11日、大地震が起きました。
私は 日本から遠く離れたマレーシア 異国の地にいます。
たとえ 異国にいても 阪神不大震災を経験している私には 大きなすごいショックと悲しみに襲われました。
また 東北・関東には 親族屋友達が多く住んでいます。対岸の花火ではありませんでした。
特に 親しい間柄の人たちの安否や これからのことを考えると 私は息が苦しくなり 体調が悪くなり 気持ちが保てませんでした。
地震が起きる2週間くらい いえ 1か月くらい前から マイナスなことばかり頭をよぎり この日記にも 暗い言葉をはくことが
多くなっていました・・・ 思えば なにかの 虫の知らせだったかもしれません。
言わなくていいことを 言ってしまったり あさはかな行動をとって後悔したり・・・
日本への帰国便を なぜか 取らなかったり・・・
何にもすることができなくて、
そして、
ようやく現実を受け止められた時から、どうしたらいいんだろうと
私はずっと考えていました。私に何ができるだろう?
募金のほかに 何かできないだろうか?
そんなとき 被害にあった友達が やっと通じたメールで
「私は だいじょうぶ まーしゃは いつも通りに暮らしてよ 」
と送ってきました。 涙がこぼれました。
私は 絵描きのはしくれ
16歳のとき
「絵は何の役にも立たないのではないか」ということを悩み
それでも 「パンよりも絵が生きる希望になることもあるはず」と
美大への受験を決めた夏。
実際の地震に会うと それも 机上の空論にみえ 自分が どうあるべきなのか この歳で また 患うのです
テレビやネットから流れる被災地の様子に心を痛め、
いつもと変わらない平穏な熱帯の日常を過ごしている自分に罪悪感のようなものを覚え、日記を書くのが不謹慎に思え
でも、実際は何ができるというわけでもなく・・・そんなジレンマ。
なにか 楽しむと 被災地の方々にたいして 「もうしわけないのではないか」と思い・・・・
しかし
海外からみた日本
地震にさいしても 礼儀正しく きちんと対応する日本人への評価は 高いのですが
はんめん これからの経済大国の日本の行く末を 諸外国は 見つめています。
私たちは あきらめない 日本をあきらめることはできない。
それであるなら 安全な所にいるもの 元気なもののするべきことは
いつもどおり 明るく 日本を支えて行くことではないでしょうか
今回の地震では さまざまな情報が とびかいました
どの情報が 正しいのか どれが 適切なのか・・・・・・・・・・
風評被害 チェーンメール
その中で 情報を精査し 冷静に 対応することは 安全なところにいるものの 勤めではないでしょうか
私は いろいろなことを 思ううちに
こんなときこそ 顔をあげて いつもどおりに がんばらなくては と思い始めました
情報が錯綜するネットのなかで 信頼できる科学者や研究者のツイッターをフォローしました。
今まで ツイッターは登録しているものの まったく 使っていませんでしたが
今回は 時系列で 原発事故や地震の情報を フォローすることができ
ツイッターならではの良さを認識しました。
http://www.shirasushinya.jp/blog/index.html
こちらは 白洲正子さんおご子息 白洲信哉さんのご紹介 日月山水図屏風展示の話です
地震で開催を危ぶまれる中 世田谷美術館で 展示が始まります
地震で なにもかも自粛するのではなく だからこそ 日本を元気づける行動を続けること
芸術で 支えること
日月山水屏風は 河内長野・女人高野・金剛寺の重文です
私の好きな密教・真言宗の密教美術です
地震のこのときにあって この山水図は 日本の自然の姿が あらわされており まさに 時を得た作品です。
地球の造山運動とその浸食 山 川
日本の生命うねり
山水のうねりは地上だけにとどまらず 太陽や月 宇宙に 続きます。
すべてのものが、共鳴し 響き合い 、包こまれています。
地震によって 安全なところにいるものまでが 日々をおろそかに暮らすことは
笑顔を忘れることは
日本のためには ならないと思うのです
どんな小さなことであれ みんながいつもの生活を きちんと続けること
小さなことも いままでより やさしく 笑顔で ていねいに暮らすことが 日本を創ることのように思うのです
私の絵は つたないけれど やはり それしか ないような気がします。