熱帯ゆるゆる日記

マレーシアでの期間限定生活日記。
2008年駐在開始、そして2011年 本帰国しました。

ちょこまか動き ~ダイエット~

2011年04月30日 09時38分08秒 | マレーシア事情(生活の情報です)

 

 

日本に一時帰国して 肥ったというより マレーシアに来たことが すでに

肥満への始まりです。

 

 

治安の関係や 熱帯で熱いこともあり 街を歩く  とか  散歩  など

歩くことが極端に少ないのです。

 

私のもっとうは  「Gパンのサイズは 維持する」でございます。

しかし 今年になって よる年並み Gパンがきつい

はけなくはないが きつい・・・・ あぶない傾向にあります。

 

 

ヨガ  スクワット に加え 努力が必要です。

 

 

 

そこで 4月月間目標は 「ちょこまか動き」

 

 

掃除を毎日 まじめにする     

筋トレ運動を こまめにする

買い物は 車に乗らず  歩いて行く

車の掃除をする

たんぱく質をとる

 

 

車があるので つい まとめ買いに行く私でしたが それを やめて

とにかく 歩いて 重い荷物を持って帰ることにしました。

 

 

日本にいたら けっこう 歩くのです。

ちょっと買い物、 ちょっと 庭掃除  ちょっと郵便局  

マレーシアでは それが ありません

 

 

 

車を 自分で 洗車し 窓をふき 車内を掃除

これだけで 汗だくです。

 

 

 

きれいになるし 運動になるし 節約だし~~~~です。

 

 

 

 

☆写真は コンドミニアムに咲く 花

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車のバッテリー昇天

2011年04月29日 17時53分36秒 | マレーシア事情(生活の情報です)

語るも涙

 

聞くも涙   いや 笑い????

 

 

 

 

 

日本の一時帰国から帰ってきたら 車のバッテリーがあがっていました。

長い間放置していたからねぇ ・・・・  このときは チャージして 元気にならしゃいました。

なにしろ 新車で まだ 2年ほどしか乗っていませんし 定期検査も まじめに受けているのです。

走行距離は 15000KM

 

 

さて 先日 用事があって 学校に行きまして・・・

いえ その学校への道が ひじょうに渋滞していまして 「いやな予感・・・」がして

私は 過日のバッテリーのことがあったので 渋滞中もエンジンをからふかしして 充電しつつ

学校に行ったですっ

 

 

 

 

そのまま 息子を乗せて帰ろう♪としたとき 先生がいらしたので 

ここで エンジンを切って

車を停めて

ごあいさつを 良い母ぶって いたしまして

そそと 車に乗りこんで キーを回したら・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

うんともすんとも 沈黙の愛車

 

 

 

 

恐れていたことが おきました

 

 

 

 

バッテリー昇天

 

 

 

 

ううううう

 

 

「バッテリーが上がりました」

と 車を降り ご丁寧にもお見送りくださっていた先生に 告げる とほほな母・私

 

 

 

先生は すかさず 走り ちょうど お迎えに来ていた方の車を止めてくださり

 

 

先生の御手 自ら ブースターケーブル(これは 私が持っていた)を

繋いでくださったのです~~~~~~~

 

 

なにしろ 私は 免許をとって25年   バッテリー チャージなどしたことがありません。

日本では 古い車にも乗っていましたが バッテリーがあがったことなど ないのです。

 

 

バッテリーは 蘇生し

めでたく エンジンが かかり

みなみなさまにお礼を申し上げ

恐縮のきわみで 帰路につきました。

 

 

 

ここで 安心してはならぬ

家まで20KM

なんとか 帰らねば~~~~~~

夕方の渋滞を クーラーなし  停まれば エンジンを回転させ

なんとか 我が町 Mont KIaraまで たどりつきました。

 

 

 

 

は~~~~~ 帰って来たわ!

 

 

 

 

ここで 物語が終われば よかったのですが・・・・・

 

 

 

 

コンドの駐車場に車が入り 自分のパーキング スペースに バックで入れようと

おもむろに ハンドルを切り

R にギアをいれたとき

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わが愛車は  またもや  恐怖の沈黙

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうです ここで またもや 上がったのです バッテリー

 

 

 

 

 

駐車場の通路のど真ん中

 

 

 

 

そこへ ちょうど インド系のマレーシア人の車が 通りかかったので

「バッテリーが上がったので チャージさせてくれませんか?」

と聞いてみたら

「ごめんなさい。 NOです。  メンテナンス会社に頼んでください」

と走り去り   次に来た車も  NO  でした・・・・

 

 

 

 

困ってしまったけど このまま通路に車を放置すると 他の車に迷惑

 

 

 

 

夜も更け すでに7時。

 

 

 

頼みの綱の連れ合いに電話して 「どうしたらいい?」と聞くと

「手で押せ」

とのこと。

 

 

 

動かないので ガードハウスに 頼みに行く 子羊の私 めぇ~~~めぇ~~~と心の中で泣いていました。

 

 

 

ガードマン2人 かけつけて 車を押すと 動いたのはいいけれど

ハンドルがロックされていて ちゃんと 駐車枠に入りません

たまたま 隣はだれも契約していないので そのままに・・・・

 

 

しかし 窓がひらいたまま

バッテリーが上がったので パワーウィンドウが閉まらないのです

ガードマンは 「スコールがきたら 車内がぬれるぞ。 なにか ビニールで覆わないと」

と言うのであるが そんなこと言われても・・・・

 

 

 

結局 連れ合いが 帰宅してくれて なんとか 復帰。

 

 

そして バッテリーは 完全に昇天 

一時帰国後の蘇生から 1か月で やはり 助からず 完全に昇天しました。

 

 

 

 

日本では ありえないのですが 

マレーシアの道路では 突然 止まる車が しょっちゅうあり

驚くのですが

自分が そうなるとは。

 

 

エンジンが 突然 止まるというのは ほんとうに 怖い・・・・ものです。

マレーシアにきて 経験は 深まるばかり

 

 

 

 

 

 

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日本は 明日から ゴールデン・ウィークなのね~?

2011年04月28日 23時15分46秒 | マレーシア事情(生活の情報です)

 

 

 

もしかして もしかしなくても

 

 

あしたから 連休???

 

 

 

いいな~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

 

 

4月の新年度から ちょうど 疲れがでるとき

 

 

 

 

 

日本のみなさま 良い休日を お過ごしください

 

 

 

 

 

被災地のみなさま  あたたかい春が きますように

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学校

2011年04月28日 22時46分39秒 | 少年たち(息子たちのこと)

こどもが学校に行くと 親は 親として 学校にかかわります。

 

 

少子化のこの世の中  PTA役員も お役目も ボランティアも 必ずや 身にせまってきます。

 

 

私は 「しんどかったら どうしよう」 とか 「いやだな」 とか想うと

想う方向に引きずられるような気がします。

 

 

 

逃げおおせることのできないことであれば できるだけ 楽しく 有意義に 気持ちよく 取り組みたいものです。

 

 

 

 

 

アフリカの小国のデモが 世界の為替変動に影響するような

facebookや ツイッターの1行が クーデターにつながるような

風が吹いたら 桶屋がもうかるような

とかく 世の中は いろいろな糸の絡み合いです。

 

 

 

ひとりで 画策しても どうなるものでもないのだから 

良いことを思い浮かべて

まだ 起きていない不幸を想像せず

「きっと うまくいく」と 一歩踏み出すことが 好きです。

 

 

 

あ~なったらどうしよう  こ~なったら どうするか と考え込まず

そのときは そのとき  と 笑って今日を 過すこと

 

日本人学校は 今期から バス会社が変わりました。

 

お子さんの年齢や住まいの場所で ちがうかもしれませんが

我が子は 喜んでいます。

 

運転手さんが こどもに語りかけてくれたり 親切だそうです。

通学部のみなさま ほんとうに ありがとうございます。

 

いいことも そうでないこともあるかもしれませんが 私は 嬉しく思っています。

 

 

こどもと運転手さんが 仲よく話ができ それが 人間としてのコミュニケーションになり 学校生活のなかに

できるのは いいことだと思います。

 

 

 

 

 

今までとやり方が違うバス会社で 思わぬこともありますが それも 契約内のことで

親として 向きあい  対処していくものだと思います

 

 

 

 

 

毎日のことですから、こどもの気持ちにも とても良いと思います。

 

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昨日の夕日

2011年04月27日 20時15分07秒 | 夕日・夕焼け

 

西の山に沈む夕日  

 

熱帯の夕日は 黄金

 

1日の名残りを 光る玉にして

 

塔のまち Mont Kiara

 

落日

 

 

 

今日は どんな1日だったでしょう。

 

過ぎてみれば 夕日の輝きのような時間。

 

いいことも 思いの外のことも  みんな 夕日で 思い出に

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ミッドバレーしばらく封印!

2011年04月26日 22時13分10秒 | マレーシア事情(生活の情報です)

    

 

あしたがあるさ♪

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ミッドバレーは修験道

2011年04月26日 19時10分26秒 | マレーシア事情(生活の情報です)

我が家から近く 伊勢丹・ジャスコがあり ショッピングには 最も良いショッピングモール。

それが ミッドバレー。  Mont Kiaraからは 無料送迎バスが でているほどです。

 

 

学校で使うノート、学用品は もちろん このミッドバレーまで 買いに行きます。

 

 

 

久しぶりに 「必要なものリスト」を手に ミッドバレーに行きました。

ミッドバレーの駐車場は 広大であるにもかかわらず、11時ごろには一杯になり、駐車するだけでも

泣きたくなるような 実際 泣くようなところです。

 

 

それだけ 集客力のありショッピングモールなのでしょう。

 

 

 

私は 胃を決して いえ 意を決して  ミッドバレーに行きました。

KLの駐車場は治安が悪く、できるだけ出入り口に近い、安全な場所に止める必要があります。

ですから 朝早く 行くのです。  ここで すでに気合いが 入ります。

 

 

 

まず スリッパ。  これは カルフール。

台所のステップは 見つからず。  広いカルフールのなかで 迷路を右往左往。

ふと テフロン加工のフライパンが 目に着きました。

来馬以来 使い続けているテフロン加工のフライパンが 焦げ付くようになったものの

マレーシアのテフロン加工は とても高価なので がまんしてきたのです。

「私さえ 我慢すれば  家族においしいマグロの刺身が買える値段だわ  うっ

いずれは マレーシアを去る身に 高いフライパンは いらないわ。」

 

 

でも フライパン3個 すべてが 焦げ付くていたらくに至り 心は凍てついていたのでした。

 

え~~~~い。 買ってしまえ!  フライパン 

清水の舞台から ダイビング ひゅ~~~~~~~~~~ フライパン

 

 

むろん このほかにも リストにある食材など 大量に探し出して 購入しました、大荷物。 

このあたりで すでに 意識は 朦朧。 判断能力ゼロ。

 

 

 

いったん カルフールで買った荷物を車のトランクに入れ 再び ミッドバレー修験道 やたがらずの道へと

繰り出します。

 

 

 

 

次は ノートよ。

ノートは ガーデンズにの伊勢丹よ。

てくてく 橋を渡り あること15分。    ノートは 簡単に手に入りました。

今回は 4mm方眼 5mm方眼などどいう ややこしい指定はないので 難なくクリア。

 

 

それから 鉛筆削り。

いぜん 某スーパーで買った鉛筆削りは ずぐに 壊れたので 伊勢丹の高級なのを買おうという主旨です

  こういうのを 探していました。

 

しかし ない。   さまざまな文具が並ぶ伊勢丹さまですが たまたまなのか もともとないのかはわかりませんが

ないものはないです。

 

 

 

鉛筆削りが壊れて以来

   こういうのを 使っている 我が少年たちです。

 

 

 

「あきらめてはいけないわ。 今日は かならず 買い物を完結するのよ」

 

 

 

 

ガーデンズの端っこから 端っこへと修行の道は 続き   画友という画材・文具店に行きました。

巨大なお店です。  この棚を はしからはしまで 森の中をさまよう 赤ずきんのように 歩き回りました。

店員にも聞きました。  すでに このころには 私は 鉛筆削り幻想に ふらふらでした。

ない。   ない。   

 

 

 

 

「いえ 鉛筆削りは きっと どこかで 私を 待っているわ」

 

 

 

 

また もとのメガモール側に戻り こんどは ジャスコへ。

ジャスコで またもや 棚の林(こんどは林くらい) うろうろ うろうろ

 

「あ~~~ら まーしゃさんじゃないの」

 

おおおおおおお  お久しぶり。   しばし 世間話。  まずは 日本の地震の安否。

・・・・・このまま 消えてしまいたい・・・・・・・・

 

 

 

ありました。 ジャスコには。   はじめから ジャスコにくればいいじゃないの。

でも どの順番で探すと効率がよいか 考えた上での結果。  後悔はだめ。

過去を振り返っては だめ。

 

 

 

 

ジャスコには 10RMくらいから 30RMまで いろいろな鉛筆削りが並んでいました。

いかにも 中国製  いかにも 日本製に見せかけた妖しい日本語の書いてあるもの  カラフルなもの  小さいもの 大きいもの

 

 

 

ここで 私は 試されている。      どうすれば いいのか 試されてる。

これも 修験道の大事な関門。

間違いは許されない。

 

 

1〇61年創立 ドイツのとあるメーカーの おごそかな鉛筆削りが 目に着きました。

鉛筆作りの名門です。

六角形の鉛筆を発明した会社。

値段も いちばん 高い30RM.

 

 

 

これよ これ。  ここで 安いものに けちっては いけない。

ためされているのだから。

 

 

 

 

 

やっと 手に入れた鉛筆削りをかかえ 食料品売り場で また 森をさまよい 迷宮を歩き

駐車料金を払い  車に乗り込み 意味があるのか ないのか 定かではない 迂回指示に従って

駐車場を出て ミッドバレー リングロードにでたのでした。

 

 

リングロードは 巨大なミッドバレーを囲む 文字通り 環状道路 

 

 

放心した私は すでに 午後の太陽を 真上に見上げつつ(赤道直下のためです)

アクセルを踏み

 

 

 

 

気がつけば 自宅と反対方向のファデラルハイウェイを走っていたのでした。

きつねのしわざ?  たぶらかしたの?

いや 私が いけないのだ、 私が 修行と中で 気を抜いたから。

 

 

 

だいじょうぶ。   家には帰れるわ。  そのくらいの力は 2年学んだから。

 

 

 

 

 

夕方 下校してきた小少年が 早速 鉛筆を削った・・・・

 

「おかあさん ありが・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう だめじゃん。  この鉛筆削り。    鉛筆は削れるけど 挟んだ部分が ぼろぼろになるよ~~~~~

 

 

 

 

修行とは かくなるものよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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お弁当袋

2011年04月25日 20時27分31秒 | 少年たち(息子たちのこと)

4月13日に始業式。

クアラルンプール日本人学校は 日本の学校よりも 少し遅れて 新学期が 始まりました。

 

日本人学校は 通常 新年度には 1/3程度の教職員の方々が入れ替わります。

海外校ならではの離着任の季節です。

おおよそ3年ほどの赴任期間で 先生方は 日本へ帰国され、また 新しい先生が着任されるからです。

 

 

生徒児童のこどもたちも 4月の会社の移動人事にともなって 転入転出が多くなります。

今回は 転出が多く 転入が少なかったように思います。

こうして企業の動向で 児童生徒数が変化し、こどもたちは そんな中でお友達を大切にするようになります。

海外校では 学年・年齢・性別を超えて 仲よくしないと、 いつ別れがきて 友達が減るかもしれません。

お互いに 転校生である境遇なので 友達を 大切にします。

 

 

この3月は わが少年たちも 多くの友達を見送ることに なりました。

辛く悲しい別れでしたが いつかは 自分たちも 日本へ帰る日が来ることが分かっていますから

「明日は我が身」の複雑な別れです。

 

 

新学年が始まって、 私も あたふたと 落ち着かない日々を送っています。

子どもの学年が上がって スケジュールが 変わりました。

当の子ども自身も 新しい学年で戸惑いが多く 毎日 へとへとに疲れています。

 

 

少年たちは ずいぶん 大きくなりました。

日本人学校は 給食はありません。  お弁当です。

 

 

新学年になって 新しいお弁当箱にしました。

幼稚園のころは かわいいアップリケのお弁当袋を作りましたが

もう 大きくなった少年は かわいいお弁当袋は 嫌がります。

最近は バンダナで包んでいました。

 ふと 「お弁当袋を創ろう」と思い立ちました。

 

元気に  学校で 楽しく過してほしい気持ち。

シューズバッグも かばんも もう 手作りのものでは 足りない年齢です。

お弁当くらい 包んでみたい!

 

 

4つ 作りました。

左は ダンガリーの厚地で シンプルに。 生地は 日本から持ってきました。

厚地のダンガリーは マレーシアでは 手に入りにくい生地です。

おそらく番手の太い木綿糸の織機が 少ないのでしょう。

 

 

右の2つは 同じデザインです。  リバーシブルになっています。

片方の面が バティックで 片方の面が 先染めチェックです。

どちらの面も 使うことができます。

アクセントにチェック側にバティックが 配色されるようにしました。

 

 

この写真では 上2つが リバーシブルで 下2つが ダンガリーです。

 

 

 

最近は Tシャツ かばん くつ なんでも 私が選んだものでは 気に入らず

自分たちの「センス」で 選びます。

お弁当袋 なるべく かわいくしないように 工夫しました。

 

 

「これ 作ったけど 使う?」

 

 

「いいよ」

 

2人とも 使うと言いました。

 

 

 

 

手作りの服 手作りのかばんを 喜んで持ってくれた 幼いころ。

「次は こんなの作ってね~」 と 笑っていたあのころ。

少し さびしいような 成長がうれしいような気持ちで お弁当袋を作りました。

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作品・版画 思い出の駅

2011年04月25日 07時46分21秒 | わたしの絵画作品

 

これは 連れ合いの故郷の駅

 

 

今はもう 廃線になりました。

 

 

木造の小さな駅は 今では 珍しいくらいで ほとんど見ませんが
小さな駅は なぜか 心がいやされます

 

この駅から ちょっと電車に乗って どこか 違う世界に行けるような気がします。

 

駅は公園になり、小さな博物館が隣にできました。

 

 

その駅の公園を 息子と祖父が歩いているところを 版画にしました。

 

秋のある日です。

 

 

秋には 日本は紅葉します

こちらは 私の故郷・大阪の紅葉のなかの太陽の塔

 

 

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つるかめつるかめ

2011年04月24日 13時28分45秒 | マレーシアの風景

鶴の足は2本で 亀の足は4本で      というところから始まる 鶴亀算。

 

くわばらくわばら  なんて 最近言う人は いないかもしれません。

つるかめつるかめ  などと言う人は さらに 国宝です。

 

  遠くに見えるのは飛行機  日本の家のベランダで

日本で 肥って帰って来たのですが  実はそれは まやかしで

だって マレーシアで買った体重計では 〇△キロ のままで 日本で計ると +4キロ。

結局 マレーシアの体重計が まやかしであるだけのこと!   くわばらくわばら つるかめつるかめ

 

 

 

 

老後に備えて エレベーターの中と 自宅のテレビの前で  スクワット。

ぜったい Gパンは 買いかえない、今のまま はける下半身を維持するのだ! それが私の使命である

くわばらくわばら つるかめつるかめ

  旧友(もう30年以上なので ほんとうの旧友)と お茶。   日本です。ううう。 泣けるぐらい日本のカフェ。
だって カップも自分選ぶことができるのよ? そんなことって マレーシアでは あり得ない。

 

 

 

 

 

 

 

小少年は 鶴亀算の足の数で 「なんだか わかんないよ~」

だったら 車とバイクのタイヤの数なら どうなんだ?

 

 

  学校の中庭で お弁当を食べる 熱帯児童。  鶴亀算はまだ知らない。

 

 

つるとかめがすべった  後ろの正面 だ~れ?

 

 

 

 

 

 

このまま 日本に帰らずに 別の国 転勤になったりすることなど ないと思っていたけれど

それは 私が 社会を知らないだけで ほんとうは あるかもしれないし

それでも 私は だいじょうぶ。

宿命には 逆らえません。

 

 

 

だけど その宿命の中に 私だけの幸せを 目を凝らして 探し出せるかどうかが 「生きる力」です。

 

 

小さくて 土色の真綿をまとい 一見しただけでは 「幸せ」には見えないような 小さな玉が

たくさん 埋まっているのです。

 

それを ていねいに 根気よく あきらめず 焦らず いやにならず 探すのです。

 

 

ときに きれいなプラスチックの指輪が出てきますし まやかしの煙も 立ち上ります。

 

でも そんなものには 目もくれず かどわかされず  きれいな本物の石を探すのです。

 

 

これだと気がついたら 根気よく 磨くのです。

孤独で さびしいけれど せっせ せっせと磨くのです。

 

 

 

光は 私にしか見えないかれど 石が光ったとき  私は自分に 満足するのです。

 

 

 

 

 

 ざりがに みつけて 指さすわがこ       これも しあわせ

 

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