原題:『The Death and Life of John F. Donovan』 監督:グザヴィエ・ドラン 脚本:グザヴィエ・ドラン/ジェイコブ・ティアニー 撮影:アンドレ・ターピン 出演:キット・ハリントン/ジェイコブ・トレンブレイ/ベン・シュネッツァー/ナタリー・ポートマン 2018年/カナダ
グザヴィエ・ドランの「真実」と「スタイル」について
本作は冒頭でヘンリー・デイヴィッド・ソロー(Henry David Thoreau)の『ウォールデン 森の生活(Walden; or, Life in the Woods)』から「愛やお金や名声よりも僕は真実が欲しい(Rather than love, than money, than fame, give me truth.)」という言葉が引用され、他にもゴア・ヴィダル(Gore Vidal)の「スタイルとはあなたが何者かを知ること(Style is knowing who you are)」など引用されている。だからここでは本作の「真実」と「スタイル」を考察してみたい。 そもそも私たちはルパート・ターナーの言うことを鵜呑みにしていいのだろうか? ルパートは11歳の時に俳優のジョン・F・ドノヴァンと5年前から文通していたと告白しているのだが、それならばルパートは6歳からドノヴァンと文通していたことになる。しかし6歳の子供が書く手紙に対して25歳の俳優がどれほど真剣に返事を書くのかは疑わなくてはならないだろう。 ルパートがドノヴァンから貰った手紙を盗んだ同級生の家に忍び込んだものの気づかれて警察に捕まったシーンを思い返してみよう。ルパートを迎えに行った母親のサム・ターナーが息子と帰宅した直後に、ルパートに警察に捕まった原因を訊ねるのであるが(なんならその原因になったドノヴァンから貰った手紙を示すべきなのであるが)、常識で考えるならば既にサムは警察から事情を聞いて知っていなければならないのである。 つまり本作のメインテーマはジョン・F・ドノヴァンの生涯ではなく、コンゴ出身の女性ジャーナリストであるオードリー・ニューハウスを完全に騙すことが出来たルパートの嘘にまみれた人生の方なのである。そしてルパートが見る「幻視」が当たり前のように描かれているために、観ている観客の多くも騙されているのではないだろうか。 トラストの「サルク」を和訳しておきたい。
原題:『Scary Stories to Tell in the Dark』 監督:アンドレ・ウーヴレダル 脚本:ダン・ヘイグマン/ケヴィン・ヘイグマン/ギレルモ・デル・トロ 撮影:ロマン・オーシン 出演:ゾーイ・マーガレット・コレッティ/マイケル・ガーザ/ガブリエル・ラッシュ 2019年/アメリカ・カナダ
怖くない怪物の意味について
『ミッドサマー』(アリ・アスター監督 2019年)同様に本作も「ホラー映画」として弱いと感じるとするならば、時代背景を勘案していないからである。1968年のアメリカはベトナム戦争の真っただ中でソンミ村虐殺事件なども起こして泥沼状態で、実際に主人公の一人であるレイモン・モラレスは徴兵忌避者である。つまり本作はベトナム戦争によりトラウマを抱えた高校生たちが見た「悪夢」であり、よって主人公たちを襲ってくるモンスターたちはどことなくかわいらしさが残っているキャラクターなのである。 メインテーマとして流れるドノヴァン(Donovan)の「魔女の季節(Season of the Witch)」は既に和訳しているので、ここではしない。
ジュディ・ガーランドを演じたレネー・ゼルウィガーの熱演は十分に伝わってくるのだが、例えば、娘のライザ・ミネリとの関係など詳細に描かれることはなく、その他にも華やかな有名人との交流は描かれないまま、晩年の落ちぶれた時にフォーカスが当てられているために、これがジュディ・ガーランドだと誤解されることに杞憂してしまう。 子役に覚醒剤を与えて働かせていたというハリウッドの暗部が明るみにされているが、それよりも個人的には『ティファニーで朝食を』(ブレイク・エドワーズ監督 1961年)でユニオシという悪名高い日系アメリカ人を演じたミッキー・ルーニーが子役時代にガーランドと並ぶ人気を博していたことに驚いた。 ここではガーランド全盛期の『若草の頃(Meet Me in St. Louis)』(ヴィンセント・ミネリ監督 1944年)の「ザ・トロリー・ソング」を和訳しておきたい。