさまは うちの子が 大阪生まれとは 夢にも思えないような騒ぎよう・・・・
難波の母として 心の中で 謝りました。

「むすこよ すまなかった」

 

 

御堂筋と長堀通の交差点  御堂筋の並木
この周辺は ブランドのお店  シャネルとか・・・たくさん 並んでいます

 

道路標識には 鰻谷の文字が・・・・

 

ここは レトロな大丸心斎橋店のなか

化石があります。
しばし 息子たちは 化石さがしで 大喜び




  

歴史ある建物の優美な装飾見学

 

 

 

いよいよ  道頓堀

戎橋    西日にはえる看板

 

 

蟹道楽の看板に 少年たち 大喜び    うっ  今まで知らなかったことに 反省

 

有名な金龍ラーメン


 

ここで 興奮は頂点に!!!!!!
「おかあさん ほんものだね。 マレーシアの友達に見せてあげたいよ」

そうか・・・・・そんなにも すごいか?



 

この先は 日本橋 堺筋に向かう道

御堂筋は南行きの 一方通行。
キタに帰る「おかあさん」は 御堂筋から堺筋に歩いて移動して 帰ったものだよ。
堺筋は 北行き一方通行なのです。






私も久しぶりのミナミでした。




少年たちが こんなに道頓堀で喜んでくれるとは 驚きでした。

 

 

 

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お留守番していた花たち

2011年04月14日 20時13分23秒 | 2011一時帰国

ムスカリ   球根なので そのまま 毎年咲いています。

春に帰国したのは 初めてなので3年ぶりの再会です

雪柳   これから5月まで 咲き誇ります

かまきりの卵  もうすぐ かまきりの赤ちゃんが 生まれることでしょう
会いたかったですが・・・・間に合いません

 

ジューンベリーのつぼみ

これは サクラ科なので もうすぐ桜に似た花が咲きます  そして6月に赤い実が なります

 

 

しきみの花 毒があります・・・・

 

ツルニチニチソウ  青い花が咲きました。
つるが どんどん 伸びて あちこちにはびこっていました。

 

うれしいことに ひろがっています

 

クリスマス ローズ  おおきな株になりました

 

柊南天  家の玄関を守ってくれています。

鬼を退治します

 

 

 

これは 薔薇のつぼみ  もうすぐ咲くでしょうか

帰るまでには 咲きませんでした。

 

 

 

 

 

こうして 留守の家の庭は まるで なにか意思が 確固たる意思があるかのように

実際あるのかもしれませんが


誰かに 見てもらおうとか   ほめてもらおうとか  そんなことはなしに


咲いているのでした。



それが 私に とても 元気と勇気をくれるのです。

 

 




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お散歩

2011年04月13日 07時44分58秒 | 2011一時帰国

満開までは あと1週間ほどでしょうか。  それでも みとれる花の色です。

自転車で 箕面の滝道まで お散歩

箕面 サルンポヮク  私は ここで一休みしたかったけれど 少年たちは NO

 

滝道の山本珈琲で  

窓の外は夕暮れの桜

  足湯ができていました。 この近所でもみじのてんぷらを買いました。

散歩道のこぶし  私の手  私の顔よりも大きいな花

 

 

 

マレーシアは 熱帯なので なかなか お散歩というわけには いきません。

近所を散歩すると こどもたちが幼かったころ いろいろな公園をあるいた日々を思い出します。

これが 私の故郷

 

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桜 ~日本の家のまわりで~

2011年04月12日 20時06分52秒 | 2011一時帰国

夕暮れの散歩道

 

川面にうつる さくら

桜通りのさくら

 

満開には まだ あと少し  夕暮れに 自転車で

 

 

桜の色が濃い

 

 

 

 

 

 

 

満開には もうしばらくですが  日本の春

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