マグロ船 7

2012-12-11 | 過去の仕事(マグロ船)
冷凍マグロといえば、超低温。-50度以下の凍結能力をもった(今は一般的ですが)船を、超低温船 などと呼びます。
あの色を保つため、凍結~運搬~保管、また流通でもとにかく気を使うのがマグロの世界。その一番最初の工程となる漁船・洋上で初期凍結をしっかりとしておかないと、運搬途中に品質が変わってしまう。。と言われています。

私が乗った船ももちろん超低温船。生のマグロを凍結させる、いわゆる急冷室は、大きなファンが回っており、-60度近くまで温度が冷えています。
一瞬にして鼻毛が凍る、どころか、着ているカッパもパリパリになってしまいます。

そんな凍結倉庫内で行う作業も少なくありません。
* 処理した魚を急速冷凍室の棚に載せる作業
* 凍結室から魚を出し、グレーズをかけ、魚倉へ落とす作業
* 魚倉内で魚を積み上げる作業
* 凍結室の掃除
* 転載時、魚倉内で魚にロープを掛けて回る作業。。。
などなど。。。

清水港でマグロの運搬船から貨物を降ろすときは、強制荷役というのでしょうか。港湾の会社が作業員を倉内に入れてロープがけ作業を行います。(つまり船員は作業できません)
余談ですが、この強制荷役制度・・港湾の労働者を守るためのルールだ、と聞いたことがあります。昔からの慣習?利権??だそうで、それこそ江戸時代から続くものではないでしょうか。。(荷役を受け持つ会社=港を牛耳っている会社ですので、当然地元で「力」がある会社・・ということになります。関係者はご存知のとおり、それらの会社の名前に名残を感じますね)

今はどうかわかりませんが、以前船内作業をする清水の作業員さんたちは、20分の3交代制でした。
(20分作業をすると、40分休み)

ところが我々船員は洋上では、二時間近くこの船倉に入り、ぶっ通しで作業していました。
マイナス50度の世界で、汗ダクダクでしたね。。ww

とはいえ、耳やら頬やらはしっかり守らないと、凍傷になってしまいます。
というわけで、写真のような「目だし帽」が必須アイテムなわけです。。

写真はペルー人船員&わたくし です。。

マグロ船 6

2012-11-20 | 過去の仕事(マグロ船)
久しぶりに。。。

マグロの頭を見る機会も、以前に比較したらずいぶん増えたかもしれません。
かぶと焼だの、解体ショーだの増えましたので。。

業界の関係者であれば誰でも知ってる神経〆。私も洋上でこれ、やってました。

生きて上がったマグロ、先ず、尾っぽを、切り落とします。
次に、マグロのおでこの部分、ほんの少し色が変わっている部分がありますので、ここをくりぬくと、小さな穴が開いています。
これが、神経?の通り道のようで、ここに、針金を通してやるわけです。
針金は簡単に、尾っぽまで貫通します。神経を潰している?ということでしょうか。

相当な痛みなんでしょう。瞬間的にブルブルっと、すごい勢いで震えたかと思うと、ぴたりと動きがなくなります。
ブリやら鯛やらでも行われているようです。
(正直、私自身は魚の処理とかそういう話しは苦手ですので、あまり突っ込まないでくださいね。。ww)

大漁のときは、とにかく先ずこの処理をして、魚をデッキにおいておきます。
そのときの風景は圧巻。そこらじゅうに生のマグロが転がっている状態です。

さて日本での話し。
こういった洋上の仕事を頭に入れたうえで、日本で商談すると、マグロのプロと言われる方々からおかしな話しが山のように聞かれます。。

漁船には急速凍結室が4部屋あります。
一室に入るのは、たしか2t程度だったと思います。
漁なんてまさに水もの。魚が来ているときは、船も必死でとにかく漁を続けます。
簡単にいえば、凍結能力を超えたマグロが上がることだってあるわけです。
もちろんそんなことは一年通してもそうそうあるものではありません。
船の上はマグロだらけ。一本ずつ処理するので、なかなか処理が追いつかない、ということもあります。
船員にとっては地獄のような時間です。
なにせ徹夜で縄をあげ、そのまま縄入れ開始・・・ 縄入れ当番は、全く休めない状態で操業を続けるわけです。場合によっては、2日で1時間程度しか眠れないこともあります。それでも、こういうケース、正に航海の山場。。罵声にまみれながら、ドつかれながらも、皆、頑張って仕事をするわけです。
魚自体、やはり処理遅れや、初期凍結が甘くなったりするものです。
それは織り込み済みでの操業なわけです。。。

そして、そのときのバイヤーさんから。
「そういうときは、凍結庫に入らなかった魚は捨て、漁を休んでも、しっかり凍結すること」
。。。。というのが、実際の操業すら見たこともないバイヤーさんからの指示だったわけです。。ww

その分、高く買ってくれるならともかく。

せめて、「テープ分けでもしておいてくださいね」という指示ではないでしょうか。

某大手水産会社の社員の方が、別事例で同じような話しをしているのを聞いたことがあります。もちろん船になんか乗ったことのない方でしたけど、優等生的? なこういった発言が生産者と流通の距離を作ってしまうんだろうな・・と、思ったわけです。



マグロ船 5

2012-10-09 | 過去の仕事(マグロ船)
マグロ船の狭い船中、娯楽なんてものはありません。

船によってはNGのところもあるようですが、この船は酒は禁止されていませんでした。
山のようなウイスキーにたばこを積み込んでいる人も数名。。。
私は一番最年少でしたし、初めての船で、何をどれだけ積んだらいいのかわからず。他のベテラン船員さんたちは、テレビにビデオセット、たくさんのビデオテープ(これ、仕込み屋さんという船員さんに荷物を売っている業者さんが、自ら作って販売していました。本当は違法なんでしょうけど。。)や本などを個人の貨物として持ち込んでいました。

話しは逸れますが、この仕込み屋さん。。面白い商売ですね。
船員さんの要望に合わせ、なにから何まで準備しています。作業関係の衣類はもちろん、手袋(これもこだわりがあるらしく、船支給のものでは嫌だという船員さんが多数・・)に上陸時の外出着、靴(どう見ても1-2000円の靴が12000円だと言ってました。。)、ビデオにテレビにテープに本・雑誌・・ ありとあらゆるものを準備しています。
で、船主さんから振り込まれる給与が、個人にではなく、この仕込み屋さんへ振り込まれるケースもしばしば。その中から売掛をさっぴき、あとは仕込み屋さんが預かっている、船員さんの個人口座へ貯金してやっているようです。とにかく何からなにまで、この仕込み屋さんに任せている人が多数いて、驚きました。(いいようにやられてるな~。。と。。ww)

さて、洋上の楽しみといえば食事。楽しみがなにも無く、その上睡眠時間すら本当に少ないのですから、せめて飯ぐらいはいいものを。。ということなのでしょうか。
とにかく美味いものが多くて、驚きました。
このときのコック長は、どこかの一流ホテルのシェフだったとかで、船員さんたちは、今回のコック長は当たりだ。。と、よく言ってましたね。
たしかにあの環境で食事もひどかったら・・・・

もっとも、このコック長さんも色々あって乗船していたようで、まあ面倒臭いことが山のようにありました。 入港したスペインの港で強盗に遭い、仕返しに包丁を腹巻に入れて飛び出して行き、血だらけで帰ってきたことがありました。誰を刺したのかわかりませんが。。。  




マグロ船 4

2012-10-02 | 過去の仕事(マグロ船)
マグロ船で使う資材についても、当時は日本製がほとんどでした。

当時、
「優秀な船頭を雇うためには、船頭の意向を100%受け入れてやらなければならない。そのためには、洋上で使う餌・資材も極力船頭の意向を反映したものを入れなければ、いい仕事をしてもらえない・・」 という話しを良く聞きました。
(逆に言えば、釣れないのは餌のせい、漁具のせい、になったりしたわけです)

考え方によっては、陸の仕事も一緒なわけで、現場の責任者に取り入って自社の商品を買ってもらうのは営業の常套手段。この「便宜地籍船」も、船頭の意向を多分に反映した商品が積み込まれていたわけです。
陸についたときの納品業者の「営業」スタイルにも結構驚きましたが、経営について、本来お金を出している「船主」さんより、「船頭」のほうが偉く権限がある・・という姿に非常に違和感を感じたことを思い出します。

案の定経営状態が厳しくなったマグロ船は、どんどん海外の資材などに切り替えていきました。餌についても「このサイズの餌でないと駄目」というわがまま言い放題の船頭に振り回された会社は沈み、船主がしっかりとコントロールしている船は、海外の餌やらあまりきいたことのない餌を使ったりと、色々と努力・改善をしながら生き残りを図っていたりします。

船員も寄せ集めのこの船、漁場に着くまでにすでに不穏な空気が漂い始めてきたわけです。
目指すは大西洋、その間、昼間は漁具を作っていくわけですが、すべてが新しいと、かえって使い勝手が悪かったりします。また、私からすれば小さい話しなのですが、「このメーカーの釣元ワイヤは駄目だ」などということを言い出す船員がいたりします。結局、航海の間ずーっとこの船員は、「釣元ワイヤ」のことが気になり、作業中常に文句を言っていた記憶があります。

陸と違って飲みに出てストレスを発散することもできず、結局日々小さなことがどんどん、どんどん溜まってきます。小さなトラブル、いざこざが命に関わるな、と感じたのはこの頃からです。


マグロ船 3

2012-09-25 | 過去の仕事(マグロ船)
シンガポールを出港し向かった先は、「アフリカ沖」。たしか、20日以上かかったような記憶があります。
この船は新しい船でしたので、その間に漁具作りを日々洋上で行っていきました。
船の乗り組み員もどういうわけか、寄せ集めた感じで、同じ船に乗っていた。。という顔見知りがほとんどいない状態。皆、互いの経歴を探りながら、様子見をしている感じがいたしました。
そしてその間に、やはりグループのようなものができてくるわけですね。私はダントツの若手。誰からも「小僧」扱いをされるわけで、結局それがいろんな方々の人間関係のもつれに巻き込まれ、かなりめちゃくちゃな扱いを受けることになったわけです。
今思えば便宜地籍船の走り。まだまだ日本の船から飛び出して冒険しよう、という船員さんは特殊な部類だったのかもしれません。

私の同室はスリランカ人。私の次に若手でしたが、日本の船の経験もあり、エンジニアとしての腕はなかなかのものだったようです。唯一のスリランカ人と小僧の私は船内での微妙な立場は一緒。このスリランカ人が居なかったらどうなってたんだろう、と、後から振り返ると、本当にいろいろ助けてもらった恩人ですね。

マグロ船ってどういうところ? と、聞かれることがしばしばあります。

たった50m程度の船に見知らぬ男同士が20名で共同生活。寝る時間も無く、仕事はきつく、娯楽などなく、そんな空間で半年間も他の世界から隔絶されていたらどうなると思う? と、逆に質問します。ましてや今のようにネットが発達している時代ではありません。ようやくGPSが普及し始めたばかり。インマルサット(衛生電話)がついていましたが、「もしもし」、と、話しをしただけで3000円を越える料金でしたので、簡単に使えるわけもなく、本当に「孤立」した世界なわけです。

陸からはるか離れた洋上、どんな奇跡が起こっても、陸上へたどり着くのはまず不可能。その点では、まだ監獄のほうが希望も自由もあるのでは? と、何度も思ったわけです。

漁具作りをしている頃はまだまだ気持ちにも余裕があり、景色を楽しむ(といっても水平線しか見えませんが)余裕もありました。

・・・船は一路アフリカを目指して南下していきます。




マグロ船 2

2012-09-18 | 過去の仕事(マグロ船)
昔のシンガポールは岸壁が少なかったため、沖で錨泊、岸とは、通船を使って行き来していました。

私が乗り込んだのはシンガポールから。船は台湾で建造され、最低限の艤装だけしてシンガポールへ回航。そこで、最終的の仕込みを行いました。
たぶん、シンガポールのほうが、機械資材類の通関手続きが楽(税金も含めて)だったからではないか、と、思います。

資材なんかも、こういった通船で沖へ運ばれてきて、それを人海戦術で積み込みました。
油や水も一緒。船がやってきて、沖で積み込みます。

我々乗り組み員は、船舶代理店が手配した通船の時刻に合わせで上陸、帰船するわけです。
ですが、2-3時間に一回の通船の時間に都合よくあわせるのも仕事があると大変です。したがって、洋上を流している通船の「タクシー」のようなものを拾って上陸します。
船から周りを見て、走っている通船を見つけると、タオルやらハンカチやらを回して合図します。
そうすると、船が寄ってきて、岸までの距離と、乗客数に合わせて値段を言われるわけです。
たしか、高いときは、日本円で3-4000円とられた気がします。もっとも、岸壁までは、小一時間かかりました。。

シンガポール出港後は、一路アフリカ沖へ。

このとき初めてマグロ船の船員さんたちと合流したのですが、これから先アフリカ沖、半年は海の上だというのに、スーツを仕立ててくる人が何人も居たのには驚きました。。ww
通船が到着する「クリフォードピア」周辺には、インド系住人が経営する洋服の仕立て屋がたくさんありましたので、客引きに遭って作ってしまったのでしょう。
皆、楽しそうにスーツを見せ合ってた姿を思い出します。。




マグロ船 1

2012-09-11 | 過去の仕事(マグロ船)
マグロ船経験の方が書いた啓発本が流行っているようです。
私は読んでいないので評することはできませんが、人生で必要なことはマグロ船がすべて教えてくれた、という題名だったと思います。
ということで、私の人生にとっても大きな影響を与えた「マグロ船」の体験を少しずつ書いていこうと思います。

私がマグロ船に乗ったのは22年前、ちょうど今ごろの時期にシンガポールからアフリカへ向かいました。
その船は、
* 日本の図面を使って
* 台湾の造船所で建造した
* ホンジュラス船籍の新船
いわゆる、「便宜地籍船」(三国船)だったわけです。
当時、どのような経緯でこの船が作られ、どのような苦労があり、どのような末路を辿ったのか・・そのあたりは一船員の立場だった私には全くわかりませんが、20年以上経しましたので、そろそろこのときの話しを書いてもいいかな・・と、思った次第です。

便宜地籍船、すなわち日本船ではありませんでしたので、日本の法律は関係ないわけです。
当時、日本の船は、日本人が何人以上、通信長なども乗船させなければならなかったはずです。本船は日本の船ではないので、乗組員についても縛りがありません。私が乗った船は、日本人、ペルー人、それに、スリランカ人が乗っておりました。混乗船です。 もちろん通信長は乗っていませんでした。

日本船の場合、やれ仕込みはどこの業者だ、やれ餌はこのサイズじゃないと駄目だ、やれ漁具はこのメーカーだ、と、色々と経費の嵩む話しばかり。
そういうしがらみが一切ない、というのがこの船。

そういう意味では色々な先駆けとなった船だったような気がします。
マグロを買うほうも、「実体は日本船なのに、ホンジュラス船籍」なわけですから、それだけを理由に安く買うわけにはいかず。。
思い出すと、業界に色々と問いを投げかけた船だったかもしれません。

つづく