いわゆる忠臣蔵。あまりにも皆が見てきたようなことを書いているからきっと不明なことが多いのだろうと思っていたら内匠頭の遺恨のわけも分からないんだってね。僕は、浅野
内匠頭が双極性障害だったんじゃないかなと思っていたけど幼児性格で大人の発達障害の人らしい。事件を起こした後の言い分が残っているがまるで子供のような言い方だ。とても主君たる言ではない。幕府の裁定に対し不服を申したてるために吉良邸襲撃というテロをしたというのが本筋だろうか。少なくともあの時代に主君の仇討ちという概念はなかったように思う。幕府の裁定では子が親の仇を討つのが「仇討ち」の概念であって主君はこれに当たらない。「赤穂事件」後この仇討ちの範囲は広がっていったのだろうがこの事件は大衆に支持されたらしい。事件後浪士は切腹という武士としての取り扱いをうけ吉良家には新しい裁定が下りた事実がそれを物語る。大石はトコトンの遊び人で剣も仕事もできなかったらしい。ただ人望があったとのこと。山鹿流陣太鼓もなかったし火事装束もバラバラだったという。3月14日の命日ではなく12月14日に討ち入ったのは金が底をついて3月まで持たなかったというのが理由らしい。歴史っていま現場にいたとしても人によって受け取り方が違うんだから今から昔のことなんか分かりようがないよね。
内匠頭が双極性障害だったんじゃないかなと思っていたけど幼児性格で大人の発達障害の人らしい。事件を起こした後の言い分が残っているがまるで子供のような言い方だ。とても主君たる言ではない。幕府の裁定に対し不服を申したてるために吉良邸襲撃というテロをしたというのが本筋だろうか。少なくともあの時代に主君の仇討ちという概念はなかったように思う。幕府の裁定では子が親の仇を討つのが「仇討ち」の概念であって主君はこれに当たらない。「赤穂事件」後この仇討ちの範囲は広がっていったのだろうがこの事件は大衆に支持されたらしい。事件後浪士は切腹という武士としての取り扱いをうけ吉良家には新しい裁定が下りた事実がそれを物語る。大石はトコトンの遊び人で剣も仕事もできなかったらしい。ただ人望があったとのこと。山鹿流陣太鼓もなかったし火事装束もバラバラだったという。3月14日の命日ではなく12月14日に討ち入ったのは金が底をついて3月まで持たなかったというのが理由らしい。歴史っていま現場にいたとしても人によって受け取り方が違うんだから今から昔のことなんか分かりようがないよね。