新宿の損保ジャパン日本興亜美術館では『生誕140年 吉田博展』が催されている。
夏目漱石は『三四郎』の中で吉田のヴェラスケス(Velázquez)作『メニッポス(Menippus)』の
模写を取り上げ、「原画が技巧の極点に達した人のものだから」「あまり上できではない」と
記しているらしい。キャプションには「博の作は、よどみない筆で原作の趣を速写して実に巧み
だが、この批評は美術に一家言をもっていた漱石自身の見解なのであろうか。」と書かれていた。
しかしこれは漱石の見解というよりも一般的な見解であろう。吉田博の油彩画は総じて暗い
のである。おそらく描き込み過ぎて絵具が塗り重ねられて暗くなっていると思う。まるで印象派
のテクニックを無視した吉田に同情の余地があるとしたら、吉田は「宿敵」である黒田清輝の
二番煎じになることを潔しとしなかったのだと思う。一時期は自身と同じ立場に立たされていた
ジェームズ・マクニール・ホイッスラー(James McNeill Whistler)を目指したようだが、
「西洋人文主義的美学」から距離を置き、「自然を崇拝する側に立ちたい」としたものの、
結局、吉田は油彩画に関しては自分のスタイルを見つけ出すことが出来なかった。しかし
その代わりに版画に可能性を見いだし、結果的に、吉田は印象派を一気に飛び越えて
アンディ・ウォーホル(Andy Warhol)に作風が似ることになるのだが、晩年の油彩画
『初秋』(昭和22年)は明るい作風で老いて力が抜けたことが功を奏しているように見えた。
(『日本アルプス十二題 劔山の朝』大正15年)