熱帯ゆるゆる日記

マレーシアでの期間限定生活日記。
2008年駐在開始、そして2011年 本帰国しました。

日本に帰って 一番 楽しかったこと

2012年01月04日 22時05分25秒 | 日本帰国後の生活 2011年秋以降

 

4年ぶりの スキー

 

 

 

私と連れ合いの唯一 共通の趣味 スキー

 

 

 

ブーツは 28cmが ふたつ 24.5cmが ふたつ。

なんか 経済効率の悪い足たち

 

今日の我が家の庭。

午後からは 粉雪。

スキー場への道路は 昨夜の大雪で不通だそうです。

いろいろ たいへんなこともありますが とても 寒いですが

新しい年を 家族4人 健康に迎えられました。

 

 

 

 

  

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3年間ありがとうございました。

2011年12月26日 19時19分10秒 | 日本帰国後の生活 2011年秋以降

 

2008年12月26日

6時間遅れの飛行機で クアラルンプール国際空港に降り立ったあの日から3年です。

初めての海外駐在   悪戦苦闘の3年間でした。

いろんなことがありました。

このブログで 悩みを打ち明け  喜びを語り

慣れない駐在妻生活のおおきな支えでした。

温かいコメント 励ましのコメントに なんど 救われたことでしょうか。心から 感謝しています。

マレーシア クアラルンプールで 出会ったみなさまには

本当に御世話になりました。  ありがとうございます

経験してみないとわからない海外生活

やってみないとわからない駐在妻   今となっては 貴重な経験 修行でした。

この経験は 私の人生の宝物です。

狭い日本人社会で どう生きるか。

友達  子育て  生活

向き合う中で 今後の人生への勉強になりました。

物があふれる日本の生活への見直しになる3年でもありました。

できることなら また どこかの国へ 駐在したいくらいですが

          我が家は もう 日本の生活になりそうです。

英語に苦労した当初から 最終的には なんとか マレーシアの方とも

熱い交流ができました。国がちがっても 人間は 同じです

今 海外で 駐在されているかた   これから 海外駐在にでるかた

もう本帰国されたかた  日本に暮らすかた  海外永住の日本人のかた マレーシアの方

いろんな方々が おいでくださった日記です。

本帰国して 2カ月 季節は 冬になりました

今日は 今年一番の冷え込みで 大阪でも 最高気温1度でした。

昼間は 小さい粒の氷  雹のような雪が降りました。

帰国して 日本に慣れるには まだまだ 時間がかかりそうですが

家族4人 元気に 暮らしています。

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クリスマスが過ぎて行きます

2011年12月25日 18時53分01秒 | 日本帰国後の生活 2011年秋以降

 

サンタクロースはやってきたけれど 小少年が窓に貼ったサンタへのお手紙の希望のものは

届かず 微妙に種類の違う物が べランダに届いていました。

これに 号泣。

「去年なんか 僕のお手紙とは 全く違う物が来たんだよ

  ことしは 間違って 違う種類のが来たよ~~~~~~」

去年は マレーシアにいるのに 日本でしか買えないようなものだったので

どうにもならなかった・・・・のでした。

今年は 手紙を親に秘密にするから、 どうにもならなかったのでした。

そして 日本に居るときから 希望のものではなくて いつも 違う物が届くのでした。

サンタさんなので いつも 私が吟味したものだったのです。

それがいやだったらしく 手紙をかくのですが いつか きっと 気がつくでしょう

号泣する小少年に 父親 激怒。

父親は この顛末には参加せず ただ 傍観者なのですが、 せっかくプレゼントが来たのに

感謝どころか 泣くとは なにごとだ!!!! だそうです。

兄の大少年は 「急に頼むからだよ~~~ 前もって 手紙を貼らないからさぁ」

といい 「いらないなら このプラモデル ぼくがもらうよ」

ということで では 年末のお買い物に行きましょうと出かけた先で

少年たち プラモデル売り場に貼りついてしまいました。

そんなこんなのクリスマス。

夕飯は ブリ大根がおいしかったので まあ 良しとするか の夜です。

震災や戦争で サンタさんの来ない子もいると言うのに なんと 情けないことよ

「サンタさんも お母さんも お父さんも み~~~んな あなたのことを思って クリスマスを迎えたのに

 泣いてばかりで ありがとうがないのは おかしいよ~~~」

と言っておきました。

今日は 日本の年末のお買い物をするつもりが 人は多いし 3年ぶりでお店は変わっているしで

予定の買い物が できませんでした。

それに あまりにも便利で 丁寧で サービス過剰の日本に とまどっています。

なにも そこまで・・・・・

その反面 きっちりと決められたマニュアル通りにするがために 逆に 融通が効かず 不便な日本。

一生懸命 家財をそろえたり 準備したりしたこの2カ月

落ち着いてきて 気がつけば なんでも  ややこしい処理は「お母さん」にまかせるのが あたり前になりました。

頑張った2カ月がすぎると あらためて 海外生活と日本の生活の違いが そこここに 心と体にしみます。

ささいなことようで これが 疲れるのです。

必死で ぬぎすてた日本の常識を また まといなおすことの煩雑さ。

これは 経験しないとわからないことでしょう

中学校の担任の先生が

引っ越し 1か月前にわかれば できたでしょう

と言われたとき 愕然としました。

海外から日本に帰るのは そんな短期間で できるものではありません。

「もう 日本に帰ったのだから マレーシアのことは忘れてください」

先生はそういうけれど そんな簡単なものではありません。

気候も 習慣も 生活も 言葉も違うのです。

駐在帰国先輩母友達は 「1年かかるよ」と言いました。

そうでしょうね。

そして 日本での違和感をわかってくれるのは やはり 同じ経験をした友達かもしれません。

今日も やはり お母さんは みんなの便宜のために 働いて ついてきて あたり前 の1日でした。

それは 今は しかたないかもしれませんが 私は 疲れ果てています。

お正月の用意 これから リストに書いて 整理します。

そんな 25日。でした。

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帰国後のこどもたちの様子

2011年12月23日 09時43分38秒 | 日本帰国後の生活 2011年秋以降

 

   

日本に帰って 約2カ月

家族4人 それぞれに 試練に立ち向かうことのなりました。

詳しいことは書けませんが マレーシアにいるとき 予想で来た苦労もあれば

マレーシアに居る時には 予想できなかったことも たくさん ありました。

そして それは 今も 私の大きな悩みです。

どんな悩みでもそうですが 一気に 解決することなど ありません

時間がかかるし 思い通りには なりません。

そのなかで 良い方向にいくように 冷静に 判断して 焦らず 真心をこめて 丁寧に

たちむかって行けるかどうか

あきらめず 前向きに 考えられるかどうか

それが 人生の岐路におけるポイントだと思います。

100人居れば100通りの事情があります。

同じ境遇は ありません。

自暴自棄にならず 人を怨まず 感謝して・・・・

ひとつ ひとつ がんばれば いつかは きっと 朝日が 昇るのです

いつだって やり直せるし いつだって 希望は あるはずです。

マレーシアのお友達が 送ってくださる「元気?」というメールに

どれだけ 励まされることでしょうか。

元気じゃないけど とは いいたくありません。

とても 苦しい悩みがあるのですが ほんとうは そうではないような気がしてきます。

たいしたことでは ないような気持ちになります。

ささいなことを 大きく考えすぎているような気がしてきます。

ささいなことと 思ってしまいたいと思うのです。

今 寒い日本で 3年棚上げしていた現実に向き合っている私

でも 私のマレーシアの3年には こんなに温かいお友達がいたのです。

苦労もあったけど それにもまして マレーシアで出会ったお友達が 応援してくれます。

私は あきらめません

今悩んでいることも きっと いつかは 肥やしになって

良い思い出になるでしょう。

公立中学校は たいへんだけど 逃げることは 考えずに

こどもを信じて。私だって 中学生だったとき 親には言わない いろんなことがありました。

私は都会育ちだから 息子の中学校よりも もっと いろんなことがありました。

息子に知ってほしくないことも あったけど それを 知っていくのも 息子の運命です

私ひとりが考えても どうにもなりません

息子に知られたくないことも 息子は知っていくでしょう

もう中学生なんだから 息子は そのことを 自分で考えて 自分なりの答えを出すでしょう。

私は ここまで 一所懸命 育ててきたし それを 信じるしか ありません

昨日も 2人きりで リビングにいたら

172cmの息子が 後ろから抱きついてきました。

5分ほど 背中に顔をうずめる息子の体温を感じていました。

最近 こうして 抱きついてくることが あります。

(弟がいるときやると 弟が 号泣するので できません  それに 恥ずかしいし)

そのほかでは おかさん うざい  おかあさん うるさい と言うのですが。

息子は 息子の目で 真実を判断するでしょう。

それを信じて 私は 神様に恥ずかしくない生き方を

うそやごまかしをしないで いきたいと思います。

出会った お友達の何気ないメールに 大きな元気をいただきました。

みんな ありがとう

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いよいよカウントダウン

2011年12月21日 16時31分35秒 | 日本帰国後の生活 2011年秋以降

 

 

2011年も 残りわずかになってきました。

マレーシアは灼熱クリスマスですね。

我が家は ぜんそく小少年についで 大少年が風邪をひきました。

今 病院から帰ってきたところです。

大少年は セーターを着るとか 重ね着をするとか できませんでした。

熱帯暮らしで そんなことは 男としてかっこ悪いと思いこんでいるのです。

みんな ジャケットの下に セーターを着ていることを知らないのでした。

昨日 中学校の懇談会で 先生が 「みんな 制服の下に着ているんだから 君も 着なさい」

と言われるまで 知らなかったようです。

明日から 着ることになりました。

日本の冬が寒い事を ようやく 知った我が子たち。

日本の暮らしへのリハビリは 険しいのです。

小学生は 良いのですが 中学生での本帰国転入は なかなか 難しいです。

これが 私立の帰国子女受け入れ校であれば また 良かったかというと

それも 経験していないので わかりません。

帰国子女受け入れ校は 東京大阪にはあえりますが そのほかでは ほとんど ありません。

また 関西であっても 受け入れ可能校は 限られた学校なので 通学範囲や条件が合うかどうかは

難しいところです。

私は なにごとも 悪い方向に考えるのは好きではありません。

現在 私は ここには書けないのですが 悩んでいます。

でも 悩みのない人生なんて 存在しないし 100%完璧な帰国も 存在しません。

今 私は 子育てのことで 悶え悩んでいますが それも また 人生です。

中学校の3者面談で 予測される問題や 現状の問題 ご心配を先生からいただきましたが

こどもの生きる力を 私は 信じたいし 悪いことばかりを 考えたくありません。

今 公立中学校に入って そして これから どう育て 暮らしていくか

それを 考える時が来たのです

ここで 逃げないで ひとつひとつ 乗り越えていくことこそ

大事だと思います。

結論は まだ 見えないけれど 私は きっと この家族を 守っていきたいと思います。

マレーシアへの駐在 そして 日本への帰国。

駐在してみないとわからないことです。

この経験を 私は 感謝しているし 投げ出さず あきらめず 大事に 考えたいと思います

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3年前の12月20日の日記

2011年12月20日 18時43分42秒 | 日本帰国後の生活 2011年秋以降
日本での生活も 残り少なくなりました。

明日 飛行機のチケットが届きます。
長男は 友達から 手作りのカードを もらいました。
月曜日は クラスでお別れ会があります。
彼が休んだ日に 秘密に準備するはずが 皆勤賞なので、できない!
『こそこそ用意』だそうです。

次男は 私が思っていた以上に たくさんのお友達に恵まれていました。
Aくんは 次男との別れに 毎日泣いていて
先日 お母さまが ケーキとプレゼントを持って 来られました。
お母さまも 泣いておられました。


Bくんは 骨折にもかかわらず お別れ会(クリスマス会名目で)を 超豪華に 開いてくださいました。
彼は昨日も、ママの車でやってきました。
Cくんは プレゼントを持って 来てくれました。
次男のお友達のお母さま方からは 何人かお電話を 頂きました。
学年が低いので 転居情報が うまく親に伝わらないようです。
次男は 私には 日常の話をしないので こんなに友達に恵まれているとは 知りませんでした。
本当に 感謝しています。

長男は 友達との別れが 大人らしくなり 複雑です。
夜 涙することもありますが
私は そばで 見守るしかありません。

明日は、教会学校で、息子たちのお別れ会。
ありがたいことです。

私は ただいま 瀬戸際で もがいております。
と以上が 2008年 12月20日の日記です。
3年前の渡航前の日記を読んでいると、忘れていたことを 見つけ出します。
当然ですが あのころは こどもたちは今よりも3歳分幼かったのです。
マレーシアに行く直前の夏休み
川で魚を取ったり   虫を取ったり    文楽を見に行ったり    バケツ稲を作ったり 庭でプールしたり
幼いこどもと渡航準備に忙しい私の記録があります。
3年たったら  こどもは 思春期になり
親と一緒に出かけることも なくなりました。
日本に帰ったら あのころの生活の続きが始まるのではなくて
まったく 新しい生活が はじまりました。
駐在3年。ほんとうに 竜宮城   からの 帰還です。
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クリスマスというけれど

2011年12月20日 11時35分09秒 | 日本帰国後の生活 2011年秋以降

 

マレーシアに行く前 日本では クリスマスと言えば

クリスマス絵本を毎晩読み聞かせ

  

   

   

 

 

 

毎週 アドベントクランツに灯をともし   

 

   

 

クリスマスカードを描き

 

 

 

クリスマス アドベントカレンダーを手作りし

 

  

教会に行く  というクリスマスでした。

イブの夜の聖歌隊に参加することもありました。

どうも 今年は そんな気持ちになれません。

私は 毎年 年賀状を手作りしていて 11月から紙の選定  図柄の作成を楽しんでいました。

12月15日には完成して ポストに投函するのです。

どうも 今年は そんな気持ちになれません

まだ 年賀状も白紙の状態です。

引っ越しで 身も心も 疲れていることもあります。

震災のこともあります。

私は 関西出身で 母は北陸なので 東北地方には親戚はいません。

それでも 友達や知り合いが 多く被災されました。

年賀状を送る  というのも  なんだか・・・・・みなさま どうぞ 良いお年を。

写真は 通りすがりの 西宮ガーデンズ。

ゆっくり 中を探検したいな

ここは 2008年11月オープンです。 つまり 私が 渡馬してからできたので 未知の世界なんです

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車が来たからファミレスへ

2011年12月18日 13時04分20秒 | 日本帰国後の生活 2011年秋以降

車が納車されたので
帰国以来 初ファミレス。

  

実は 日本に居たときから、ファミレスには あまり来たことがありませんでした。
ですから、大興奮。順番の機械   待合室
おおおおお   メニューの多彩さ
メニューのネイミングの素晴らしいことにびっくり
パフェの中身構造図にみいります
ひとつ ひとつ びっくり
こうして 日本リハビリ

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皆既月食の写真です

2011年12月12日 13時19分07秒 | 日本帰国後の生活 2011年秋以降

土曜日の皆既月食の写真です。

望遠鏡にデジカメをくっつけて 撮りました。

皆既月食では 月が かくれるのかと思っていたら 赤い月になるのです。

10日土曜日の夜は雲がなく 観測には絶好のお天気でした。

我が家では 天体望遠鏡を出して 観測しました。

なんでも皆既月食は 2000年7月以来 11年ぶりとのこと。

今回は21時45分から月が欠け始め、23時過ぎには全て隠れる皆既状態となっりました。

次に皆既月食が日本で観測できるのは2014年10月8日。

月食は太陽と地球、月が一直線に並び、月が地球の影に入る現象。

皆既月食の場合でも、太陽光が地球を取り巻く大気で屈折し、赤い光だけが月面にわずかに届くため、赤銅色に見えるのだそうです。

金曜日は 白い銀色の大きな月だったのに 翌日の土曜日は 赤い月、 本当に なにか不思議な夜でした。

空が暗くなりました。

そのあと だんだん 明るくなって

写真を撮るのも 上手になっていきまして 初めの写真よりも はっきりと見えます

 

白い部分が 部分月食になってきたところです。

白く輝いています

部分月食になってくると 空が どんどん明るくなって 月の周りの雲が しろく浮き上がってきました。

月食は 暗かったのです。

大少年感動の夜でした

 

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賞味期限

2011年12月11日 13時28分03秒 | 日本帰国後の生活 2011年秋以降

私は お茶が好きです
マレーシアから いろんなお茶を持って帰りました。
毎朝 楽しんでいます。
ところで、マレーシアの中国茶も とても美味しいのですが
日本人ですから、日本に居るなら、日本茶が恋しくなります。
戸棚をあければ、たくさんの日本茶があります。
日本人の日本の家ですから当然です。
ただ  問題は すべてのお茶の賞味期限が 切れているのです。
頂きものの玉露も新茶も 微妙に 賞味期限が切れているのです、
一時帰国のときは、麦茶やティーパックの緑茶を使い、残りは、マレーシアに持って帰っていました。
一時帰国のときは、マレーシアで使いやすいお茶を持って帰ることしか考えていません。
というわけで、我が家には たくさんの賞味期限切れのお茶があるのでした。
茶筒は密閉しているし
大丈夫かしら



と飲んでいましたが   やはり お茶の色じゃないんです

新しくお茶を買いました。耐えきれず


新しくお茶
美味しい
残りの古いお茶は お茶香炉にしたり
お掃除に使ったりしています。
この賞味期限問題は お茶だけにとどまりません。
油 醤油 みりん さまざまな食品に あてはまるのっす。

駐在帰り  いたるところに 悲哀あり
写真は クアラルンプールで買った茶壺です。
チャイナタウンの「楽しんご」くんから 買いました。

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