亡霊怪猫屋敷
1958年/日本
不自然さが醸し出す不気味さ
総合 80点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
作品の冒頭から興味深いシーンが現れる。担架に乗せた病人を運ぶ2人の救急救命士が横切り、2階にある研究室に向かうまでのシーンは、結局は主人公の大学病院の医師である久住哲一郎の視点であることが分かるのであるが、それが本当に久住の視点なのか、あるいは「神の視点」なのかはあやふやなままである。
一見するならば破綻があるストーリー展開に見える。例えば、大村藩家老の石堂左近将監はずいぶんとエキセントリックな性格で、気に障ることを言った家人の左平治を斬り殺そうとして息子の石堂新之丞に止められ、碁の師匠である竜胆寺小金吾を、自分が勝負を望んだにも関わらず、小金吾が「待った」を承知しなかったことに腹を立て斬り殺してしまい、さらには夜勤で留守になるために新之丞が母親に父親の様子を注視しておくように頼んでいたにも関わらず、母親は全く事件に気がついていない。それならば新之丞はしっかりしているのかと思いきや、新之丞とつきあっていた腰元の八重が父親に手込めにされて、助けにきた新之丞とともに斬りつけても、2人は屋敷から逃げ出そうとせずに、最後は父親と息子が刺し違えて死ぬことになる。小金吾が行方不明になったことの原因を尋ねるために彼の母親の宮路が盲目であるにも関わらず、一人で将監を訪ねて犯されてしまうという不可解な行動も合わせて見るならば、誰も石堂左近将監の常軌を逸した言動に異を立てもせず、全く危機感も抱かないという物語の流れは、ストーリーが不自然というよりも、この不自然さが却って本作に更なる不気味さを付加しているように感じられるのである。
本作のタイトルも秀逸である。ポスターの活字から判断するならば、正式には「亡霊怪描屋敷(ぼうれいかいびょうやしき)」であるはずだが、「怪描」と「飼い猫」という二重の意味を孕んでおり、‘化け’猫もののジャンルに属する作品のタイトルとしては絶妙だと思う。
「放射能汚染地域の血ほしいか」桐生市議ツイートに批判(朝日新聞) - goo ニュース
群馬県桐生市の庭山由紀市議が25日、ツイッターで、地元を放射能汚染地域と位置づけ、
「放射能汚染地域に住む人の血って、ほしいですか?」とツイートしたことに対して、批判が
殺到しているらしい。確かに放射能に汚染された血を欲しいとは思わないが、放射能汚染
地域に住む人の血となると微妙である。何故ならば放射能に汚染されている地域に住んで
いる人たちは放射能に対する自覚があるために、放射能に対して敏感だからであり、
自覚の無い人たちよりも汚染されている確率が低いということはありえるからである。
それよりも驚いたことは批判されたことに対する庭山由紀の反応である。説明を求められ
た庭山は「桐生市は放射能汚染地域であり、間違ったことは書いていない。訂正する気は
なく、恥じることもない」と述べたようであるが、その前に「議員も人なり」、「あんたたち、
議員をなんだと思ってるの?」と反論し、「なんか、暇人が盛り上がってきましたね。みなさん
まとめてさよーなら」とツイートしているようである。もちろん一般人が勝手なことを言っている
限りならば誰も批判などしないはずで、市議の言動に対して批判した人間を見下したように
バカにして“暇人”と定義してしまう庭山由紀という人物を市議にしてしまった桐生市の
住人に対しては、深刻な人材不足故に同情してしまう。
馬鹿まるだし
1964年/日本
責任を取る代償
総合 80点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
本来ならば『幕末太陽傳』(川島雄三監督 1957年)の居残り佐平次から『ニッポン無責任時代』(古澤憲吾監督 1962年)の平均の流れに乗って、本作の主人公である松本安五郎も、臨機応変に目の前で起こる問題に対応するはずだったと思うが、素性の不明な2人と違い、シベリア帰りという素性が明らかになっており、既に戦争の傷跡を引きずってしまっている。
偶然であったとしても安五郎の活躍により町の住人たちは助けられるのであるが、佐平次や平均と違う点は安五郎の活躍は知性ではなくて腕っ節によるものであり、町の工場の労働争議にも巻き込まれヤクザと紙一重の立場に置かれ、さらに佐平次と平均が避けていた‘女’にほだされてしまったことがやがて安五郎の‘致命傷’になる。しかしダイナマイトを持った3人組の誘拐犯に太刀打ちできる人間は安五郎以外にいなかったはずで、自分のことも省みずに危険を冒すことに対して夏子に「バカね」と言われてしまっても、他にどのような手立てが残されていただろうか。このように考えていくと本作がコメディであるかどうかは微妙であり、少なくとも『幕末太陽傳』や『ニッポン無責任時代』のように軽くはない。
この松本安五郎の物語を語っていた人物が『ニッポン無責任時代』の主人公の平均を演じていた植木等であることが皮肉であり、まるで安五郎が失敗することを見透かしていたように植木等は平均として無責任を貫くのである。
橋下市長に「パス奪い歩けと言うのか」と批判(読売新聞) - goo ニュース
この記事を見て初めて「敬老優待乗車証」という“敬老パス”の存在を知った。「福祉乗車証」
で調べてみると、20以上の市が発行していた。橋下徹大阪市長の、70歳以上の大阪市民
が地下鉄・バスに無料乗車できる「敬老優待乗車証」(敬老パス)の一部有料化案について
共産党の北山良三市議は、「パスを奪って『歩け』と言っているに等しい」と批判しているが、
バスがあるだけマシだと思った方が良い。近所の市内循環バスの乗車賃は一律100円
であるが、年間費約7000万円の維持費がかかり、それは実質、市の税金から捻出されて
おり、市の財政の厳しさからバス路線の廃止が検討されている有様である。だから歩きたく
なかったら乗れるバスがあるだけ大阪市民は幸せだと思うのである。
ダーク・シャドウ
2012年/アメリカ
「サテンの夜」の選曲について
総合 60点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
『ザ・マペッツ』(ジェームズ・ボビン監督 2011年)がテレビで1976年から1981年まで放映された『ザ・マペット・ショー』をオリジナルにするように、本作も1966年から1971年までテレビで放映された『ダーク・シャドーズ』をオリジナルにしており、共にビジュアルに関してならば文句のない出来であるのだが、演出的には寧ろサイレント映画のパロディである『アーティスト』(ミシェル・アザナヴィシウス監督 2011年)に近く、本作は60年代から70年代にかけて制作されたホラー映画のパロディの様相を呈しており、それゆえに物語のテンポの緩さが現在の視点からすると合っていないように感じた。
ギャグがスベっているとは思わないが、メフィストフェレスの「M」の活字からのマクドナルドの「M」のギャグを初め、カーペンターズに関するポップス・デュオと大工、アリス・クーパーの名前に関するギャグから、バーナバスとヴィクトリアの関係の結末のつけ方までオチが予測できるものばかりで驚きがなかった理由は、作品冒頭のタイトルバックに流れる曲がムーディー・ブルースの「サテンの夜(Nights in White Satin)」だったためかもしれない。確かにゴシック調のムードを勘案するならば相応しい選曲ではあろうが、吸血鬼にされた主人公のバーナバス・コリンズの前途を考慮するならばアニマルズの「朝日のあたる家(House of the Rising Sun)」が相応しいはずで、ここにティム・バートン監督の演出上の重点の置き方が透けて見えるのであるが、それが成功しているとはどうしても思えないのである。
アビイ・ロード逆向き写真、200万円で落札(読売新聞) - goo ニュース
今回落札されたビートルズの1969年リリースのアルバム『アビイ・ロード』の、メンバー4人
が横断歩道を渡るジャケット写真と逆方向に歩く様子を撮影した未公表写真を見たことで、
逆にジャケット写真の良さが分かった。右から左へ歩いている未公表写真では、なんとなく
メンバーに緊張感が感じられないのであるが、ジャケット写真ではメンバーの脚がきれいに
三角形を形成して、それぞれが上手く繋がっているように見えて、さらに、ジョン・レノンは
ポケットに手を入れてしまっているが、他の3人の右腕も揃って前に出している。私の想像
では、最初に未公表写真が撮られて、ダメだしをされたポールがサンダルを脱いで気合を
入れた後に再び撮影に挑んだように思う。
ザ・マペッツ
2011年/アメリカ
不徹底なメタフィクション
総合 60点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
全米の映画批評サイトではかなりの高評価らしく、確かに元々「セサミストリート」や「ザ・マペット・ショー」などのテレビシリーズで親しまれているのであるから、馴染み深いキャラクターに加えて、多数の有名人のカメオ出演で、さらに楽しさは増すはずなのだが、個人的には最後までストーリーに乗れなかった。
そもそも主人公のゲイリーとウォルターが当たり前のように共存していることは設定として良いとしても、ウォルターと他のマペットたちの関係に‘溝’があることが不自然に見えてしまう。だからと言って「マン・オア・マペット(Man or Muppet)」を歌いながら自分が人間なのかマペットなのかゲイリーとウォルターが悩むことを、鏡を見れば分かることととか、それよりもウォルターはマペットかパペットかを思い悩むべきだなどと非難するほど野暮ではない。ギャグとして十分に面白いと思うのであるが、他のマペットたちがウォルターを見て人間かもしれないと疑う要素が無いために、最後まで物語に馴染めなかったのである。
もちろん地図による‘ワープ’や、マペットの話を聞いていたメアリーが、このままでは本作自体が短くなるという言及など、メタフィクションとして演出されていることは明白ではあっても、メタフィクションが徹底されていないためなのか、ストーリーそのものが緩くなってしまったように感じた。
自民・伊吹氏、国会内の「首相優先」に激高(読売新聞) - goo ニュース
21日の衆院社会保障・税一体改革特別委員会終了後に、野田首相の通行を優先させる
ため、居合わせた自民党筆頭理事の伊吹文明元幹事長が国会の衛視に制止させられた
ことに対して、伊吹が「国会内は議員優先だ」と激高したという記事は意味がよく分からない。
一体、伊吹は何に対して怒っているのだろうか 衛視ごときが自民党筆頭理事である俺様
を制止させたという屈辱なのか、あるいは首相という立場ではあっても野田ごときの若造が
自民党筆頭理事である俺様を制止させたという屈辱なのか つまりこの場合は衛視は
首相の警護態勢を解いて、野田と伊吹の“一騎打ち”に委ねろということなのか
恋と愛の測り方
2010年/アメリカ=フランス
演出意図の測り方
総合 50点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
ファッション雑誌のライターであるジョアンナ・リードと、建築関係の会社に勤める夫のマイケル・リードに、作家であり、かつてのジョアンナの恋人だったアレックス・マンと、マイケルの同僚であるローラが絡んでくることで、一夜で繰り広げられる微妙な男女の関係が描かれることになる。
お互いに愛し合い、アレックスの熱心な誘いにも乗らずに、一線を越えることだけは自ら禁じたジョアンナと、元々異性として見ていなかったのであるが、夫を亡くしたという思いがけない事実を知らされて、同情からうかつにもローラを抱いてしまったマイケルの、早朝の対面における複雑な心理戦はそれなりに面白くはあるが、ジョアンナのセリフまで禁じてしまうことで、心理戦の醍醐味が消化不良になってしまった演出には納得がいかなかった。
演出の問題はもうひとつある。ローラに誘われてマイケルが一緒に下着だけでホテルのプールに入るシーンである。会話を終えてローラがプールから上がった後に、何故かもう一度ローラがプールの水に浸かりながらマイケルを見つめるシーンが挿入され、その次にプールに浸かっているマイケルがローラを見つめるシーンが入り、その後にプールから上がったローラにマイケルが肩からタオルをかけるというシーンに繋がっているのであるが、どのような観点から見ても一度プールから上がったローラが次にカットでいつの間にかプール内に戻っていることは不自然であり、演出の間違いでなければ、演出意図が全く汲み取れない意味不明なシーンである。
飲酒禁止令の福岡市長「ショック療法が必要」(読売新聞) - goo ニュース
福岡市の高島宗一郎市長が喝破したように、酒を飲んで不祥事を起こした職員は“一部の
腐ったミカン”なのか、あるいはもしかすると“氷山の一角”なのか分からないが、確かに
2006年8月の幼い3人の命を奪った当時福岡市職員による飲酒追突事故は、その後
道路交通法の厳罰化までもたらしたにもかかわらず、飲酒運転や酒に酔った末の暴力事件
の続発は福岡市民の体質的なものなのかと疑ってしまう。しかしたった1か月の飲酒禁止令
ならば福岡市職員は運が良いと思うべきであり、もし市長が橋下徹だったならば、“酒乱”は
即刻依願退職を促されるだろう。