パブリック・エネミーズ
2009年/アメリカ
元気のないパブリック・エネミー
総合 80点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
どこにでも‘社会の敵ナンバーワン’と言われる人がいるようで、先日、フランスの‘パブリック・エネミー・ナンバーワン’であるジャック・メスリーヌの人生が描かれた作品を観たばかりであるが、この作品はアメリカの‘パブリック・エネミー・ナンバーワン’であるジョン・デリンジャーの物語である。しかし史実を忠実に描いた『ジャック・メスリーヌ』のようには『パブリック・エネミーズ』は解りやすくはない。
通常このような種類の作品においては主人公の栄光と挫折が描かれるものである。しかし『パブリック・エネミーズ』においてはジョン・デリンジャーの仲間たちとの出会いの経緯や‘最盛期’は省かれており、冒頭のシーンはいきなりジョン・デリンジャーが親友のウォルター・ディートリッヒを失うという挫折から始まっている。そしてジョン・デリンジャーは最後までこの挫折の影を帯びたまま何をするにも上手くいかずに盛り返すこともなく殺されてしまうのである。
この作品の主人公を演じているのは、あの有名なジョニー・デップであることは百も承知しているのであるが、不思議なことにこの作品のジョン・デリンジャーの顔を私はなかなか思い出すことができない。それは私だけではないようで、FBIの捜査官たちも彼の顔写真を入手しているにもかかわらずジョン・デリンジャーが特別捜査本部を訪ねていっても誰も気がつかない有様である。
ジョニー・デップを主人公に据えておきながらこの印象の薄さはただごとではない。ラストカットをビリー・フレシェットの顔のアップで終わらせなかった以上、マイケル・マン監督はこの作品でジョンとビリーのラヴストーリーを描きたかったわけでもない。つまり私たちはこの作品に登場する誰にも感情移入できないまま、ただ画面内で沸き起こる砂埃や白い吐息を堪能するしかない。
だからいっそのこと監督をクエンティン・タランティーノに挿げ替えてしまえば、すぐにでも海賊の衣装を着せることでジョニー・デップが演じるジョン・デリンジャーに生気を与え、‘デタラメ’で痛快な『パブリック・エネミーズ』を撮ってしまうだろうから、このもやもやした気分を晴らしてくれるのではないのかという想像をついつい抱いてしまうのである。
それにしても「Bye Bye Blackbird」が流れた時にはFBI捜査官までも‘笑う’のかと思ってひやひやした。
片山右京さん「全部自分の責任です」 2遺体と涙の対面(朝日新聞) - goo ニュース
片山右京という人には現役のレーサーの頃は大クラッシュを起こして瀕死の重傷を
負ったこともあったようだが、それでも怯むことなく走り続けていた怖いもの知らず
という印象を持っている。余程の強運の持ち主のようで今回の遭難においても一人
だけ生還できた。しかし基本的に1人で走るカーレースと違って今回2人のスタッフ
を引き連れていき結果的に2人とも犠牲にしてしまった。片山右京がカーレースの
感覚で登山をしていたのかどうか定かではないが、自身の強運を過信していた節が
ある。さらに残念なのは彼の強運が好成績として現れないところにある。何故その
2つが結びつかないのか不思議なのだ。運が強すぎるということが幸運ということ
ではないのかもしれない。