仇討(1964)
1964年/日本
深刻な‘ボタンの掛け違い’について
総合 100点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
天下泰平の徳川幕府の治世下で、播州脇坂藩竜野城の武器倉庫点検が行われていた際に、偶然通りかかった奏者番である奥野孫太夫が槍の穂先の曇りをみつけ、槍所に対する怠慢を口にしたことを聞き、下級武士ではあっても武士としての矜持を傷つけられた江崎新八は、上級武士である孫太夫に刃向かったことから孫太夫は、新八に果し状をつきつけたのであるが、下級武士として見くびっていたためなのか逆に孫太夫が斬殺されてしまう。禁じられていた私闘を行った2人を家老の片貝頼母と目付の小川光兵衛は2人の武士としての面目を勘案することなく‘気狂い’扱いで収めようとするのであるが、兄の孫太夫を殺されたために家督を継いだものの、弟である主馬の怒りは収まらず、感応寺に匿われている新八を斬りに向かうのであるが、神蔭一刀流免許皆伝の実力は不運にも木の枝に刀を取られてしまい、返り討ちに遭ってしまう。もはや内密に事を収められなくなったと判断した家老と目付は主馬の弟である奥野辰之助の新八に対する仇討を認めるのであるが、長い天下泰平の間に仇討は行われておらず、形骸化していた。逃げることも出来たのであるが、兄の江崎重兵衛の立場と幼なじみの辰之助のために新八は斬られる覚悟をして刃の無い刀(竹光?)を挿して城下桔梗ケ原に向かった。仇討が開始されると同時に辰之助を間に六人の助太刀が現れた。覚悟を決めていた新八は助太刀は無用と声を上げるのだが、それはまるで辰之助の六人の助太刀に対して、自分に対する助太刀は無用と聞こえてしまい、ついには自分の刃の無い刀を捨て、相手の刀を奪い決死の覚悟で一人で血みどろになって戦うことになり、最後は新八の死骸の横で切腹した重兵衛が発見される。
武家社会における‘平和ぼけ’の恐ろしさは、自分の立場が分からなくなってくるところにある。下級武士だからと思って油断してしまう上級武士。剣を交える武士を‘気狂い’扱いしてしまう家老や目付。武士のけじめを付けるはずの仇討という‘儀式’は庶民たちにとってのグダグダの‘ショー’に落ちぶれる。凄まじく絶え間のない‘ボタンの掛け違い’は新八の兄の重兵衛の切腹によって辛うじて体裁が取り繕われるのであるが、これは『切腹』(小林正樹監督 1962年)のストーリー展開とは対照的で、そこには両方の作品の脚本を担った橋本忍の巧妙な作意が感じられる。
中国出身の河野容疑者「ICの名前分からない」(読売新聞) - goo ニュース
どうやら27日夜の東京ディズニーリゾートから28日朝のJR金沢駅までの往路で2人態勢
で一緒だった運転手は体調不良のために復路は1人で運転することになった河野化山の
名前が珍しく、気にはなっていたのであるが、中国出身ということで納得はできたのであるが、
「車内アナウンスがあやふやだった」という乗客の証言があるように、まさか乗客は日本語は
日常会話をこなせる程度の運転手が運転するバスに乗っているとは想像もつかなかった
であろうし、もしも私がそのことを知ったならば絶対に乗車しないと思う。仮に外国でこの
ような事故に遭遇してしまったら損害賠償などほぼ受けられないのが現状であるし、日本に
いてわざわざそのようなリスクを冒すほどのチャレンジャーではないからである。