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熱帯ゆるゆる日記

マレーシアでの期間限定生活日記。
2008年駐在開始、そして2011年 本帰国しました。

田舎の道

2011年03月31日 08時03分01秒 | ベトナム・サイゴン旅行

      

舗装された道路。

でも 車の影は 見えません

家々には赤い国旗。人の姿も見えません

東南アジアの家 木造の高床式の家は 1軒も みえません

あたらしい コンクリートの家が続きます

このあたりは 米軍が 枯葉剤をまいた地域で  見える木々は その後に植えられた木です。

これは ベトナムのお墓

田舎では ひとりひとつのお墓を作ります。

コンクリートで 家のようです。

火葬しますが お金がないと いったん 土葬にするそうです。

都会は土地がないので ひとつのお墓に家族が入るそうです。

郊外へ続く道のわきには お墓が 続きます。

田んぼの畦にも 立派な墓がならびます

平和な世界を祈らずにはいられません

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切り取られた空

2011年03月29日 20時38分51秒 | ベトナム・サイゴン旅行

 

切り取られた空に まっすぐ伸びる木

これは 描けないかもしれません

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ホーチミン Jalan Jalan

2011年03月28日 08時30分01秒 | ベトナム・サイゴン旅行

    

この屋台は バイクで ひっぱって来たのでしょうか

押してあるいてきたのでしょうか

 

  

ホーチミンの電線は ART

いったい どうやって 引いたのか    修理できるのか

なにもここまで。

気温と湿度が 高く

 

ベトナム珈琲で 一息です

そこに 甘い練乳があり ドリップして飲みます。

甘さが 暑さに 合う熱帯です

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ホーチミンの街角

2011年03月27日 15時27分38秒 | ベトナム・サイゴン旅行

天秤棒のおばさん

 

 

 

ホーチミンの街は 昼の顔と 夜の顔がありました。

別人です

 

  

 

 

 

 

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ベトナムレストラン Pho Co

2011年03月04日 23時13分13秒 | ベトナム・サイゴン旅行

 

    

アメリカのクリントン大統領(当時)が来越の際、ディナーの場所として選んだことでも知られる高級レストラン、フォースア(Pho Xua)。

名前をフォーコー(Pho Co)と改め復活したレストラン

  北から南まで全国の地域から選りすぐった正統派ベトナム料理の数々に加え、創作ベトナム料理です。

 

     

 

お店のインテリアも すてき。

少年たちとの旅行では いつも 食べやすいお店が多いのですが

今回のベトナム料理は 少年の口にもおいしく 久しぶりに あらたまった店に行くことができました。

 

↑ お米を揚げたようなのが入ったスープ            ↑ 春巻き.  白い花が さしてあって見た目もきれい

  おこげのようで おいしいです

   

↑ ベトナム風 お好み焼き                       ↑ 蓮の葉に包んだご飯

 

アジアの料理は 苦手な少年たちも ベトナム料理は おいしいそうで

この旅行は それだけでも ゆったりできました

 いつも 少年が 食べられるかどうかが 旅先の問題なのです

 どういうわけか 大少年は 日本食命なのです。

 

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サイゴン川の夕暮れ ~サイゴン川クルーズ~

2011年03月02日 21時35分40秒 | ベトナム・サイゴン旅行

サイゴン川の夕暮れ

 

 

 

 

 

船着き場

 

お坊様もクルーズ(お食事は摂られませんでした)

 

日が暮れると きれいです

 

 

 

 

  

サイゴンは暑いので 夜にたくさんの人が 出てきます

サイゴン川の川辺は 涼しいので とくに たくさんの人が 集まっていました。

屋台も 小さくて かわいい。

自家用車の普及率が低く バイクでひいてくるか 手押しでの移動なので 屋台が マレーシアよりもコンパクトです

コンパクトですが カセットコンロで ちゃんんと調理していました。

べトナムの昼間は マレーシアの暑さの比ではありません。

夜 涼しくなってからが 憩いのひととき。

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骨董通り ~西貢~

2011年03月02日 17時45分46秒 | ベトナム・サイゴン旅行

骨董    そう聞くだけで 妖しい響き

 

    

日本でも 骨董というと 「眼」がないと わからない世界。

 

 

これが ベトナムとなると さらに 敷居が高いです。

私は 染付(白地に藍色で模様を描いたもの)が好きで 日本で ちょこっと お小遣いで骨董市を行脚したことがあります。

 

   

ベトナムの骨董通り

染付のいいのが ありますが・・・・・  お店番は 妖しくも厳しそうな中国人。  見つめるだけの熱帯の朝。

私など 赤子の手をひねるようなもの

煙に巻かれそう・・・・

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ベトナム人は盆栽が好き

2011年02月26日 06時23分40秒 | ベトナム・サイゴン旅行

ベトナムの盆栽は「ホンノンボ」と呼ばれ国民的文化です。
街の至る所に 盆栽があります。

前の日記に マレーシアに生け垣はないが ベトナムにはあると
書きました。

ベトナム人は テト(旧正月)に 盆栽が必要だそうで
テトの前には 盆栽市がでるようです。
テトに盆栽 ホンノンボ

    ←ベトナム盆栽  ←日本の盆栽

盆栽は 大きいものが好まれ まちのあちこちにあります。



驚きすぎて 写真を撮るのを忘れたのですが
おおきな盆栽が 公園で 大量に売られていました。
2mくらいの巨大盆栽が 無数に並ぶさまは 圧巻です。
どうみても 盆栽なのです。


道教的宇宙を表現したそうで ここにも 中国文化の影響が
見えます


2009年には 天候不順で盆栽不足になり 正月が祝えないと
大騒ぎになったほど ベトナム人は 盆栽が好き。
日本人以上かもしれません

















ベトナムに旅して 思ったのは マレーシアとの気候の違いです。
マレーシアよりも気温が高く その暑さは 日本の真夏のようです。

公園の緑 木々をみると それは 日本とよく似ているのです。
足元を見ると 土が黒く 触ると日本の土に似ています。
マレーシアの土は 赤い粘土質です。

   

槙は 私の好きな木ですが べトナムの盆栽には 槙が多用されて
なんとも うれしいのでした。





南ベトナムは メコン川の恵み 
メコン川流域のタイやベトナムの米の生産量は、世界の米の貿易量の4割を占めています。
チベット ヒマラヤからの多くの鉱石・土を細かい泥にして 川が運び
肥料のいらない肥沃な土を ベトナムにもたらしています。




長い戦争の歴史のなかで ベトナムの人々が アイデンテティを保ったのは この土の恵みかもしれません




肥沃な泥の河
これは 我々 島国の日本人 清流に親しむ日本人には
計りしれないことです




ベトナム人の盆栽



心ひかれるホンノンボ

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ベトナムとマレーシア  ~生垣から~

2011年02月25日 17時52分56秒 | ベトナム・サイゴン旅行

          

 

 

春を目前に 芽吹きの時期を迎えつつある日本。

日本の友人から 寒かった冬が 春の足音なか 去っていくさまとして 生垣や街路樹の便りを聞きました。

春の訪れの証   生垣の新芽は 生活の中の 喜びです

そんなことを 四季のないマレーシアで ふと 思いに浸りました。  

 

 

                     

                    **************************

 

 

マレーシアに生垣はない。

 

 

熱帯のマレーシアは 手入れしないと草や木が生えてジャングル化します。

年中 成長する木々に 人は競争で 手入れするパラドックスです。

中国には 生垣文化があります。
もちろん 日本も  生垣があります。


しかし マレーシア インドネシア には ありません。
マレーシアの原住民は 高床式木造住居に住んで まわりに椰子や果物を植えます。
しかし 隣との間に 塀を設けるとか 垣ねをする習慣はありません。
自給自足できるところには 複雑な社会は形成されず
都市も境界も 存在しません。




東南アジアの多くの国は 近代していくなか  治安の意味で
高い強固な塀をめぐらせます。
これは 治安のためなので 生垣は 作りません。



ベトナムは 生垣文化があります。
フエのほうには 生垣で 村落や家を囲むところが あるほどです。

盆栽や 木々の造形的刈り込みも好きで   街の至る所で 盆栽や 一定の形に刈り込んだ生垣や街路樹をみます。
生垣によくある 赤芽 つげ つつじ つばき 槙 まさき 金木犀
などは 東南アジア( マレーシアにも) あります。
マレーシアは それを 自然の形のまま 育てますが
べトナムは刈り込んで 盆栽や生垣にします




ベトナムは中国文化の影響が濃いことかもしれません




日本もベトナムも中国文化の影響を受けた文明の国です。


そして 東南アジアのすべての国には
中国移民・華僑が 住み 今なお 大きな影響力を発揮しています



なぜ 華僑は ここまでの力を持つのでしょう



シルクロードの先の中東には 華僑は少なく 影響力は強くありません。



マレーシア経済の90%は 人口の25%の華僑が 牛耳っています



日本文化も 中国ナシには 語れません




結局 ベトナムのことも マレーシアのことも 日本のことも
中国を理解しまければ 始まらないような気がします



勉強していきたい課題です。



生垣は マレーシアにはない
ベトナムにはある
日本は さらに 生垣が多い。

 

 

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恋物語の舞台~インドシナ~

2011年02月24日 06時14分15秒 | ベトナム・サイゴン旅行

 

 

  

 

ベトナムといえば フランス領インドシナ時代が 映画や文学作品の舞台になっています。

                                   

まず カトリーヌ ドヌーヴの「インドシナ」

インドシナ - goo 映画

インドシナ』(Indochine) は カトリーヌ ドヌーヴ主演のフランス映画で 1930年代のフランス領インドシナ

                

現在のべトナムを舞台にしたドラマです。

映画は大ヒットし、1992年のアカデミー外国語映画賞を受賞。

旧仏領インドシナの大地主の跡継ぎとして生まれた女性が、養女に迎えた現地人の娘を育てながら、恋に生きる物語

独立運動の荒波にもまれて全てを失うまでを、娘の激動の人生にもじっくり焦点を当てながらダイナミックに描きます。

この映画を観たとき あまりの ドヌーヴの気品ある美しさに めろめろになりました。

ベトナムの風景は 退廃的で ロマンティックで 熱い風が映画館に流れるようでした。

    

 

そのインドシナに行くので ドヌーヴの世界を垣間見られるかと歩きました。

垣間見られたのか 垣間見られなかったのか    私は ひとりで 浸って歩きました。

少年たちが騒ごうとも 耳に入れないだけの根性を この10年で修行してきたのは こういうときのためです。

   それにしても ドヌーヴの巻き髪 瞳  あこがれます

 

つぎは マルグリット デュラス の「愛人・ラマン」です。

これまた フランスの作品です。

イギリス領のマレーシア、ビルマと フランス領のラオス・ベトナム・カンボジア 街の趣が違うように 物語も違う気がします。

 

 

                

  

 

 

 

この作品は ちょっと難解なのですが 難解であっても じゅうぶん 魅力的な不思議なお話。

18歳でわたしは年老いた―。あの青年と出会ったのは、靄にけむる暑い光のなか、メコン河の渡し船のうえだった。

すべてが、死ぬほどの欲情と悦楽の物語が、そのときからはじまった…。

仏領インドシナを舞台に、15歳のときの、金持の中国人青年との最初の性愛経験を語った自伝的作品。

センセーションをまきおこし、フランスで150万部のベストセラー。J・J・アノー監督による映画化。

 

フランスらしい文学です。

                   

 

この舞台のチョロン地区を歩きました。

確かに ラマンを思って歩けば ラマンの風が吹かないでもないですが すでに家族4人 平和な私には・・・

ちょっとは アンニュイなおもざしで 立ち止まるふりでも してみたいもでのです.  が  無理かしら

 

 

最後に 日本の作品 林芙美子の 「浮雲」

       

 

第二次大戦下、義弟との不倫な関係を逃れ仏印に渡ったゆき子は、農林研究所員富岡と出会います。
一見冷酷な富岡は女を引きつける男でした。
本国の戦況をよそに豊かな南国で共有した時間は、二人にとって生涯忘れえぬ蜜の味 恋でした。
そして終戦。焦土と化した東京の非情な現実に弄ばれ、ボロ布のように疲れ果てた男と女は、ついに雨の屋久島に行き着く放浪の作家林芙美子の代表作。
この作品も やはり どうしようもない恋の話。
ベトナムの街を歩くと こんな恋が そこここの辻裏に 落ちていそうな気がします
               
アオザイ姿の女性のひるがえる裾
中国風の家々とフランスの建物
人々の喧騒
どこか 日本人とにているベトナムの人
思考能力を奪う熱い気温
音が歌のように メロディのあるベトナム語
今さら 林芙美子のような恋は 遠い世界ですが  ベトナムの路上には たくさん落ちているような気がします。
       

 

このほかにも ベトナムは 多くの映画の題材になっています。

それだけ 物語がある国なのでしょう。

フランス領の植民地の恋の物語は なぜか 退廃的で 物悲しく そして 激しいのです。

                  

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