MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

タモリとニューミュージック

2015-10-03 22:21:04 | 邦楽

 今でこそ「大人」になって音楽番組のMCを担っている都合上、余計なことをはっきり言わなくなったがタモリのニューミュージック嫌いは有名な話である。タモリのニューミュージック嫌いに言及する前に最新のニューミュージックの定義を引用しておきたい。

「ニューミュージックの『ニュー』とは、『新しい』という意味だ。つまり『古いもの』があるから、それと比べて『新しい』ということになる。比較対象がある、ということだ。そしてこの場合の『古いもの』とは『歌謡曲』だった。だから、ニューミュージックなる言葉が意味するところは、とりもなおさず『ニュー歌謡曲』ということにしか、ならない。歌謡曲を相手に、『古い/新しい』ということだけを論点としているのだから、それは歌謡曲と『同じ土俵に立っている』ということにほかならない。つまり誰がどう考えても、これは『歌謡曲的なるもの』の新旧交代というだけのことだ。だからこそ、フォーク勢が『旧来の歌謡曲』を凌駕するだけの売り上げと社会的影響力を獲得したとき、『ニューミュージック』という呼称が一気に広がっていったわけだ。
 僕は素朴な疑問を持つ。なぜそのままに『ロック』や『フォーク』という呼称を、日本の音楽産業界は許容することができなかったのだろうか、と。『よし、自分はニューミュージックをやろう』なんて決意する少年や少女が、この世にいるとは思えない。」(『日本のロック名盤ベスト100』川崎大助著 講談社現代新書 2015.8.20 p.218 - 219)

 上記を踏まえて、タモリの「ニューミュージック批判」をいくつか引用してみる。ちなみにタモリのニューミュージックの定義は、さだまさし、アリス、オフコースの「軟派系」とサザンオールスターズなどの「硬派系」とに分けて、後者は称賛している(全て『タモリ伝』からの孫引き)。

「(前略)あのコンサートなんか見てると、まるでファッショですね。アリスの谷村(新司)なんかは - 実際の人間がいいとか悪いとかじゃなくて、舞台に立つと、まともな男ならこっぱずかしくて口にできないようなことを言うわけでしょ。青春とはなんとか、とかね。あれほど厚顔無恥なことはないわけですよ。それを舞台上でやれるというのは、あれはヒトラーの心境ですね。ニューミュージックで即イメージがわくのは自民党ですよね。自民党青年部というイメージがぷんぷんですよね。」(p.176)
「重いもの、暗いものでも、自分の根っ子までつながっているならいいんですよ。そうじゃなく、重そうなムード、暗そうなポースだけでしょう。人間存在の根源というとまたいやらしくなるけど、根っ子のところにあるどろどろしたもの、汚いものを見据えようとする精神的勇気がまったくないんですよね。汚いものが見れないやつらに、どうしてきれいなものが見れますか。本当のきれいさがわかるはずがない。これが日本の、いちばんいかんとこですよね。それを巧みに取り入れて商売しているのがニューミュージックというやつなんですよ」「今でも、沖縄放送の公開番組とか、コスタリカのDJとか、まったく最初から何だかわかんねえと、音の響きだけ聞いてるほうが、ぼくにはものすごく気持ちがいいし、飽きずに聞いてられるんです。意味が入ってくると、とたんにもうつまらなくなる」(p.177-178)

 「根っ子のところにあるどろどろしたもの、汚いものを見据えようとする精神的勇気がまったくない」ミュージシャンが日本にいないことはない。しかし例えば、アメリカのロックミュージシャンであるルー・リード(Lou Reed)は『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ(The Velvet Underground and Nico)』(1967年)と『ロックン・ロール・アニマル(Rock 'n' Roll Animal) 』(1974年)の二度にわたって「ヘロイン(Heroin)」というタイトルの曲をリリースしているが、リリースするに際して何の問題もなくローリング・ストーン誌は2004年の「オールタイム・グレイテスト・ソング500」において455位にランクインさせている一方、日本のロックバンド「頭脳警察」のサードアルバム『頭脳警察3』(1972年)に収録されている「ふざけるんじゃねえよ」という歌詞の中でマリファナを表す「グラス(grass)」という単語は伏字にされている。
 あるいはイギリスのロックバンド「セックス・ピストルズ (Sex Pistols)」が1977年にリリースした「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン(God Save the Queen)」という王室批判の曲は全英シングルチャートで最高位2位を初め世界的にヒットするが、日本のロックバンド「アナーキー」が同じように皇室批判を試みた「東京イズバーニング」(1980年)は右翼団体の抗議によってアルバムから削除されるという有様である。
 つまりフォークもロックもその精神性の「輸入」を許さない環境に日本は置かれており、精神性を排除したからこそフォークもロックも許されメジャーになったと見なすべきであろう。だから川崎大助が指摘するように、ニューミュージックという言葉は「ニュー歌謡曲」の置き換えというよりも、精神性を失った「ニューフォーク」や「ニューロック」と捉えることで、川崎大助とタモリの意見は一致を見ることになるのである。

頭脳警察さん『ふざけるんじゃねえよ』の歌詞
フザケルンジャネエヨ
words by パンタックスワールド
music by パンタックスワールド
Performed by ズノウケイサツ


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