むべなるかな(いかにももっともなことである)天智天皇のこの言葉でこの植物の名前が付けられたと言う不老不死の霊果。「むべ」。できてます。 季節に合わせて実る不思議さを感じながら「お前もこの猛暑を耐えてきたのか」とお互いに健闘をたたえながら空を見上げる。初秋の空に映えてまるで日本画のようだ。飛鳥の時代から続く郁子の実にヤマトタケルも聖徳太子も食べたのかと思うと実も人物も近しい者に思えてきてなんだか力が湧いてくる。「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣山隠れる 倭うるはし」日本の美の原点がここにある。むべなるかな。
swingの絵を描いている。どのようにしてswingさせるかが問題だ。でも音楽の絵って面白い。みんなが表現してるってグループ展のようだ。ペットはペット。ボーンはボーン。ドラムはドラムでそれぞれがそれぞれのパホーマンスをしながらそれでいて一つに統一されていく。揺れながら戻りながら。結構長い時間演奏するんだよね。アドリブを許容しながら。本道に戻る瞬間がスリリングなんだ。お前はCの音かとか少しブルーノートしようぜとか言ってるのかな。テイクファイブ5分間休憩なんてこんなビッグバンドが言うセリフなのかな。ニューオーリンズのあまりいいステージとは思えないけどどこかのクラブなんだろうか。それでもブラックスーツでビッグバンドで一流を気取っているんだね。黒人の中に白人が3人くらい混じってみんなswingしている。世界は平和なんだと一瞬錯覚してしまう。いい音楽と美味い飯、木陰で飲む冷えたビール。そして一冊の本と1枚の紙と絵具と1本の筆があれば何にもいらない。こんな平和な人間が多いはずなんだけどほんの一握りのもっと何かを欲しい連中が世界を平和でなくしているんだね。でも彼らも世界平和を求めているんだから笑ってしまう。
1992年に新しく買った英語の辞書をいまだに使っているが最近この辞書に載ってない単語が横行するのに困っている。フィリッピンのバカがオバマのことをson of whoreと言って侮辱したと新聞に出ていたがこの辞書にはwhoreは載っていない。prostituteなら載っているが今ではこの表現は古いのだそうだ。まぁ、この辞書は学生用のものだからかもしれないが昨今は辞書に載ってない表現や単語が多くて結局ネットに頼ってしまう。英語なんて保守的でそんなに変わらない言葉なのにそれでも変わってしまうというのは時代なんだろうかね。でも、イギリス人はともかくアメリカ人ですら英語に文化的誇りを持ってるからだろうかフィリッピンのバカが英語で言ってるのに英語の字幕が出るんだ。オバマがしゃべる時には字幕なし。言葉は文化だとアメリカが教えてくれるなんて。日本語を大切にしない日本人に見せてあげたかったな。日本人がどんだけうまく英語をしゃべったとしても英語の字幕がつくってことを。
いやですね暴言を吐く大統領なんて。フィリピンのドゥテルテのアメリカ大統領に対する暴言。前代未聞ですね。こんな大統領を選んで恥ずかしいだろうな。と思うんだけど民意の問題だから・・・・。こんな程度の低い大統領なんか相手をせずにとオバマがとった態度は正しいね。それを横目に見てドゥテルテにすり寄っていったものがいる誰とは言わないが船二隻やるからって。どうみても「そりゃぁアンタ言い過ぎだよ」といってやらないといけないのに船二隻のプレゼントねぇ。オバマも習ちゃんも此奴にはむかついただろうな。…と思うのだけど。
中国の国旗も日本の国旗もないところでの日中首脳会談。2014の11月の会談でも外交上の非礼会談だったとのこと。大人げないことを平気でやるのが習ちゃんだけど安倍ちゃんが微笑んでるのに苦虫を噛み潰した顔の習ちゃん。両国の国旗を背景にニッカリしている習ちゃんはイギリスのテレーザメイとの会談で見れます。やっぱり宗主国には頭が上がらないのかな。そういえば、大国大国と言ってるのは中国だけで日本も英国も中国を大国とは思っていない。英国はかつての植民地と思ってるし日本も新興国としか思っていない。英国は金融市場で世界の中心に返り咲きたくて中国のオフショアとして中国の金をシティに集めたかっただけで中国を大国として認めたわけじゃない。同じ考えの2国に対しこの対応の差は何だ。かつて宮本武蔵に挑んだ名もない剣豪のように日本を低く見ることで自らを優位に立たせるという戦略だからだ。これは韓国も同じ。このレベルの頭でしかない。そんなことを世界中が見てる前で堂々とやるから笑いものになる。日本は大人の対応で同じことをしないのが流儀だが絞めるところは絞めないとバカは死ぬまで気づかない。中国がG7になることはないのだから。イギリスなんか堂々とトイレの前で英中会見を開いたというしっぺ返し。これには習ちゃんも苦笑い。侮れないぞ大英帝国。
東京に雨が降ったとか晴れたとか風が吹いたとかまるで日本は東京しかないみたいに全国放送で東京の天気ばかりのマスコミだと思ってたら最近地方で仕事することも多くなった武田鉄矢氏も同じようなことをラジオで言ってたから人が感じることはそんなに変わらないと笑ってしまった。九州に台風が来たって箇条書きで三行くらいの報告なのに東京に台風が接近しただけで毎日毎日トップニュースで各局が取り上げてニュースってそれしかないのかってグアイだった。マザーテレサが聖人となったというニュースなんかアメリカやイギリスの新聞なんか3~4か前に出てたと思うんだけど日本の新聞にはさも昨日配信されたように今朝の新聞に出ている。東京から東北に先の台風が行ったからそれまで紙面に空きがなかったのかな。まるで中国共産党が北京の空を気にすることと変わらないね。北の京に対して東の京だからそれもそれか。歴史認識も中韓に合わせ天気予報まで中国共産党システムをとるのかな。日本の中枢にいる中韓チャイルドを一掃しなければこの傾向は収まらないだろうと天を仰ぐ。今日は高知は雨だった。
昨日の土曜日、絵画教室の2学期の始まりです。「ちゃんこが死んだと」と教室に着いた途端に言われました。「ちゃんこ」というのは中学の同級生のことです。享年67歳と新聞に出てましたから兄貴かなと思ってたらオレたちが今死ぬと享年67歳になるんだってなんだか年寄り臭くていけないね。といっても前期高齢者だからいつ死んでもおかしくはない年なんだ。67歳といえばイングリットバーグマンが死んだ年じゃないのかな。なんでちゃんこがバーグマンと同じ年で死ぬんだ無礼者め斬って捨てるぞといっても死んでしまった者は仕方がない。殺しても死なないのはこの絵画教室の年寄達だ。新学期も全員無事。憎まれっ子世に憚るは間違ってないのだ。無敵の絵画教室とはこのことか。「これどれがいいでしょうか」とオクちゃん。75歳。「なに?」とセッちゃん65歳。「どれどれ」とアルコール点滴のウワサがあるサナエちゃん66歳。「来年の年賀状の絵です」「はやー」とみんなぶっ飛んだ。何より死ぬつもりねぇんだこの爺さん。この前向きさが元気の秘訣かな。それに5点も描きやがって。「県外が中心だから遍路の絵はどうかね」「正月から遍路はいかんか」と一人ブツブツ。新学期も面白くなりそうだ。
ネットでケトルクッカーを買いました。ペイジーという支払方法で初めてのやり方でした。まぁほんのちょっとの先払いシステムですけどね。便利です。このケトルは一目ぼれのもので900mlで270gのステンレス製。新潟の燕三条で生産されている優れもの。ケトルにも片手鍋にもなるんだ。これだとザックにも簡単に詰めれるしこれ1個で済まそうと思えばやれないことはないという便利さも気に入ってます。ぎりぎり3人分くらいはいくのかな。まぁ年寄なら3人は軽いね。それにステンレスにしては軽いほうだしね。もう10年以上前かな20年以上になるのかなステンレスのクッカーが出始めたころ珍しかったからステンレスのクッカーを買ったら重いのなんのってこりゃ持って行けないといまでも山道具の箱の中に転がっている。それから技術の進歩はめざましかったんだね。ステンレスでこんなに軽いなんて。そりゃチタンにはかなわないけどね。でもチタンよりこっちの方が使い勝手がいいんだ。もう買ってはいけないと思うのだけど山の道具って惹きつけるよね。ないものはないんだけどと苦笑。
9月ともなれば秋山シーズンの開始ですね。昨日モンベルから届いた会報やカタログを見ていても紅葉の写真や秋用の装備が夏から秋へのギアチェンジを促してくれるようですフリースなんかを出してきてそろそろ秋山の準備にかかろう。山の道具はいつ見ても楽しいのだけど次々と新しいモノを買うわけにもいかずカタログを眺めては購入した気分に浸っている。いつも想像するのはキャンプサイト。何故だか歩いてるところや登ってるところではなくケトルで湯を沸かして珈琲やなんかを飲んでるところだ。これは刷り込まれているのかなそれとも若いころの思い出なのか。分からないところではあるけれどお気楽にできているんだろうね。登山用のものとタウン用のものとでは何が違うか?昔は相当差があったけどいまではほとんど質的には差がない。当たり前のことだけど機能的な差は大きい。タウンでは必要ないことだからどちらがいいとは言えないけど山ではちょっとしたことが大事な要素でもあるんだ。湯が早く沸くとか袖が捲りやすいとかほんのささいなことが行動範囲を広げてくれるんだ。懲りない面々、早く山に行きたいと騒いでいる。でも台風がこの週末にくるらしい。小さな秋に出会えるのは台風が行ってからかな。
今日は防災の日。台風銀座と言われた土佐からすればたかだか台風が1個いったくらいでこの慌てようはなんだと東北のことを思った人も多いのでは。でもそれは違うよね。もし、高知に大雪が降って道路が遮断され家が倒壊と言う被害が出るくらいの大雪だったとしたら高知はなすすべがない。これを東北の人が見てそれくらいの雪でなんだと思う人も出てくると思う。でもそれも違うよね。ここのところの天候、予見できないもの。いずれにしても台風や大雪、どこにでも今後はあり得るということだ。土佐も夏のことだけを考えてたら冬に大変な目にあわされるかもしれない。東北の台風をきっかけに情報交換を活発にして東北の冬のノウハウを学ばなくては。これって気候のグローバル化?いやだねグローバルって。一所懸命というくらい人は狭い範囲でしか守れないんだから。防災の日、いろいろと考えさせられることが多いね。