MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『略称連続射殺魔』 0点

2010-06-27 18:29:49 | goo映画レビュー

略称連続射殺魔

1975年/日本

ネタバレ

永山則夫という‘署名’について

総合☆☆☆☆☆ 0

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 タイトルは作品の冒頭とラストで映される「去年の秋 四つの都市で同じ拳銃を使った四つの殺人事件があった 今年の春 十九歳の少年が逮捕された 彼は連続射殺魔とよばれた」の‘略称’である。
 この作品をきっかけに足立正生監督や松田政男氏が‘風景論’というものを論じたらしいのだが、この作品をわざわざ映画館まで観に行っても私には彼らの制作意図が全く理解できなかった。永山則夫が見ていたであろう同じ風景をこの作品で見たとしても、それならば何故このような風景を見てしまった永山則夫が連続射殺魔になったのかは分からないままで、連続射殺魔と同じ風景を見たことで人を射殺したくなるような衝動が私の心の中に沸き起こることもなかった(他の観客は知らないが)。つまりこの作品はただありふれた風景に‘永山則夫’という名前を取ってつけただけなのである。
 私はこの作品を観て美術家のマルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)が1917年に制作した『泉(Fountain)』を思い出したが、『略称連続射殺魔』には『泉』のようなインパクトが全く感じられない。何故ならば『略称連続射殺魔』には『泉』のようなユーモアがないからである。例えば『略称連続射殺魔』が観光PR用のフィルムとして撮られていたならばブラックユーモアを醸し出していたはずなのであるが、残念なことに足立正生監督は真面目すぎたのである。


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