脳内ニューヨーク
2008年/アメリカ
奇跡の映画
総合
100点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
一応この作品は『脳内ニューヨーク』という邦題で‘エンタテインメント作品’としてプロモーションされているが、原題は『Synecdoche, New York』であり、‘提喩、ニューヨーク’という修辞学の言葉がタイトルに使われている上に、単館公開なのだから‘アート系’の作品としてプロモーションした方が誤解を生じなかったと思う。
人は若い頃には自分のアイデンティティーの確立に腐心するものだ。主人公の人気劇作家ケイデン・コタードは妻のヘイゼルや娘のオリーブもいて順風満帆な人生を送っていたが、体調を崩し妻が娘を連れて出て行った辺りから人生の歯車が狂い始める。ちょうどその頃にマッカーサー・フェロー賞を受賞したケイデンはその賞金を新作劇につぎ込むようになる。
ケイデンの新作劇がなかなか完成しないまま、その規模ばかりが巨大化していく理由は、彼が劇を通して自分の人生を反省しているためである。もちろん最初は劇の主人公であるケイデンをケイデン自身が、何が間違っているのか、どうすれば良かったのか試行錯誤しながら演出していくが、やがてケイデンは他人の気持ちも知りたいがために周囲にいる人間の役も演じてみるようになる。
原題の‘提喩’をごく簡単に説明すると、一部で全体を表す表現方法である。ここではケイデンがその‘一部’であり、ケイデンが女性も含めて様々な役を演じることで‘全体’になっていく。だから何が現実で何が芝居なのか観ていて分からなくなるのだが、むしろカウフマン監督の意図は‘死’以外に現実と芝居に区別などないということであろう。
「何故最後にケイデンは死んだのだろうか?」という愚問に敢えて答えるとするならば、ケイデンは様々な役を演じているうちに自分のアイデンティティーを失ったからだと答えてみたくなる。つまりケイデンは他人の気持ちを理解すればするほど自分を失っていくのである。これほど感動的な死の瞬間があっただろうか?
宮内庁に意見1千件超、羽毛田長官支持が多数(読売新聞) - goo ニュース
これはどう考えても小沢幹事長の方が分が悪い。“1ヶ月ルール”というのは法律
で決まっているわけではない。それは勿論法律で決めるようなことではなく、相手国
に対する心配りの問題だからである。天皇陛下の健康状態の配慮もあるだろうが、
天皇陛下は失礼のないように面会する相手国の下調べを十分に行なった上で面会
したいはずである。残念なことに小沢は何でも理屈で通ると思い込んでいる節が
あり、そのような心配りができないために結局仲間だった人たちが次々と去っていく
のである。そのような人が「天皇陛下ご自身に聞いてみたら必ず、それは手違いで
遅れたかもしれないけれども、会いましょうと。天皇陛下は必ずそうおっしゃると
思います」とまるで自分が天皇陛下気取りで代弁してはいけないはずなのだが。
カールじいさんの空飛ぶ家 3D<日本語吹替版>
2009年/アメリカ
届かないメッセージ
総合
50点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
ちょうど今頃ではないだろうか。3D映画『センター・オブ・ジ・アース』のその映像の‘飛び出し感’を観て感激したのは。しかしその後結構3D映画を観ているが何故か『センター・オブ・ジ・アース』を超える3D作品に出会えていない。残念なことにこの『カールじいさんの空飛ぶ家』も思ったように映像が飛び出してくることはなかった。3Dメガネをかけるとどうしても画面が暗くなってしまう以上、もしも3D効果がそれほど期待できないものであり、特にこの作品のようにカラフルな映像の場合には、3Dで観るよりも通常の作品として観賞した方がいいのかもしれない。
ところで内容の方であるが、これも微妙なものである。この作品には家族を失い孤独に陥ってしまった‘じいさん’でも冒険心を失わなければ社会と繋がって楽しい人生を送ることができるというメッセージが込められている。しかし私には洋画のアニメーションを日本の孤独な‘じいさん’たちが観に来るとは思えない。つまりこの作品に込められたメッセージはその当事者である‘じいさん’たちに届かないまま、既に冒険心旺盛の子供たちに消費されてしまっているような気がする。
しかしたとえ‘じいさん’たちがこの作品を観たところで冒険心が芽生えるかとなると難しいだろう。物語内容はあくまでも子供用で深みがない上に、‘じいさん’を主人公にしているためかもしれないのだが、宮崎アニメのような躍動感が画面に感じられないからである。
‘カールじいさん’のチャレンジは無謀だったように感じる。
TBS、詐欺犯人?に接触し逃走される(読売新聞) - goo ニュース
私はたまたまこの「ブラックノート」と呼ばれる偽造紙幣についての特集番組を見て
いた。確かに犯人に逃走されていたが、犯人が所持品を残していたため、その後
捕まったということで番組を締めるのかと思いきや、そのまま終わってしまったので
驚いた。常識で考えれば、密室ではなくあのようなひと気のない駐車場内の車内で
取材する以上当然、逃走される場合を考えて多くの人を配置しておくべきである。
むしろ逆キレされて刺されなかったことを幸運に思うべきなのかもしれない。いつも
思うがTBSは経営危機の表れなのか本当に博打のような番組作りをしている。
内藤vs.亀田戦のように当たれば大きいが、外れると本当のやばい。
宇宙戦艦ヤマト 復活篇
2009年/日本
復活した意図
総合
0点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
冒頭のシーンでこれほど驚いたことはかつてなかったと思う。その冒頭のシーンとは「原案 石原慎太郎」という大きな字幕なのであるが、何故私が驚いたかといえば、私が知る範囲で石原慎太郎の作品で面白いものは一つもないからである。事前に分かっていれば絶対に観ない作品であったが、映画は1人で作るものではないと気を取り直して苦痛の中を最後まで観た。
しかし結局、何故宇宙戦艦ヤマトが復活することになったのかよく分からなかった。私の記憶に誤りがなければ、1983年公開の前作『宇宙戦艦ヤマト 完結編』で主人公の古代進が学んだことは争うことの虚しさであったはずなのだが、38歳になった古代進はそのような教訓を完全に忘れてしまったかのように、ヤマト艦長として6連射となった波動砲を縦横無尽に駆使してしまう。このようになってしまうのもストーリー自体が雑だからである。常識で考えるならば人類がサイラム恒星系惑星アマールの月へ移住する前に、そこを仕切っている大ウルップ星間国家連合と話し合いがついているはずである。最初から敵は悪という単純でマッチョな前提で物語が展開してしまっているから、ストーリーがペラペラなのである。たとえ人類がアマールの月に移住できたとしても人類がそこで生き延びる上で資源が少ないということになれば、ヤマトが今回の敵のように他の生命に危害を及ぼす可能性があるということを全く考慮していない。おそらくこの作品に携わっている人たちは『新世紀エヴァンゲリオン』など観たことがないのだと思う。
この作品は『宇宙戦艦ヤマト 復活編』の‘第一部’らしいが、私が第二部以降を観ることはないと思う。復活した意図が物語外に見出せても、物語の中に見出せないからである。実写版の方は大丈夫なのだろうか?
茂木さんに抗議殺到「仕事の流儀」終了へ(日刊スポーツ) - goo ニュース
NHKを介して茂木健一郎の脱税に貢献してしまった自分自身が腹立たしいので
あるが、茂木健一郎の思い出を一つ書き残しておこう。確か日本テレビの「世界一
受けたい授業」だったはずだが、登場する時に吉本のお笑いコンビ、ジョイマンと
一緒だったことがあった。その時ジョイマンの高木がラップのリズムに合わせて踊り
ながら出てきたのである。演出としては茂木も同じように踊りながら出てくるはず
だったと思うが、茂木は高木のラップに全く体がついていけないくて、殆ど棒立ち
状態だった。茂木は自分自身が面白いことをアピールする場所でスベリ倒していた
のである。私はこの光景を見た頃から、脳科学者という割には身体能力が異常に
低いという印象を持った。それは別にかまわないといえばかまわないのであるが、
ただその場で自分がどのように映るのかイメージができない脳科学者という存在が
ありえないと思ってしまったのである。
特例会見、小沢氏が要請…「政治利用」批判強まる(読売新聞) - goo ニュース
この件に関しては「大国にも小国にも同じように接するというのが日本の皇室の
あり方だった」という自民党石破茂政調会長の発言が的を射ていると思う。石破は
民主党議員の訪中団が胡主席との記念撮影のため列をなした様子を「国会議員が
喜々として修学旅行みたいに写真を撮って満面の笑みとは、非常に悲しい」と批判
しているが、これも正しいと思う。この日本の与党の一連の動向に加えて、もしも
天皇陛下の方が都合をつけて中国の習近平国家“副主席”と会見する事になれば、
他国から見ると日本は中国の属国のように見えることになり、東シナ海の「白樺」
ガス田を初め、何でも中国が主導権を握ることに異議を唱えることが難しくなる
だろう。私にはここまでして中国を厚遇する小沢幹事長の真意が分からない。
「文化をばかにしている」=歌丸師匠、芸術費削減に立腹(時事通信) - goo ニュース
今回の行政刷新会議の事業仕分けの結果に関して科学者や文化人などが次々と
異を唱えているが、彼らは結果の内容をよく吟味した上で発言しているのか疑問を
禁じえない。例えば落語芸術協会会長の桂歌丸師匠が、学校への芸術家派遣が
見直しとなったことについて、「異国の子供も喜ぶものを日本で行うのに、国の予算
を使うのがいけないのか。子供たちが本当の文化に触れる機会は大切だ」と訴えた
のだが、問題なのは芸術家を派遣する事ではなくて派遣するまでに誰かがピンハネ
をしているのではないかということである。だから“廃止”ではなく“見直し”なのだと
私は解釈している。歌丸師匠は「狭い日本にこんなに多くの政治家が必要なのか」
と訴えたらしいが、残念ながら政治家は既に選挙で“見直された”ばかりである。
閣僚“失言”で波紋…日本のW杯出場権はく奪も(スポーツニッポン) - goo ニュース
拉致問題担当相を兼務する中井洽国家公安委員長は10日の記者会見で、北朝鮮
女子代表の入国の可否について「制裁が掛かっている段階だから、当然反対だ。
スポーツや人的交流の面で入国はほとんどないし、安易に考えてもらっては困る」と
厳しい姿勢を示したが、当然の事であろう。国際サッカー連盟は各国協会に対する
政治的介入を許さないスタンスを取っているため最悪の場合には来年6月のW杯
南アフリカ大会への出場権はく奪という事態にも発展しかねないらしいが、それでも
北朝鮮代表を入国させないからこそ、北朝鮮に対する強いメッセージとなるのであり
もしもここで怯んで前言撤回してしまうならば、まさに北朝鮮の思う壺であり、今度は
サッカーだけの問題ではなく日本の政治不信を世界に招いてしまうことになる。
プレイバック Part2 山口百恵 歌詞情報 - goo 音楽
もう一つ今日の毎日新聞朝刊(2009年12月9日)で気になる記事があった。宇崎
竜童が山口百恵について語っているものである。宇崎は先日30年ぶりに山口と
再会したそうで、その時本人に確認したところ山口は自分が歌う曲の作り手を自分
自身で選んでいたそうである。つまり宇崎・阿木コンビの曲もさだまさしの「秋桜」も
谷村新司の「いい日旅立ち」もまだ10代の山口が選んだというのである。これは
本当に驚くべきことで、彼女はただ歌っていただけではなく自らプロデュースしていた
のである。確か彼女は映画の共演者として三浦友和を自ら選んでいたはずだから、
おそらく山口はただ曲をプロデュースしていたのではなく、彼女の人生そのものを
プロデュースしていたのである。私はこの記事を読んで山口百恵が日本芸能史に
おいて小室を遥かに越えた最も優秀なプロデューサーであることを確認した。