映画と本の『たんぽぽ館』

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アマンダと僕

2019年07月29日 | 映画(あ行)

守るべき人がそばにいると、強くなれる

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パリに暮らす24歳ダヴィッド(バンサン・ラコスト)は、
テロ事件により姉サンドリーヌ(オフェリア・コルブ)を亡くします。
サンドリーヌには娘アマンダ(イゾール・ミュルトリエ)がいて、
当面ダヴィッドがアマンダの面倒を見ることに。
ダヴィッドは姉を失った悲しみとともに、少女の親代わりという重荷を負うことになりますが・・・。

テロによる無差別殺人が、特異な事件ともいえなくなってしまっている昨今ですが、
こうして一人の犠牲者に焦点を当て、
その家族たちの物語を紡ぐことには意義があると思いました。



サンドリーヌとダヴィッドの姉弟は、幼い頃に両親が離婚して母が出ていき、
父子家庭で育ちました。
その父親も今は亡く、二人だけの身寄りということで
通常の姉弟よりも近い関係にあります。
その姉の突然の死。
ダヴィッドは24歳で立派な成人とはいえ、
まだいくつかの仕事を掛け持ちしてやっと生活を支えているという状態。
母を亡くしたアマンダを見るのも十分に不憫ですが、
親しい姉を亡くし、アマンダの学校の送り迎えなどに忙殺され
悲しむ余裕もないというダヴィッドの状況にもまた、切なさがこみ上げます。
父親の代わりになんかなれないと、友人の前でついに本心を吐露し、
泣き崩れてしまうダヴィッド。
アマンダを施設へ預けることに気持ちは傾いていきます。



そしてもうひとり重要な登場人物は、
同じ事件に巻き込まれて傷を負うも命はとりとめたレナ(ステイシー・マーティン)。
ダヴィッドの恋人です。

命が助かれば良いというものではないのですね。
彼女はすっかり心が萎えてしまい、少しの物音でもその時の恐怖が蘇ります。
ピアノの教師をしようにも、腕が動かない。
そんな彼女は、ダヴィッドを支えることなんかできないといって、
故郷の実家に帰ってしまいます。
ますます孤独を深めるダヴィッド。

このような悲しみの底からダヴィッドが立ち上がるのは
少しの時の流れと、やはりアマンダのおかげなのかもしれません。
アマンダはもちろん母を失い沈んだ心を隠せませんが、
それでもやはり、子供は生きる力を秘めているものですね。
毎日を健気に過ごすアマンダとともにいることで、
ひたすらダヴィッドを慕う彼女をなんとか守り通さなければ・・・
という気持ちがダヴィッドに芽生えてきます。
守る人がそばにいる方が、人は強くなれる。
そういうことです。

余談ですが、「エルビスは建物を出た」。
作中でこんな言い回しが何度か出てきます。
それはエルビス・プレスリー人気絶頂の頃、
ファンたちがまだエルビスを見られるかもしれないと、
コンサートが終わっても残っているのを見て、
警備員が「エルビスは建物を出た」と言ったそうな。
つまり、もう待っても無駄、おしまいだ、ということ。
それで英語の言い回しとして「エルビスは建物を出た」というのが
「もうお終いだ」という意味を表すことになったのだそうです。
この言葉が終盤でものすごく効果的に使われるんですよ。
ステキです。

<シアターキノにて>
「アマンダと僕」
2018年/フランス/107分
監督:ミカエル・アース
出演:バンサン・ラコスト、イゾール・ミュルトリエ、ステイシー・マーティン、オフェリア・コルブ、マリアンヌ・バスレール

喪失感度★★★★☆
満足度★★★★★



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