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ヨットと私

2010年11月17日 | エッセイ
海上保安庁で思い出しましたが、
私、ヨットが運転できます(もうできないかな~)。

 

カエルのTシャツを着ているのが若かりし頃の私。まだ髪が長い……(追憶)。30ぐらいですね。

マストって、風でゴーンと移動してきて人ぐらい、簡単に跳ね飛ばします。元の写真は普通の曇りなんですが、携帯で撮りなおしたんで嵐の前のように変色。




向こうに見えるのは大阪南港のATCだと思う。 下は船で多重露光撮影の練習。

 


 これは自分の船でした(とかいうとかっこいい? いや、でもほんとに。名義も)。定員八人だったかな。ちゃんと船室もあるやつ。大阪港の南港に近い公営のハーバーに泊めてました。

いや、なんで持ってたかというと、小型船舶の教習所の人にもらったんです。タダで!
免許取ってから、中古のモーターボート買おうと思って探してて、そこにも聞いたら(生徒の練習で使い古して安いのないかって。浮いたら、桃太郎のお碗の船でいいって→、あ、間違えた、一寸法師だ)「そんなに船が欲しいなら」ということで、いきなりくれて驚きました。
 よく中古の車、もうタダで人にあげたりするじゃないですか。もってても維持費(係留費、保険代等)がかかるし、といって売ってもお金になるわけでもなく、でも大事に乗ればまだまだ乗れる、てやつですね。


 あと、ヨットの世話をするのは、多少時間の自由がいります。当時はもう、会社やめてました。
 乗船は天気に左右され、台風が来た後は、見に行かないとだめ。経費節約のため、自分で船底に潜って貝落とし。底のペンキ塗りもしました。全身ペンキだらけで、私は農民工か。


 で、免許取立ての時、喜んでとにかくすぐに自分ひとりで出航したんですが(←自己過信)、まず出航で隣の一億の船にぶつけそうになり全身冷や汗。
 で、ちゃぷちゃぷと大阪港からちょっとだけ出て、そこから先はもし潮に乗ったら、私の腕ではジョン万次郎になると思って引き返しました。

 帰ってくるときは目の前に、北港から南港まで、大阪沿岸コンビナートとかが全部あるわけで、自分がどの港から出たか視覚で目標物を覚えてないとダメなんですが、全然わからず真っ青……。
 あのときほど、乗り物は道のあるやつにしておこうと思ったことはありません。

 コンパスも読めず、死ぬ気のカンで這う様にして戻りました。
 そのときの心の支えは海上保安庁。港内で「遭難」してれば普通は見つけてもらえるらしいです。


 でも、その頃に聞いたんですが、船ほど完全犯罪に向くのはないそうです。ちょっと沖に出て、後ろからボーンて海に突き落とせばそれでおしまい。船って上から助けてもらわないかぎり、上には登れません。
  落ちたら普通は発見されないし、ちょっと泳げたって、そんなうまく船こないわな。
 名画「太陽がいっぱい」でも、アランドロンが金持ちの息子をヨットから突き落として? 完全犯罪をたくらんでましたね。

でも、大阪で一番美しい、好きな景色は、川面から見る中ノ島から堂島、土佐堀です。あとやっぱり川面からみる朝焼けのOBP。最高(たしかCMにも使われてましたね)。だって浪速八百八橋の水の都だもん。この蔵屋敷がいっぱいあった堂島のあたりからいくつかの財閥が生まれました。

 私は自主独立の町人の町の大阪が大好き。
 誰がなんと言おうと、世界で一番の街なのじゃ→関西人……。

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