人骨

オートバイと自転車とか洋楽ロックとか

北海道ツーリング45

2005年02月04日 | ツーリングのレポート
とにかく1棟の建物がデカくてびっくりだ。これが全部で何棟並んでいるんだろうか。さてしばらく歩くと廊下の右手側に通路が現れ、丁字路となっている。この丁字路へ右折すると階段が断続的に続き、段々と上へ繋がっている。どうやらこのまま隣の棟まで行けるようだ。少し登ってみたが、だめだこれ以上探索を続けてはキリがない。そろそろ妻もしびれを切らすころだろう。カメラはとっくにメモリー切れとなっているので、先日撮った風力発電風車の動画撮影や無意味にたくさんあるクマどもの写真をジャンジャン削除して廃墟内の撮影に供していた。およそ15分程度しかここにいられなかったと思うが、再訪を誓って後にすることとした。それにしてもこの階段通路には実に多数のBB弾が落ちている。本来室内に鎮座していたはずのベッドがぬりかべのように立っているのはバリケードのようである。確かにこんなところで戦争ゴッコしたらそのケはないぼくでも楽しそうだなと思った。


建物を縦に繋ぐ階段通路。右のベッドはバリケードだろう

床の上に散乱する瓦礫をザクザク踏みながら入口へ引き返す途中、人の声がした。声の聞こえた方向は、自分が進入時に間違って歩いた1段下がった南面からのようであった。さっき窓から見えた自動車の連中だろうか?なんかハチ合わせるのも嫌だし、もしここを管理しているようなお役所系の人間だったら怒られてしまうかもしれない。怖くなって走って逃げ出した。幸い彼らと顔を合わすことはなかった。道路へ戻ると、もう1台の自動車が停まっていた。さっき窓から見えた車かどうかは分からない。サンバーに戻って妻に問うてみると、なんでも三脚を担いで慣れた足取りで向かっていった様子で廃墟マニアと思しかったとのことであった。感動に浸りながらこの地を去ることにした。もはやこれを越える聖地はかの軍艦島しか存在しないであろう…。サンバーを切り返した時、後輪が路肩の砂利に落ち、本気でアクセルを踏んでも動かなかった時には少々焦った。バックして勢いをつけて舗装路へ上がった。

あとはひたすら帰るのみである。山を下っていく。このあたりはツーリングライダーが多いようだ。そういえばこの峠道バイクで走れば中々気持ち良さそうだ。まあ今のぼくにはそんなことすらどうでも良いほどの満足感でいっぱいだ。松尾八幡平ICの手前のジョモにて給油する。給油中妻はとなりのコンビニでお茶を買ってきた。空いてる高速を走るのは車であってもあまり悪くはない。ただこのサンバーでは場所によってはほんとに速度が出なくて怖いが。またBGMに耳を傾けながら帰路に着く。ラジオでやってる東京方面の気象情報も興味深い。オヤツの南部煎餅は想像と違ったがピーナツが美味い。1回目どこかで休憩。サッカーのテレビ中継をやっていて愚民たちが群がっていた。その後妻と運転交代。妻には250kmほどを走行してもらい2回目の休憩の那須塩原だかのSAで夕食。レストランへ足を運びかけて、結局貧乏な軽食コーナーにした。決めるのは全部妻である。ぼくは豚汁定食をたべた。ここで南部煎餅と間違えてたピーナツ煎餅に出会う。期待していた方は煎餅と言うかクッキーと言うかで随分洋風だった。軽い南部煎餅のほうが気楽にたくさん食えるからいいという説もある。とにかく、あとは家に帰るだけだった。12時すぎには到着した気がする。北海道ツーリング日記本編、これにて終了…。




以降に今回の北海道の旅行の感想を以下にまとめてみたい。遠足の後で書かされる感想文みたいなものである。