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「太平洋戦争 最後の証言」 零戦・特攻編

2012-04-20 | 
太平洋戦争 最後の証言 第一部 零戦・特攻編
門田隆将
小学館


暖かくなってきました。
春になり、桜が咲くと、不思議と戦争のことを思い出します。靖国の桜がそうさせるのかもしれません。

今年は2012年。1945年の終戦から67年目を迎えました。
私はもちろん戦後世代。ただ、子供の頃は間違いなく回りに「戦争」が残っていました。
親類には戦争に行って来た方もたくさんおり、戦争に起因する遺族も周りにたくさんいました。
父の2人の兄は二人とも従軍し、一人は戦死、もう一人は特攻の生き残りでした。
その叔父さんもずいぶん前に他界。
勤務先にも取引先にも軍隊上がりの方が必ず居ました。
そういえば高校の英語の老先生が我々のあまりの授業態度の悪さに激怒され豹変。
「元帝国軍人・鬼軍曹」と、一言だけいい、授業を再開されたことがありました。

つい先日、何気なくテレビをつけると、私が子供の頃にのめりこんだ数少ないアニメ「宇宙戦艦ヤマト」の2作目を放送していました。
一作目で死んでいった仲間たちを、生き残った仲間たちが「今の地球はあまりにも物質社会化している。こんな地球にするために命を賭けて戦ったのか? 死んだ仲間に申し訳ない」というようなシーンがありました。
果たしで今生き残っている太平洋戦争経験者たちは、一体なにを思っているのでしょうか・・。

この本は、まさに時間的にもそろそろ限界が近づいた、「戦争体験者」を取材し、あのころ現場では何がおき、若者はどう思い、行動したのか、ということを取材から掘り起こしています。
同様の本は今までもたくさん出されているでしょう。ただ、語り部が減り、特に太平洋戦争時代の幹部連中がこの世を去り、現場・第一線で戦っていた方々が話しやすくなったという環境・もう時間が無い、という中で今まで話しを拒んでいた方々が口を開き易くなった状況などから、より現場の真実が聞ける内容になっているのではないかな、と、思いました。

3部作のうちの一作目のこの本は、航空部隊・特攻に焦点を当てています。
不思議と子供の頃から特攻のことが気になります。そして、年齢とともに、その思いもずいぶんと変わってきました。
いつのまにかこの年齢になり、使われる立場から抜け、そして色々と見えてきたことがあります。
当初はもちろん違ったでしょうが、効果が見込まれない、ほとんどが敵艦に到着するまえに打ち落とされるという中で、それでも「練習機」でも飛び立たせたことは、少なからず、「現場はここまで必死にやっとります」という幹部連中の「言い訳」があったのではないか、と思います。
終戦後飛び立ち、自決された幹部の方もいらっしゃいます。美談として伝えられることもあるようですが、当然幹部の方は操縦できず、この自決に付き合わされて無意味に死なされた方々もいることを忘れるわけにはいきません。

言い訳のために逝かされた方々は今の日本をどう見ているのでしょうか? 或いは、「変わらない国だな・・」と思っているかもしれません。

戦争がどんどん遠くなってきました。そしていずれは、戦争体験者が居なくなってしまうのです。
「侵略戦争」だとか、「謝罪」だとか、そんな言葉だけが残っていくのはあまりにも情けなく、悲しいことです。

若いころは戦争に駆り出され、「若者は国のために死ね」といわれ、この歳になると「高齢者は死ね」といわれるような扱いを受け、なんなんでしょうかね・・という元軍人さんの言葉が、今の日本を象徴しています。


「とことんやれば、必ずできる」

2012-04-13 | 
とことんやれば必ずできる
原田泳幸
かんき出版


最近テレビの露出も増えている、マクドナルドの原田泳幸氏が2005年に出した本です。
私も今非常に気にかかっている人でもあり、数ある著書のどの本から読もうか本屋で迷った末、この本を選びました。

啓発本といえば啓発本なのですが、「啓発本を書くことが目的」の著者とは異なり、自分の体験に基づいたいわゆる「会社の上司の言葉」を聴いているような感じが致しました。
書いてあること自体、特別な内容はありません。ただ、すべてが自分の経験に基づいているだけに、説得力があります。
全体を通して、楽して儲けよう、楽して成長しよう、という考え方は一切なく、とにかく自分を追い込み、自分を磨き、走り続けてこそ成長・成功できるもの、という「王道」を貫いている感じです。

私の中では、「精神安定剤」、つまり、ちょっと疲れたときや気分が乗らないときに勢いをつけるために読んだりする本の類でが、よみっぱなしにしておくのはもったいないような「経験に基づいた重みのある助言」がぎっしり詰まっている本でした。

「地球のハローワーク」

2012-04-06 | 
地球のハローワーク
クリエーター情報なし
日経ナショナルジオグラフィック社


19世紀から現代まで、世界の各地で撮られた「働く人々」の写真を集めた小型の写真集です。表紙のスリランカの漁師の写真に魅せられて購入したのですが、事あるごとにこの写真集に助けられています。

ポルトガルの靴磨き、トルコの炭鉱労働者、モロッコの農民、パキスタンで銃を組み立てる少年、サウジアラビアの治安部隊、イラクの敷物編み、1923年のカリフォルニアの漁師、1900年初頭のカリフォルニアの牡蠣殻むき、太平洋諸島のサメ狩犬、マダガスカルの医者、オーストラリアのワニ皮加工業者、中国で全裸で物乞いさせられる赤ん坊・・・ とにかく世界各地の労働風景が、第一線の写真家たちによって見事にとらえられています。

自分の仕事なんて、本当に恵まれてるな・:・と、思ったりするわけです。
仕事に行き詰まった方にお勧めの写真集です。。


「2022 これから10年活躍できる人の条件」 神田昌典

2012-03-30 | 
2022―これから10年、活躍できる人の条件 (PHPビジネス新書)
クリエーター情報なし
PHP研究所


たくさんの著書がある、「日本一のマーケッター」といわれている神田さんの最新書です。
いわゆるベンチャーの成功者、としてのイメージが強かったのですが、癌を患い、いつのまにかずいぶん方向性が変わっていました。私はこの著者の「成功者の告白」という本を会社員時代に読み、ずいぶん刺激を受けたものです。

さて本書。歴史的なサイクル(70年周期)を元に、ここ数年来、大変革が起こる、と予想しています。70年前が太平洋戦争、そしてその70年前が明治維新・・ いずれも歴史的に「価値観が根本から変わる」ような変革が起こっています。その都度、価値観が大きく変わり、人々は絶望し、あわて、そしてその中から新しい価値観が生まれ、リーダーが生まれ、時代を牽引していく・・という事実。それがこの数年に起きる可能性があり、まさに今、その変革期に差し掛かっている、という、そういう仮説を元に、現状、および将来を大胆に予測しています。

読む人が読めば、「まったく根拠のない」話しに聞こえるのかもしれません。ただ、すでに15万部も売れており、日本人がなにか言葉では表せない「不安感」に襲われ、どうしたらいいのかわからない、という状況に陥っている証拠ではないかな、と、思ってしまいます。

決して「悲観論」を唱え、恐怖心を煽り立てるような本ではありません。人口ピラミッドなど、実際のデータを元に、現在の状況を分析し、そこに歴史を重ね、未来を大胆に予測し、そのためには何を意識すれば、どういう行動をすべきなのか、自論を展開されています。
私は結構ワクワクしながら読んだのですが、皆さんはいかがでしょうか・・?

「街道を行く」 台湾紀行   ~ 司馬遼太郎 ~

2012-03-23 | 
『ワイド版』 街道をゆく 40 台湾紀行
司馬遼太郎
朝日新聞社


この本は、元々1993年~1994年にかけて発表されたものです。
当時中国はまだ目覚め前。台湾が丁度、初めての「台湾人」総統が登場し、(李登輝氏)大きく時代が動き出した頃のものです。
それから約20年、日本も台湾も、そして中国も大きく変わりました。そういった背景を踏まえて読むと、なんともいえない気分になってきます。

20年前といえば、戦後50年。まだまだ日本教育を受けた人や日本兵として戦った人もたくさんご存命の頃でした。日本語を喋る方がたくさん居て、日本時代~中華民国への移り変わりを肌で体験し、そして知り合いや身内が、国民党政府に弾圧を受けたり殺されたりした人もいました。私も当時、台湾の高齢の方々が、「あいつは外省人だから・・」という言葉を発するのを何度も聞いたものです。

戦争の話、日本教育の話、中国国民党支配の話、いわゆる台湾という国の「微妙な立場」の話・・・ 今の時代を知った上で読むと、心が痛くなります。

311の後、真っ先に国を挙げての支援を始めた台湾。その台湾に対して正式に謝意を表明できず、更には大陸の顔色を伺わなければならない我が国日本。
戦争の良し悪し、歴史を云々言うつもりはありません。
ただ、台湾の人がなぜ311の際にあのような「迅速+大規模」な義援行動をとったのか、台湾の人の心の底にはどういう思いが潜んでいるのか、そんなことを垣間見ることができる本です。

これからアジアへ出て行く、特に若い方に是非読んでいただきたい一冊です。

「原発賠償の行方」

2012-02-02 | 
原発賠償の行方 (新潮新書)
クリエーター情報なし
新潮社


どこかの雑誌で書評を見て気になったので、読んでみました。
内容の一部分を切り取ると、「被害者の気持ちになれ」とか、「原発推進論者か」とか、批難が飛んでくるような内容です。著者も冒頭でそれを断ってから本文に入っています。
あくまで客観的に、法治国家 であるならば、法の運用を厳格に行うべきで、その観点からの考察です。

結局日本は法治国家です。賠償にしろ責任にしろ、「法」に根拠が無いことは認められないはずです。ところが、今の原発賠償の話しは、あまりにも法的根拠が無い中で進んでいる、というところで、この著者は「法的検証をしないことへの危険」を感じてこの本を書かれたそうです。

根本問題として、そもそも東電に責任をとらせることができるのか、という話しが、法的に検証してあります。
この点、原子力の賠償に関する法律、というのがあります。(原賠法)
この法律には、3条一項に無過失責任(事業者=東電は事故についての故意過失を問わず、事故の責任を負う、という、事業者にとってはとても重い規定)が規定されています。
そして、そこに但し書き、「ただし、その損害が異常に巨大な天災地変または社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りでない」 と、規定されています。
(無過失責任という重い責任を負わせる代わりに、免責事項をしっかりと明記)
今回の場合は、この但し書きに相当するのではないか、と、考えるのが普通です。この点が検証されず、すでに東電の賠償責任を前提に進んでいることに対して、疑問を呈しています。

また、賠償責任=罪=反省を即すもの、なわけです。
こういった事故の場合、加害者企業に責任をとらせ、倒産させ、国が賠償を肩代わりするなら法的にも根拠があるようですが、会社は存続させ、電気料の値上げやら他の電力会社からの供託金やら、全く加害者でないところからお金を補填する、という仕組みが、完全に破綻している、という流れが丁寧に書かれていました。
また、倒産させた場合、電力の安定供給云々という議論がありますが、倒産した会社がその場で誰もいなくなり、業務がなくなるかといえば、全くそういうことはないわけで、経営者が変わり、事業が継続している例も山のようにあるわけです。
はじめに東電を生かす、という議論ありき、ですので、まるっきり辻褄が合わなくなっているわけです。

保障を受ける被害者も法的に検証しています。
原発があることがわかって移り住んだ人は、危険の引き受けをし、更に行政から対価としての金銭その他サービスを受けているのだから、そういった人は、「損害と今まで受けた金銭的な恩恵を相殺」するのが本来だ、というのです。(原発前から住んでいた人と同列には賠償計算できないはず)

ただ、こういう議論を今行うと、世論の反感を買う、ということで誰も疑問を呈さない、意義を申し立てないことに、とても危険を感じる、と書いています。

浜岡原発が総理の一声で停止させられたことも、世論の流れからいえばOKかもしれませんが、法的根拠は全くなく、総理の一声で一私企業が膨大な投資をした施設を止められた、という考え方もできます。
枝野官房長官が当時、東電の債権者へ債権放棄を求めたことも、企業同士の取り決め、民間の約束事に、法的根拠もなく政府(行政)が圧力をかけることはおかしい、と。

今、こういった議論をすること自体、非常に危険なだけに、世論に迎合した「被害者救済論」が飛び出してくるわけです。
超法規措置は、緊急時の話しです。強制的に原発周辺から批難させられたのは、財産権の侵害になりますが、これこそ超法規的措置。 東電の保障やら債権放棄やらは、そこまで緊急性はないわけで、やはり法的な根拠があって初めてできることです。


世論が後押しすれば、ストレステストを首相の鶴の一声で決められるのか? ということは、ともすると、世論の後押しがあれば、独裁者の超法規的な動きを認めることになります。
それこそ野党がもっともっと、法的根拠に乏しいことを責めなければならないのでしょうが、選挙票目当てで、世論に迎合している、とも分析。
結局、まったく民主主義が機能していないことに誰も文句を言わないこの国はどうかしている、ということを訴えた本です。

繰り返しになりますが、著者自身が、東電や原発を贔屓しているわけでもなく、そのあたりは繰り返し書かれています。

今回の政府の対応が、将来起こりうるこの手の災害のモデルケースとなりかねないわけで、スピーディーな上にも慎重な対応、というか、法的に厳格な対応をし、足りない部分は新たに法律をつくり対応をしていくべきなのでしょう。

大津事件というものが昔ありました。
明治初期、警察官が来日中のロシア皇太子に切りつけた、という事件です。
ロシアとの関係悪化を恐れた政府(行政)が、死刑をするように大審院(司法)に圧力をかけるのですが、これを見事に拒絶し、司法権の独立を守ったという話しです。
現在、政府は法律の根拠なくことをどんどん進めています。今後、色々と原発絡みの裁判が起こった際、果たして司法の場でどのような判断が下されるのか・・
今後、何十年、何百年の先例となるような話しが、これから起きてくるのでしょう。

今の報道の加熱ぶり、偏向ぶりに犯された頭をリセットできる新書です。


「2015年 放射能クライシス」 武田邦彦

2012-01-15 | 
2015年放射能クライシス
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小学館


放射能問題については、このような危機が起こったことがなく、誰にも解からない、ということだけは、「事実」かと思っています。
世間を見ても、安心論~悲観論まで、とにかく色々な意見が飛び交っています。
何を信じて行動するから、政府ではなく、個人の問題なわけです。
幸いにして今はネットにより、様々な情報が簡単に手に入ります。言論の自由が辛うじて保たれている日本では、本やメディアなどでも色々と情報を受け取ることができます。大本営発表だけを信じる必要はないわけです。

私自身、楽観論的な発言を見ると、どうしてもそれを拠り所にしたくなります。ですが、目を背けたらいけない事実があり、なにか起こったときの責任は自分に降りかかってくるんだ、という危機感もあります。
そしてなにより、前例のない、未曾有の大災害、ということは紛れもない事実なわけです。解からないことには細心の注意を払うに越したことはありません。たとえ後日何事もなくても、結果として、「命」は守られます。
ですが、大丈夫と思ってなにかあったとき・・・・ なので私は悲観論で行くことにします。 頭の中でなにやらシグナルが鳴り続けています。なにかおかしいぞ、なにか変だぞ。。と。

この本は、私の疑問をそのまま文章にしてくれており、私の今の感情がどこから来るのか、どういった思考を介して今の不安が来るのか、と、明確にしてくれました。
私自身も国産の魚を輸出しており、放射能問題によって商売が滞ったこともあります。
ただ、食べる立場になったらどうなのか。基準値?とは何なのか。何を根拠にしているのか?毒薬に汚染された畑で野菜を育てようとする人は居ないはずなのに、放射能に汚染された畑でそれを行うことについては、最終的な商品が基準値以下ならばいいのか・・。

生産者を保護する問題(今、目先の生活を守る)と、危険なものを流通させない(国民、特に次の時代を担う子供の命を守ること)、という問題はパラレルには考えられません。それができるのは営利企業ではなく、政府の力だと思っています。
残念ながら今の政治は前者に相当重きを置いています。仕方ありません、票田であり、一票の重みがある地域を優先させるのは、三流政治家(三流国家)の常なわけです。子供の命=将来の票=どうせそのころは我々は引退、或いは死んでるさ、というあからさまな価値考量が行われた対応なわけです。もっと言えば、次の選挙で勝つためには、国民に将来的な危機を引き起こし(増大させて)てもいい、という短絡的な思考で動いているわけです。

公害訴訟なんかを見ていると、結局解決をするまで何十年も費やし、すべての時間をそれに費やして生きていくことになります。
今回の問題はそのような危険性をおもいっきり内包しているわけで、その規模も、また被害の実態も未知数なわけです。

自分のことは本当に自分で守るしかないな、と、日々思っています。




「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」 

2011-11-21 | 
もうすぐ絶滅するという紙の書物について
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阪急コミュニケーションズ


久しぶりに本についてです。
先日テレビで、池上彰 氏 がお勧めしていたので、読んでみました。
ジャン クロード カリエール という フランスの作家と、ウンベルト エーコという イタリアの記号学者・哲学者 の対談です。
恥ずかしながら二人のこと全く知りませんでした。

なにか一貫したストーリーがあるわけではないのですが、「老練愛読家」という二人の書物に関する自由な対話を収めてあります。
本とは何か、など、考えたことなど全くありませんでした。私たちの住む現代日本は、本に対する規制もほとんど無く、図書館も本屋もそこらじゅうにあります。それだけに、歴史的に本がどのように生き残ってきたか、など、考えたこともありませんでした。
日本でも戦前行われていた言論統制、検閲などによって、どれだけの過去の書物が永遠に消えていったか。また、それを生き残ってきた過去の書物が今、どのように扱われ、そこから何がわかるか・・など。 これだけ本に触れておきながら、私が今まで考えもしなかったことが書かれていました。
古代~近代までの作家や哲学家などの名前がとにかくたくさん出てきます。そのあたりを気にしないで読んでいけば、きっと気づきがたくさんある本だな、と思います。

※ なぜ最近は老人が敬われないか・・?
昔は本で知識を得れば、それが「絶対的な知識」として生きた。したがって、年長者の知識は非常に価値があり、また、それを教えることで、「尊敬」された。
今は、新しい技術があっという間にでてくる。したがって若年者が年長者を教える時代。老人が敬われなくなった。
※ 本が電子化しているが、数年後、そのデータが読めるかどうか。実際にテープレコーダー、MD,フロッピー、ビデオなど、出てきては消え。。が最近。再生装置がなくなったら、情報が引き出せない。そういう観点で言えば、本は発明された当時から完成しきったすばらしいツール
※ 原子力発電所の使用済み核燃料の保管をしておいたとしても、何千年かして、その「核燃料」が危険である、ということを知らせる術が果たしてあるのか。そのときには、すでに今の文字は読めなくなっている可能性大。情報が永遠に伝達すると思うことは間違っている。歴史途中で抹殺された書物、文化、文字・・など、数限りない。 古代の文字が解読できない、という事実から、 核燃料廃棄地域=危険、 ということを書いておいても、将来の人間が理解できるとは限らない・・

など。。

お勧め本です。



「ごく平凡な記憶力の私が一年で全米記憶力チャンピオンになれた理由」

2011-08-18 | 
ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由
クリエーター情報なし
エクスナレッジ


題名のとおりの本です。ジャーナリストが記憶力選手権を取材しているうち、自分で試してみて、結局チャンピオンになった、という実話です。
記憶の仕方云々も書いてありますが、この本はノウハウ本ではありません。記憶する、ということがどういうことか、記憶していくことの重要性などを古代まで遡り、説明してくれています。
なるほど、文字が無い時代は、口述が唯一の伝達手段。物語にしろ歴史にしろ、とにかく耳で聞き、記憶し、伝えていくことが基本だったわけです。
文字、本が発明されても、あくまで記憶を補完するためのツールでしかなかったとのこと。
自分の頭から引き出すこと、が重視されなくなり、外付け記憶装置(=これは本も含みます)にどんどん記録し、必要なときにそれを引き出せるのが現在。
確かに「丸暗記」は意味が無い、と、「考える」学習が提唱されています。
しかし、物事を考えるためには、最低限の知識が必要です。つまり頭で考えるためには、それ相応の知識が詰め込まれている必要があるわけで、その知識が多ければ多いほど、頭の中で考え得る結論・思考も多岐に渡り、或いは正解を導きやすくなるわけです。
記憶力、というものがあまり重視されない現在(=とって代わるものが山ほどあります。クラウドなんかもいい例)、実は「記憶する」というもっともシンプルな学習スタイルを見直すべきではないか、という思いが湧いてくるような、そんな本でした。

この本は、お勧めの部類に入ります。。♪




「リーディング3.0」 本田直之

2011-05-06 | 
リーディング3.0 ―少ない労力で大きな成果をあげるクラウド時代の読書術
本田 直之
東洋経済新報社


レバレッジシリーズで有名な本田直之氏の最新刊です。
簡単に言えば、「本の読み方」についての本・・ですかね。。

この人が書いた、「レバレッジリーディング」という本、数年前のものですが、これには相当影響を受けました。本を読むのではなく、消化する方法をいろいろと指南しているのですが、その影響で私もなんの躊躇もなく本に線を引き、まとめ、捨てるようになりました。
そして結果として、「頭」に内容が残るようになってきたわけです。

さて今回の本、本がデジタル化され、さらにはクラウドを利用し、いつでもどこでも「書斎」が持ち歩ける時代の本の読み方について、書かれています。今、i pad待ちなのですが、早速i phoneを使って読書を始めました。
なるほど、手軽で便利。 取引先の社長が、「電子書籍は読書の革命だ」と言ってましたが、i phone読書ですらこれだけの感動なのですから、i padが来るのがとても楽しみです。。♪

また、今までの読書は個人で楽しむものだったのが、ウェブを通じて、不特定な人と意見やら感想やらをシェアしていく方法(大勢で読んだほうが記憶しやすいのは、子供のころから体験済)やら、英語のビジネス書の読み方(もちろん電子書籍)やら、とにかく読書が大きく変わることを予感させてくれる一冊です。

個人的にはこの人の実践する「デュアルライフ」(ハワイと日本の二重生活)なんか、憧れますね~。