でも。
昨日も今日も、とても流れが良く。
特に今日!!!
朝からの某仕事帰りに、明日一緒に演奏していただくキミちゃんの楽器を受け取りに行けた!!!というのが、最大の時間短縮感謝の流れ☆でした。
予定では、某仕事場所から30分かけて家に帰ってから、何十分か時間調整をし、40分の道のりを経てキミちゃん宅!だったのが、仕事場所から20分ちょっとでキミちゃん宅に行けて、楽器の受け取りができた!!!!!!
ってことで、1時間以上の時間が生まれました✨嬉しいーーー!!!!!
でもねむーい!!!
でも支度せねばー!!!
といったところで、
まずは今日の分をアップせねばです。
*****♪*****
11月22日。
スティールパンで童謡唱歌(326)
『城ヶ島の雨』
作詞:北原白秋
作曲:梁田貞
これは…童謡唱歌なのか?と思いつつ、北原白秋サンと梁田貞サン、童謡唱歌にゆかりのある方々ということと、私が選曲している4冊の本の中に入っていたり…ということで、『城ヶ島の雨』です!笑
◎まず!城ヶ島(じょうがしま)は、神奈川県三浦半島の南端に位置する島…です!
(神奈川県に住んでいますが、行ったことはありません!笑)
周囲長約4 km、面積0.99 ㎢、神奈川県最大の自然島だそうです。
◎詩人・北原白秋サンは、1910年に初めて三崎を訪れたそうです。
紆余曲折の後の1913年、城ヶ島遊ヶ崎対岸の三崎町向ヶ崎(むこうがさき)にあった異人館に翌年まで住んでいたということでした。
◎三崎に住んでいるときにも詩歌をノートに書き溜めていたそうで("三崎ノート"というそうです!)、その成果は1915年に歌集『雲母集(きらら集)』として発表していた…とのこと。
北原白秋サンは三浦三崎・城ヶ島を生涯愛したそうです。
『城ヶ島の雨』は、北原白秋サンが三崎滞在中の1913年に演出家島村抱月サンの依頼で作られたそうで。
島村サンは自身の主宰する芸術座の音楽会で発表するオリジナル曲のために北原白秋サンに作詞を依頼し、作詞後すぐに梁田貞サンによって曲が付けられた…とのこと。
1913年10月30日、東京有楽座にて梁田サン自身の独唱で発表されたということです。
◎制作秘話!?
1913年。北原白秋サンは前年に"とある事件"があり、失意のどん底で三浦半島先端の三崎に移り住んでいたそうです。
音楽会が間近になっても、依頼された歌詞が依頼主に届かず、催促のために東京から担当者が三崎まで行ったそうで。
『城ヶ島の雨』の歌詞を受け取ったのは、10月27日の夜、作曲家梁田貞サンに歌詞が渡ったのが28日、梁田貞サンは『城ヶ島の雨』の歌詞にたった2日で曲を付けて、10月30日の音楽会本番で自らテノール歌手として独唱したそうです。
【歌詞】
雨はふるふる 城ヶ島の磯に
利久鼠の 雨がふる
雨は真珠か 夜明けの霧か
それとも私の 忍び泣き
舟はゆくゆく 通り矢のはなを
濡れて帆あげた ぬしの舟
ええ 舟は櫓でやる 櫓は歌でやる
歌は船頭さんの 心意気
雨はふるふる 日はうす曇る
舟はゆくゆく 帆がかすむ
◎今回参考にした動画は、ボニージャックスさんのこちらのYouTubeです!
◎余談。
期日が迫っていてギリギリにできた曲!といえば…。
…確か、『みかんの花咲く丘』も、出来上がったのが前日!!!とかいう話でしたね。
『みかんの花咲く丘』の時のブログ。
明日は古めの?童謡唱歌。
私は知らなかったけど母は知ってましたー!!!
解説、早く調べなくちゃ!!!
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