メン・イン・ブラック3
2012年/アメリカ
「1969年」と「1972年」のノスタルジー
総合 90点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
『メン・イン・ブラック』(1997年)も『メン・イン・ブラック2』(2002年)も出来は決して悪くはなかったが、この『メン・イン・ブラック3』の出来の良さが特筆に価すると思われる理由は、エージェントJをわざわざ1969年にタイムトラベルさせて、アポロ11号の発射とニューヨークメッツの優勝を再現することで、アメリカ人のノスタルジーをくすぐるのみならず、エージェントJが訪れたボーリング場の名前の「Cosmic Lanes」の「e」を障害物で映さないことで、「Cosmic Lans」に見せ、「すばらしいボウリング場」から「宇宙のローカルエリアネットワーク」と時空間が歪むことを早々に仄めかす細かさや(例えば、『2』において、ローラ・ヴァスケスが、勤めていたピザ店からもらった賞状に書かれている「employee」の最後の「e」が欠けていたというエピソードと比較するならば、同じ「e」でも深みが違うことが分かる)、前年の1968年に女性に狙撃されたアンディ・ウォーホルを死んだことにして、代わりにエージェントWがウォーホルが愛用していた白髪のカツラをつけて、当時から‘宇宙人’の集まりのように見えた「ファクトリー」に紛れ込み、苦し紛れに「キャンベル・スープ缶」シリーズを‘粗製濫造’したというギャグや、『2』ではマイケル・ジャクソンがエイリアンとして登場していたが、本作ではレディー・ガガのみならず、ミック・ジャガーまでエイリアン扱いしているなど、時代背景を上手く利用したギャグが効いている。
ギャグやアクションのみならず、ラストの思わぬ展開のオチも秀逸で、『ダーク・シャドウ』(ティム・バートン監督 2012年)で描かれた1972年と比較して観るならば、ノスタルジーの出来の違いは一目瞭然であろう。
日本人は「痩せた民族」=五輪低支持率に不満―石原都知事(時事通信) - goo ニュース
石原慎太郎東京都知事が25日の記者会見で、2020年に行われる夏季五輪に対する
国内の支持率が国際オリンピック委員会(IOC)の調査で47%と低迷したことについて
「日本人は何を実現したら胸がときめくのか。ちまちました自分の我欲の充実で痩せた
民族になった」と不満を示し、29日の日本外国特派員協会の講演においても、「(都民は)
うぬぼれてるし、自分のことしか考えなくなった。ほかの日本人とは違う人種になった」
「都民はぜいたくで、何があっても当たり前になった。東京でのオリンピックが実現したら、
都民は来なくてもいい。日本中から国民が来ますから」とぶちまけている。そもそも都民は
“田舎者”たちの集まりなのだから、都民だけが違う人種になることはありえず、違う人種に
なったのであるならば、それは日本人そのものが石原が期待しているものとは違う人種に
なったにすぎない。私は敢えて東京にオリンピックを招致するという“我欲”を捨てて
イスタンブールやマドリードのことしか考えず、痩せた民族になり、石原の都知事としての
実績作りに貢献することに嫌気がさしている東京都民は嫌いではない。