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熱帯ゆるゆる日記

マレーシアでの期間限定生活日記。
2008年駐在開始、そして2011年 本帰国しました。

たいのやたい

2011年09月10日 08時56分21秒 | タイ旅行

これは 屋台ではないですが 屋台に近い・・・・お見せ

実は ウィマンメーク宮殿の公園のなかにある フードコートです。

マレーシアの ミックスライス(経済飯)みたいに 好きなおかずとご飯の組み合わせができます。

私は 焼き飯と 焼きそばを頼みました。

焼きそばは 平たい2cm幅くらいの クィテオみたいな麺でした。

味付けは 甘辛。  辛いチリは ありません。  マレーシアよりも 日本人に合う味です。

海老がたくさん入ってて おいしかったです。

おばあさん 手際良く 作ってくれました

 

ラーマ5世像のある王宮公園の近くの 道路

タイの屋台は ほんとうにこじんまりとしていて それでいて どこにでも出現します

水道もないので おそらく お腹を壊す確率が高い   と 思います

 

タイ語の文字は 読めないので なんだかわかりません

 

ミシンの屋台がありました

なにか お直しでも 受注するのでしょうか…この場で 仕立てるのは 難しそうです

 

こちらは 屋台ではなくて 日本人街。

4万7千人も邦人がいると それなりに 商売が成立するようです

本屋さんもあるし レストランもラーメンも なんでも あります。

イスラムは 豚がだめなので ラーメン屋さんが少ないし 制約があるのですが

タイは 豚もお酒もOKなので 日本食もやりやすいです

お酒がだめだと みりんが だめなので 日本食は 案外 ムスリムには 厳しいのです

こちらは パタヤの街

このにぎわいは マレーシアにはありません。 イスラムは 男女関係にも厳しいし 夜はお祈りがあります

パタヤの街には ソンテオ という乗り合いトラックが走っています。

手を揚げると 止まってくれます

荷台に乗ります。   距離は だいたい決まっていますが 1回10バーツ。

降りたいときには 荷台にあるボタンを押すと 止まってくれます。

道路を ぐるぐる沢山 走っています

便利ですね  昔は バンコクでも 走っていたそうです。

バンコクの街  タイの街は 大通りは広いのですが その脇道は みな 狭い一方通行です。

これを SOI ソイ と言います。

ソイは 一方通行ですので そこを ソンテオが ぐるぐる 巡回すのだそうです。

パタヤは 20年ぶり

パタヤには 大都会のような 大きなきれいなショッピングモールがあります

ブランド品から スーパー  土産屋さん その上 日本食レストランも多数ありました

日本のカレー屋さんがあったので 息子たち 大喜び

マレーシアには ありません

電車のホームも 日本みたいです 朝夕は ラッシュアワーでした

このあたりは バンコクのデモがあったところ

今は そのおもかげもありません

電車移動ができると らくちんです

初乗りは 20バーツ 50円くらい

ビルは マレーシアほどの高層は少ないです

どうも 屋台の食べもは わかりません

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エラワン寺院 ~都会のビルの谷間~

2011年09月09日 21時24分15秒 | タイ旅行

 

サイアムスクエア周辺はバンコクを代表するショッピング街です。

そんな近代的ビル都会の谷間にも、タイの人々の信仰と深く密着したお寺があります。

ラチャダムリ通りとプロンチット通りの交差点に建つグランドハイアット・エラワン ビルのの一角に、
小さな祠エラワンプームがあります。

バンコクでは有名な祠で、いつも熱心に祈る参拝者でいっぱい。
エラワン ビル建設のさいに  このお寺を作って 祈ったら 大きな事故が起きなかったことから
「御利益がある」と 信奉を集めているそうです

祠には花と線香の煙が絶えることなく、華やかな民族衣装をまとった女性が伝統舞踊を奉納している姿がみられます

国民の95%が仏教徒のタイ

街を歩いているとお寺(ワット)まではいかなくも、参拝者が絶えない祠をよく見かけます。
これは「サーン」と呼ばれるもので、その土地の守護神を祀った祠です。


日本にも 小さなお地蔵さんが まちのあちこちにありますね。
それが このバンコクのラープラソン交差点のエラワン四面仏なのです。

ちょうど BTSの駅の高架から 見えました

お寺好きの私は もちろん 行きたかったのですが 家族に拒否されました

踊が奉納されています。都会のビルの谷間の 宝石みたい

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象の国 ~天使の都~

2011年09月09日 15時08分07秒 | タイ旅行

タイは 象の国  (写真は アユタヤの象)

タイは王国

東にカンボジア 北にラオス 西にビルマとアンマダン海  南はマレーシアがあります。

国境も これだけ あります。

日本は 国境が海ですが タイは 4つの国と国境をもっています

国名の正式名称は ラート・チャ・アーナーチャック・タイ

1939年までの国名は Siam サヤーム

 

タイは この複雑な地域にあって 植民地化を逃れ
隣国ラオス・カンボジアのような共産化も さけることができました

第二次世界大戦中は 二重外交により、戦後の敗戦国処理を逃れました
そして 連合国中心の敵国条項に名を連ねることもなかったのです。

大戦終結後、国王ラーマ8世は王宮内で他殺体となって発見されましたが、真相は究明されず、現国王ラーマ9世が即位しました。
なお、この大戦での戦禍に巻き込まれたアジア諸国の多くが日本や欧米の植民地でしたが、
タイは国土の一部を割譲することにより、これら列強による植民地化を免れました。
タイは太平洋戦争中、東南アジア戦線では日本に積極的に協力しており、戦後も日本に対して友好的な交流を続けています。

こうしてみると タイ外交は なんと 不思議な そして 柔軟なのでしょう。

 

 

この複雑で アジア的な外交のなかで 先日の日記にある ジム・トンプソンのような諜報部員がいたのですから
謎が謎を含んでいます    首都バンコクの正式名称は

クルンテープマハーナコーン アモーンラッタナコーシン マヒンタラーユッタヤーマハーディロック ポップノッパラット ラーチャターニーブリーロム ウドムラーチャニウェート マハーサターン アモーンピマーン アワターンサティット サッカタッティヤウィッサヌカムプラシット

กรุงเทพมหานคร อมรรัตนโกสินทร์ มหินทรายุธยามหาดิลก ภพนพรัตน์ ราชธานีบุรีรมย์
อุดมราชนิเวศน์ มหาสถาน อมรพิมาน อวตารสถิต สักกะทัตติยวิษณุกรรมประสิทธิ์

意味は イン神(帝釈天)がウィッサヌカム神に命じてお作りになった、神が権化としてお住みになる、多くの大宮殿を持ち、九宝のように楽しい王の都、最高・偉大な地、イン神の戦争のない平和な、イン神の不滅の宝石のような、偉大な天使の都。です。

タイ語は 5つの声調があります。  つまり 5つの音階が ことばにあるのです。

バンコクの正式名称をタイ語で発音すると まるで 吟遊詩人の朗読のようです。

ゲド戦記でもそうでしたが 本当の名前を知られると 暗黒に犯されるという考え方があります
これだけ 長い名前だと 悪魔も 困るでしょう
タイの文字は 独特で いいですね。  その個性ある文字を構築したことに 驚きます

現在は クルンテープ(正規名称の最初の部分)  天使の都 と呼ぶことが多いそうです。
人口900万人の天使の都です

インドシナ半島の国々は それぞれに 個性があり 魅力的です。

前置きが長くなりました  象  です  

タイでは 象(チャーン)は 人々にあがめられ 大切にされています。

昔は 戦争のとき王様を乗せて先頭で戦いました。
タイ軍は 昔から とても強いそうです。今も 徴兵制度があり くじ引きで配属されます。

1917年までのタイ国旗には 白い象(神様)が描かれていました。
林業において 象は貴重な労働力です。
タイの国の形は 象の頭の形で それを タイの人は 誇りにしています。

 

ところで 何年か前まで バンコクの街には 象が いたそうです。
しかし これだけの車社会では 象が町中で 暮らすのは 不可能です。

今は 法律(条例)で 街を象使いが 象を連れ歩くことを禁止したそうです。
 タイ国立象使い専門学校というのがあるそうです。

象使い    魔法使いみたいです。

タイでは 象は 生活に密着しているのです。

 

 

 ← うちのおとうさん 御用達 チャーン ビール

道を歩いていると 渋滞する道路の路側帯に象の像が 延々と 並んでいます。

まるで 車と象が いっしょに歩いているような

タイでは 象は 象ではなくて 国民なのです。

マレーシアにも もちろん 象が居ます

我が家族は 鞍なしで象に乗りました。  けっこう怖いです。↑
僧の背中は 背骨があって △なのです。

しっかり 足ではさまないと 落ちそうです。 しかも 高い位置ですから 怖い。

象の背中は とても 温かい。 生きている。

タイでも マレーシアでも いともかんたんに 象にのることができます。

マラッカ動物園では2RMで 乗れます。↓

 

でも 日本の動物園では 象は猛獣です
あの体重ですから 怒って攻撃されたら 人間は ひちたまりもまりません。
飼育には 象に押しつぶされないように 危機管理をr徹底しています。
日本の動物園に タイの象使いが勤務していることもあります。

つまり タイの象使いの技術は 卓越しているということでしょう

象使いいる象の国 天使の都    それが タイ

 

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ウイマンメーク宮殿とアナンタサマーコム宮殿と街並

2011年09月08日 21時07分17秒 | タイ旅行

ラーマ5世が実際に住んだ宮殿 

歴代の王様の中でも とくに 敬愛を集める ラーマ5世
ラーマ5世は幼名がチュラロンコーンと呼ばれ、即位後すぐに欧米を視察、タイ国を世界に開いた王として現在でもタイ国民から尊敬されている王様です。
女性の就学を認めるなど タイ近代化に大きな変革をもたらした王様です

 

現在は王室関係の博物館として貴重な品々が閲覧できる総チーク材の美しい宮殿です。

金属の釘や金具を 一つも使わずに 組み立てられたそうです。

実際に 窓枠などを 見ても 釘はなかったです。

1901年から1906年までの5年間、ラーマ5世ご自身で住まわれた宮殿です

内部は撮影禁止。でも この中が また ほんとうに美しいのです。

ここは 英語ガイドが あります。

館内には主にラ-マ5世、6世ゆかりの品物が多く展示されており、日本や諸外国から贈られた貴重な品々も数多く展示されています。
館内は写真の撮影も禁止、靴を脱いでの入館となります。
また財布以外の持ち込みも全て禁止され、(ロッカーあり)服装も男性は長ズボン、
女性はロングスカートの着用などと言ったチェックがありました。(服の貸出あり)
うちの次男くらいのこどもでも 半ズボンはだめです。

王宮 エメラルド寺院見学の後に行ったので 家族全員 服装はOKでした。

20世紀初頭のタイ国王室の暮らしぶり、生活様式などをみることのできる美しい博物館で、入館料は外国人100バーツ、。
園内から徒歩でラーマ6世が迎賓館、王室関係の行事用に建設したアナンタサマーコム博物館へ行くこともできます。
ところが この日は 月曜日で アナンタサマーコム博物館のほうは 休館。

国立博物館も休館   残念です~~~~~

http://www.bangkoknavi.com/miru/45/

↑ 内部の写真

木の建物 タイ風の中に西洋の味つけ  そして 世界中の調度品

木造家屋は 日本人として 落ち着きます。

ウィマンメーク宮殿は 広い公園の中にあります。

ラーマ5世が写真が趣味でしたので その写真博物館や 大小様々の洋館の博物館が あります。

これは 王室の調度品を展示する博物館。 公演の入り口付近にあります

ここも 服装チェックがあります  王様関連の施設は すべて 服装チェックが厳しいです。

こちらも また 繊細です。 木造ですが ヨーロッパ風で しかし どことなくアジアらしさもあります。

中は ステンドグラスがきれいでした

人は あまり いません・・・・・・でも 見ごたえありました。

この博物館の すぐ 前から 下のアナンタサマーコム宮殿に行くことができます。

ですから このあたりは ラーマ5世にまつわる 重要な場所です

こちらは  もと国会議事堂 アナンタサマーコム宮殿 と ラーマ5世像

アナンタサマーコム宮殿は 大理石でできていて 国会議事堂として使われたこともあります

映画『グッド・モーニング・ベトナム』のエンディング・シーンなど映画のロケで採用されたり、迎賓館として利用されたりしています。

ここも 1907年 ラーマ5世が迎賓館として宮殿建設しました。
イタリアから建築家を招き イタリアから大理石を運んで 大金をかけての建設でした

ラーマ5世が当時としては国力を無視した1500万バーツもの資金をつぎ込んでこの宮殿を建設しようとした理由として、西洋にタイを国力のある国家であることを見せつけようとした、壮大な宮殿を造り国王の権限を高めようとしたなどの意図があると言われます。
このため、アナンタサマーコム宮殿はラーマ5世に代表されるような絶対王政のシンボルとして見られています。

月曜日が休館のため 内部見学できませんでしたが 内部が これまた 豪華だそうです。

http://www.artsofthekingdom.com/

大理石は重いので 粘土質のタイは 土壌改善工事をしたそうです。  すごい。

この周辺は BTSなどの電車の駅はないので タクシー移動になると思います。

我が家は 英語も通じず 地図で場所を指定しても タクシー運転手に通じず 移動に苦労しました。

事前にタイ語のメモを作っておけば よかったです・・・

トゥクトゥクがたくさん居ましたが 別の場所に連れて行かれそうになったり たいへんでした。

現在のラーマ9世の写真が あちこちにあります

もうすぐ 王妃さまのお誕生部だそうで 王妃様の写真が たくさん 飾ってありました

王様は 愛されています。

写真でわかるでしょうか この周辺の道路幅は ものすご~~く 広いです

ラーマ5世の都市計画は 欧米を見習って 大規模でした。

それが 今の 車社会にも 良かったのですね

 

 

↑の写真   銅像は アナンタサマーコム宮殿前の ラウンドアバウト  

ラーマ5世の銅像が真ん中にあります。

おおきな 広場のようです。

写真の建物は 国立図書館。  入ってみたいけど あきらめました。

建物の作りが ヨーロッパ風ですね

でも タイは 植民地化されていませんから KLのようにイギリス人がたてたのではなくて

タイの王様が 建てたのです。

これは 大きな違いです。

23年前来たときは お寺ばっかりまわり この博物館は 見ていませんでした。

ついでに 50年ほど前 雨季の大雨で この周辺は 水没したそうで その時は 船が出たそうです。

タイの雨季は 水害になるほど 激しいのです

現在は治水工事ができ 大丈夫だそうです。

マレーシアは そんな雨季ではないので 幸せです。

自然災害のある国は 働き者になります。 さぼっていると 生きていけません。 日本もそうですね。

 

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タイの夕日

2011年09月07日 21時03分18秒 | タイ旅行

 

タイの夕日

海に沈む夕日  椰子の木

熱帯の太陽は 大きい。

日本の夕日と同じ太陽ですが なぜか 赤く大きい

今 思うことがあって 心が すっきりしません。

思うようにならないことが あるからです。

だけど 世界は 私だけが生きているのではなくて 数えられないほど多くの人が生きています。

だから 私が 「こうしたい」と 願っても それは 星くずのようなかけらでしかありません。

でも 私は 「こうあってほしい」という願があります。

星くずひとつぶが 私の心のほとんどを埋め尽くし 海の夕日にため息をつくのです。

 

誰かに 「こうしてほしい」と思うことがあります。

でも そうならない。

怒る? 泣く? 頼む? 祈る?  はたまた 説得する?

私は思うのですが 赤ちゃんだって こどもだって おとなだって みな 同じ。

怒っても 泣いても 説得しても 人は 私の思い通りになど ならないでしょう。

怒って 泣いて 説得しても 根本は 変わらないような気がするのです。

押しても 引いても どうにもならないことが あります。

だって 世界は 多くの歯車が 複雑に組み合わさって 回っているのだから。

無理に頼めば 何とかなるかもしれません。

だけど そこに きしみがでて きっと そのずれは いつか 降ってくるのです。

ものごとは なんでも 陰陽 裏表 プラスがあれば マイナスがある。

良いことがあれば その 反対には 良くないことがある。

陰の裏は 陽。

今 私の願い事がかなわないのは 陰のように見えて マイナスにみえて 本当は プラスかもしれません。

太陽が昇るための 息継ぎかもしれません

人生に無駄はない

怒っても 泣いても 何も変わらない

変わることができるのは 私自身だけ。

たとえば 優しい彼は 優柔不断だったりするでしょう?

プラスはやさしい  マイナスは 優柔不断

どっちも本質です

今は マイナスに見えても 十年後には プラスになることもあります。

「あのときは 辛かったけれど そのおかげで 今の幸せがある」

と思うことがあるでしょう

こどもに怒っても うまく いかないでしょう  

誰かに なにかを頼む  ということは その代価がかならず あるのです。

運命に逆らっても 溺れるだけ

運命の流れに掉さすのは 流されます。

角もたちます

運命の流れに うまく 乗って マイナスを プラスに転じる努力をしたいです

そうは思っても 心が晴れない 私です

 

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アユタヤ ~その2~

2011年09月06日 17時53分13秒 | タイ旅行

 

アユタヤのワット・ナー・プラメーン

「ワット・ナー・プラメーン」の「プラ・メーン」とは「須弥山(シュミセン)」という意味で、国王の葬儀をしめしています。

「ナー」とは「前」という意味なので、「ワット・ナー・プラメーン」とは「国王の葬儀場前の寺」の意味。
創建はラーマティボディー2世の1503年。
この寺院は、アユタヤー滅亡時に破壊されなかった数少ない寺院です。(写真上の金色の仏像)

修復を行っているので きれいです。
 この寺院のご本尊は高さ5mの巨大なシーサンペット・ボーロム・トライローカナート王仏で、冠をかぶっているお姿をしているとても珍しい大仏。
また、小仏殿内には、有名なドバーラバティ様式の仏像も安置されています。(写真の左下)

 

 

写真の写りが良くないのですが 御顔がとても柔和です。

黄金の色も 青く反射して とても 美しいです。

御顔が インド的で たおやかです

こちらの御顔も なかなかのハンサム。

鼻に囲まれて やさしいオーラ。

仏像の脇に僧侶が座って お経を唱えておられました。

堂内に響いて 荘厳です

小ぶりながら なかなか 造形の美しいお寺です

 

こちらの仏像の姿も 引き締まっていて 良いです

 


ビルマ軍に破壊された仏像の頭が、、木の根に取り込まれて年々成長と共に上昇しています。

菩提樹の木に包まれるように正面をむくお顔は 奇跡のようです。

ワットマハタート

ワット ロカヤスタ  涅槃像

建設は後期アユタヤ王朝中期で、当時は他の仏教施設もあったということです。
アユタヤ王朝陥落時1767年に大部分がビルマ軍(旧ミャンマー)軍の破壊に会い、現在は涅槃仏 のみが残っています。
涅槃仏は穏やかな表情と人間味ある姿形で、北方を向いて寝ています 北まくらです。
その全長は約28メートル、高さは5メートルある。建築は煉瓦で形を作ってのちに漆喰で固めた物です。

 

涅槃像は 日本では少ないのですが タイではよくみられます。
涅槃像は 釈迦の入滅を表しています。

 

私は この釈迦の入滅の話が 好きです。
イエスキリストは ゴルゴダの丘で貼り付けになり 非業の死を遂げました。
たとえ それが 人々の救済であったとしても 私は どこか やりきれません。

それにひきかえ 仏陀 お釈迦様の入滅は なんと 美しくもやさしいのでしょうか

 

 


北インド各地を巡回説法の旅を続けた釈尊は、パーヴァー村で鍛冶職のチュンダに説法し、供養された食事(茸)を食べ体調を崩し(食中毒?)不如意ながらクシナーラに着くが、動くことができず、静かに入寂されました。(一説ではきのこではなく豚肉ともいわれます)
このきのこが 危ないことを釈迦は知っていたのですが あえて 食べたのです。
この時の、弟子のみならず全ての階級の人や、獣や虫等全ての生き物が別れを悲しんでいる有様を描いたものを「釈尊涅槃図」。
釈尊の脇に立つ大木が(沙羅双樹)です。

 

祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ

 

沙良双樹の木の下で 北を頭にして 横たわり 沙良の樹の花弁が舞うなか ほほ笑みをもって入滅したのです
入滅に至る 弟子たち とくにアーナンダとのやりとりなどは おだやかで どこか 希望があります。

 

ところで この祇園精舎の鐘の声~ ですが 小少年 暗証課題で 毎夜 聞いておりました。 よかったです。

 

 

というわけで  アユタヤの仏像は 良いけれど 破壊が激しくて 哀しい・・・・

 

バンコクの街とは 対称的

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アユタヤ ~その1~

2011年09月06日 07時09分22秒 | タイ旅行

タイ旅行記 アユタヤ編です。 (カテゴリーのタイ旅行にまとめています)

実は 23年前来たとき 暑さにバテてアユタヤ訪問を断念しました。
23年前 飛行機は遅れて深夜2時、ホテルは5つ星なのにダブルブッキングで 疲れたのです。
今回は リベンジ。
熱帯生活3年で 暑さには 強くなりました。

1

 

 

1351年~1767年 タイ王朝があったアユタヤは 川を使った貿易都市でした。

1767年 ビルマ軍に滅亡させられた古代遺跡が残り 世界遺産です。

14世紀 アユタヤは 東南アジア最大の王朝として栄えましたが 16世紀に入り
再三にわたって ビルマ(現ミャンマー)の攻撃を受けます。
1767年、ビルマのl攻撃で街は壊滅状態になりました。

 

 

 



このとき ビルマ軍が アユタヤの寺院一部の石仏の頭部を略奪したため 今も 頭部のない仏像が多いです。
石仏の頭の中に 金を入れていることから 金欲しさに頭部を壊したのです。
また ビルマ軍の放火もあり アユタヤの遺跡は損傷が大きいです。
私は カンボジアのアンコールワットに行った事がありますが アユタヤのほうが時代は新しいのに
損傷度合いが激しく 残念です。
アンコールワットは ジャングルに長く埋もれていたので 戦火にまみれたのは 現代に入ってからです。
インドシナは ビルマ タイ ラオス ベトナムと国境が入り組み 争いが絶えない地域です。



さて ビルマ軍退却後 王様になったタクシン王は あまりの街の破壊に アユタヤ復興をあきらめ
バンコクのトンブリー地区へと遷都します。

日本では徳川幕府が天下を統一した後、働く場所を失った多くの下級武士が働く場所を求めアユタヤに渡来しました。

日本人町を興し移り住んだが、1630年、日本人勢力の台頭を恐れた当時のアユタヤ君主は町を
焼き払い町民を虐殺、このため現存する町並みは無く、日本人町があったと言われる場所に記念館が設立されているのみとっています。

ちょうど NHK大河ドラマ「江」で 徳川幕府統一が近いですね。

アユタヤは 川で囲まれた土地です。

ゆっくり回るには 泊まったほうがよいかもしれません。
バンコクからは 日帰りできる距離 車で2時間程度です。

チャオプラヤ川。  この河を使って アユタヤは発展しました。

写真を見てもわかりますが かなり 遺跡は傷んでいます。
王様関連の遺跡なので タイ軍の兵士が たくさん 警備しています。
こういう風景は 日本人には なじみがありません。

最近 カンボジア国境でも タイ軍とカンボジア軍のいさかいがあり 遺跡破壊が報道されました。


こちらは アユタヤのバンパイン宮殿

バンパイン宮殿(バーンパイン宮殿)はバンコクの北60km、アユタヤの手前18kmの場所にある、

17世紀アユタヤ王朝のプラサート・トーン王によって建造された夏の避暑用離宮です。

 




1767年にビルマ(現ミャンマー)の軍隊に破壊されましたが現王朝のラマ4世と5世が再建、現在でも王室の住居及びレセプション会場として利用され、一般公開もされています。


ルネッサンス様式やロココ様式の建築が多い中、明天殿と呼ばれる中国風の宮殿がります。

タイ王朝に中国風??? ですが   タイは 巧みな外交と文化の取り入れのために
中国人とも 交流していたのでしょう。





黄金を使用して池の上に建立されたプラティーナン・アイサワンティップアート離宮が みごとです。

 

中国風があったかと思うと ヨーロッパ風もあり。
タイの王様は 中国はもちろん ヨーロッパにも勉強しに行き 都市計画や国づくりを学んだのです。



芝生や池なども美しく整備されています。


敷地内は大変広いです。


建物内はほとんど撮影禁止でしたが 外観だけでも 見ごたえがありました。

 

タイに起こった各時代の王朝同様、中国とインド、ヨーロッパ方面を結ぶ中間に位置する地の利を生かし、
貿易が国の富として重要だったアユタヤ。
その交流が バンパイン宮殿で よく わかります。





アユタヤ王朝でも王家を中心として、独占的な貿易が行われていました。

主に チャオプラヤ・デルタの穀倉を利用し 中国への米の輸出で国力を付けたほか、
日本、琉球などの東アジア国家、東南アジア アラブ・ペルシア方面や西洋と活発に貿易を行い、
莫大な富を蓄えました。
この富を背景にアユタヤでは当時繁栄していたクメール文化を吸収しつつ、中国、ヨーロッパ、ペルシャなどの文化の影響を受けた独自の華やかな文化が開花したのです。



 

まったくの中国のたてものです。

タイルの床が きれいでした。

 

こちらは ヨーロッパ風  そのむこうに タイ風

植民地化されなかったタイ    建物は いろいろな国の様式を取り入れています。

不思議な国 タイ。  インドシナ半島 どの国も おもしろい。

つづきは あした

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王宮とエメラルド寺院  ~ワット プラケーオ~

2011年09月05日 07時46分55秒 | タイ旅行

バンコクといえば エメラルド寺院。 ワット・プラケーオ

私は 3回目でした。

3回行っても 時を経ても エメラルド寺院だけは 変わりません。
なんで 3回もタイ?

もともと 仏教美術 密教が好きなので 仏教国タイに若いころ行きました。
そのあと 会社から 1度。
そして 今回。

タイは 東南アジアで 唯一 植民地にならなかった王国です。
それも 興味がありました。
でも 好きだけど 大好きというわけでもないので やはり 縁でしょうか。
前世は タイに住んでいたのでしょうか・・・いや いなかったと思う! でも 今は 住んでもいいタイ。

ラーマ1世が実際に居住した、王宮と当時の政治までも司った寺院が一体となった王宮です。

ラーマ1世が2世紀前(1782年)ラタナコシン王朝を始める際、国王が住む「王宮」と国家の行事をする、お寺である「ワット」をお同じ場所に作りました。

ただし現在の王様ラーマ9世はここではなく「チットラダー離宮」に住んでいらっしゃいます

寺院の名をエメラルド寺院、又はワットプラケーオとも呼ばれるバンコク観光の中心となる場所です。
いつ行っても 多くの観光客と参拝客でにぎわっています。

近隣はタイの政治の中心として各省庁や国会議事堂があります。

王宮内に入るには服装のチェックがあり、男性、女性を問わず肌を大きく露出した衣服では入れません。無料の貸服あり、膝が出ている人は着替えます
靴も サンダルやミュールはだめです

王宮に出かける際には 注意しましょう。
王宮以外にも タイのお寺は 服装に厳しい場合があります。
日本のお寺は そんなことありませんね。
意外に思われるかもしれませんが、熱帯の国々は 肌の露出が少ないものです。
礼儀を重んじるのは アジアの道徳精神でしょう。

黄金をふんだんに使った建造物や回廊に描かれた絵物語は必見の価値があります。

回廊の絵は 大叙事詩ラーマヤーナです 
ラーマ王子の妃シーターを誘拐したトッサカーンという鬼とラーマ王子が戦う物語。
インドの長いお話です。
細密に描かれた絵は 日本の画法と同じで、 遠近法など見ているとおもしろいです。
現在も 随時 修復されて 古の絵をそのままに見せてくれます。

この写真の大きな黄金の仏塔はラーマ4世がアユタヤーにあるワット・プラシーサンペットの仏塔をまねして建てたものだといわれています。

細工が見事です。

形は カンボジアのアンコールワット形式の影響をうけていたり ヒンズーであったり
ビルマ様式であったり 周辺の影響が 見えます。

手作業で 象嵌したり タイルを張ったり 金箔で飾ったり 荘厳な美しさです。

屋根に鐘がついていて 風にゆられて 鐘の音が響き、音でくっ気を浄化していました。

本堂の中にはこの国でもっとも重要な仏像である「エメラルド仏」が鎮座しています。
チェンラーイで1437年に発見され、その後ランパーン、チェンマイ、そしてラオスにも226年にありました。
つまり ラオスとの戦争で タイ軍の戦勝品ということでしょう・・・・
インドシナは争いが多かったのです。そして タイ軍は とても強いと言われます。
1778年トンブリー側に都を県都したタクシン王によってバンコクに持ち込まれ、1784年、エメラルド仏を安置するため本堂が建てられました。
幅48cm,高さ66cmの意外と小さい仏像ですが 緑色の翡翠でできています。

エメラルドと言われていますが 実際は翡翠です。

年に三回衣替えをしますが、これができるのは王のみだそうです。
タイには3つの季節があります。
乾季 雨季 暑季  その3回 黄金と宝石でできた衣を着買えます。(堂内撮影禁止)

エメラルド仏の放つパワーは 拡散するように堂内に満ちています。
脇を固める仏像が また とても良くて 細部を見ていると 日本の密教の曼陀羅に通じます。
立体曼陀羅です。

3回もお参りで来て 仏像好きの私には 光栄でありまする。

とにかく どこをみても まばゆいかぎり おもいっきり 穢れをきれいにしてくれそう・・・

本堂を観終わると 流れに沿って 次は 王宮です。

アマリンタラウィニチャイ ホール

国王の誕生日の式典がここで行われます。内部には王座が二つあり、ひとつの王座の上には九重の傘が付いています。この傘がある方に王様が座るといわれています


 

チャックリーマハープラサート宮殿
次に見えるのが王宮のチャックリーマハープラサート宮殿です。
この宮殿はラーマ5世が外遊から帰国して新しく建てられた宮殿です。
建物の構造は、チャックリー王朝(バンコク王朝)歴代の王の骨壷が置かれ、国王が外国の賓客を迎えるのに使われるお部屋が設けられています。
内部は 特別な時以外 非公開。

歴代の王様の中でも ラーマ5世は とくに 敬愛を集めています。
それまでは 女性の就学など認められていませんでしたが ラーマ5世が改革しました。

歴代の王さまは ヨーロッパなどに留学し、海外の技術や文化をタイに持ち帰りました。
西洋風の道路計画や西洋風の建築物は その王様のもたらしたものです。
タイは インドシナにあって 唯一 植民地にならなかった自由の国です。
西洋風の建物ではあっても タイらしい建造物になっています。

ドゥシットマハープラサート宮殿
王宮の中で一番初めに建てられた木造の宮殿です。
1789年に火災に遭い、建て直されこの名称になりました。以前はアマリンタラーピセックマハープラサートと呼ばれていました

タイの正式国名は 実は120文字もどある長いもの。
王宮関係の名称も 長い。
長いほうが 悪霊に呼ばれにくいからだそうです。
この考え方は ゲド戦記などにもあるように 敵に名まえを知らせない、名前がわかると 魂を理解されてしまうという。
日本でも 幼名があったり 名まえ  おもしろいです。

どうでもいいようですが ここの植栽の剪定の形は いいですね。
丸い緑が 宙に浮いている。  とっても いい。

上の写真の左上は 象の乗り場。

この場所を 象が歩いていたかと思うと いいな~~~~。です。

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家族旅行  ~アジアの家族~

2011年09月04日 16時47分34秒 | タイ旅行

結婚して新たな家庭を作って 20年とちょっと。

子が授かって 10年とちょっと。

そのまえは 親元にいたけれど、うちは自営業であったし 犬もたくさんいたので 家族全員旅行はなかった。

私の両親は そろって自営業・商家の出なので、家族旅行とは無縁だった。

 

私は 今 サラリーマンの妻で ごく普通の家庭にいる。

駐在をしていると ふだん 制約のある生活をしているだけに 休暇の旅行が楽しみとなる。

日本に居る人から見たら 「旅行が多い」と思われるだろうけれど これで 案外 家計のやりくり火の車ながらも
旅行しないと うっ屈するかんじ。

かくして 借金してでも 近隣諸国への家族旅行敢行となる。

うちは 思春期の子を抱えているので あと何回家族旅行ができるのか・・・・

こどもが大きくなると 親と旅行など しなくなるもの。

すると 家族旅行は つかのもの ほんの12,3年の出来事。

今回も 「これで最後かな~」と思いつつの旅行だった。

常々 私は 我が子であっても 魂は別  と思っている。

我が子をみたら 自分に似ているようで 似ていない。

血縁なんだから そりゃ 少しは 似ているけれど ある部分は 連れ合いに似ているし ある部分は 祖父母に似ているし
ある部分は どこに似たのやらわからない。

遺伝なんて 何代もの交配の結果 複雑になっていて パズルは 簡単には見えない。

こどもが幼いころは 行き先は 限定されるし おむつは必要だし それに見合った旅となる。

親子の価値観で決まるのではなくて 物理的条件が前提にある。

その点 ネズミの国は 親子とも楽しめる希有な旅先(でも うちは家族で行ったことない)

さて 我が家

大きくなったこどもと家族旅行。

おやじは デモのあった交差点を観たいといい

おかんは お寺がみたいといい

小少年は 海にいくといい

大少年は 腹が減ったという。

それぞれの価値観。

大少年の横顔をみていると  どう考えても 違う人格で 私とは違う価値観で 好き嫌いがある。

結局 血はつながっているけれど 別の魂が 寄り集まっているのが家族。

少年たちの顔を見ていると 祖父母の顔がよみがえる瞬間があるし

また 初対面のような気もする。

ベビーカー押して 毎朝公園に行き 砂場に座ったあのころ。

ふとんの上で 絵本を読んだ幾多の夜。

その時間を むさぼり食べて 少年たちは 私とは別の人格になった。

家族旅行は そんな 別々の人格の人間が 寄り集まって 同じ旅を共有する。

みたもの たべたもの さわったもの みな同じでも 感じることは 別別。

それでも 喜びは共有する

日本は 3月11日 未曾有の大地震に遭遇した。

今 日本では 家族が見直されているという。

 

元来 アジアは 家族志向が強い地域。

中国は 家族単位が重要で、仕事も行動も すべて 家族の信頼だ。
マレーシアでも 中華系は 一族で固まって行動する。
家族以外は信用しない感じだ。

マレーシアも家族が強い。
マレー人は 大家族で、家族のきずなが深い。
思春期の子でさえ 親とでかける。
タイ カンボジア ベトナム 韓国 みな 家族第一。
親の面倒を子が見るのは 当然。
年金や保険制度がなくても 年寄りが路頭に迷ったり、孤独になることはあり得ない。

それに比べると 日本は ちょっと 変わって来ていたと思う。
核家族化しているし、老後は子と同居せず 施設に頼ることもある。
それが 悪いといているのではなくて 日本の社会構造なので それはそれだけど

アジアにあって 日本の家族の在り方は 少し 違うような気がしているだけ。

今日のNHKでは 台風の水害の報道が続く。
つくずく 日本は災害の多い国だと思う。
この災害を 太古から 乗り越えてきたのが日本人。
特殊な民族になるのも 当然だろう。

海外生活をしてみて 気づいたことのひとつは 家族の在り方。

マレーシアにいると 周囲の外国人は 家族志向が強く 家族を第一に生きることがわかる。

海外にいると 自由に行動できないことや 治安、などから どうしても 家族単位での行動が多くなる。

否が応でも 家族で行動せざるを得ない。

そこで 家族の暮らし方が 新たに できてくる。

こどもの考え方も尊重し 親子であっても ある程度 お互いに 距離を置くことを知る。

摩擦ではなく 互いに尊重しつつ 一緒の時間を過す方法を 練って行くのだ。

 

マレーシア人と世間話をしていると ほんとうに 学ぶことが多い。
中身がないと言えばそれまでだけど みなが楽しくて しかも だれも傷つかない話題を たくさん持っている。
その よもやま話から お互いの親密度合いを 保つ。

多民族国家で 大陸とつながる国。
肌で 間合いがある。

家族を見直す。
家族上手になるためには 家族旅行は 良いきっかけ。

3度目のタイ バンコク。

20年前と すべての横糸は過去。   

 

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チャオプラヤ河 ~バンコク~

2011年09月03日 16時07分33秒 | タイ旅行

バンコクの北 アユタヤからチャオプラヤ河を 船で下りました。

東南アジアの国の河は 豊富な栄養を含んだ 泥の河です。

バンコクの中央湿地帯では 農業用や運搬用に運河があり 世界有数の稲作地帯。

チャオプラヤ デルタ。

命の母なる河です

アユタヤを出発したときは 川幅が広く 周囲は田園風景でした。

バンコクに近づくにつれて 川岸の風景が変わっていきます。

川風が とても きもちいい

川岸には 水上生活の家

お寺が見えます

以前は バンコク市内にたくさんあった水上生活の集落は 今は なくなりました。

私が 23年前に来たときは 多くの水上生活の集落があり 小舟で観光しましたが

今は バンコクから車で1時間ほど離れた街にしかありません。

バンコクは 大きく近代化されました

船から見た 暁の寺 ワット・アルン

アルンは 暁

三島由紀夫の小説「暁の寺」の舞台です。

私は 20年前 船でこのお寺をたずねましたが 真昼の暑い太陽が照る時間で あまりの暑さに

放心した思い出があります。

今回は 船の上からのお参りです

http://www.watarun.org/index.html

↑公式サイトですが タイ語で 判読不明

多くのお寺が 河から見えます。

仏教と河・水は 縁が深く 重要です。

水が絶えず流れるということは 仏教では とても良いことです。

私は 川の風景が好き

上流から下流へと景色が変化します

橋は 王様の名まえがついていました。

 

 

私は 水の都大阪の生まれです。

祖父は 江戸堀の運河の近くで生まれました。

昔は 大阪も運河で商売をしました。

バンコクの運河は 生きています

今回の旅は 家族4人。

家族の中で とてもお寺が好きなのは私だけです

お寺に行きたいのは のどから両手が伸びるほどです。

でも 家族旅行は 家族が喜ぶことがだいじですので 希望の1/4かなえば よしとせねばなりません。

私の希望は すべからく 第4位です。

だいたい家族旅行で 自分の希望が100%かなえられることなんて 有り得ません。

男3人 女一人  常にはらぺこ男3人と代謝の落ちた私では そもそも同じ土俵に上がることなど 次元が違う。

家族旅行は そんな4人が 同じものを見て 同じ空気を吸い それぞれの感動を共有する時間にあるのです。

世代も体力も趣味も違う4人。

家族旅行ができるのは あと どれくらいでしょう。

20年前に お寺巡りしたのですが 記憶があいまい。

記憶って 歳月の中で 摩耗するのでしょうか 歳のせいでしょうか。

ジムトンプソンで スカーフが欲しい  SALEで激安

そんな言葉も 胸の奥に・・・・・ 男に女の買い物は理解できない

 

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