原題:『中学生円山』
監督:宮藤官九郎
脚本:宮藤官九郎
撮影:田中一成
出演:草なぎ剛/平岡拓真/遠藤賢司/ヤン・イクチュン/坂井真紀/仲村トオル
2013年/日本
中学生の「妄想」と大人の「考え」
「考えない大人になるくらいなら、死ぬまで中学生でいるべきだ、そうだろう?」と中学2年生の円山克也に向かって喝破するシングルファーザーの下井辰夫自身は考えているのかどうかが本作の重要なテーマとして観客に訴えかける。そもそも中学生の「妄想」が大人の「考え」に変わるのは何歳からなのか私たちには分からない。例えば、韓流スターのパク・ヒョンホンに対する円山ミズキの恋心や井上のおじいに対する円山あかねの恋心は克也のような「妄想」と比べるならば女性特有の「冷静な判断」の内に入る類のものと言える。「妄想」とは背骨に多少の痛みが走ろうとも止められない、ほとばしるエネルギーが含まれているからだ。
「届いた?」と克也に尋ねた下井の真意は、口が股間に届いたということではなく、克也が夜中の公園で裸で踊っているところをカメラに収めた動画のDVDのことだった。下井はルールを守らない人たちに対して証拠の動画を撮ったDVDを送ることで大人として「考え」てもらおうとしていたのであるが、大人の「考え」には限界がある。例えば、妻を殺され、幼い子供を一人で育てなければならなくなった元警察官の下井の犯人に対する憎悪は、大人の「考え」で解決するような問題ではないのであるが、果たして中学生のような「妄想」で解決できるのかどうかも怪しい。しかし私たちは底なしの情熱をはらみ笑いを誘う、中学生の「妄想」に唯一の望みを託すしかなく、だから下井は最後に克也に「中学生円山」のマスクを贈ったはずなのである。
つまり本作は「何故人を殺してはいけないのか?」という問いに対し、「人を殺してはいけない」と断言できる明確な理由はいまのところ存在しないことを明らかにした傑作なのである。